18´・1成就《2月》

「アルトゥーロ様!」

 彼女が叫ぶ。

 振りかぶっていたトビアがその姿勢のまま顔だけ振り向いた。

 彼の背を剣で貫く。

 どさり、と奴が手にしていた剣が地面に落ちた。


「アルトゥーロ! 大丈夫か!」

 背後からコルネリオの声がする。俺は貫いた剣ごとトビアを脇へ蹴飛ばした。

 目の前には泣きそうな顔をしたヴァレリーが座り込んでいる。


「間にあったか」

 ビアッジョがそう言って俺のとなりでへたりこんだ。

「良かった、アルトゥーロ!」コルネリオが俺の背を叩く。「さすがだ! 死を回避できたな!」


『死を回避』。

 ヴァレリーは小刻みに震えている。――生きている。





 生きている!


 地面に膝をつくと、彼女を力いっぱい抱き締めた。




 ◇◇




 ヴァレリーは俺の腕の中でずっと泣いていた。相当に怖かったのだろう。

 トビアと戦った彼女には、幾つかの軽い切り傷と、足首の捻挫があった。だがそれだけで済んでくれて良かった。あと一歩遅かったら、なんてことは考えたくもない。


 彼女の話では、トビアも最初は俺の従卒に戻りたいから譲ってくれと普通に話していたのだが、ヴァレリーが頑として断り続けていたら、女のくせにと突然激昂して襲いかかってきたのだそうだ。


 そんなに俺の元に戻りたかったのかと不憫な気がしないでもないが、ゼクスに戦に行く前ではなく、帰りにやって来ているところに、彼のズルさが現れている。

 人生をやり直しても、甘い性格は治らなかったのだろう。


 ところで王と腹心たちが血相を変えて走り回っていたので、騎士とその従卒を中心に、敵襲でもあったのかと動揺が走ったようだが、それはコルネリオとビアッジョが収めてくれた――はずだ。


 俺はずっと自分のテントにいるので、外のことは分からない。ヴァレリーの手当てをし、トビアについて話していたからだ。


 日も暮れて夕食の時間も過ぎたが、クレトとマウロが食事を運んできてくれたので、テント内でふたりでもそもそと食べた。



 ……とにかく、気まずい。

 さすがに、俺が彼女に惚れていると知られたただろう。騎士らしいシチュエーションは必死に考えていたが、うっかりバレした時の対処は考えていなかった。

 だが夜が更ける前に話を済ませないとまずい。今夜は彼女にテントを譲り、クレトかリーノに番犬を頼むつもりだ。


 スツールに腰かけている彼女を見ると、ちょうど彼女も目を上げて視線が合う。


「すまん。お前に惚れている」


 思いきって告げると、薄暗いランプの下で彼女の目が見開かれた。何故だ。気づいていなかったのか。そんなバカな。


「なぜ謝るのですか?」

「お前が一人前の従卒になろうと頑張っていたのに、俺は主じゃなかった。主の立場を利用して、お前のそばにいたかっただけだ。すまない」


 彼女の目から涙がポロポロと零れる。

 それを拭きもせずに立ち上がると、寝台に座った俺のとなりに座った。

 ぐしゃぐしゃの顔が俺を見ている。


「好きです、アルトゥーロ様」


 息を飲んだ。


「……本当か?」

 恐る恐る尋ねると、ヴァレリーは泣きながらも強い目をした。

「こんな嘘をつくと思うのですか!」


 彼女が俺を好き。

 そんな素振りを感じたことはなかったし、何より、前回の人生では言ってもらえなかった言葉だ。


「あの時ノーコメントと言ったのは、アルトゥーロ様に気づいてもらいたかったからです! ……勘違いされてしまいましたけれど」

「そんなもの、気づけるか」

「そうですね、アルトゥーロ様は鈍感ですものね」

「俺が? 鈍感はお前だ」

「いいえ、アルトゥーロ様です」


「「マウロだってそう言って……」」


 重なった言葉に、お互い驚く。


「……マウロがお前は鈍感だと言った」

「……マウロにアルトゥーロ様は鈍感だからと言われました」

「あいつはシメる」

 何故こんな大事なことを教えてくれなかったんだ。

「ダメです。私にはたくさんアドバイスをくれました!」

「俺にはなかった」

「アルトゥーロ様はマウロより八つも歳上ですよ!」


 そう言って彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔で笑った。そっとその頬に触れると、涙が温かかった。


