16´・2ゼクスの城《1月》

 目が覚めて起き上がる。まだ薄暗いテント内は酷い有り様だ。寝台の上は空。地面の上には死体……のような泥酔者たち三人。王と騎士と従卒。ちなみに劇的に酒に弱い従卒には一杯しか飲ませていないが、こうなった。


 立ち上がるとコルネリオがもぞもぞと動いた。

「朝か」

「朝だ。敵地のそばで気を抜きすぎだぞ」

「お前こそ」王はそう言って大きく伸びをした。「まあ、お前がいれば心配ない。どれだけ飲んでも警戒を怠らないでくれるからな。こいつらはダメだな」


 大口を開けて寝ているカルミネとリーノを見る。

「幸せな奴らだ」と俺。

「簡単に寝首を掻かれるぞ」コルネリオが笑う。「まだまだ甘いな」

「だが、楽しかったのだろう?」

「そうだな、楽しい酒だった」


 テントの外に出ると、立哨の衛兵たちが入り口を守っている。

「おや」と後から出て来たコルネリオ。

「俺が呼んだ」

「出来た騎士だ。この調子で俺が死ぬまで、そばで守ってくれよ」

「嫌だね。何故お前が先に死ぬと決まっている」

「当然だろう! 俺は一度お前の死に耐えた。次はお前の番」

「なるほど、一理ある」

「だろう?」コルネリオが嬉しそうにする。「俺はぐちゃぐちゃのお前の死体を見せられたんだからな」

「ぐちゃぐちゃか。死んでいて良かった。……ま、夢の話だ」


 衛兵の手前そう言って、そこでコルネリオと別れた。

 自分のテントに急ぎ足で戻る。今日はなるべく、エレナから離れないでいたい。


 中に入ると床に座っていたエレナがさっと立ち上がり、スツールに座っていたクレトも続いた。

「お帰りなさい。番犬は戻ってよろしいですか」

「ああ、ご苦労」

 クレトは一礼をして出て行った。


「すみません!」エレナが勢いよく頭を下げる。「ベッドを取ってしまって!」

「別に構わない。コルネリオといた」

「ちゃんとお休みできましたか?」

 ああ、と頷く。彼女は再び謝ったあと、

「お湯をもらって来ます」

 と、水差しとタオルを手にして外に出ようとした。

「いや、水でいい」

「えっ! 氷のようですよ?」

「酔いざましがわりだ」

 戸惑っている彼女を余所に、もうひとつの水差しから洗面器に水を注いだ。


 というか、彼女は顔を洗うのにお湯が必要だったのではないだろうか。失敗した。理由をつけて一緒に行くほうが良かった。


 まさしくほぼ氷の水で顔を洗いながら、後悔する。

 すかさず出されたタオルを受け取りながら、どうするかと考える。


「アルトゥーロ様」

「何だ」


 頬にひたりと、エレナの指が触れた。

「やっぱりお湯をもらってきます。これでは霜焼けになってしまいます」

 そう言うと彼女は止める間もなく身を翻した。


 ひとりで行くなと追おうとして、クレトの声が耳に入った。ふたりで共に行くようだ。ほっとして寝台に腰かける。


 安堵したら、先ほどのエレナの指先の感触を思い出した。心臓がバクバクいいだす。彼女にこんな風に触れられるのは、今回の人生では初めてだ。

 幾らなんでも無用心すぎる。


 昨晩、たった数口の酒で酔っ払ったリーノに、かなり絡まれた。

 ひとつのテントにいるからって、手出しはするなとしつこく念を押された。コルネリオが、お前が彼女を主のテントに送り込んだくせにと笑うと、クレトは雑魚寝よりはマシだと泣いていた。


 そもそも彼女は無用心だ、俺の前で平気で着替えるとつい愚痴ると、リーノは言った。あれは彼女なりの気遣いだ、と。

 俺の目を気にしているそぶりをすると俺が気を遣うから、なんともないふりをしているという。


 確かに彼女なら、有りうるなと思った。

 だがそれを差し引いても、無用心すぎる。昨日は隣に座るし凭れて眠るし、今日は触れてくる。


 本当に、俺の忍耐力を褒めてもらいたい。





 ため息をつき、頭を振る。

 戦がなくなったのは、俺自身にも良かっただろう。集中できずにうっかり殺される、なんて羽目になったかもしれない。




 ◇◇




 無血開城で入ったゼクスの王城は、荒れていた。国王派と王弟派は、城の中でも衝突したらしい。その時できたと思われる壁や家具の新しい傷、恐らくは血飛沫を浴びて外した絨毯やタペストリーの跡が散見された。

