19´・1再会〔3月〕

 雪の影響で都への帰還は予定よりやや遅れ、エレナと俺が殺された日は行軍中に迎えた。その二日間、俺は生まれて初めてストレスで胃痛になるという体験をした。そう話すとコルネリオは俺もだと賛同し、ビアッジョは胃痛なんて私はあなたたちのせいでしょっちゅうですよと愚痴をこぼした。


 幸いなことにその二日間、何も起きることはなかった。とはいえ今しばらくは警戒を続けないとな、と確認しあいながら王城に帰った俺たちを出迎えたのは、オリヴィアと子供たち、そしてベルヴェデーレだった。


 あまりの衝撃に心臓に毛が生えているコルネリオでさえも硬直しているのに、他に動揺している人間はひとりもいない。オリヴィアだけがほんのり困り顔をしているだけだった。


「お前、どうして!」コルネリオが叫ぶとベルヴェデーレはニタリと笑った。

「お陰様で怪我は治りました。昨日より仕事に復帰しましたので、また、陛下専属衛兵筆頭を全力で勤めさせていただきます」

「……どういうことだ」

 コルネリオの地を這うような声音にも、悪魔は笑顔を崩さない。


「みな、彼は怪我で休職していたと思っているようなの」と声を潜めるオリヴィア。

「その通り」と悪魔。

 周りが平然としているのだから、きっと奴の葬儀をしたことは悪魔の力によって、なかったことになっているのだろう。


「何故戻ってきた!」

 コルネリオはベルヴェデーレに詰め寄った。

「地獄に帰ったはいいが、退屈だったからだ。それなら矮小な人間のお前が自力でどこまで出来るか、見ていたほうが面白い。死ぬその日まで、ベルヴェデーレとしてそばにいてやるからな」

「……」


 しばしベルヴェデーレを睨んでいたいたコルネリオは突如、悪魔を蹴り飛ばした。

 国王の、らしくない急な暴力に辺りが静まり返る。


「これは筆頭であるくせに遠征に不参加だった罰だ! 遠征にかかった月日ぶん、お前は他の衛兵の倍働け! 代わりに筆頭を努めた衛兵は疲労困憊で倒れる寸前なんだぞ!」


「それはコルネリオ様が自由奔放すぎるせいじゃないか」とビアッジョが呟く。

 だけど現・衛兵筆頭は、王の言葉に激しく頷いている。一方で当のベルヴェデーレは、さっと姿勢を整えると、恭しく一礼をしたのだった。




 ◇◇




 帰還を祝う宴も終わり、ビアッジョは愛する妻子の待つ家庭に飛んで帰り、コルネリオはオリヴィアといちゃつくために私室へ退くと、俺もこっそりと親友の私室へ向かい、立哨中のベルヴェデーレを捕まえた。もう一人の衛兵に断り、声の届かない廊下の隅に奴を引っ張って行く。


「何のご用でしょうか、アルトゥーロ殿」悪魔がわざとらしく慇懃な態度をとった。「ああ、死亡回避おめでとうございます。お礼の言葉はいりません」

「気持ちの悪い喋り方はやめろ、悪魔」

 奴はニタニタと笑う。

「何故戻って来た」

「言った通りだ」

「嘘をつけ。啖呵を切って去ったお前が、プライドなくへらへら戻ってくるとは思えん。それとも軽薄な翻意は小物悪魔だからか」


 短気な悪魔の顔がさっと変わった。


「何も知らない愚かな奴め。では教えてやろう。万が一私がコルネリオの魂を取りそびれたとしても、死後のあいつは地獄に落ちぬ。落ちるのはあいつのために力を尽くしたお前だけ」奴は再びニタニタ笑う。「悔しかろう、アルトゥーロよ。奴と同じだけ人を殺してきたのに、王になるのも、救済されるのも奴だけだ。お前は貧乏くじを引かされたのだ」


「……何故、コルネリオは救済される?」

「デルフィナだ! あの間抜け! あの女が地獄にも天国にも行かずに、ひたすらコルネリオの魂のために祈りを捧げている!」

「デルフィナ?」

「そうだ、デルフィナだ。このままだとあいつの祈りのせいで、俺の契約からも救われてしまうのだ。だから、アルトゥーロ」ベルヴェデーレはいやらしくニタリとした。「私と手を組もう。祈りが届かぬほどに、コルネリオを堕落させるのだ。お前とてあやつだけ救われるのは腹が立つだろう。お前の犯した罪は全てあやつの為なのだから」


