15´・1涙《12月》&ビアッジョ日記⑤
オリヴィア暗殺事件の翌々日、ワガーシュ経由でゼクスの王室で何かが起こっているらしいという、中途半端な情報が寄せられた。
王弟をはじめ、複数の王族が投獄されたようだという。
その名をオルランドに話してみると、全員が親ノイン派であることが分かった。ノイン王族が嫁いでいる人物もいるという。ということは、もしかすれば彼らはオリヴィア暗殺に反対したグループかもしれない。
だが親ノイン派を逮捕などすれば、ゼクスが考えていたノインの協力は得られない。表沙汰になっていないだけで、暗殺賛成派と反対派が武力衝突し、そのような事態になったというのが一番有力な見方だろう。
オルランドは、
「ノインは平和を愛する国ですが、オリヴィアの件、親ノイン派の件に黙っているような国でもありません」
と爽やかに言って、帰国の途についた。
本来ならばゼクスを通過するのが最短距離なのだが、迂回するとのことだった。コルネリオは旅路の安全について丁寧に祈り、一行を見送ったのだった。
さてワガーシュだが、元愛人アダルジーザの凶行に心底驚愕していた。今回は処刑と聞いても待ったをかけず、ただ一言、美女に生まれたのが悪かったのだろうなとだけ呟いた。
処刑の翌日になってアダルジーザの働いていた娼館から、彼女の脱走の連絡が入った。今さら遅すぎるわとワガーシュはぼやきながらも、その娼婦ならば広場前に晒されているのがそうだと、教えてやったそうだ。
◇◇
戦に向けて目の回るような忙しい日々が続いた。急な出兵にも関わらず士気は高く、市民までもオリヴィア妃を狙ったゼクスを許すなと意気軒昂だ。
そんな日々の中で国王夫妻のラブラブ度は今までにないほどで、皆、また来年に王子か王女が誕生するなと噂している。しかも王は父親としても絶好調で、まだ四つのセノフォーテに「世界で一番カッコいいととしゃま」と言われて相好を崩している。
オリヴィアの本心としては、夫に戦に行ってほしくないようだ。俺は彼女にそう愚痴られた。だけれど夫の野望も、メッツォ王としての立場も理解しているから、笑顔で見送るとのことだった。
理解ある妻で羨ましい……
という訳ではないが、こちらは難関だ。エレナは当然のように出兵する気満々で、お前は本当に王女だったのかと突っ込みたくなるほどの張り切り様だ。
約束していた街への外出も一向に行けないのだが、俺の仕事が落ち着くまで待つなんて愁傷なことを言って我慢している。
それでも俺は彼女を連れて行く気はない。
俺が前回と同じように殺されるのを恐れているコルネリオは、強行軍で侵攻し、日をかけずにゼクスを征服、三月にはメッツォに戻る計画をたてている。
とはいえ前回通りに俺の危機が三月にあるとは限らない。ボニファツィオとベニートは二ヶ月早く死んだ。とにかく戦中もその前後も気を付けるしかない。
それに俺にとって一番の心配はエレナだ。彼女は戦に連れて行かない。
そう告げるとコルネリオもビアッジョも、離れるのは心配ではないか、連れて行って後方待機させればいいではないかと口を揃えた。
だがあいつがそんなことに、おとなしく従うはずがない。連れて行ったら最後、絶対に参戦する。
だから置いていく。
言われた通り心配ではあるけれど、妹がすぐそばにいるのだから前回のように自ら死を選ぶことはない――と思いたい。
あとは居残り組になる騎士や衛兵に彼女を頼むしかない。
不安だけれど、連れて行くよりはマシだ。
だが俺はまだ、彼女にそのことを言えないでいた。結局、嫌われたくないのだ。それでも今夜こそは、お前は留守番だと告げる。
今日一日の仕事を終えて下がる挨拶をしたエレナを引き留めた。変な緊張感がある。少し迷い、椅子から立ち上がる。そうすれば彼女を見下ろすことになり、座って見上げるよりは、威圧感があるのではないだろうか。
「再来週に迫った出兵だが」
エレナは、はい、と頷く。
「お前は留守番だ」
「……」
