第2話 関係者と


 翌日、目覚まし時計を駆使して、なんとか目標の時間に起きられた。一緒に寝ていた蒜山は、朝日が昇る前に起きていたので迷惑をかけることはなかった。むしろ彼の日課である筋トレをしていても僕は起きないから、相性がとてもいいと思う。目を覚ました時に、鬼気迫る表情で筋トレをしている姿には少し驚かされたが。真剣な証拠だ。何も悪くない。微かな物音でも起きてしまう天ヶ瀬よりはましだ。


 今日は、第二の被害者丸山の職場に行く予定だ。目的地は、犯行現場でもある千葉県のショッピングモール。まだ第一発見者も働いているので、同時に話を聞くことも出来てちょうどいい。そこへは、蒜山が車を運転して連れて行ってくれる。協力をしている時は毎回そうだ。他の仕事もあるので大変だと思う、しかし蒜山曰く。

「一宿一飯の恩義だ。それに、いつも事件を解決してもらっている。これぐらいは当たり前だ」

 ということなので、その言葉に甘えさせてもらっている。天ヶ瀬も僕も免許は持ってはいるのだが、身分証代わりにしか使っていないぐらいのペーパードライバーだ。運転は危険を覚悟する必要がある。そのため気持ちはありがたい。持ちつ持たれつの関係だった。


 蒜山らしい、安全すぎるほどの安全運転でショッピングモールまで連れてこられると、彼の警察権限を使ってもらい、話を聞くため警備員室に第一発見者を呼び出した。

「ったく。勘弁してもらえないか。ようやく取り調べの毎日が終わったと思ったのに。話はもう何十回もしただろ、これ以上、何を話せと言うんだ」

 事件の第一発見者である伊藤は、文句を言いながら部屋に入ってきた。第一印象は、くたびれた中年男性といった感じだ。最後に床屋に行ってから、数ヶ月は経っているだろう伸びた髪には白髪が多く、ひげもまだらに生え、目の下には濃いくまがあった。警備員の制服も、しわがあって袖のところが汚れている。きっとクリーニングに出していないのだろう。この感じだと、もしかしたら独身なのかもしれない。そのせいで身の回りを気をつけられないのだ。かなり荒んでいる。

 伊藤は、出迎えた僕達に面倒だという気持ちを隠そうともせず、顔をしかめている。その苛立ちのままにポケットから煙草を取り出したが、警備員室であるここが禁煙なのに気がついて、舌打ちしながら戻した。しかし手慣れた様子だったので、隠れて何度も吸っているようだ。

「それで? 今度は何をしに来たんだ? ていうか、あんた達本当に警察なんだよな? ……変人と学生じゃなくて? 怪しい人間と話すなって言われているんだけど」

 変人で天ヶ瀬を指し、学生で僕を指した。こんなことを言われるのは、初めてではない。よく言われる表現だが否定しておく。大学は随分と前に卒業したし、僕と天ヶ瀬は同級生だ。つまり同い年である。

「申し遅れました。私、今回の事件の捜査協力をすることになりました、名探偵の天ヶ瀬と申します。どうぞよろしくお願い致します」

 天ヶ瀬は自己紹介しながら手を出す。その顔には笑みがのっているが、実は内心で怒っているのを僕だけが感じ取れた。僕が童顔のせいもあるけど、同級生だと気づいた人は今までで一人だけだ。そのことを、彼は随分と気にしている。

 それでも、自分の格好を変えるのは信条に反するとして、あくまでもスタイルは保ち続けていた。分かる人に分かればいいらしい。完全に強がりである。もう少し歳を重ねれば、こういう間違いもなくなるだろう。

「探偵? 本気で言っているのか? 冗談だろう。ははっ」

 うさんくさい作り笑顔と、探偵という肩書に、伊藤の警戒が強まった。笑ってはいるが、いつでも帰れる準備をしている。蒜山がいるから、まだ場にとどまっている状態だ。完全に、天ヶ瀬を変人にカテゴライズした。そう考えるのも当然か。突然現れて名探偵だと言われたら、誰でもそうなる。

です。私だけが、この事件を解決出来るのですから、どうぞ協力をお願いします。どんなことでも構いませんのでね」

「……名探偵でもマジシャンでも霊媒師でもいいから、聞きたいことを聞けばいい。どうせ俺には拒否権なんてないんだろう。でも、こっちも仕事があるんだ。手短にしてくれ。こういうのが何度も続くと、職場に居づらくなるんだよ。分かるだろう。はっきり言って迷惑だ」

