15´・2外出《12月》&ビアッジョ日記⑥

 コルネリオの私室で朝っぱらから取っ組み合いの喧嘩をしていると、伝令から報告が入った。ゼクスで内乱が起こったという。国王派と脱獄した王弟派に別れて武力衝突したようだ。

 俺たちが攻めてくるのは分かっているだろうに、何をやっているのだか。


 その数時間後にはノインからの、親ノインである王弟派を支援するとの手紙が届いた。 王弟派はメッツォとの戦は避け属州に下る方針、とも書かれていた。


 それを読み終えたメッツォ国王は、どのみち進軍は予定通り、と宣言したのだった。


 そこから中断されていた喧嘩が再開、ベルヴェデーレの後を継いでコルネリオ専属筆頭となった衛兵が、オロオロと俺たちの周りをうろつき、最終的にオリヴィアが呼ばれた。


 すっかり妻第一主義になったコルネリオは途端に澄ました夫の顔になり、俺に諦めろ、と一言言って素知らぬふりをしやがった。


 あいつの主張は、エレナがおとなしく留守番をするはずがないのだから連れて行け、それがどうしても嫌なら、サクッと結婚しろ、だった。


 サクッとできるものなら、とっくにそうしている。




 ◇◇




「どこかおかしいですか?」

 町娘の格好をしたエレナが俺を見上げる。

「どこも」

 それでも彼女は気になるのか、髪を触り、胸元を直した。


 すまん、俺が見すぎていたな、と気軽に言えばいいのに、そんな一言さえ口にできない。情けない。


 オリヴィアに、街の尼僧院に寄付を持って行くよう頼まれた。先月までは侍女が行っていたのだが、彼女はあの事件のせいで外出が怖くなってしまったらしい。

 それでどうしてその仕事がエレナに回ってくるのかが理解不能だが、そうなった。ついでに俺は付き添いを命じられた。


 ……。


 計画的なものを感じるが、まあ、いい。

 エレナは可愛いし、他の男が付き添いを命じられていたら、俺はまたコルネリオに殴り込みに行っただろう。



 街中をふたりで歩く。

 今日はいつもほど声をかけられないが、エレナに集まる視線は感じる。どこからどう見ても美少女なのだ、そりゃ注目されるだろう。

 段々と腹が立ってくる。


 そして腹が立つのに、主の顔をして気にしていないふりをしている自分に、もっと腹が立つ。



「まあ、アルトゥーロ。久しぶり」

 掛けられた声に目をやると、見覚えのある女が近寄ってきた。するりと腕に手をかけてくる。

「可愛らしい娘を連れているわね。女遊びはきっぱりやめたのではないの?」

 瞬間的に怒りが湧く。何故わざわざ余計なことを言うのだ。


「……離せ」

「怖い怖い」女がいやらしく笑う。「あら、ごめんなさい。この小娘が本命だったかしら」

「違います」傍らでエレナがキッパリと言った。「雇われ人で、ただ今仕事中です、奥様」


 女が眉を吊り上げる。

「失礼な使用人ね。私は奥様なんかじゃないわ」

「申し訳ありません。妙齢でしたので、てっきり」

 女の眉がますます吊り上がる。だけれどプイと顔を背けると、俺を見上げた。

「ねえ、また戦に行くのでしょう? その前に遊びにいらっしゃいよ。淋しいわ」

「行かないし、離せと言っている」


 女は手を離した。そして

「バカッ! 帰ってくるな! 人でなし!」

 罵詈雑言を叫びながら、去って行く。


 再び歩き始めるが、心臓がバクバクいっている。エレナはどう思っただろう。彼女が現れてからは、据え膳に手を出すのはやめている。かといって以前のことをなかったことには出来ないから、従卒たちからある程度は聞いているに違いない。


「……涙ぐんでいましたよ、彼女」

 エレナはへの字口をしながら、女が去ったほうを見ていた。

「私も失礼なことを言ってすみませんでした。けれどアルトゥーロ様も、恋人だったならもう少し優しい物言いをしてあげても良いのではありませんか」


 恋人じゃない、と言おうとしてやめた。余計に悪い印象だろう。


「好きな人に振り向いてもらえないって、辛いのですよ」


 心臓がミシリと音をたてた気がした。

 エレナはまだ遠くを見ている。


「……お前、好きな男がいるのか?」

「ノーコメントです」


 いない、ではないならば、いる、ということではないのか。

 リーノ、マウロ、クレトと顔が浮かぶ。それともロドルフォか、ダニエレが恋しくなったか、他の従卒か、いや騎士か。うちの騎士に、彼女好みの、清廉潔白な騎士なんていただろうか。まさかビアッジョか。


 ふ、と。俺、という考えが頭をよぎった。

 前回の人生で彼女は俺を好きになってくれた。それはいつからだったのだろう。リーノがボニファツィオの断罪がどうのと話していたから、その時点ではということになる。あれは一月だった。


 それなら今回は?