 薄暗い廊下の、更に隅にいるというのに、不思議とベルヴェデーレに角の幻影が現れるのが見えた。瞳の奥にほの暗い燠火のようなものも見える。


「悪魔」

「何かなアルトゥーロ」ニタリ。

「お前は何も分かっていない」

「どういうこだ」

「俺はコルネリオのためにしたことはない。俺が、コルネリオが世界の王になるところを見たいから、やってきたのだ」

「……何が違う」

「悪魔には分からんのか」


 俺の中では全く違うことなのだが。


「要するに、コルネリオが救済され俺だけ地獄となったところで、親友がいないことを淋しく思っても妬み恨みはしない、ということだ」

「何故だ!!」

 ベルヴェデーレが叫び、遠くの衛兵がこちらを見た。

「そりゃ実際に地獄に落ちたときにどう思うかは分からんがな」


 少なくとも、今は親友の魂が悪魔のものにならずに済むことが嬉しい。だが人を誘惑し堕落させることがさがの悪魔には、理解しがたいことなのだろう。


 と、コルネリオの私室の扉が開き、奴が出て来た。衛兵と何かを話し俺たちに気づくと、大股に歩いて来た。


「聞こえたのか?」

 と俺が尋ねると幼馴染は、何がだと尋ね返した。

「いや、アルトゥーロのことだから、こいつを問い詰めるだろうと思って出て来たのだが、当たりだったな」

「さすが親友。こいつが戻って来た理由が分かったぞ」


 その言葉にベルヴェデーレの表情は憤怒に変わった。


「お前の魂は救済される予定らしい。それを阻止するため、俺を唆してお前を堕落させる手伝いをさせようとさている」

「救済? 俺が? どうしてだ?」

「デルフィナだっ」悪魔は企みを諦めたのか、自ら話した。「あの女がお前のための祈りをずっと捧げている。俺の契約すら凌駕するほどだ。今のままなら、お前はめでたく天国行きだ」

「デルフィナが?」


 コルネリオは呟くと、呆然とした目をどこか遠くに向けた。

 揺れる灯火に、その目がきらりと光って見える。


 しばしの時間の後、幼馴染は俺を見た。


「ほら、アルトゥーロ。俺が惚れたのはいい女だっただろう?」

「そうだな。認めよう」

「だがデルフィナには悪いが、俺は天国など行かん。親友に地獄巡りに誘われているからな」


「バカなのか!」

 ベルヴェデーレが叫ぶ。

「企みはバレたし、もう一度地獄へ帰るか?」とコルネリオが尋ねる。

「冗談じゃない。おめおめと帰れるか。この大悪魔様の誇りにかけて、絶対にお前を誘惑してみせる」

「ほう、大悪魔の誇り、か。それならサシで勝負しろ。アルトゥーロを、いや他の誰も巻き込むな」

「そうだな。卑怯な手を使ったら、俺が地獄に落ちたときに、お前の矮小さを広く伝えよう」

「良い案だな、親友」

「だろう、幼馴染」


 悪魔はと見ると、悪鬼の顔でプルプルと震えていた。

「この私を甘く見ていると後悔するぞ!」

「甘くなど見ていないさ。お前の時間を遡る力は素晴らしい。デルフィナの件は思い出す度にお前を八つ裂きにしたくなるが、アルトゥーロの件については感謝している」


 コルネリオがそう言うと、悪魔は毒気を抜かれた顔になった。


「だから正々堂々と一対一で勝負するぞ」

「……まあ。そうしてやってもいい」

「よし、約束を違えるなよ、大悪魔」


 親友は心なし嬉しそうに見えた。相手はベルヴェデーレの皮を被った悪魔なのにと思ったが、それは内に止めておくことにした。悪魔だろうがなんだろうが、コルネリオならば勝つだろう。心配なんて必要ない。


「ならばベルヴェデーレ、衛兵の仕事は完璧に勤めあげろよ」と俺は、短気でプライドの高い悪魔の肩を叩いた。「お前ほど筆頭にふさわしい衛兵はいない」


 当然さ、と自信たっぷりに返答する悪魔も、どことなく嬉しそうだった。

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