 伊藤が名探偵と言い直したのに満足したようで、天ヶ瀬は口全体を撫で始めた。その呼び方にこだわっている。探偵ではなく、名探偵。普通の人からすれば、全く違いはないが。彼にとっては重要だ。とにかく、機嫌が良くなって何よりである。そういうところは扱いやすい。

「そうですね。では早く終わらせましょう。事件当時のことをお聞きします。何が起こったのか、詳しく教えてください」

「それも何回も話したんだけどな。また話さなきゃいけないのか。基本的に、警備は一人が見回って一人がここで電話対応をしながら休んでいるんだ。時間ごとに交代してやるから、あの時はちょうど丸山さんが見回りする番だった」

 煙草が吸えなかったからか、同じ話をすることに苛立っているのか、机を揺らすぐらいに貧乏揺すりをしている。もしかしたら、丸山の遺体を発見した時のことを思い出すから、話すのが嫌なのか。遺体を、しかも殺された人を見るなんて、そう経験することではない。下手すればトラウマになる。

「丸山さんが見回りに行ってすぐに、外の方が騒がしくなったから、俺は確認するためにここから出た」

「それは何故ですか? 持ち場を離れるのは、丸山さんが帰ってきてからでも良かったのでは? 単独行動は推奨されていないでしょう」

 天ヶ瀬の質問に、彼は大きな舌打ちで返す。しかし蒜山がいるの気が付いて、真面目に答える必要があるのを思い出した。大きく息を吐いて姿勢を正す。

「前に、近所のガキが侵入して来ようとしたことがあるんだよ。その時に門を壊されたから、またあいつらが来たと思って、すぐに注意をしに行ったんだ。早く行かないと、全部めちゃめちゃにされるからな。そっちの方が面倒だ。丸山さんを待っている時間はなかった。今思えば、待つべきだったと分かっているよ。……俺のせいで、丸山さんは死んだようなものだ。でもその時は、そうするのが一番だと考えた」

 話しながら罪の意識にさいなまれている。顔を手で覆った。その手がかすかに震えているのが見えた。自分の行動一つで、結果が変わっていたかもしれない。そう後悔しているのだろう。

「外に行ったら、すぐ近くにある草むらが燃えていた。俺は入口近くにある消火器を取りに行って、近所に住んでいる人と一緒に火を消した。火はそこまで大きくなかったから、そう時間はかかることなく消すことが出来た。消防を呼ぶかどうか迷ったけど、燃え移ってないから大丈夫だと思って戻った」

「戻ったのは何時ですか?」

「一時五十五分。時計を確認したから覚えている。丸山さんに火事のことを報告するために、支給されている携帯に電話したけど全然出なかった。いつもすぐに出るから、さすがにおかしいと思って中を見に行ったら……後は言わなくても分かるだろう」

「お手数でなければ、丸山さんは施設のどこに、どういう風にあったのか、詳しく教えていただけますか」

 相手が話しづらくてぼやかしたところを深く掘り下げるのは、嫌がらせではなくどんなささいなことも事件解決の糸口になると思っているからだ。それでも聞かれた身になると嫌でたまらないだろう。

「……場所は一階の食品売り場で。……えーっと、飲み物の棚のところに体を丸めた状態で倒れていた」

「何かを拾おうとしたところで襲われたと聞きましたが、それは何だったのですか?」

「分からない。俺が行った時は、周りに何も無かった」

「それは、現場が荒らされてまぎれこんでいたということですか?」

「いや、何も見つけられなかっただけだ」

「そうですか、ありがとうございます。とても参考になりました。……ああ、そうだ。丸山さんは、どのぐらいの体格だったか分かりますか?」

 伊藤は、どうしてそんなことを聞くのかといった表情を浮かべたが、考えたところで天ヶ瀬の思考回路を理解出来ないと諦めたらしい。大きなため息を吐きながら答えた。その方が賢明だ。

「百六十センチぐらいだって本人は言っていたけど、多分そこまではなかったな。サバ読んでたはずだ。とにかく小さいおっさん。でも態度はでかい。まあ、人のことは言えないか。若いのから見れば俺もおじさんだ。子泣きじじい、っていうあだ名があったって言えば、どんなだったかなんとなく想像出来るだろう」

「なるほど。とても分かりやすい表現ですね。随分と小柄だったというわけですか」

「そうだな。本人も小さいのをコンプレックスに感じていたみたいだ」

 丸山が小柄だというのが分かったが、それが事件とどう関係しているのか。それは天ヶ瀬しか分からない。しかし、彼にとっていい情報だったようだ。嬉しそうな表情を隠そうとしていない。