 だが彼女にそんなそぶりがあるか? いや、ない。

 いやいや、前回も全くなかった。むしろリーノと上手くいっているのだと思っていた。


 ……だが、そんな都合の良い話があるはずがない。相手が俺ならば、わざわざノーコメントなんて言わないだろう。

 そうだ、振り向いてもらえないと言うのなら、リーノや俺は違う。他に本命がいるマウロかもしれない。






 そうか。

 エレナには、好きな男がいるのか。


 ぎゅっと掌を握りこむ。


 ベルヴェデーレが消えてくれて良かった。

 今はあの悪魔を頼りたい。



 黙々と歩いていたら、いつの間にか昔住んでいた地区に入っていた。

 かつて親父が働いていた鍛治工房が近いなと考え、懐の中のなまくらを思い出した。


 昨晩、エレナを戦に連れて行くと決めたとき、一瞬この短剣を渡そうと考えた。だがすぐに思いとどまった。


 前回、この短剣を渡した翌日に彼女は死んだ。

 だから怖くなったのだ。


 もしこの短剣を守り刀にしてくれと彼女に渡したら、どうなるだろう。俺はエレナが形見だと言っていた櫛を見て、前回の記憶を取り戻した。それなら親父の形見の剣を見た彼女は、記憶を取り戻したりしないだろうか。


 そう、渡さずに、見せるだけなら、符丁にはならず、危険なことは起きないのではないだろうか。


 記憶さえ取り戻せば、エレナはまた、俺を……


 ……どうだろう。そう単純にいくだろうか。今は別の男が好きなのだ。悩むことになるだけかもしれない。



 それよりも、ここで惚れていると告げたらどうだ。

 好きな男がいる彼女は困って俺の従卒を止め、戦にも行かないとなるのではないだろうか。その方が、彼女の身の安全にはいいだろう。


 ……よし。言おう。


「アルトゥーロ様」

「……何だ?」

 また出鼻をくじかれた。

「もしかしてこの辺りは、アルトゥーロ様の地元なのですか?」

「そうだが、どうしてだ?」


 エレナの視線を追って仰天した。昔出入りしていた肉屋の壁に、俺とコルネリオの顔の絵が描かれていた。しかも戦勝祈願との文字も。スペルは間違いだらけだが。


「おい、親父」

 肉屋に突撃する。

「おや、アルトゥーロ。久しぶりだな。壁を見てくれたか!」

「何だ、あれは!」

「町内で金を出しあって、絵描きに描かせたんだ。凄いだろう。何やら今回は、王妃様を暗殺しようとしたとんでもねえ国を相手にすんだろう?」


 周りの客も、頑張れよとヤジを飛ばす。


「やめてくれ、せめて文字だけにしろ」

「ここいらの奴らにゃ、読めん!」

 そうだった。

「なら、コルネリオだけにしてくれ」

「なんでだよ、男前に描けているだろう? 高かったんだぞ……って、その隣の別嬪は誰だい? 嫁さんか?」

「違う」

「早く嫁さんを貰えよ!」

 客たちが声をあげて笑う。


 しばらく昔の知り合いたちとやり取りをしてから、店を出た。

 肉屋の気持ちはありがたい。

 が、失敗した。この流れでどう、好きだと告げればいいのだ。


「アルトゥーロ様は人気がありますね」

「下町の出世頭だからな」

「そんな方の従卒になれて幸運です」エレナは柔らかな笑みを浮かべた。「私を従卒にして良かったって、絶対に思わせてみせます」


「……精進しろ」


 情けないが、そう返事をするので精一杯だった。




 ◇◇




 結局エレナとの外出は、オリヴィアから頼まれた用事と、個人的な用事をひとつ済ませただけで終わった。


 帰ってからビアッジョに、なんでアクセサリーのひとつでも買ってやらないんだと叱られた。

 思い付かなかったと答えたら、人生を三回ぐらいやり直してこいと怒鳴られた。酷い友人だ。そんなことは出掛ける前に教えてほしい。


 そうして俺はタイミングを逸し勇気も失くし、ただの主のフリを続けた。出兵の準備は着々と進み、クラリーには姉を無事に帰還させないとお前を殺すと脅され、オリヴィアには夫を重々頼むと懇願され、マウロにはまだくっついてないのかと驚かれ、いよいよ来週には都を立つという日に、ゼクスより使者が来た。