じっと大きな目が俺をみつめる。僅かに表情は変わったけれど、怒らない。
これは予想外だ。どうしたのだろうと不安になるが、返事を待つ。
しばらくすると、
「何故でしょうか」
と彼女は尋ねた。
「従卒になってまだ一年も経ってない」
「アルトゥーロ様もそのような状況で伯爵討伐に参加したのではありませんか」
彼女の声音は淡々としている。いつの間に俺の経歴を知ったかは分からないが、この様子はもしかしたら、留守番させられることを想定していたのかもしれない。
「俺は従卒になる前から、それなりに騎士から学んでいた」
「私もです」
「王女のお遊びだ」
さっとエレナの目に怒りが宿った。口がへの字になる。
怒らせたいわけではないのに、失言してしまった。
「平時の従卒としてはよくやっている。だが戦では不安だ」
「従卒に必要なのは、平時に褒められることではありませんよね。戦において主を助け力になる」
「お前には早い」
「私を従卒にしたのはあなた方です。戦に行くなというのなら、何故私に従卒をさせたのですか」
何か答えねばと口を開きかけたとき、エレナの目に涙が浮かびポロリと零れた。
ポロポロと次から次へと頬を伝う。
彼女が泣くのを見るのはプロポーズをしたとき以来だ。胸が締めつけられ、思わず手を伸ばしそうになった。
だが彼女が涙を見せたのは僅かで、すぐに顔を伏せ、聞き取れるぎりぎりの声で失礼しますと言うとさっと身を翻して部屋を出て行ってしまった。
今度はきちんと閉められた扉を見ながら、途方にくれた。
今回の戦にリーノは参加する。カルミネにあいつで大丈夫かとの確認はした。フィーア軍団長の息子である彼は、コルネリオと俺がクラリッサを盾に従卒を勤めるよう命じたのであって、忠誠心なんてものはない。
だからカルミネが不安ならば解雇して、新しい従卒を雇ってよいと告げた。だがカルミネは、あいつを信じてみると答えた。リーノも、
「ゼクスのやり方は汚い」
と一言だけで、行きたくないとは言わなかった。
だから主が戦に出るのに留守番する従卒は、エレナだけだ。まあ、通常ならばいる筈がない。
彼女のことだ、怒るしプライドも傷つくだろうとは考えていたし、もしかしたらマウロの言ったように悲しませてしまうかもと覚悟もしていたが、あんな風に静かに泣かれるとは予想外すぎて、どうしてよいか分からない。
頼りたくてもビアッジョは街の屋敷に帰っているし、コルネリオは妻と憩いの時間だろう。
いや。
俺はどこまで逃げるつもりだ。
拳を握りしめて一歩を踏み出す。
追いかけるのだ。
追いかけて、エレナに惚れていると伝えるのだ。お前が頼りないから連れていかないのではなく、俺が勝手に不安でたまらないだけなのだと、正直に伝えるのだ。
勢いよく扉を開けて、……足を止めた。
燭台の明かりに照らされて、エレナが廊下の隅でうずくまっていた。
俺に気づいて慌てて顔を拭いながら、立ち上がる。
「すみません」鼻声だ。「留守番だと言われるだろうとは思っていたんです」
「……そうなのか?」
「だってアルトゥーロ様は過保護ですから」
過保護。
この前、マウロに様子を探らせていたことが気に入らないのだろうが、あれひとつで過保護と言われるほどだろうか。
「アルトゥーロ様が従卒として連れて行ってくれないなら、いいです」
エレナはキッパリと言った。薄暗いから分からないが、これはきっと強い目をしているに違いない。
「コルネリオ様専属の衛兵として行きますから」
「……な、に?」
空耳だろうか。コルネリオの衛兵と聞こえた気がする。
「コルネリオ様専属の衛兵です。とっくに直談判をして許可は頂いてます」
「……嘘だろう?」
そんなことは奴から一言も聞いていない。だいたい俺が彼女を連れて行きたくないと知っているあいつが、そんなことを許すなんてないだろう。
「嘘じゃありません。アルトゥーロ様が折れることは絶対にないだろうから、陛下が譲歩して下さるとのことです」
本当なのか!