「もうそろそろいいか? 仕事に戻らないと、嫌な顔をされるんだよ。ただでさえ、事件が起きてすぐは警察に取り調べを受けたせいで、仕事を休むはめになったんだから。これでクビになったら。どう責任とってくれるんだよ。どうせ責任なんかとってくれないんだろう。それならもう勘弁してくれ」

「それでは最後に、一つだけいいですか?」

「あ?」

 終わりにしたいと言ったところで、もう一つ質問をしようとするなんてメンタルが強い。伊藤も怒りを通して呆気に取られている。

「……一つだけな」

「先ほどから、ずっと思っていたのですが、あなたはこの事件を解決してもらいたいと本当に望んでいますか?」

「はっ?」

 その質問は、ここにいる誰も予想していなかった。伊藤も、すぐに理解出来なかったのか止まっていたが、その質問の意味が分かった途端、怒りから勢いよく立ち上がった。

「俺が殺したって言いたいのか!?  あ!?」

「そのようなことは一言も言っていませんよ。ただの質問です。しかしそこまで取り乱すと、やましいことがあるから怒りを感じているように見えますよ」

「なんだとっ!?」

「ま、まあまあ。天ヶ瀬、さすがに言い過ぎですよ」

 今にも殴りかかりそうな勢いに、傍観者役でいたのを止めて間に入った。わざと怒らせているのは長年の経験で分かったのだが、その理由までは読み取れていなかった。大体の話は聞き終えているから、きっと半分は趣味であるはずだ。悪趣味である。

「君も同じことを思っていたはずです。この人の話を聞いていて、ずっと不快に感じていたでしょう。自分の立場しか気にせずに、事件解決のための協力を惜しんでいる。まるで、事件が迷宮入りするのを望んでいるかのようです。そうでしょう?」

「この野郎!」

 天ヶ瀬の言葉で完全に怒った伊藤は、拳を振りかぶった。しかし、ここには蒜山がいる。目にも止まらぬ早業で腕を掴み拘束した。早すぎて追いつけなかった。さすが現場一筋である。

「大人しくしなければ、このまま連行する」

 かなり強い力で拘束された伊藤は、痛みに顔をしかめるが、それでも天ヶ瀬を睨みつけた。そして吐き捨てる。

「あんたが疑っていようがいるまいが、丸山さんが殺された時に俺は外にいた。それを証言してくれる人がいる。俺に殺せるわけがないんだよ。確かに丸山さんのことが好きだったかって言われると、そうでもない。正直に言うとそこまで仲良くはなかったけど、死んだのは残念だ。別に解決してほしくないわけじゃない。ただあんたみたいな得体の知れない人間に、あーだこーだ引っかき回されるのが我慢ならないだけだ」

「そうですか。それは失礼しました」

 ここまできても態度を崩さない天ヶ瀬に、何を言っても無駄だと悟ったのか、伊藤はもう殴る意思はないと力を抜いた。そして拘束を解かれると、何も言わずに部屋から出ていった。扉が閉まる寸前、中指を立てるのが見えた。もう、二度と話をするのは無理だろう。それぐらい怒らせた。


「先生は俺の知らない間に、全ての事件の関係者に喧嘩を売るのが趣味になったのか?」

 車に戻ると、まっさきに蒜山が苦言を呈した。苛立っているし、疲れ切ってもいた。伊藤を怒らせたままでは支障が出ると、追いかけてフォローをしたせいである。

「喧嘩を売っているつもりはないのですが、何故かみなさんに誤解されてしまいます。とても悲しいですね。私は、ただ事件を解決したいだけです」

「よく言う。完全に楽しんでいただろう。絶対にあそこまでやる必要はなかった。桃洞君もそう思うよな?」

「えーっと、そうですね。はい。もう少し穏便に話をした方が、見ていて安心出来ます。あまり敵を作りすぎるのも良くないでしょう。現に殴られそうになっていましたから」

 いつもは、もっと遠回しすぎて相手が気づかないような皮肉を言うのに。今回はかなり好戦的だ。違うやり方に変えた理由が不明だから、僕も蒜山も戸惑っている。それでも、天ヶ瀬に反省する様子がなかった。

「そうですか。私としては、この方がいい情報を得られると考えたのですが、不評ならば止めますよ」

「止めろとは言っていない。どういうつもりなのかと、納得出来る理由があればいいんだ」

「そうですね。蒜山刑事も気づいていたでしょう。樋口さん、伊藤さん、彼らが隠し事をしているのを。樋口さんを気に入らないと言っていましたが、それは伊藤さんに対しても同じではないですか?」

