沖縄

 滑り込みでチケットをとった伊丹の最終便で沖縄空港に飛んで、ベンチで一晩寝る。朝になりモノレールで那覇市内に出て、国際通りなんかを軽く散策して浮かれたかりゆしを買って着替えた。お昼にソーキそばを食べて、那覇空港からさらにガタガタ揺れる小さな飛行機で久米島に飛んだ。レンタカーを借りてもらう。沙織がキッツイ方言の受付の人と手続きをしてる間、私はベンチに座って呆けている。いよいよこんなところまで来ちゃったんだ私。全然現実感がない。


 目的地のオーハ島へのルートをネットで調べてみると、久米島沖の奥武島を経由して、潮が引いているタイミングを狙って歩いて海をわしゃわしゃ自力で渡らなければいけないらしい。調べてみたらちょうど今日は小潮で潮の満ち引きが少なく、危ないから浜辺から見に行くだけにしようということになった。


 申し訳程度に舗装されている国道沿いには、ドンキも靴流通センターも丸亀製麺もくら寿司もない。時々建ってるのは、普段は見ないような白い箱のような建物。あとはひたすら道の両サイドに畑が広がってる。流石に人も少ないからいいだろって、私たちはマスクを外す。潮の匂いがする。


「あれって、サトウキビ畑ですか?」


「多分!」


「……沙織さん、こんなとこまで連れてきてくれてありがとう」


「ううん。私も沖縄久しぶりだし、テンション上がってるよー」


 海の中に続いていくみたいな橋を渡って、意外と早く奥武島に着いた。目的地はすぐそこだ。


 そいえばさ、と沙織が思い出したように切り出す。


「なんでまたオーハ島? 無人島マニア?」


 ついにこの質問が来てしまった。ので、私はせめてなんでもない風を装って話す。顔は熱くて、汗はだらだら出てくるけれど。


「わわわ私、柿澤悠弥が好きなんです。英語教師殺して二年七カ月逃げてて、逮捕されたときにめちゃくちゃニュースになった。私本読んだりして色々調べまくってて。柿澤悠弥って、オーハ島のコンクリ小屋に住んでたことがあって」


「ふーん。そうなんだ」


 沙織の反応がなんか薄味だったので、私は安心して調子に乗ってしまった。


「次は!東京に行きたいです!殺人現場になったマンション。部屋には流石に入れないと思いますけど……。柿澤悠弥は英語教師を屋上で口説こうとしたらしくて、そこに行ってみたいんです」


「真由香ちゃん。それどうやって倫理観、折り合いつけてるの?」


 だめだった。


「だって、基本的には人が死んでるんだよ。実際に死んでしまった人がいるのに、そんな風に表層的に好きになったりチヤホヤしたりするのってあたしはどうかなと思う」


 はい、ごもっともです。ごもっともなんだけど私は沙織に、こんな風にきついトーンで正論を言われるのがすごく悲しかった。そして、悲しみは往々にして怒り(いかり)っぽいモーションで表に現れてしまう。


「……わ、私の柿澤悠弥に対する着眼点は、善悪じゃないので……」


「着眼するとかしないとかじゃない。起こってしまったことなんだよ。人がひとり亡くなってる。それはいったん引き受けなければならないんだよ。絶対に。着眼しないでいることはできないんだよ。人を殺すってどういうこと? 人が生きていく権利を奪うって、どういうこと? て話なんだよ」


 それきり私たちはなにも話せなくなってしまった。道路が終わるところまで来たので車を降りて、開けた見晴らしがいい海岸線まで来た。遠浅の海の向こう、島に電気を送るための電柱が何本か感覚を開けて立っていて、その先に緑の平な島が見える。オーハ島だ。


 やばい、と沙織がつぶやいた方向を見る。見覚えのある男女の二人組がいた。まぁまぁ暑いのに二人とも黒スーツをきっちり着ている。


「おっそーい真由香ちゃん。寄り道してたー?」


 女が私の名前をしれっと呼んで、ですよね、という気持ちになる。どうやったのか知らないけれど、引き出し屋たち、ここまで追いかけて来る執念がスゴすぎる。ひょっとしてGPSでも仕込まれてるのか私は。


「……ちょっと待っててくれませんか」


 私はそう言うとクロックスを脱いで、浅瀬に入った。じゃぼじゃぼ。足の裏が異常にぬるぬるして、何度もこけそうになりながら、でも前に進もうとする。


「真由香ちゃん!」


 沙織が叫ぶ。


 藤田は腕を組んで傍観している。


「おいおーい、今日は危ないってー!」


 引き出し屋の女が右足を引きずりながら追いかけてきて、すごい力で私を羽交い絞めにしようとする。腕を振り切れない。悔しい。沙織は心配そうに見てるだけだ。涙で浜が滲む。どうせいつも、沙織も引き出し屋もお母さんも、私の気持ちをわかってくれないんだ。どうせいつも、私のやりたいことはできないんだ。柿澤悠弥もずっとこんな気持ちだったのかな。


「悠弥くん、わかるよ! 私にはわかる。私だけには!」


 私の振り絞った声は波音に消されて、どこにも届かない。


 もういいや。「無」モード。いつもみたいに何もしないでやり過ごせばいい。どうせこの感情もいつか、どうでもよくなる。諦めた途端に力が抜けて、引き出し屋に連れられてびしょびしょのまま浜にあがった。私をひしと離さない引き出し屋の女と、寄ってきた藤田に、沙織が空手の型で臨戦態勢を整える。


「真由香ちゃん、逃げるよ」


「……いいの」


「どうしたの!」


「だからもういいって!私、フミダスに行くから」


 脱力した私を、藤田が奴らの車まで連れていく。後ろに乗せられて、引き出し屋の女が隣に乗ってきて、スライドドアが閉まる。もう、沙織の方を振り返ることすら億劫だ。


「待ってる! 絶対に待ってるからね!」


 沙織の声が、かすかに聞こえた気がした。

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