「ふざけるな、あいつ……!」
思わず詰る。
「そんなに私を連れて行きたくありませんか?」
エレナの声にはっとする。悲しげだった。
「お前こそ、そんなにむきになって戦なんかに行ってどうする。妹もリーノも反対するだろう」
「大丈夫、諦めています」
「それは大丈夫じゃない」
思わずため息が零れた。
「ふたりとも私の好きなようにしてよいと言ってくれました」
「諦めて、な」
「諦めてでも、認めてはくれました。強情なのはアルトゥーロ様だけです」
「お前のほうが強情だ」
「私はヴァレリアナです!」突然、彼女が強く叫んだ。「ヴァレリアナはアルトゥーロ様の従卒です! あなただけです、私をあなたの従卒と認めてないのは!」
「……」
呆然と彼女を見る。どうしてそんな風に思われているのか分からない。俺は彼女を従卒として扱ってきたつもりだ。色んな感情を飲み込み押し殺して、主の顔も保ってきた。
「……俺はお前をよくできた従卒だと思っている」
「嘘です! それなら留守番なんてさせません! 私はコルネリオ様の衛兵としてじゃなくアルトゥーロ様の従卒として行きたかった!」
彼女は、ぐいと袖で目を拭った。
「私は従卒にすらなれない」
声が震えている。
俺は、彼女を悲しませたいのではない。
「……分かった。連れて行く」
ただ、死なないでほしい、それだけなのだ。
「だが戦に参加させるかどうかは、その時に決める。これ以上は譲れない。元々、コルネリオも俺も、お前を本物の従卒にするつもりはなかった。すまない」
「……そうだろうと思っていました」静かな声だった。「でも、いいです。その気がなかったあなたが、立派な従卒だと認めざるを得ない従卒になってみせます」
「……」
彼女を従卒にしたのは俺の都合でしかない。それなのに彼女の人生を左右する決意をさせてしまって、良いのだろうか。そんな不安が急に湧き上がった。
「アルトゥーロ様、翻意は許しませんからね。ゼクス遠征、あなたの従卒として参加します。許可を下さり、ありがとうございました」
彼女は一礼すると、お休みなさいと言って踵を返した。
「……」
待て、と言いたいのに声が出ない。
俺はいつもそうだ。
彼女を引き留め本心を吐露したとして、それに返される反応が怖いのだ。
引かれたり失うぐらいなら、主のふりをしていたい。
記憶を取り戻して以来、前回の人生でエレナにダメ出しされたことの大部分は改めた。だが、騎士の品格とやらは無理だ。ダニエレやロドルフォのような生まれながらの気品がある騎士にはなれない。
彼女がロドルフォに向けていた憧れに満ちあふれた顔が、俺に向けられたことはないのだ。
鍛治屋の息子では、きっとダメなのだ。
前回彼女が俺を好きになってくれたきっかけさえ分かれば、もう少し自信が持てるかもしれないが。
彼女の消えた廊下の奥を一瞥し、ひとり部屋に戻ると扉をしめた。
彼女の温もりを感じながら過ごしていた夜が、幻だったような気すらする。
◇◇
ビアッジョ日記⑤
「最近、クラリーとはどうなんだ?」
隣で剣の手入れをするクレトに尋ねると、彼はふにゃりとした笑顔を見せた。そしてふところに手を入れて、何やら引っ張り出した。
「見てください! お守りをもらいました。無事に帰還するように、って」
「お、いいじゃないか」
「でしょう? 友達としてだからね、と十回は言われましたけどね。リーノは貰ってないんですよ」
「……それは、いいんだか、悪いんだか」
「あいつにあげたいって娘がいるらしいです。だから彼女は僕だけって。あ、勿論ヴァレリー以外では、ですけどね」
クレトは嬉しそうだ。
今でこそ、若手従卒の中では一番の出世頭だとか言われて恵まれた男だと思われている彼だが、父親が死んでからの数年は、かなり苦労している。
私も忙しさにかまけて、きちんと様子を見ていなかった。まだ子供のクレトが明日の食費の金勘定をしているのを見たときは、胸がつまったものだ。
だから彼には立派な騎士になってほしいし、幸せにもなってほしい。
「……まあ、彼女は身の上がアレですからね。どうなるかは分かりませんが、アルトゥーロ様がヴァレリーとくっついてくれれば、クラリーも自由がもらえるんじゃないかな、なんて思うんです」
「……さて、どうだろう」
アルトゥーロは全く口説く気がないようにしか見えない。あれでどうやってヴァレリーを手に入れるつもりなのか、不思議だ。
「なのでビアッジョ様はアルトゥーロ様の支援を頑張って下さい」
「……というか、彼がヴァレリーに気があると思っているのか?」
「え、違うのですか!?」
クレトは驚きに目を見開いている。
「彼女が襲われたときの怒りようは尋常じゃなかったですよ」
そうだったのか。私は翌日に報告を受けただけだから、分からなかった。
「あれで気づかないヴァレリーは相当な鈍感だよな、ってマウロと意見が一致してるんです」
「……そうなのか」
アルトゥーロもアルトゥーロだけれど、ヴァレリーも強敵なのか。
これはかなりはっきり、アルトゥーロが告白しなければ進展はないのではないだろうか。
……面倒くさいな。出征のことでもアルトゥーロは拗らせているし。
ここはコルネリオ様の協力も得て、無理やりデートでもさせてみるか。
ふむ。ヴァレリーに娘の格好をさせる口実も考えて。
いいんじゃないか。出征前に、普通のデート。
よし、明日、コルネリオ様に提案してみよう。
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