 蒜山は何も言わず、否定もしなかった。それは肯定しているのと同じである。ただ難しい顔をして、車のエンジンをかけた。

 今日はまだ、これで終わりではない。事件の関係者、また別の二人に会いに行く。

「蒜山刑事。次に会う方々のことは、どう思っているのですか?」

 天ヶ瀬が楽しげに尋ねる。返事は無言の発車だった。僕でも、その答えがどちらなのか分かった。


 事件の関係者はそれぞれ面識は無かったのだが、事件後は交流を始めている。世間をにぎわせている連続殺人事件に、自分達は巻き込まれた。その仲間意識でだ。

 そして第三、第四の事件関係者は特に親交を深めているらしい。話を窺いたいと伝えた際に、向こうから二人で話をさせて欲しいと要求してきた。取り調べではないので、その要求は許可された。特に天ヶ瀬は快諾した。わざわざ別で話を聞く手間を省けるとのことだったが、樋口、伊藤との話の様子を見ると、他にも理由がありそうだ。変なことをしないといいのだが、とりあえず止める気は無い。


 そういうわけで、今から第三の被害者の妹である小松こまつ未央みおと、第四の被害者の弟である篠原しのはられいに話を聞きに行く。

 場所は、篠原家が所有する別荘の一つを使わせてもらう。向こうから指定してきた。さすがお金持ちは規模が違う、別荘が何個もあること自体がおかしい。人に聞かれたくない話をするには、おあつらえ向きかもしれないが。それに、殺人をするのにもちょうどいい。駄目だ。天ヶ瀬に思考を毒されてしまっている。

「自然にあふれていて、とてもいいところですね。気持ちが落ち着きます。こういう場所で余生を過ごせたら、どんなに素晴らしいでしょうか」

「こういうところは、それはそれで面倒なこともある。ただ楽に暮らせるとは思わない方がいい。完全に自給自足できない限りは、先生には無理だ。すぐに都会的な生活が恋しくなる」

「それなら三人で住むのはどうでしょう。楽しくなりそうだと思いませんか?」

「こき使われそうだから断る」

 別荘までは車でも時間がかかるので、僕達は話をしながら向かった。こういう時に、気心の知れた人といるのは心地がいい。天ヶ瀬も随分とリラックスしている。

 彼の言う通り、自然は気持ちを落ち着かせてくれる。殺人事件の捜査をしているのも忘れそうだ。あと少ししたら、現実に引き戻されるのが分かっていたとしても。


「はじめまして。お待ちしていました」

 別荘に辿り着いた僕達を出迎えたのは、別荘の持ち主の篠原だった。第一印象は、いかにもお金持ちの放蕩息子といった感じである。アッシュ系のカラーに染めた髪を、ワックスで遊ばせて、服装は上から下までブランド物で固めているせいで逆に安っぽかった。顔立ちはどちらかというと整っている方なのかもしれないが、性格を表しているのか軽薄そうに見えた。もしかしたら、先入観から知らず知らずのうちに悪いところばかりを見ようとしている可能性もある。自分よりも幸せな人を見ると、妬ましさを感じるものだ。偏見は良くない。

「えーっと、刑事さんには何度かあったことがあるけど、そちらの方達ははじめましてでいいんだよね。たしか探偵とか。凄いな。探偵なんて初めて見た。小説だけじゃないんだ」

 僕と天ヶ瀬を、上から下まで交互に眺めて鼻で笑ってきた。おそらく、取るに足りない人間だと判断したのだろう。特に天ヶ瀬を馬鹿にしている。すぐに後悔することになりそうだが。

「名探偵の天ヶ瀬です。私もお金持ちの人間を見るのは初めてですので、とても光栄に思います」

 やはり今回も好戦的にいくらしい。馬鹿にされたので、同じように馬鹿にして返した。それにすぐ気がついた篠原は、顔を引きつらせる。まさかやり返されると思っていなかったようだ。彼を甘く見ない方がいい。痛い目を見る。しかし、特に忠告はしない。するほど親密ではないからだ。

「ど、どうぞ中へ。小松さんも待っているんで」

 口では勝てないと判断したのか、それ以上は何かを言うのを止めて中へと招き入れた。判断の早さは評価してもいい。そこまで頭の悪い人間でもなさそうだ。

 別荘というが、よくあるコテージみたいなものではなく、豪邸と表現しても納得出来る大きさだった。玄関からすでに吹き抜けで、空間を無駄に贅沢に使っていた。お手伝いがいるのか、隅々まで掃除が行き届いており埃一つ落ちていない。花までいけられていて、別荘とは一体、と分からなくなってしまった。それにしても生活感がない。まるでモデルルームだ。

