休憩・ビアッジョの恋愛相談室☆(ビアッジョのお話です)

 テントの並ぶ中を適当に流し歩く。騎士たちの様子をさりげなく観察するのも、コルネリオ様の腹心の仕事だと自負している。特に今回は戦にならなかったから、血気盛んな騎士の中には不満を持っている者もいるだろう。



 とはいえだいぶ端まで来たので戻ろうと思ったとき、そばの茂みがガサガサと揺れた。

 何だ、と見ていると、現れたのはヴァレリーだった。

「ビアッジョ様。クレトも」

 ほんのりと彼女の顔が赤い。手には洗面器やタオル、水差し。


「まさか、こんな所で清拭を!?」

 彼女はますます赤くなった。

「なかなか場所がないので」

「アルトゥーロのテントがあるだろう!」

「主のテントですから」

 キリっとした従卒の顔をするヴァレリー。いやその主はこのことを知ったら卒倒するぞ、と言ってやりたい。


「ヴァレリー。せめてリーノに見張りをさせないとダメだ。いくら君が僕たちと同じ従卒のつもりでも、女性なんだ。もし何かがあったらアルトゥーロ様がどんなに怒るか、分かっているはずだよ」

 クレトが良いことを言う。全くもって、その通り。

「勿論、僕でもでもいい。ですよね?」とクレトが私を見る。

「うむ。というか、どうしてひとりなんだ。アルトゥーロはどうした」


「……シャルロット様の元です」

 キリっとしていたヴァレリーの目が力なく伏せられた。洗面器を持つ手にも力が入るのが分かった。

 だがすぐに彼女は私を見た。

「ビアッジョ様。相談があるのですが、よろしいでしょうか」



 ◇◇



 気のきくクレトがヴァレリーが持っていた用具を片付けてくると言って去り、ふたりで更にテント群から離れて人気のない小さな雑木林に入った。適当な切り株があったので、それぞれ座る。


「それで何の相談かな」

 優しく尋ねる。アルトゥーロのことならいいと思いながら。いや、アルトゥーロ以外に何があるというのだ!


「あの……アルトゥーロ様の……」

 ヴァレリーがきゅっとズボンを掴んでいる。

 よしよし、いい感じだ、

 ヴァレリーは吐息すると、力強い目で私を見た。


「アルトゥーロ様の大切な方は、どんな方ですか?」

「……?」


 予想外の質問に戸惑う。アルトゥーロの大切な方? どういうことだ。それはヴァレリーだ。


「ちょっと、よく分からないのだが」

 彼女が怯んだのが分かった。

「そうですよね。プライベートなことですから。すみません、図々しい質問をして」

「いやいや、そうじゃない」慌てて、身を乗り出す。「ヴァレリーはアルトゥーロに大切な相手がいる、そう思っているということなのか?」


 彼女は今度は戸惑った顔をする。

「いらっしゃいますよね」

 確かにいるが、それは君だ!

 だが明らかに、自分だとは気づいていない。

「どうしてそう思った?」

「だって。私、そんなに鈍くありません」


 鈍くない、とは? よく分からないぞ。


「最初はやけに私の身辺を心配してくれるな、と思っていたのです」


 それはヴァレリーが大切だからだ。

 だが彼女は顔をうつむけた。


「それに不思議なことに時々、たまらないような顔で私を見るのです。でも、私を見ていません。私の向こうに誰かを見ている。長くそばにいれば、なんとなく分かるのです。アルトゥーロ様は私をどなたかに重ね合わせています。その方には、何か……不幸なことがあったのではないですか? だから私に対して過保護なのでしょう?」


 ズボンを掴む彼女の手にいっそうの力が入る。


「私たち姉妹が似ているのではありませんか? だから、殺されなかった。洗濯女に身を落とされても、それ以上に酷いことはなく、なんの経験もない私を従卒なんかにしてもしっかり指導するだけで、むしろ守ってくれている。なぜならアルトゥーロ様の大切な方に似ているから」


 ヴァレリーの声は震え、涙がひと粒こぼれ落ちた。


「ヴァレリー……」

 名を呼ぶ以上、何を言ってよいのか分からなかった。その通り、だけどアルトゥーロの大切な女は、かつての君だ、なんて私が言う訳にはいかない。

 散々悩み、

「アルトゥーロを好きなのか」

 と尋ねると、彼女は小さく頷いた。


「私みたいな可愛げのない強情を意識してもらえないのは、仕方ありません。だからせめて立派な従卒になろうと思ったけれど、それも望まれてない」

 ヴァレリーは袖でぐいと目元を拭った。

「無理やり遠征について来たけれど、戦もなくなり役にも立てない」


「ヴァレリー」


「素敵な結婚相手まで現れてしまって、どうすればいいのか、分かりません。だから大切な方みたいになったら、私を見てもらえるかなと思って」


「ヴァレリー」

「……はい」


 彼女は再び袖で目元を拭ってから、私を見た。真っ赤な目で。


「君が最初にやるべきは、今の話をアルトゥーロにすることだ」

 彼女の目が弱気になる。

「それから君は素晴らしい従卒だし、アルトゥーロもそう思っている。心配性が過ぎるのは確かだが、君の実力を軽視しているからではない。それは分かってやってくれ」

 ヴァレリーは素直に頷いた。


「君を見ていない、なんてこともない」

 今度は彼女は首を横に振った。

「アルトゥーロ様に名前を呼ばれたことがないのです」

「名前?」

「はい。一度も、『ヴァレリー』とも『ヴァレリアナ』とも」

 彼女の目から、また涙が零れる。


 確かに、聞いたことがないような気がする。


「そういう方なのかと思いましたが、他の従卒の名前は呼びます。私は一年近く仕えていて、ただの一度もありません。きっと呼びたくないのでしょう」


 思わずため息が零れた。なんてことだ、あのバカは。口説く前にするべきことがあったじゃないか。


「ヴァレリー。そんなことはない。アルトゥーロはアルトゥーロなりに、君のことをちゃんと見ている。名前を呼ばないのも、どうせ深い意味はない。前にも話したと思うが、あいつは騎士になることに全精力を注いできたから情緒面がおかしいし、コミュニケーション能力は幼児並み、女性の扱い方も知らん。君がそんなに悩んでいるなんて、微塵も気づいていないんだ」


 ヴァレリーは頷かない。正直な娘だ。


「勿論事実はどうであれ、君をそんなに悲しませているアルトゥーロはろくでもない男だ」

「そんなことはありません」すかさず反論される。


「ならば、本人とよく話し合ってくれ」

 また弱気になるヴァレリー。

「それから、あいつはシャルロットと結婚する気は全くないから安心しなさい」

 彼女は疑わしそうな顔をする。

「ゼクスの州王がしつこいから彼女を引き取っただけだし、コルネリオ様や私があれこれ言うのは、冗談だ」

「そうなのですか?」

「そうだ。嫌な思いをさせてすまなかったね」

「いえ……」


 ヴァレリーは大きく息をついた。


「話を聞いて下さって、ありがとうございます。少し落ち着きました」

「それは良かった。アルトゥーロと話し合ってくれるかい?」

「都に戻ったら。帰りの道中、気まずいのは辛いですから」


 どうやらフラれるのが前提らしい。アルトゥーロがもう少ししっかりアプローチをしていれば、こんなすれ違いはなかっただろう。これは説教しないといけないぞ。


「ヴァレリー。あの朴念仁をなんとかしてやってくれ」


 そう言うと彼女は可愛らしくはにかんで、

「少しでも私を見てもらえたら、嬉しいのですけど」

 と小さな声で言ったのだった。

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