16´・1夜営《1月》

 コルネリオ軍は現在、ゼクスの都そばに駐屯中だ。開戦はなく、無血開城になる予定だ。ゼクスはどこにも軍を展開していない。


 国境で王弟の使者が俺たちを待ち構えていて、あらためて交戦の意思がないことを伝えて来た。彼らの願いは、ひたすら王弟一家並びに派閥の助命だ。


 すでにかつて存在した帝国の半分以上の領土を持つメッツォとゼクスでは、兵士の数に大きな差がある。

 だからこそゼクス王は汚い手を使ってノインの協力を得ようとしたのだろう。

 だが親ノイン派である王弟は、ノインが属州に下る決断をしたことを耳にし兄を止めようとして、争いが勃発したようだ。


 こちらが放った斥候の調べでも、王弟の言葉に偽りはないようだ。

 俺たちはこの駐屯地まで難なく進み、ここ数日は王弟が派遣した官吏と話し合いを重ねていた。


 それに幸い、王弟に悪評はないようだ。ゼクスは征服ではなく併合、王弟は望み通りに州王にしても問題なかろう、とコルネリオは決めた。





 ◇◇





「良かったな。戦にならなくて」

 俺専用のテントの中で、寝る前の支度をしているエレナに声をかけた。

「お前はまだ、実際に人を殺したことがない。それで戦えるとは思えん」

「……良かったのはアルトゥーロ様でしょう。私を参加させない言い訳を考えないで済んだのですから」


 揺れるランプの下でエレナは強い目をしている。

 見透かされていたらしい。


「アルトゥーロ様の過保護はもう分かっているのですからね」

 そう付け足すと彼女は寝袋を出してきて床にひく。


「だが本当のことだろう」

「戦えます。どんな騎士だって初戦はあるものでしょう?」

 強気のエレナは、何を言っても聞く耳を持たない。


 思わずため息が零れた。


 このひと月、夜は彼女とテントで共に過ごしている。勿論、色っぽいことは何もない。

 幹部の騎士はひとりひとテントなのだが、そこに自分の従卒を泊める者もいれば泊めない者もいる。ビアッジョは前者で俺は後者。


 だがそうなると、従卒は従卒用テントで雑魚寝だ。そこでリーノが泣きついてきた。どうしてもエレナを雑魚寝させたくない、男だらけの生活でストレスが溜まり、彼女に不埒なことをする輩がいるかもしれない。雑魚寝と俺とふたりきり。どちらも嫌だが、まだ俺のほうがマシと言うのだ。


 エレナが不埒な目にあう腹立ちと、自分の理性を天秤にかけ、いやいやどちらも無理だろうと思ったが、結局エレナをテントにおいている。


 彼女自身は全く気にしていない。俺の前で平気で着替える。

 春に、裸を見せなれていないと言ったのは、なんだったんだ。従卒生活に慣れて気にしなくなったのか。


 ……コルネリオにはお前は修行僧にでもなるつもりかと呆れられているし、ビアッジョには可哀想な生き物を見る目で見られ、マウロには我慢比べでもしているのかと不思議がられている。


 空しく上着を脱ぎながら、ふとその内ポケットに入った剣の存在を思い出した。

 こちらに背を向けているエレナを一瞥し、取り出す。何の装飾もなく、使い道もないなまくら。それでも親父が唯一くれたものだから、大切にしてきた。俺にとっては大事なお守りだ。