「彼女は応接間にいるから。あ、靴は脱がなくてもいいよ。そのまま入って」

 変なところで外国かぶれしている。日本の生活様式とは合わない気がするが、個人の自由か。言われた通り、遠慮なく靴のまま中へと入った。

 篠原に案内されて、中の広さを感じながら僕達は未央の待つ部屋まで歩く。応接間には、これまた七、八人ぐらいは余裕で座れそうなL字型のソファに、暖炉、アンティークの置物や、棚には高価な皿とグラスがあった。全て値段が張りそうだ。そして広い。キャッチボールを余裕で出来るぐらいに広い。ここまでの広さが必要なのかと呆れた。

 そんな中、ソファの角辺りに座っている女性は、こういっては失礼だが場になじめていなかった。着ているのが、量販店で売っているような質素なワンピースのせいかもしれない。あまりにも不釣り合いで、どこか居心地が悪そうだ。

 未央は、どちらかというと美人の類だった。小さな顔の中に形のいい眉と、少し吊り上がり気味の瞳。すっと通った鼻筋、薄い唇。女性にしては大柄で、座っているから分からないが、百七十センチはありそうだ。魅力的なはずなのに、全身から疲れがにじみ出ていて、それを半減させてしまっている。

「こんにちは、小松未央です」

 部屋に入ってきた僕達に視線を向けると、彼女は太ももの上に広げていた小説を脇に置いて、出迎えるために立ち上がった。何を読んでいたのか気になったが、表紙が見えないように置かれてしまう。立ち上がると、その背の高さがさらに際立った。それに、とてもスタイルがいい。モデルでも出来そうだ。

 僕達の中で誰から先に挨拶をするべきか。彼女は不自然にならないように観察をして、そして天ヶ瀬の前に立ち手を差し出した。

「はじめまして。あなたが、今回の事件捜査を協力するという名探偵の方ですか?」

 この一連の流れで分かる。彼女は予想しているよりも、ずっと聡明な人物だと。現に、天ヶ瀬は握手に応えながら、もう片方の手では口元に触れた。名探偵だと言われて喜んでいる。すぐにここまで懐柔できる人なんて、そうそういない。

「はい。まさしく、私が名探偵の天ヶ瀬です。よろしくお願いいたします、未央さん。あなたにお会いできて光栄です」

 喜びすぎて手の甲にキスをしかねない勢いだったので、さすがにそれは距離を縮めすぎだと、後ろから引っ張って止めた。不満げだったが、セクハラと訴えられるのを阻止したのだから感謝してほしいぐらいだ。篠原だって、嫌そうな顔をしている。見たところ、未央に想いを寄せているようだ。そのため彼女に近づく男は、それが変人であっても警戒するらしい。天ヶ瀬を警戒するのは正解である。警戒するべき理由は違うが。

「立ち話もなんだから、早く座って」

 篠原は、天ヶ瀬と未央の間に割り込むと、彼女の手を引いてソファに先に座った。僕達は、三人で別の一角に腰を下ろす。三人が並んで座っても、まだ余裕があった。ソファはクッション部分が柔らかく、しかし沈みすぎず、長時間座っていても疲れない設計になっている。一つ一つのものは値が張るだけあって素晴らしいが、センス良く集めないと逆に下品になる。ここは、その典型だ。統一性がなくて、安っぽくなってしまっている。一体、誰の趣味なのだろう。尋ねはしないが予想できる。

 僕は話を聞く係ではない。天ヶ瀬の邪魔をしないよう、様子を観察する役目を勝手に担っておく。小説を書くためにも、全てを見ておきたい。ひとつ残さす全てだ。

「事件のことを聞きたいんだよね。俺と小松さん、どっちがいい? 一気にする? その方が時短になるよな」

 篠原の方は、ここまでのやりとりのせいで天ヶ瀬にいい感情を抱いていないらしく、軽口を叩きながらふんぞり返った。しかし、蒜山が咎めるように睨みつけるとすぐに姿勢を正す。肝の小さい男だ。それに、やり込められそうになったのを、もう忘れてしまったのか。喉元過ぎれば熱さを忘れる。その典型的なタイプだった。

「今のところは時系列順に聞いているので、未央さんからお願いします。私も、麗しい女性の話の方が興味があります」

 天ヶ瀬は篠原の苛立ちを知っていて、どこか煽る言い方をする。蒜山の存在で、強く出られないことを見越してだ。探偵を馬鹿にされ、しかも名探偵と言わなかったのを、完全に根に持っているらしい。意地が悪い。その思惑通り、ソファから立ち上がりかけた篠原だったが、未央が手を重ねたのでしぶしぶ座った。二人の関係は、精神的に優位に立っているのが彼女の方だと、すぐに読み取れた。

