19´・2大聖堂にて〔3月〕
一般参詣を中止した大聖堂の中は普段にも増して静謐で、薔薇窓から入る光が堂内にいくつもの筋を作っている。
向こうの側廊ではビアッジョとクレトが所在なげに佇み、何やら低い声で話しているようだ。
来週、いよいよコルネリオの戴冠式が執り行われる。今日はその確認だ。
奴と教会庁の式典長がやって来た。式典長は身振り手振りで懸命に説明をしている。それをコルネリオは国王らしい面持ちで、時おり頷きながら聞いている。
奴のやや後ろにはふたりの衛兵。ひとりはベルヴェデーレだ。なぜかあいつは誇らしげなドヤ顔をしている。何だかんだ言いつつも、相当にコルネリオを気に入っているに違いない。
オリヴィアも来ているのだが姿は見えないから、まだ奥にいるのだろう。彼女も皇后として戴冠される。彼女自身は仰々しいと固辞したのだが、コルネリオが子供たちに夫婦揃って戴冠されるところを見せたいからと頼みこんだらしい。
ちなみに彼女の父であるノイン州王のパスクーレ。彼は早々に退位が決まった。今は息子のオルランドに引き継ぎの最中のはずだ。
メッツォは巨大になりすぎたので、コルネリオと大臣たちの協議により、副王を置くことにしたのだ。『王』と言っても権限のない名誉職で、コルネリオの補佐のようなものだ。
パスクーレはそれに就く。ゼクス滞在中に、義父子の間では話はまとまっていた。
ただメッツォの廷臣たちの反応によっては見送るつもりだったのだが、幸い反対する者はいなかった。権限のない名誉職だからだろう。
晩春までにパスクーレとその妻がメッツォにやって来るはずだ。
彼らがいれば、私の負担は減るかなと我らの馭者であるビアッジョが言い、コルネリオは胸を張って、それはないと断言をした。
そんなビアッジョはついに長男が従卒に就くことなった。だが国王の腹心の息子を誰も引き受けたがらず(俺はほぼ身内だから嫌と本人に断られた)、カルミネが雇うことになった。
リーノとふたりの従卒を抱えることになったカルミネは、これだけ貢献しているのだから幹部に入れてくれと日々叫び、コルネリオは笑っている。カルミネが面白くて仕方ないらしい。
リーノはカルミネの従卒を続けることを選択した。ヴァレリーとクラリーを守るためと言っていたが、クラリー情報によると、オリヴィアの元に遊びに来る街の有力者の娘と恋が始まりそうな雰囲気らしい。
あいつはカルミネと口喧嘩ばかりしているが、騎士見習いとしての実力はかなり高い。その娘とやはら見る目がある。きっとビアッジョの長男の手本にもなるだろう。
ちなみにカルミネは、俺を諦めたシャルロットにロックオンされた。あの姫は騎士が好きらしい。騎士ならなんでもいいなんて女は願い下げだと奴は怒っているが、仲間内には生暖かい目で見守られている。みな彼女の矛先が自分に向くのが嫌だから、カルミネを人身御供にしているのだ。
ところでクラリーも先日ついにクレトとふたりでデートに出掛けたらしい。ヴァレリーが遠征中、いかにクレトに助けられたか熱弁をふるった結果のようだ。あいつには俺も借りがだいぶあるから、結婚費用は持ってやると伝えておいた。
打ち合わせをしていたコルネリオたちがまた奥に消える。
「戻ってしまいましたね」
俺の隣でヴァレリーが呟く。
ここへやって来て小一時間は経つ。ビアッジョと俺も当日警護の打ち合わせがあったのだが、とうに終わった。当日警護と言っても俺たちは戴冠式に列席するので、実務は幹部でないから列席できないカルミネが担う。本人には教えていないが、コルネリオの指名だ。
奴は既に城に戻って、衛兵の総長と話し合っているはずだ。
と、ビアッジョがいる側の側廊に誰かがやってきた。柱の陰からこっそりと辺りを伺っている。
ワガーシュだ。
息子の様子を見に来たのだろう。だが見つけられずに肩を落としてすごすごと帰って行った。
どうせ本番は最前列で参列するのに。父親ぶりたいのなら、もっと早くにそうすればよかっただろうにと思うが、丸まった背中は哀れにも思える。
「アルトゥーロ様。私語をしてもよろしいですか?」とヴァレリー。
いいぞと答える。
「以前、この地下墓地に下りましたよね」
デルフィナの墓参だ。そうだなと頷く。