 ああ、前にもこの感覚があった、と思い出す。

 前回の人生で彼女に惚れていると告げたときだ。あのときの彼女は、こんなに嬉しそうな顔ではなかった。


「笑ってくれると、ほっとする」


 彼女は優しげに微笑むと

「私はこの先、何があってもアルトゥーロ様を不安にさせたりはしません」

 と静かに言った。


 その言葉に、何故か胸が締め付けられた。

 彼女はエレナだけれどエレナではない。

 そんな思いが急激に膨らんで爆発した。


 彼女を守れたし手に入れることもできたけれど、俺と一年を過ごしてたエレナはいない。


 たまらなくなってヴァレリーを抱き締めた。






 だけれどエレナを思って泣くのは、これで最後だ。








 俺が泣いている間、彼女は何も言わずに抱きかえしてくれていた。


 ひととおり泣いて落ち着くと、彼女から離れた。

「すまん、取り乱した」

 ヴァレリーの大きな目が俺を見上げている。


「アルトゥーロ様」

「ああ」

「プライベートなことに立ち入って申し訳ないのですが、アルトゥーロ様の大切な方に私は似ているのでしょうか?」

「……」

「……すみません、どうしても気になってしまって」


 不安そうな顔のヴァレリー。


「どうして、そんなことを? コルネリオに何か聞いたか?」

「いいえ。アルトゥーロ様の目です」

「目?」

 彼女は泣きだしそうな顔になった。

「私を見ていません。誰かを重ね合わせていますよね。名前を呼んでくれたことも、ありません。先ほどまでは。私はその方の代わりに従卒に選ばれたのではありませんか」


 胸が締め付けられる。


「俺はお前に辛い思いをさせていたのか」

 ヴァレリーは少しだけ迷いを見せたあとに頷いた。


 結局今回も俺は彼女の苦しみに全く気づいていなかったらしい。情けなさと腹立ちに、自分を殴りたい気持ちになる。

 彼女の手を握りしめた。


「本当に済まない。だが俺が惚れているのはお前しかいない。信じがたい話だと思う」



 そうして、この人生が二度目であることと、前回俺たちの間に起きたことを話した。俺が殺された件と、コルネリオと悪魔の話は除いたが、俺がダニエレを殺したことも、以前は彼女に憎まれていたことは隠さなかった。




 ◇◇




 全てを話終えたあと、改めてヴァレリーに謝った。


「前回のお前は名前が違った。だから『ヴァレリー』と呼ぶと、前回のことが全て幻になってしまう気がして怖かった。すまん」


 端から見れば下らないことかもしれないが、エレナとの日々を失うことが、真剣に怖かったのだ。


「その前回の私の名前」何故かヴァレリーの声が震えている。「もしや『エレナ』でしょうか」


 息を飲む。

「コルネリオに聞いたのか?」


「いいえ。夢に見るのです。誰かが私を『エレナ』と呼んでいる、ただそれだけの夢です。私は返事をしたいのに、できません。目が覚めると必ず泣いています」


 その夢を見始めたのはフィーアの城を出てからで、何の意味があるのかを占い師に数回相談したものの、納得できる答えはなかったそうだ。


 最後に相談したのが、クラリッサの敵討ちのために決闘をしようと考えていた時で、その占い師は、北東に行けば全て解決と告げたそうだ。その時の北東にはメッツォの都があり、彼女は意思を固めて乗り込んで来たという。


 そしてその夢のことがあるから、俺の突拍子もない話を信じると言ってくれた。




「アルトゥーロ様。思い出せなくて、ごめんなさい。だけれど私の中にはエレナはいます」


 悪魔の話では、俺に前回の人生の記憶があるのは、後悔かなにかの強い思いがあるからとのことだった。それなら『エレナ』と呼ばれる夢を見て泣く彼女にも、同じような思いがあるのかもしれない。


 それに今のヴァレリーにエレナの記憶がなくても、俺は彼女が好きだ。


「そうだな。ありがとう。ヴァレリー」

 彼女は微かに微笑んだ。

「それからすみません。あなたの大切な方が私と知って、とてもほっとしています。ずっと妬んでいました」

「妬む? お前でもそんなことがあるのか」

「私を何だと思っているのですか。実は『エレナ』も、少し妬ましいです」

「何故だ!?」


 エレナは自分のことなのに。


「だって、私の知らないアルトゥーロ様との時間があるのでしょう?」

 彼女の目の端が少し滲んでいる。

「私は私のことなのに、なに一つ分からない。悔しいです」

「以前の俺などろくな男じゃない。何故お前が惚れてくれたか、全くわからん」

「そんなこと! 全ての武術に秀でているのに慢心せずに、鍛練を重ねるところに決まってます。それとガサツなのに、仕事に関するものは丁寧に扱うところ。コルネリオ様には尽くしているところ。私の仕事をきちんと褒めてくれるところ。それから……」


「もういい! 分かった」


 彼女は口をつぐんだが、じっと俺を見ている。

 そうして、目を閉じた。微かに震えている。



 これは、そういうことだろう。



 心臓が、何も知らない少年のように高鳴る。

 だけれど仕方ない。俺は彼女が好きなのだ。




 なるたけがっつかないように。

 彼女の唇に軽くキスをした。




 離れると、ヴァレリーは可愛らしく笑って、

「今回も恋人にしてもらえますか?」

 と言った。あまりの可愛いさに、めまいがしそうだ。


「そんなのは俺が聞きたい。庶民上がりの俺でいいのか?」

「私はアルトゥーロ様でなければ、いやです」

「そうか」


 エレナのときにはもらえなかった言葉を幾つももらって。自分の中のもやもやとしたものが消えた気がした。


 彼女をぎゅっと抱きしめる。

「よろしく頼む、ヴァレリー」

「こちらこそ、アルトゥーロ様」





 彼女と俺の、新しいスタートだ。

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