「事件については、もう何度も警察の方にお話ししていますが、最初から最後まで全部話すべきですか? 必要がないなら、ただの手間になりますよね」

 未央は頬に手を当てながら尋ねる。疑問の形をとっているが、期待している返事は決まっている。

「そうですね。事件についての資料には目を通していますから、全部話していただく必要はありません」

「それなら良かったです。でも、そうなると何を話せばいいのでしょう」

「私が質問をしますので、答えられる範囲で答えていただければ、それで結構です」

 天ヶ瀬の言葉に安心して、彼女は体から力を抜き、ソファにもう少し体重を預けた。僕からすると、まだ安心するべきではないと思うが。

「分かりました。どうぞ質問してください」

「それではさっそく。あなたとお姉さんは二十歳近く年齢が離れていますが、介護に嫌気がさしたことはありますか?」

 気に入ったとはいえ、攻撃の手を緩めるつもりはなさそうだ。やはり安心するのは早かった。初っ端から不意を突かれた質問に、未央は微笑んだまま固まる。しかし、すぐに立ち直った。

「えっと、嫌気がさしたことなんてありませんよ。血を分けた姉妹ですもの。助け合うのは当然のことです。そうでしょう」

「姉妹だからこそ、一人では生活もままならないお荷物を残されたと、両親やご自身の境遇を呪いたくなったのではありませんか?」

「そんなことはっ」

 天ヶ瀬なら、警察よりも扱いやすいとでも考えていたのかもしれない。それぐらい、彼女に対してデレデレとしていた。だから優しくされると考えた。しかし、とんだ計算違いだったようだ。考えが浅かったとしか言いようがない。

 彼女の否定の言葉を手で押し止め、天ヶ瀬はにっこりと笑う。彼の笑顔は、どちらかというと恐怖を増長されるものだった。つまり、落ち着かせる目的でその顔をしたのだとしたら、逆効果である。未央の表情も引きつった。

「別に責めるつもりはございません。むしろ、あなたはとても立派です。そうそう出来ることではありませんよ。一人でお姉様の介護をしていて、随分と長いのでしょう。あなたは若く魅力的だった時期を、全てお姉様に捧げられた。さぞ辛かったでしょう」

「し、つれいな人ね。私は、今だって若いですよ」

「そうかもしれません。しかし、失われた時間は取り戻せない。あなたの人生の大半は、お姉さんに奪われました。今回の事件がなければ、それはまだ続いたでしょう。もう一度お尋ねします。本当にお姉様を恨んでいませんでしたか?」

 未央はうつむく。その口元だけ見えたが、唇が切れそうなぐらいに強く噛みしめていた。体も小刻みに震え、それを隣に座っていた篠原も気が付く。

「おい。聞いていい質問っていうのがあるだろ。彼女を責めて何がしたいんだ。あんたがやっていることは意味が無い」

「そうですか。これはしてはいけない質問でしたか?」

「当たり前だろ! 人のプライバシーに踏み込んで! しかも、まるで彼女が容疑者のように扱って!」

 うつむいた未央に代わり、篠原が敵意を剝き出しにして天ヶ瀬に噛みつく。しかし、天ヶ瀬は全く意に介していない。

「これが事件解決のために必要だとしても、意味が無い質問ですか?」

「そうだ。あんたがやっていることは意味が無い。彼女はお姉さんの面倒を、一人でしっかり見てきたんだ。突然殺されたのにショックを受けていて、話をするのだって本当は辛いんだ。それなのにあんたが、自分の趣味のために彼女の気持ちを傷つけている。もう止めてくれ。これ以上続けるようなら、俺は正式に抗議するからな」

「分かりました。それでは未央さんは終わりにして、あなたに聞きましょう。お姉様が死んだことで、どんな利益を得ましたか?」

「はあっ⁉」

 まさか自分に矛先を向けられるとは思ってもみなかったのか、篠原は口を開けた間抜け面になった。そのせいで勢いも殺されてしまう。

「な、なに言って……」

「おや。未央さんは止めろと言ったのは、あなたではないですか。それに、変なことを言ったつもりはありません。たしかお父様には、お子様が二人しかいなかったと記憶しております。どういう取り決めがなされていたのかは知りませんが、お姉様が亡くなられたことで、損をすることはないでしょう? 実際どうでしたか? 死んだことで得をしましたか?」