「あれ。その剣は見たことがありません」

 いつの間にかこちらを向いたエレナが、俺の手元を覗き込む。

「お前に手入れさせるほどの品ではないからな」

「そうなのですか? でも大切な品のようですね。……大事な方のものですか?」

「親父の形見だ」


 剣を元通りにしまう。

 エレナに見せてしまった。

 だが記憶が戻る様子はない。

 当たり前、か。

 明日は念のためにそばから離れないようにしなければ。


「お父様は鍛治職人だったとか。仲間から聞きました」

「ああ。鍋専門のな。これは唯一作った剣だが、使い物にならん」

「それを大切にしているのですね」

 エレナが笑みを浮かべる。

「叙任の記念にくれたからな」

「素敵なお父様ですね」

「ただの鍛治職人だ」

「でもアルトゥーロ様のお父様です。きっと頑固一徹で仕事に誇りを持っていたことでしょう」

「……そうだな」

「やっぱり。よければご家族のお話を聞かせてもらえませんか?」

「そんなものを聞いてどうする」

「噂話はあれこれあって、どれが本当の話か分かりません。私はアルトゥーロ様の従卒なのに、アルトゥーロ様のことを何も知らないです。ご家族のことも、どうして騎士になったのかも、……他のことも」

「なにひとつ面白い話はないぞ」

「ダメですか?」


 エレナが瞬く。不思議そうな表情が、愛おしい。

 狭いテントの中だ。距離が近い。手を伸ばせば簡単に抱きしめられる。

 このひと月、どれほど我慢をしているか。


 理性がグラグラと揺れた。




「……すみません、図々しいことを言って。遅いですものね。寝ましょう」


 彼女はくるりと背を向け、ランプに手を伸ばす。


 小さな背中も愛おしい。だが、彼女は好きな男がいる。このひと月、それを呪文のように唱えながら自分を律してきた。

 俺は目を瞑り小さく息を吐いてから、簡易寝台に腰かけた。



「話に飽きたら寝ろ」


 エレナは振り返り、そして、嬉しそうにはいと答えた。




 ◇◇




 それほど長い話をするつもりはなかったが、エレナの質問に答えながら話していたら、すっかり深い時間になってしまった。

 最初は隅の小さなスツールに座っていた彼女は、今は俺の隣にいる。寒そうだったので下心ありでこっちに座れと隣を示したら、彼女は躊躇いもなく座り、言い出した俺が焦った。


