真由香
沙織って意外と背は高くなさそう。私より小さいのかもしれない。作業着の下はダボついててめちゃくちゃ華奢に違いない。そんな人が、こんな大きなトラックを操って、ハンドルをちょいちょい動かしながら、右へ曲がったり左へ曲がったりしながらずんずん大阪を目指している。横顔から飛び出したまつ毛が長い。沙織は、運転席の横にある気泡が入った透明の長い棒みたいなのを、左手でガコンと動かした。色々じろじろ見ているのがついにバレたのか、
「かわいいでしょー。こないだ買ったんだ」
「なんですか、それ……?」
「シフトノブ。ギアチェンジするやつ。色々改造できるの。真由香ちゃん免許持ってない?」
「一応持ってますケド……学生時代にとったから、全部……忘れちゃいました」
「えーっ持ってるんだ免許!」
そんなに驚かなくてもいいじゃんか。口を尖らせて凹んでいたら、沙織が後ろのスペースの小さい箱—多分、冷蔵庫かな—からキンキンに冷えたサイダーのペットボトルを取り出して寄越したので口をつける。沙織も飲んでいる。ぷはー。舌の上がしゅわしゅわ。うふふ。今、私ひょっとして、楽しいのかもしれない。こんな気持ちになるのはいつぶりだろう。
高速道路に入る。沙織は色々なことを私に話してくれた。どう見ても口下手の私が自分のことを話さないでいいように、気を使ってくれているのかもしれなかった。大阪へ冷凍食品を運んでること。運んだものはスーパーに並ぶこと。荷物の積み下ろしをひとりでしなきゃいけないこと。仕事中は結構ぼっちでヒマなこと。仕事先でご当地グルメを食べるのが大好きなこと。運転が好きで仕方ないこと。私は社会の一部にされて『生きさせられる』のが怖かった。でも、沙織は確かに社会を生きている。日本中を行ったり来たりしながら、蜘蛛の巣のように社会の一部を作り出している。なにそれ怖。無理。沙織のスゴさに怯えていたら、サイダーが膀胱に溜まってきた。
「さささ沙織さん、ちょっとトイレ……」
「あたしはトイレじゃないよぉー」
前言撤回、やっぱなんじゃこいつ。沙織は大きなハンドルをちょこんと傾ける。トラックが大津のサービスエリアにすいーっと入ってく。
沙織はトラックの中に放り出してあったクロックスとマスクをくれた。トイレの前で下ろしてもらって、駆け込んでおしっこする。てか、サービスエリアとか来るのって何年ぶりだろ。家族旅行とかで連れられて来たことあるけど、旅行中っていつもお父さんとお母さんは時間とか予定とかなんかしらで喧嘩してたので正直全然いい思い出ない。最近のって建物めちゃくちゃ綺麗だな。ガラス張りでピカピカだし。てか、犬が多い。人も多い。さっきから心なしかみんなが私を見てる気がする。私ってやっぱりなんかヘンなんだろうか……。とか引きこもり特有の自意識過剰が発動して焦ってたら、朝からなにも食べていなくてお腹がすいていたことに気が付いた。タイミングよくトラックを停めて歩いてきた沙織がぐいーんと腕を伸ばし、
「お腹すいたぁねぇー」
とか言うので、フードコートに移動して親子丼をふたつ注文してもらう。沙織が口いっぱいにご飯を放り込み、
「ね。いいことももいついた。あたしほれおわっはらやひゅみだから、おおはかついたらいっしょにはんほーしよ!(ね、いいこと思いついた。あたしこれ終わったら休みだから、大阪ついたら一緒に観光しよ!)」
決まりね! と返事を待たずに箸で私を指す。えっ箸で人を指すんだこの人、っていう私のドン引きに気づいたのか、沙織は先っぽをトンボにするみたいにゆっっっくり回す。素直に箸の先を追う私。
「え……? え……?」
「ほめんほめん。(ごめんごめん)LINE交換しよ!」
薄々気付いてたけどすごいマイペースなんだなこの人。沙織が取り出したポムポムプリンのカバーのスマホに、私のQRコードを読ませる。
そのあと、隣にあるお土産コーナーを冷やかしに行った。いろんなものが所狭しと並べられている。最早かわいいんだかよくわからんゆるキャラのキーホルダー。ご当地土産の近江カレー。やたらボタンが多いコーヒーの自動販売機。五平餅。フライドポテトのニオイ。藤田。藤田?
