14´・2ノインの騎士ロドルフォ《11月》
ロドルフォが怪我の件を秘した本意は分からないが、そこに悪意はないと思われる。彼は立派な騎士だ。
彼が王妃を助けたことについて、既に顕彰し褒美を下賜した。その時彼はそれを謙虚に受け、メッツォ王の役に立てた喜びを口にしたのだった。
うちの血気盛んな騎士であれば、この栄誉にきっと溢れる自負と歓喜を隠しきれないだろう。リーノだったら(あいつはまだ従卒だが歳はそれほど変わらない)、ドヤ顔をしてしまうのではないだろうか。
そう思うと、オリヴィアが惚れていた男が尊敬に値する男で良かった。
暫くして、ロドルフォがやって来た。ここは王のプライベート空間だが、彼の腰には剣がある。構わず身につけるようにと、コルネリオが許可したのだ。
彼を迎えるこちらは国王とその腹心である名の通ったふたりの騎士。だが彼は怯むこともなく堂々と、目通りの礼を述べた。
コルネリオは国王の顔をして重々しく頷き、ビアッジョが椅子を勧める。だがロドルフォは首肯しただけで、座らなかった。そして
「私の怪我がなくなったのは、陛下のおかげだと認識しておりますが、間違いないでしょうか」
と言い、床に平伏した。
「他国の一介の騎士であるにも関わらず、助けていただきお礼の言葉もありません」
あの時のロドルフォは、意識が遠ざかりかけていたが、不思議とコルネリオが自分を助けろと叫ぶ声は聞こえたそうだ。
彼はオリヴィアに『逃げろ』と必死に告げていたそうなのだが彼女はそうしてくれず、絶望的になっているとコルネリオの声が耳に入ったという。
ふざけるな、俺より先に襲撃犯を何とかしろ。
彼はそう思ったのだそうだ。朦朧としていたせいで、俺がアダルジーザを倒したことは気づかなかったらしい。だがコルネリオの声で怒りが湧きそちらに目をやった彼は、衛兵の目が赤く光るのと同時に身体が四散するような激しい痛みを感じたという。
しかしそれは僅かな間のことで、痛みはすぐに消え意識ははっきりとし、呼吸も楽になったそうだ。
「そこで直截に尋ねさせていただきます」
再度の勧めにより椅子に座ったロドルフォは、膝に拳を置き身を乗り出した。
「あれは、悪魔でしょうか?」
「そうだ」とコルネリオは正直に答えた。
「やはり」と頷くロドルフォ。「一瞬山羊のような角が見えました」
「角?」
「俺も見た」
「私も」とビアッジョ。
皆が顔を見合せる。コルネリオだけが驚きの表情だ。
「俺は見てない」
「契約者には見えない仕様なのですかね。私はてっきり錯覚かと思っていましたが、これだけ見ているとなると、確かに顕現したのでしょう」
ビアッジョの言葉に頷く。
「俺は蠍のような尻尾も見た」
「私も」とビアッジョ。
ロドルフォは左右に首を振った。
「コルネリオ陛下。悪魔と契約なさっているのですね」とロドルフォ。「願いは三つでしょうか?」
俺たちは息をのんだ。
「実はうちの数代前にいるのです。悪魔と契約した男が。以来、代々言い継がれております。悪魔は代償と引き換えに契約をし、願いを三つ叶える。死後の魂は悪魔のものとなる」
「同じだ」とコルネリオ。
ロドルフォは初めて表情を翳らせた。
「陛下はオリヴィア妃殿下のために、私を助けて下さった、と考えております」
頷くコルネリオ。
「そのような方ならば、他に願ったことがあったとして、そちらも非人道なものではないと考えたい」
「むしろ人道的ですよ。全て他人の命を助ける為ですから」
ビアッジョの言葉にロドルフォが瞬く。
「『全て』?」
頷くビアッジョと俺。
「私ので三つ目でしょうか?」
再び俺たちは頷く。
「そうですか」
ロドルフォは頭を下げた。
「……お前のためではない」とコルネリオ。
ノインの騎士は顔を上げた。
「無礼なことを申し上げることをお許し下さい。妃殿下とは幼馴染です」その声が微かに震えている。「彼女の結婚相手が陛下で良かったと、心から思います」
それは本心からの言葉に聞こえた。
「ならば」かなりの間のあと、ロドルフォは平静な声で続けた。「お教えすべきでしょう。悪魔との契約を破棄する方法を存じております」
「破棄?」
思わず口を挟むと、騎士は頷いた。
「破棄をすれば魂は取られません。それと、悪魔を消滅させられる可能性のある方法も存じています」
コルネリオ、俺、ビアッジョは顔を見合せる。