 しかも、だ。エレナは俺の肩にもたれて静かに寝息をたてている。

 これはあまりに酷くないだろうか。


 そろそろと動き、彼女を寝台に横たえる。寒くないように毛布をかけ、それから、これぐらいは許されるだろうと、そっとその頬に触れた。


 ……その感触に、二年も前にこうして触れたことを思い出した。

 あの日々は、夢だったのかもしれないと自嘲気味に考えて、テントを出た。すぐ隣にビアッジョのテントがある。灯りは暗くなっているが、何度か呼ぶとクレトが出てきた。


「どうしました」

 ふにゃふにゃした声だから寝ていたのだろう。

「コルネリオの元に行く」

「そうですか」

「俺のテントで寝てくれ」

 クレトは何度か瞬きをした。

「……つまり番犬ですね。お任せ下さい」


 言葉は気になる。が、頼むと言って、彼が俺のテントに入るのを見届けてから、コルネリオの元に向かった。


 見張りの衛兵に挨拶をして、奴のテントに入る。

「何しにきた、腰抜け」

 国王は椅子に座って酒を飲んでいた。

「何だ、腰抜けとは」

「散策をしていたら、お前のテントから話し声が聞こえた。で、今、お前はここに来た。逃げたのだろう?」

「……こんな夜更けに王が出歩くな」

「俺はやりたいようにやる王だ」

「知っている。衛兵が気の毒だな」

「ベルヴェデーレのつもりでいると、皆倒れる」

「気をつけてやれ!」

「分かっているのだが、ついな。追々慣れるだろう」


 コルネリオは立ち上がって、新しいコップを取る。

「仕方ないから付き合ってやる」

「お前が俺を生き返らせたんだ。責任持って付き合うべきだからな」

「なんて言い草だ」


 王はそう言いながらも新しいコップに酒を注ぎ、俺に寄越した。


「手を出せばいいのに」

「できるか」

 今回の人生では、エレナの気持ちを最優先すると決めているのだ。

「あいつはそのつもりでいると思うがな」

「そんなことがある筈ないだろう」

 コルネリオには、というか誰にも、エレナに好きな男がいることは話していない。多分俺は、自分が惨めすぎて言えないのだと思う。

「男とふたりきりだそ?」

「違う。主とふたりきり、だ。彼女にとっては」

「そうかなあ」


 コルネリオは腕組みをした。


「俺はそんな、うだうだした恋愛をしたことがないから、分からん」

「いや、ロドルフォがオリヴィアの恋人だといじけていたお前はうだうだしていた」

「いじけてない」

「いじけていた」

「万が一そうだったとしても、ほんの二、三週間のことだ。お前なんて一年近く、うだうだいじいじ。どうなっているんだ。枯れたのか。さっさとやってしまえ!」


 思わず親友の胸ぐらを掴む。

「俺に八つ当たりするな」

 ため息をついて、手を離した。


「最近、全部夢だった気がしてきた」

「夢?」

「でなければ妄想」

「……マズイな。末期じゃないのか?」

「だって俺しか覚えていないんだぞ。彼女は、なにも覚えていない」


 俺とのこともそうだが、親父のなまくら剣も、俺にはろくでなしの姉がいることも、騎士になったのはコルネリオのためであることも、俺が前回の人生で彼女に話したこと全てを、彼女は知らないのだ。


「エレナと今の彼女は別人だ。俺のエレナはもういない」

「……今のあいつには惚れてないってことか」

「そうじゃない。好きだ。だけど、前の彼女とは別人だ」

 今のエレナだって勿論好きだ。俺に惚れてほしいと思っている。だけれど、やはり違うのだ。

「俺にはよく分からんな」


 プロポーズもふたりで過ごした夜も知らない。彼女に俺との思い出はない。積み重ねた時間も違う。そして彼女は俺でない男を……。


「ベルヴェデーレが消えてくれて良かった。頼りたくて仕方ない」

 親友がため息をついた。

「贄が必要だぞ。どうする? お前、私欲だけで殺せるか? 誰を選ぶ? ボニファツィオはいないぞ。トビアならいいか? それとも拐ってくるか」


 俺は黙って酒を飲んだ。


「あいつが現れても、決して頼るな。あいつの誘惑はしつこいぞ。堕落したお前なぞ見たくない。それに頼ったところで、望み通りの結果になるとも限らない」

「そうだな。つまらぬことを言ってすまん」

「前にも言ったが、俺はお前が死ななければいい。だがその為にヴァレリーが必要なら、この大親友の俺が助けする。悪魔より余程心強いぞ」

「今まで効果があったか? 彼女を従卒にしてくれたぐらいじゃないか」

「なんだと!」


 ゲシッと足を蹴られた。

「下品な王だ」

「下品な騎士に似合いの王だろう?」

 笑いあって酒をのむ。


「ゼクス、ノイン。お前が世界の王になるまで、あとふたつか。どうなるかな」

「俺は戦がしたい」

「下品な上に物騒な王だ」

「だが、オリヴィアと子供たちに心配させたくない気持ちもある」

「そうか」

「戦なしで手に入るならば、それもいいのかもしれん」

「お前が積み重ねきた勝利の結果だ」

「分かっている。だが戦う相手がいないのは、つまらん」

「相手ならいくらでもいる。広大な領土だ。街道の整備やら治水対策やら、色々あるだろう?」

「お前と戦場を駆けずり回っているほうが楽しい」

「俺は……どうだろうな。お前が世界の王になった先を考えたことがないからな」

「薄情者め」

「ま、先の話さ。まずはゼクスとノインだ」

「ああ。アルトゥーロ」

「何だ」

「お前が殺された日までまだ二ヶ月あるが、気をつけてくれよ。ボニファツィオは二ヶ月早かった」

「分かっている。お前こそ、だ」

「俺は長生きする。悪魔に少しでもダメージをくれてやりたいからな」


 酒を口に運ぶ幼馴染を見る。

「ダメージ?」

「お前とこうして一緒にいられることには感謝をしている。だがデルフィナは助けられなかった。あいつは絶対に最初からそのつもりだった。少しは一矢報いてやりたいだろう?」