 しかも衛兵の少なさから、かなりの死人が出たと推測される。

 これではメッツォと戦う体力も気力もないだろう。


 王弟とその重臣たちはコルネリオを恭しく迎え入れ、忠心の証として国王とその一派を差し出した。やつれ薄汚れた男が国王なのか、俺たちには判断のしようがなかったが、この城で合流したノイン王と外務大臣(オルランドと共に内密の会談をした男だ)が、間違いないと証言をした。


 彼らは即刻処刑されて、メッツォ王妃暗殺を企てた卑劣な輩として広場に晒された。俺たちは今まで国王一家を皆殺しにしてはきたが、その遺体を晒したことはなかなった。


 コルネリオは広場でゼクスの民に向かって、彼らを晒すのは犯罪者だからだ、と力強く演説をした。

 若く美しい王の愛する妻が狙われ、危ういところで騎士と侍女に救われた、という話はゼクスの民の心を打ったようだ。

 メッツォ王も俺たち軍隊も、すんなりと受け入れられたのだった。


 そうして城の謁見の間で調印が行われ、ゼクスとノインは同時にメッツォの属州となった。そしてこれを機にメッツォは王国ではなく、帝国を名乗る宣言をした。教会庁よりは既に許可がおりていて、都に戻ったら庁のトップである長からコルネリオは新帝国の皇帝として戴冠されることが決まっているのだ。


 城にメッツォの国旗が掲げられると、王弟が仕込んでいたのかどうだか、街中からは歓声が上がり、新しい王を歓迎したのだった。





 幹部の会議を終えて部屋を出ると、クレトやエレナが待っていた。

 クレトが

「民が歓迎した理由が分かりましたよ」

 と報告した。城の使用人たちと親しくなって聞き出したという。


 元国王は王弟との争いが激しくなると、王弟が可愛がっていた騎士や衛兵、侍従侍女から使用人まで、良くてクビ、悪ければ処刑して城から一掃したらしい。これで家族や恋人が殺された市民が憤り、王と弟は武力衝突に発展したらしい。