「柿澤悠弥もこういうの食べてたんでしょうかねぇ?」
なぜか藤田が横に立って、一緒にフライドポテトの看板を見ている。びびって足が動かず、白手袋に手首を掴まれて捻り上げられた。大人の男の力スゲー。怖すぎて一周回っちゃって、なんか背の高い男の人って大きくて山みたいだなぁ、なんて呑気なモヤモヤで頭をいっぱいにしていたら、突然山が小さくなって地面に倒れた。
沙織がスラリと片足を上げて立っていた。藤田の後頭部に三段蹴りをカマしたのだった。藤田がスーパーの魚みたいにピクピクしている。女の人が悲鳴をあげて、野次馬が二、三人立ち止まったり、見て見ぬふりをしたり。
「逃げるよ!」
沙織の声で正気に戻った私は、急いで走ってトラックまで戻る。すごい、すごいすごい沙織さんってすごいんだ。シートベルトをしながら沙織も興奮した様子で、
「空手がリアルに役立つ日が来ると思ってなかったわ」
とか言って、いくよ!てアクセルを踏んでトラックが動き出した。横目で見た藤田は、同じスーツの金髪女に助け起こされてるけど、よかった、まだ野次馬に
「真由香ちゃん、追われてたんだね」
「わ、わかんない……」
「ずっとつけられてたんじゃない?」
そんな。
お母さんはいよいよ一線越えてしまったというか、本気で私をフミダスにぶち込む気なんだ。沙織がアクセルをぐいぐい踏みながら言う。
「あの男、何者か聞いていい? 堅気じゃなさそうだったけど」
「……引き出し屋。引き出し屋の藤田」
私は観念して、進学校で躓いて不登校になったのを引きずってる十年選手の引きこもりで、私を追いかけてる奴はやばいNPO法人だってことを沙織に話す。
「そうなんだ。真由香ちゃんって元気そうだし、あんまり引きこもりには見えないけど、そうなんだね」
ついでに柿澤悠弥にガチ恋していることも話してしまいたかった。もう、喉元まで「K」が出ていた。柿澤悠弥を好きな気持ちは今の私の全てだから、沙織にわかってほしかった。けれどせっかく仲良くなり始めて、実に十五年ぶりぐらいに新しい友達ができそうなこのタイミングで沙織にドン引きされたくはなかった。決めた。柿澤悠弥のことは絶対話さない。
沙織はしばらく黙って聞いてたけど、
「まぁ、なんか若いときは人生そういうしんどいこともあるけどさ、人間生きてたら楽しいこともあるから! ね!」
出たよ。
出たよ目の前の人間のキモい境遇にベストなアドバイスしたいがあまりになに言っていいかわからんくなって適当にペラッペラのいいことっぽいこと言う人。せっかく友達になれると思って浮かれてたのに、鈍器で後ろから殴られたみたい。逆に笑っちゃって、そして口も滑っちゃって、そんでもってこういうときだけはやたら流暢に、
「沙織さんて、そういう想像力ない感じの側の人? だったんですね。あはは」
思ったこと全部言ってしまう。
「……気に障った?」
「別に……がっかり……みたいな……はは……」
「は?」
ぴしり。狭いトラックの空気が一気に悪くなる。がーん。ギャル怖い。やっちまった。
私はそれから気まずくて、ずっと流れていく窓の外を見ている。散々助けてもらったにも関わらず。引きこもりのコミュ障なので、健全なギブアンドテイクの関係性が構築できない悲しき化け物の私です。
大阪に着いたら仕事を探してみよう。フミダスに入れられるなら働いた方がきっとましだ。人の力はもう借りない。サッドモンスターの被害者を増やしてはいけない。柿澤悠弥みたいにちゃんと、自分の力で自分の手足で自分から逃げてみる。
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