「あの時、てっきりアルトゥーロ様の大切な方のお墓なのだと思ってしまったんです」
ヴァレリーを見ると、わずかに赤面していた。
そういえば、そのように問われた覚えがある。
「それで『アルトゥーロ様には大切な方がいる』説が私の中で確固たるものになってしまって」
「違うと言わなかったか?」
「言いましたけど、思い込んでしまったのです」
コルネリオが消えた奥の扉に目をやる。
「あれはコルネリオの最初の妻と子の墓だ。あいつは九ヵ国全てを征服するまで墓参はしないと決めている。代わりに俺が命日に花を手向ける。従卒を連れて行くのは、俺に万が一のことがあった時に、代わりに行けるようにだ」
今のコルネリオならば迷わずビアッジョを次の名代にするだろうが、デルフィナを亡くした当時はそうでなかった。
「余計な詮索をしてすみません」
掛けられた声にヴァレリーを見る。
「いや。今年からは妃殿下も共に参るそうだ」
コルネリオからそう聞いた。
あの幼馴染思いの阿呆は妻に、もし自分に奇跡が起きて天国へ行けることになったとしても、アルトゥーロが地獄へ行くのならば共に地獄へ行くからと宣言をしたらしい。
その返答がふるっている。
「それがいいでしょう。私、最初の奥様とコルネリオ様を取り合って喧嘩をするのは嫌ですもの」
オリヴィアはそう言ったらしい。
その話を俺に聞かせたコルネリオは
「デルフィナとオリヴィアが俺を奪い合う構図はいいな」
とにやけていたので、文鎮を投げつけてやった。
「妃殿下もですか」ヴァレリーが笑みを浮かべる。
「内密であることには変わらないが、お前も知ってよいことだ」
はいと彼女は頷いた。
「素敵な国王夫妻です。……正直なところ、時たま両親と兄たちのことを思い出してたまらなくなることもありますが、敗戦国の王女の第二の人生としては、良い人生を送ることができていると思います」彼女は笑みを深くする。「ありがとうございます。アルトゥーロ様」
ヴァレリーの笑顔に心が疼いた。
堂の正面に目をやると、神の像が俺を見下ろしている。こんなところでするつもりはなかったのだが、よくよく考えればここほど適した場所はない気がする。
「俺と結婚してほしい」
求婚すると彼女は目を見開いて、それから破顔した。
「喜んで」
胸が突かれた。エレナと同じセリフだ。
「ありがとう、ヴァレリー」
彼女はますます笑って。
突然に、表情を変えた。驚愕の顔をして硬直している。
「ヴァレリー。どうした」
「……アルトゥーロ様」声が震えている。「……笑ってくれるのは、覚えがあります」
「覚え?」
彼女はかすかに頷く。
「『喜んで』と答えたら笑ってくれて嬉しくて、ずっとそばにいたいと思って、だけどそうする訳にはいかなくて、あなたの求婚に答えられないことが辛くて」
早口に言葉を紡ぐヴァレリーの目から涙が溢れ、頬を伝い落ちる。
「私、騙していて、アルトゥーロ様がどうしても好きで……」
思わず彼女の肩を掴む。
「思い出したのか!?」
彼女の目から涙がボタボタと溢れる。
「好きと伝えたいのに言えなくて。あなたを守りたいし悲しませたくもない。何が正解なのか分からなかった!」
彼女はそう叫ぶと、ふらりとして倒れた。慌てて抱きとめる。涙まみれの顔で目は閉じられ、意識を失っていた。
急遽借りた一室の長椅子にヴァレリーを寝かし、その手を握った。心配した面々が入れ替わり立ち替わり様子を見に来たが、皆察してくれてふたりきりにしてくれたのだった。
それほど待つことなく、彼女は目を覚まし半身を起こした。何とも言い難い表情をしている。
「……思い出したのか?」
恐る恐る尋ねると、彼女はゆっくりと頷いた。また目に涙がたまる。
「アルトゥーロ様が笑ってくれたのを見て、思い出しました。前に求婚された時も、あなたは笑ってくれたのです」
彼女の話では、先刻求婚の了承をもらった俺は嬉しそうに笑ったらしい。自覚はないので分からないが、彼女は俺の笑顔を見るのは初めてで感激したそうだ。
だがすぐに前にも見たことがあると気付き、それが同じく求婚された時だと思い出してその時の感情がよみがえった。更に芋づる式に全てを思い出したようだ。
エレナが、俺の元に戻ってきたのだ!