 王室の派閥争いは内戦となったが、ノインの支援を受けた王弟があっさり勝利した。そしてオリヴィア暗殺を企んだ国王その他を差し出すから、代わりにゼクスをメッツォの属州とし、王弟を州王にしてほしいとのことだった。


 これに対してコルネリオは、信用しかねるから留保。予定通りに進軍を開始し、ゼクスの様子を見てから判断すると決めた。




 となるとエレナの参戦はなくなるかもしれない。


 そのことに安堵して。俺はますます告白するタイミングが分からなくなった。






ビアッジョ日記⑥



 クレトとヴァレリーが並んで前からやって来るのが見えた。時刻的に、馬に飼い葉をやってきたのだろう。楽しそうに話している。


 クレトに仕事を頼み、ヴァレリーとふたりきりになると世間話を装いつつ探りを入れた。先日のアルトゥーロとの外出はどうだったかについてだ。


 ヴァレリーはやや、口ごもった。

「……久しぶりのスカートは、気分が上がりました。オリヴィア様には感謝しかありません」

 はにかみ顔だ。強気の男勝りだと思っていたが、可愛らしいところもあるらしい。

「それは良かった。あの無愛想な男はちゃんと褒めたか?」

「……いえ」

「本当にダメな男だな! 叱っておこう」

「そんな。褒めどころがなかっただけでしょうから」


 ヴァレリーは表情を翳らせた。うむうむ、これは気にしているぞ。


「そんな筈があるものか。あいつはコミュニケーション力が幼児以下なんだ」

「……」


 ヴァレリーは何か言いたそうな表情をしたものの、言葉にはしなかった。


「そう思うだろう? 騎士としては一人前なのだがな。そうなることに全てを注いでしまったから、女性の扱い方を知らないままあんな歳になってしまった」

「……そうなのですか? だけどモテますよね。外に出ると、いつも昔の恋人さんたちが声をかけてきます」


 昔の恋人!

 ギョッとしてヴァレリーを見る。

 そうだった。あいつにはそんな相手がわんさかいたし、街に出れば女が寄ってくるのを忘れていた。


「出世頭だからな。大半はあいつの気をひきたいだけの女性だよ」


 ということで誤魔化されてくれるだろうか。

 彼女は、そうですか、と頷いたのでほっとする。いったん、別の話題に変えよう。この際以前から気にかかっていたことを訊くか。


「ところで、今更な話だが、何故決闘だったのだ?」

 アルトゥーロやコルネリオ様は、あのヴァレリアナだからと納得しているようだが、私は未だに腑に落ちない。決闘が、というよりは。

「死ぬことは怖くなかったのか?」

 家族を殺され王女の立場を失ったからといって、悲観するような性格ではない。妹の敵討ちをしつつも生き残る策をとると思うのだ。


 果たしてヴァレリーは、しばらくの沈黙ののちに

「半々でした。敵討ちはしたい、死にたくもない、と」

 と答えたのだった。


 彼女は、ふい、と体の向きを変えて歩き始めた。

「敵討ちは絶対に正々堂々したかったので、決闘一択でした」

「そうか」

 隣を歩きながら、首肯する。そこは彼女らしい。

「だけど……実は、他に気がかりなことがあって、どうすべきなのか迷いました」

「気がかりとは?」

「秘密です。こちらにも、戦にも関係ない個人的なことです。それで流民の占い師を頼りました」

「占い師」

「はい。詳しくは打ち明けていません。滅びたフィーアの王女だと知られたくなかったからです。だけれど占い師は、北東に進み信念を貫きなさい、そうすれば全て解決すると言ったのです。その時、北東にはメッツォのこの都がありました。だから決闘を敢行しました。もしかしたら、死なないのではという気持ちもありました。そして実際死ななかった」

「それで気がかりは解決したのかな?」

「いいえ、全く」


 ピタリと彼女は足を止めた。

 また沈黙する。


 だいぶ経ってから彼女は私を見上げた。

「ビアッジョ様」

「何だろう」

「アルトゥーロ様の……」


 彼女は言い掛けて、口をつぐんだ。その視線を追いかけて振り向くと、当のアルトゥーロが仏頂面でこちらにやって来るのが見えた。


「失礼します」

 ヴァレリーはさっと一礼して主の元に駆け寄った。ふたりは何やら話している。そうして従卒は去り、主だけが私の元に来た。


「タイミングが最悪だ」

「ふたりきりで何を話していた」

「これからが佳境だったんだぞ!」

「だから何のだ」

「お前について以外、何の話があるのだ」

 思わずため息が零れる。


「とりあえず、罰を与える。町娘仕様のヴァレリーを褒めなかった。代わりに今日中に告白」

「意味が分からん」

 アルトゥーロは本気にせずにいる。




 だけれどヴァレリーは、この男にについて何を言いかけたのだろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る