「それまでは、そんな不人気な王ではなかったようですけどね。何が命取りになるか分からないものですね」

 とクレトは締めくくった。


「で、お前は何だ?」

 俺はエレナを見た。幸い、なまくら剣は符丁にはならなかった。彼女に危険なことは起きていない。

「お手紙が届いています」

 彼女はそう言って、それを差し出した。


 上質な紙。

 名前を見る。それからビアッジョに見せた。

「後で話してくる」

「頼む」とビアッジョ。

 その手紙を懐にしまう。


「それからシャルロット様からお話したいと言伝てを預かっています」

 思わずむっとなる。

 シャルロットは王弟の末の娘なのだが、何故か俺が気に入ったらしい。強烈にアプローチをされて困っている。

 しかも彼女からの誘いを、エレナが俺に告げるというのは……。


「ヴァレリー。主のために上手く断るのも従卒の仕事だぞ」ビアッジョが優しく諌める。

「すみません。私の言葉は一切聞こえないようで」

「いっそヴァレリーが婚約者だと話してみたらどうだ?」ビアッジョが俺を見る。

「アホらしい」

 そんなのは俺がむなしすぎる。

「ならばもう結婚してしまえ。あんなにお前を好いてくれるんだ、妥協すればいい。私はお手上げだ」

 ビアッジョはそう言うと、幸せにな!と捨て台詞を吐いて先に行ってしまった。

 きっと俺がいつまでも行動を起こさないから、匙を投げたのだろう。


 視線を感じて見ると、エレナが大きな目で不安そうに俺を見上げていた。

「案ずるな、お前をそんなことに使わない」

「……はい」

「好きな男に誤解されたら困るものな」

 一向にその男が誰なのか、分からないが。


 ……そいつが、俺が敵わないような男だったら、少しは納得できるのだろうか。


「アルトゥーロ様!」

「何だ」

「あの――」


 エレナが言い掛けたとき、廊下の角からコルネリオが現れた。やや怒り顔だ。

「アルトゥーロ!」

「どうした」

「聞いたぞ! 何故お前にあの男から手紙が届く!」

 懐から手紙を出した。

 送り人はコルネリオの父親、ワガーシュだ。それを差し出す。


「まだ俺も読んでいない。そっちで」と出て来たばかりの部屋を示す。「確認しよう」

 コルネリオは一旦受け取ったそれを俺に返してから、毒気を抜かれた顔で頷いた。


「お前は衛兵たちとそこで待っていろ」

 エレナにそう言うと、彼女は頷いた。

「悪いが話は後で聞く」

「アルトゥーロを借りるぞ、ヴァレリー」


 そうして元の部屋に戻る。ふたりきりだ。卓に腰かけ、取り出した短剣で封筒の端を切る。


「『衛兵たちと待っていろ』」とコルネリオが言った。

 奴を見ると、ため息をつかれた。

「自分では気づいていないだろう。言葉の端々に、ヴァレリーへの心配が表れているぞ」

「そうか?」

「それで何もする気がないなら、諦めてシャルロットとかいう小娘で手を打て」

「ビアッジョにも言われた」

「で? こそこそあの男と何のやり取りをしている?」


 急に変わった話に、手の中の便箋に目を落としてから、それをコルネリオに渡した。

 みるみる間に親友の顔が険しくなる。

「……こんなことだろうと思った」


 ワガーシュから届いたもの。それはコルネリオと契約している悪魔の正体についてだ。

 俺の話から、該当すると思われる悪魔をワガーシュは探し当ててくれた。名前の他、出てくる文献、性質、悪行がこと細かに書かれている。

 極めつけは姿絵だ。本体は様々あれど、どれも山羊の角と蠍の尻尾が、俺が見たものとそっくりだった。


「あいつに、なんて頼んだ」

「コルネリオが悪魔に困っている、だけだ。契約しているとは話していない。それからこれは俺の独断、俺の借りになるとも言ってある」

「ふざけるな。あいつに借りなぞ作ったら、骨の髄までしゃぶられるぞ。これは俺の借りにする」


 幼馴染思いの親友を見る。

「コルネリオ」

「お前の独断は許せんが、借りはさせない、絶対にな!」

「ワガーシュは何故、お前が頼みに来ないと言った」

「あんな奴を頼りたくないからだ! それも分からんか、耄碌め」

「コルネリオ」

 もう一度、彼の名前を呼んだ。


「あいつは、お前が世界の王にならないと困るから、これは貸しにはしないと言った」

「何だって?」

「貸しにはしないとさ。ただ頼まれたことがひとつ」

「貸しにしてるじゃないか」

「『たまにはお前が出向け』と伝えてくれだそうだ」

「……何だそれは」

「気づいているだろ、それはワガーシュの字だ。自分で書いている。調べものは他人にさせたかもしれんが、まとめたのはあいつだ」


 コルネリオは目を便箋に落とした。


「歳をとったのだな、あいつも。淋しいようだ。昔から、他の子供はごまをすって自分の蜜を吸うだけ、対等な関係はお前だけだと嘆いていただろう? その唯一対等なお前は、俺を遣いにするばかりで顔を見せない」