「アルトゥーロ様は私が復讐のために近づいたと知っているのですね」
彼女の声が震えている。俺はゆっくりと大きく頷き、彼女の手を握りしめた。
「辛い思いをさせた」
「それは私が謝るべきことです。あなたを置いて、私は……」
ヴァレリーに、前回の人生で彼女は殺されたと話しはしたのだが、自らだったことは伝えなかった。
「相談をして欲しかった。だがしてもらえなかったのは、俺の信用が足りなかったからだよな」
エレナと過ごした最後の日々が脳裏によみがえる。俺は彼女を得られて浮かれているだけだった。
彼女は首を横にふる。
「私に勇気がなかったのです。それに本当にどうすれば良いかが分からなくて。アルトゥーロ様は街の占い師を覚えていますか」
「お前に死相が出ていると言った奴か」
はい、と彼女は頷く。
「あの時に言われたのです。信念を捨てて遠くに行かねば私は死ぬし、私を愛する人は破滅する、と。アルトゥーロ様に好きだと言われて嬉しかったけれど、あなたがボニファツィオ様みたいになってしまったらと思うと一刻も早くなんとかしないとと焦ってしまい……」
最後の数日間、きっと彼女は相当に悩んでいたのだ。
「気付かなくて済まなかった」
「私こそ、話せなくてすみませんでした。だけどアルトゥーロ様。エレナの時の私も、あなたに好きと言いたかったんです」
彼女が見ていた夢は、それが原因だったのだろうか。
色んなことを後悔しながら死んでいったのだろうか。
「ヴァレリー。今度はお前を幸せにしたい。いや、一緒に幸せになりたい」
彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔を更にぐしゃぐしゃにして笑った。
「喜んで!」
◇◇
それから急速に話が進み、戴冠式の前日にヴァレリーとの挙式を執り行うことになった。
なんとコルネリオの我が儘だ。自分が『国王』であるうちに、俺に結婚してほしいらしい。理由はいまいちよく分からない。
だがオリヴィアは自分の婚礼衣装をヴァレリーのために大幅にリメイクするし、何故かカルミネがパーティーの準備をするしで、周囲の協力体勢が整いすぎている。
ちなみにビアッジョは、感涙担当だそうだ。なんだそれは。
そしてヴァレリーは俺の従卒を辞めることになった。彼女は騎士になりたいとは思わないけど、俺の補佐はしたいのだと強硬に主張したのだが、やはり他の従卒たちがやりにくいだろうから諦めてもらった。その代わり身の回りの世話は頼むし、武術指南は俺が引き続きすると約束をした。
それでこのことが知れ渡ると、マウロが捨てられた子犬のような顔をして無言で訴えかけてきた。
まあ彼にはヴァレリーが世話になったから。
そう思い奴の主に掛け合って、結果、マウロが俺の従卒になることになった。
すぐ目の前の扉が開いて笑顔のオリヴィアが現れた。
「さあ、アルトゥーロ! 入ってちょうだいな」
「ああ。いや待てアルトゥーロ」と隣からビアッジョが俺を制する。「褒め言葉をきちんと言うのだぞ。『良いのではないか』なんて素っ気ないのは駄目だからな」
「この無愛想にハードルの高い要求をするな」とコルネリオが笑う。
俺はふたりを無視して、部屋に入った。窓の外には教会庁が見える豪奢な一室。その中央には婚礼衣装を着たヴァレリーが、妹に寄り添われて立っている。恥ずかしげな表情をして、大きな目が俺を見る。
彼女が女性の服装をしているのを見るのは三回目だ。
「綺麗だ」
そう言うと彼女は笑みを浮かべた。
「アルトゥーロ様も素敵です」
これから俺たちの挙式を行う。鍛治屋の息子風情には分不相応の大聖堂でだ。これも親友の我が儘だ。
「うんうん」と感涙担当が既に涙ぐみながら頷いている。「あの小僧が立派になった。ヴァレリー、こいつをもらってくれてありがとう」
「俺が言おうとしたことを横取りするな」とコルネリオ。
「ふたりともうるさいわ! 今日の主役たちに話をさせてあげて」
オリヴィアがたしなめ、周りの女性たちから笑いが起きる。
ヴァレリーに声を掛けようとし、はたと思い付いてオリヴィアを見る。
「妃殿下。衣装もその他のことも、ありがとうございます」
心を込めて深く頭を下げる。隣でヴァレリーもそうする気配がした。
「コルネリオ様の大切な親友なのだから、当然のことです」
頭を上げると、その親友は妻の腰に手を回してニヤニヤしていた。
「素晴らしい妻だろう」
「オリヴィア様を目標にいたします」とヴァレリー。
「できるか? 負けず嫌いの強情が」
「そこが可愛いと褒めていただきました」
ヴァレリーがふんすと鼻息荒く胸を張る。
お似合いねとオリヴィアが笑う。ビアッジョもクラリーも、女性陣も。
伴侶の手を取る。
「お前は全て可愛い。これからもよろしく頼む」
彼女は赤らめた顔で俺を見上げた。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
扉を叩く音がして、時間ですよと声がした。
「では参列するか」とコルネリオ。 「素晴らしい夫婦になってくれ」
「夫婦円満の秘訣ならば私に聞いてくれ」とビアッジョ。
「よろしくご鞭撻お願いします」ヴァレリーが頭を下げる。
俺は彼女の手を強く握りしめた。ダークブラウンの瞳が向けらる。それからヴァレリーは嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。
冷血騎士の困難な恋 新 星緒 @nbtv
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