「な! な!」

 攻撃の手を一切緩めず、マシンガンのように次々と言葉を吐き出す。順番に話を聞くようなことを言っていたが、二人に呼び出された時点で、同時に相手をすると決めていたようだ。

 どちらも姉を殺された。そしてそのことで、金銭的、精神的に利益を得ている。アリバイが無かったら、一番の容疑者候補となっていただろう。今のところ、他の事件もそうだ。疑われやすい人には、きちんとしたアリバイがある。もしかして、犯人の気遣いなのか。いや、そんなわけはないか。天ヶ瀬は、それを知っていてなお攻撃を続ける。

「天ヶ瀬さん、あなたは私達を疑っているんですか?」

 ようやく顔を上げた未央が、天ヶ瀬を睨みつける。背筋をまっすぐと伸ばし、やましいことは何もないといった様子だ。篠原に庇われている間に、何とか立て直した。口元には笑みまで浮かべている。余裕を取り戻し、挑発的だ。

「いえいえ。アリバイがある限りは、あなた達に犯行は無理でしょう」

「あら。それだと、アリバイが崩れたら私達が犯人だと言っているようですね。疑っているのを否定しないのかしら」

「考えすぎですよ。そこまで警戒しないでください。なにも、今から逮捕すると言っているわけではないですから。安心してください」

「本当ですか? それは心強いです。それなら、あなたがずっと気になっていらっしゃることを、お答えしましょう。私は姉の介護にうんざりしていました。死んでしまえば楽になると思ったのも、今まで何度もあります」

「小松さん、何をっ」

「篠原さん、どうしてそんなに慌てているの? 勘違いしないで。たしかに姉にうんざりしていましたが、私は姉を殺していないと神に誓って断言します。あなただって、誰かを殺したいと思ったことはあるでしょう? 思考するのも犯罪だと言うのなら、警察は大忙しね。みんな捕まってしまうわ」

 姉への殺意を認めながらも、未央は堂々としていた。彼女の言うとおり、考えるのは罪ではない。それに明確なアリバイがあるから、何を言おうと今のところは犯人にはならない。殺意を認めてもだ。本人もそれを分かっていて、天ヶ瀬を挑発するために、あえてこんなことを言っている。女性は怖い。彼女が特殊だといいが、女性不信になってしまいそうだ。

「篠原さんだってそうよね?」

「あ、えっと……そうだね」

 彼女の魔力に魅了されて、篠原も素直に肯定した。もう取り消せない。本人もそれが分かって開き直った。

「姉さんが死んだことで、俺に入る遺産の割合は確かに増えた。……父さんは姉さんがお気に入りだったから、会社も姉さんに婿を取らせて孫に継がせようとしていたぐらいだったよ。俺との扱いの差は……まあ、あからさまだったな。それがいつもムカついていた。死んでくれてせいせいしたよ」

 当時のことを思い出したのか、拳を握って吐き捨てる。それぞれ、被害者との関係は良好ではなかったらしい。動機は十分だ。

「姉さんは、人のことは言えないけど、いい歳になっても遊びまわっていた。殺された日だって、パーティーに行って酔っぱらって、そのまま道路でのたれ死んだ。朝まで誰にも気づいてもらえずにな。……お似合いの死にざまだよ。今回のことがなくても、いつかは死んでいたな」

 未央も篠原にも、事件当時のアリバイがあった。未央は買い物をしている時に、近所の人と会い軽く世間話をしていた。その様子が、店の監視カメラにはっきり映っていたのだ。細工されたり別人ということもなく、未央本人だと確認された。

 篠原は、証明するのが難しいように見えて、実は単純明快なアリバイがある。事件の日に、ちょうど海の向こうのアメリカにいたのだ。物理的に犯行が不可能だったのである。戻ってきた記録もない。もしもアリバイが無ければ、どちらもまずい状況に置かれていただろう。

 篠原麗奈の事件に関しては、アリバイが全くない人が多かった。深夜という時間だったせいだ。そう考えると、篠原は随分と幸運だった。出来すぎなぐらいに。日本にいたら、こうはなっていなかった。誰も話題にしていないが、あまりにも出来すぎだと警察に疑われたぐらいだ。未央と、お互いに殺したい相手を交換したのではとも考えられたらしい。それをごまかすために、他にも何人か殺したと。しかし、他の事件でもアリバイが成立するものがあったため、その考えはほどなくして消えた。

「分かっているよ。俺が姉さんを殺したんじゃないかって疑っているのは。俺だって自分が一番怪しいと思う。でもやっていない。殺していないんだ。彼女だって、お姉さんを殺していない。自分の脳みそを見せられないから、言葉を信じてもらう以外どうしようもないけど信じて欲しい。今はそれしか言えない」