「見たい顔じゃない」

「俺だって。お前に頼まれなきゃ、会いたい奴じゃない。大嫌いだ。だけどそれを」と便箋を見る。「大急ぎで調べて、わざわざこんなところまで送ってきた」

「……何が言いたい」

「事実を言っているだけだ。どうするかは、お前が決めることだ。顔を見せてやるのか。それから契約を破棄するのか」

「破棄しろとは言わないのか」

「俺はしてもらいたいぞ。だがお前は、俺やオリヴィアがそう願っていると知っているだろう?」


 幼馴染は息を吐いて、俺の隣に腰かけた。

「俺は借りを作るのは嫌いだ」

「知っている」

「今のところ二勝一敗。悪魔のおかげでお前とオリヴィアを助けられた。それで契約破棄は汚くないか?」

「相手は悪魔だ」

「そうだがな。俺の魂なんて、俺はどうでもいい」

「忘れているようだが、借りではないぞ。悪魔はデルフィナの母親とベルヴェデーレの魂をとっている」

「……そうか」

「向こうも魂の数的には、二勝一敗になる」

「そうだな」

 コルネリオは続けて、そうか、と言って考えこんだ。


「一緒に地獄巡りをしようじゃないか」

「なんだ、その誘い文句は」幼馴染は笑った。

「お前と俺は運命共同体なんだろう?」

「あっさり死んだくせに」

「悪かった」

 カサカサと便箋を畳み、コルネリオはそれを封筒にしまうと懐にいれた。


「どのみち三月が過ぎるまでは、何もしない」

「俺が死を回避できるかどうか、か?」

「そうだ」と幼馴染思いの親友は頷く。「お前がもしまた死んだら、あの悪魔は俺が八つ裂きにしてやる。そのためには繋がりがあったほうがいい」

「分かった。そうならないよう気を付けるさ」

「頼むから、ヴァレリーが殺されてもぼんやりしてくれるなよ」

「努力する」

「ついでに早く進展しろ。彼女はお前に惚れてると思うぞ」

「どこがだ」

 コルネリオは肩をすくめた。

「一般論。ついさっきノインの外務大臣が、お前たちは恋人同士じゃなかったのかと驚いていた」

「よく知らないからだろう」

「さてな」


 それから幾つか事務的な話をして、部屋を出た。エレナはちゃんと言い付けを守って、衛兵たちのそばで待っていた。こういうところは素直で助かる。


 コルネリオはノイン王と話があると来た廊下を戻って行き、俺はビアッジョに事の成り行きを話すため、あいつがいるだろう騎士の休憩所になっている広間に向かった。


 ワガーシュへの依頼はビアッジョに相談をしてから行ったのだが、その時に『昔のお前なら私に相談などしなかった』と言われて、そうかもしれないと思った。

 俺の二度目の人生は、確実に俺を変えている。それからコルネリオも。どちらも良いほうに、だ。

 そう考えると悪魔のしたことは善行と言えるかもしれないし、コルネリオが契約破棄を躊躇う気持ちも分からないでもない。


「あの。アルトゥーロ様」

 掛けられた声にはっとする。そうだ、エレナの話が途中だった。

「すまん、お前の話があったな」

「いえ、たいしたことではないのですが」

「何だ」

「あの……」

 やや後ろを歩く彼女をちらりと振り返ると、言い淀んでいるように見えた。

 足を止める。

「本当にたいしたことではないのです」

「どうした」

「誤解されて困るようなひとはいません。アルトゥーロ様が勘違いしているようなので、一応……」


 困る相手はいない?

 だがあの時、わざわざ『ノーコメント』なんて言い方をしたのだ。いないのなら、いないと簡潔に言うだろう。


 いや。あの時はいたが、今はいないということかもしれない。


「……フラれたのか?」

「違います! 元から誤解されて困るひとはいないのですってば! きっとあのとき私が『ノーコメント』だなんて言い方をしたからですよね。紛らわしいことを言ってしまって、すみません」

 心持ちエレナの顔が赤い。

「だから御配慮いただかなくて、大丈夫です」


 心臓が煩くなってきた。

 エレナに好きな男はいない、らしい。俺の勘違いだった。

 それならば、まだチャンスはある。


 と。

「お、いたいた」

 よく通る声がしたかと思うと、カルミネとリーノが現れた。

「ノインの騎士と合同で打ち合わせするから集まれだと」

 分かったと頷く。

 一旦エレナのことは頭から追い出して、仕事モードにならなければ。


 俺はカルミネと、エレナはリーノと並んで歩く。


「そうそう。さっきシャルロットとかいう姫の侍女がお前のことを聞きに来た。好きな食べ物とか欲しいものとか」とカルミネ。

 なんだそれは。聞いただけでげっそりする。

「知るかよ!と答えておいた」

「素晴らしい対応だな」

「知りたいなら従卒のヴァレリーに尋ねろと教えてやった。国に戻ったら結婚する仲なんだぞ、ってな」


 思わず足を止める。

「貴様、なにを勝手に!」

「シャルロットに手を焼いてたじゃないか。諦めさせるには、これが一番だろう?」

 背後からため息が聞こえた。リーノだ。

「変な噂がたったらどうしてくれるんだ!」

「そこまでは知らん」とカルミネ。


 エレナはと見ると。

「私はアルトゥーロ様のお役に立てるのなら、そのぐらい気にしません」

「従卒の鏡だ!」とカルミネ。「見習え、リーノ!」

「やだね」

「可愛くない!」

「従卒に可愛さを求めるな!」

「ヴァレリーは可愛い!」

「言うな! 彼女が汚れる!」


 やいやい口喧嘩を始めたふたりを横目に、

「結局、巻き込んだな。すまん」

 とエレナに謝る。

「大丈夫です。だって上手に断るのも従卒の仕事なのでしょう?」


『仕事』か。


 お前と俺は、本当に結婚の約束をしたことがあったんだ。

 そう言ったらエレナは戸惑うのだろうなと考えて、苦しくなった。



 それから、前回彼女と俺が死んだ日まであとふた月ほど、と頭に浮かんだ。エレナは絶対に守るが、万が一、俺は死を回避できなかったら、どうする。


 このまま死ぬのは嫌だとの思いが、痛烈に湧き上がった。




 その日までに、必ず、思いを告げよう。

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