 やはり、そう考えていたのか。

「誘惑に乗らなかったのは、そのためか」

「心が動きそうなときは、デルフィナのことを考えて踏みとどまった」

「さすが、お前だよ」


 幼馴染はまた酒を口に運んだ。


「……だが九年の付き合いだ。正直言うと、いなくなって淋しい。俺に歯に衣を着せない物言いをする奴はもう、お前とビアッジョしかいないからな」


 死んでいった仲間を思い浮かべる。ビアッジョが連れてきたクレトの父親。俺が従卒として使えた騎士。兵士になった下町仲間。


「悪魔の良いところは、死なないところだな」

「全くだ。首を落としても、心臓を突いてもダメだった。まあ、人の姿は借り物だからだろうな」

「やったのか!」

「そりゃ、試すだろう? 毒も飲ませたし、火炙りもやった」

「……研究熱心だ」


 コルネリオは笑って、だけどその後に、淋しそうな顔をした。

 こいつの周りは今やおべっかつかいばかりだからだろう。

 俺ですらいつの間にかに、従卒の地位を巡って争いが起きるような身分になってしまっている。


「辛気くさい」コルネリオがグラスを音をたてて卓に置く。「ビアッジョを起こして飲み明かそう」

「絶対に怒るぞ。『若くないんだ』が口癖なんだから」

「だからどうした」

「俺は行かん。お前が起こしてこい」

「簡単だ」コルネリオは立ち上がる。「ふたりで行けばいい」

「弱気じゃないか!」


 親友に腕を取られて立ち上がる。奴はあいた手で酒のボトルを取った。

 テントを出ると若い衛兵が、どちらへと尋ねる。


「散歩。ついて来なくていい」


 とコルネリオ。月明かりしかなくとも衛兵が困惑しているのが分かる。

「ビアッジョの所だ。案ずるな」

 そう言ってやると、衛兵は安心したようだ。


 何故か肩を組んで歩く。

「ビアッジョに、衛兵を困らせるなと叱られるぞ」

「いいな、俺を叱るのはビアッジョだけだ!」

「酔っぱらいめ」

「腰抜けめ。……いや。最近はオリヴィアにも叱られるな」

 親友の声は嬉しそうだ。

「そりゃ良かった。お前のマゾ心を満たしてくれる奥方で」

「何だと!」


 と、ひとつのテントの幕が勢いよくたくしあげられた。

「うるさいぞ! 夜中に騒いでいるのはどいつだ!」

「叱られたぞ、コルネリオ」

「ああ、この俺を叱れる奴がいたな」

 王が笑う。


「コルネリオ様!」

 蒼白で飛び出して来たのはカルミネだった。

「とんだ失礼で!」

「いや、騒いでいるこいつが悪い」と俺。

「よし、カルミネ、罰だ」とコルネリオ。

 カルミネは飛び上がって、そのまま地面に平伏した。

「今夜はお前のテントだ」

 コルネリオはそう言って勝手にカルミネのテントへ入って行く。


 中から寝ぼけ声が聞こえる。リーノだろう。カルミネは訳が分からずにポカンとしている。


「ビアッジョを飲みに誘いに行くところだった。コルネリオはお前の所で飲み明かす気だな」

「えぇっ!」とカルミネ。「構わないが、酒はない」

「構わないのか」とおかしくなった。「ならば酒を取ってくる」

「お、高級なのが飲めるかな」

「最高級のを選んでやろう」

「気が利くな」


 お前、前回は俺を追い落とそうとしていたんだぞ、と思いながら、踵を返した。






 ◇◇

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