 姉への気持ちを素直に吐き出したことで、どこか吹っ切れている。怯えた様子が無くなり、隣にいる未央の肩を引き寄せた。特に抵抗せずに、彼女は寄りかかる。その姿は、まるで傷を舐め合う獣だ。共通の傷があるからこそ、今の二人は上手くいっている。おそらくこの事件が起きなければ、関わらないまま一生を終えたはずだ。そのぐらい二人は違う。

 天ヶ瀬を見た。彼は、二人を見たまま、まだ笑っている。もう少し事件の話をするのだろうか。次に何をやらかすのかと思っていれば、覚悟を決めた顔をした未央が唐突に言った。

「ただ証言しても、私達を犯人だと考えたままでしょうね。疑われ続けるのは辛いです。信じてもらうために、私達から提案があります。……どうか事件の協力をさせてください」

 その言葉に、天ヶ瀬は悠然と微笑んだ。

「なかなか面白い提案ですね。協力というと、具体的に一体どういうことをなさるつもりですか? 犯人に心当たりでも?」

「私達に出来ることなら、なんでもやります。このままここにいても、姉の幻影に怯えるだけで精神的に死んでいるようなものです。私達に向けられる同情や非難の声には、もううんざりなんですよ。それなら事件の協力をした方が、まだ気が楽です」

 天ヶ瀬と似た表情で笑い返した未央は、篠原の肩に頭を乗せた。彼女の髪をひと房すくい、篠原は忠誠を誓うように口づけを落とす。その様子を見ても、恋人という関係の間にある雰囲気が、全く感じられなかった。どうやら篠原の一方的な想いらしい。二人が、これから恋人として上手くいく未来が想像できない。

「小松さんがそう言うのなら、俺もぜひ協力したい」

「待て待て! さすがにそれは許可出来ない!」

 話が進みかけて、さすがに黙っていられなかったのか、慌てて蒜山が声を上げる。天ヶ瀬や樋口はまだしも、これ以上は事件関係者を捜査に参加するのを、さすがに見逃せないようだ。言われてみれば、蒜山の言う通りだ。二人は、あまりにも事件に近すぎる。それに疑いが完全に晴れたわけでもない。さらには、今まで協力してきた実績もなかった。

「先生も気を持たせるようなことは言うな! 好き勝手に動く許可は与えたが、そういうのまでは許可していない!」

「蒜山刑事。そう大きな声を出さないでください。まだ協力してもらうとは、一言も言っておりませんよ。未央さん、申し訳ありませんが、お気持ちだけもらっておきます。決して、あなた達を疑っているわけではございませんから、勘違いなさらないでください」

 天ヶ瀬が本気で協力を頼むつもりではないと分かり、蒜山は無意識に立ち上がっていた腰を下ろす。未央はどこか不満げだったが、丁寧に断られたので渋々受け入れた。

「分かりました。そう簡単に協力出来るわけがありませんよね。色々と言われて、興奮しすぎていたみたいです。こちらこそ、わがままを言って申し訳ありませんでした」

「この話はお互い忘れましょう。それよりも、ここはとてもいいところですね。世間の煩わしさが無くて。また来てもいいですか? 事件とは関係なく」

「私は構いませんよ。ねえ、篠原さん?」

「あ、ああ。事前に連絡してくれるのなら」

 その後は、当たり障りのない会話をして時間が過ぎた。蒜山は、いつ天ヶ瀬の気が変わるのではないかと警戒していたが特に動きがなかったので、帰る頃にはもう大丈夫だろうと警戒を止めていた。

 しかし、僕は知っている。帰る僕達を見送ってくれた未央の手に、天ヶ瀬がさりげなく紙の切れ端を持たせたのを。その紙には、きっと天ヶ瀬の連絡先が書かれている。警察には内緒で、協力をさせるつもりだ。このやりとりを、一番最初に外に出た蒜山は全く気が付いておらず、僕も告げ口しなかった。協力させると決めたのなら、何かそうするべき理由があるはず。彼のことを信頼しているので、絶対に邪魔はしたくない。

 渡された紙が何かを察した未央は、目を輝かせて、すぐにそれを隠した。蒜山にバレたら、協力の話が消えると分かったからだ。本当に頭の回転が早い。聡明な女性だ。

 そして、天ヶ瀬が前に言っていたように、事件関係者はみんな何かを隠していた。二人が話している様子を見ていて、僕もそれを感じ取った。

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