「ただ」とロドルフォ。「悪魔の名前が分からないと出来ないのですが、逆に言えば、それさえ分かれば契約破棄は簡単です。紙に『契約書』の言葉と、悪魔の名前、陛下のお名前を書き、『この契約は破棄する』と言いながら破るだけです。悪魔の名前を間違えていなければ紙は燃え上がり、破棄は完了です」
「お前、名前を知っているのか?」コルネリオに尋ねる。
「知らん」
「山羊の角と蠍の尻尾は良いヒントになるでしょう」とロドルフォ。「長く生きている悪魔なら、文献などに名前が出ている場合があります。外見上の情報は、有利です。こちらには教会庁もありますから、悪魔退治の部署に資料が豊富にあるはずです」
三人で再び顔を見合せる。教会庁にはワガーシュがいる。
「貸しは作らん!」とコルネリオ。
「ですが、やれることはやったほうが良いでしょう」
「嫌だね、あんな奴に頼むのは。どのみちあいつが自分の益にならないことをやるはずがない」
コルネリオは不機嫌そうに腕を組んだ。
確かにあの父親はそうだろう。
だが。
「なあ、コルネリオ。オリヴィア……妃殿下は、魂を取られることは何も言わなかったか?」
幼馴染は目を反らした。
「俺とて回避できないかと思ったのだ。彼女もそうじゃないのか?」
「……」
「まあ、今すぐ結論を出さなくても構わないでしょう。契約を破棄できることは分かったのです、ひとつ悪魔より有利になった」
ビアッジョの言葉に、コルネリオは素直にそうだな、と頷いた。
「ノインの騎士ロドルフォ、情報を感謝する」
「とんでもございません。助けていただいた恩に比べれば、些細なことです」ロドルフォの顔がやや弛んだ。「……国に妻子がおります。彼女たちを遺して死ぬのだと思ったときの恐怖は、言葉では言い表せません。陛下には心の底より感謝申し上げます」
彼のその言葉も本心に聞こえた。親が急がせた結婚との噂だが、良い夫婦仲なのだろう。
コルネリオはと見ると、こちらも弛んだ顔をしていた。きっとオリヴィアの元想い人の心が別の女にあることに、安堵したのだ。
「最後の願い、使い甲斐があったな」
幼馴染は穏やかに言うと、俺を見て笑みを浮かべた。
「お前の選択は最高だった」
そう声を掛けると
「俺自身が最高だからな」
と自信たっぷりに答えたのだった。
◇◇
その後ロドルフォは、彼の家に伝わる悪魔の消滅方法も説明し、念のために文書にもしておきますと言ってくれた。
ただひとつ彼がつけた条件は、これらの知識があることと、自分の先祖に悪魔付きがいたことを他言しないで欲しいということだけだった。
悪魔の力で成り上がった家系と思われたくないからだそうだ。
お互いに、このことは一切他に漏らさないと約束をして、内密の会合は終わった。
ビアッジョと俺もコルネリオの元を辞し、ビアッジョは二日ぶりの帰宅、俺はひとりで自室に戻った。
この先は急激に忙しくなるだろう。ゼクスに報復をしなければならない。
四月に侵攻予定だったが、前倒しになる。そもそも四月に決めた理由が、俺が死んだ三月は万が一の事態を避けるために平穏に過ごすという、コルネリオの至極個人的な要望によるものなのだ。
だが王妃暗殺未遂なんてことをされて、黙っているわけにはいかない。
「ちゃちゃっとやって、三月までに終わらせよう」とコルネリオ。
「ちゃちゃっと、って、今は十一月ですよ」と苦笑するビアッジョ。
「幸い準備は始めていたし、ルートも検討済み。ひと月あれば出発できるさ」コルネリオは涼しい顔だ。
「そのツケは幹部に回ってくるのだから、全くこの王には手を焼きますな」
ふたりのそんなやり取りを経て、四月侵攻を知っていた幹部に予定前倒しを伝え、兵士に召集を掛けるよう命じた。
なんだかんだでコルネリオの希望どおりに来月には出発できるだろう。幸いゼクスの都に向かう行程には、急峻な山も渡るのに困難な大河もない。
懸念事項は雪ぐらいだ。ゼクスより北方にあるノインで雪が本格的に降り始めるのが十二月。行軍の最中に大雪になるかどうか半々ぐらいの確率だ。
そんなことよりも困るのは……。
自室の扉を開くと、エレナが繕い物をしていた。俺を見てペコリと頭を下げる。
「……何をしている」
「繕い物ですが」
彼女とて一従卒として夜通し城の警備やら、アダルジーザの共犯探しやらに駆けずり廻り、今日もゼクス大使館に向かった俺に付いて来て、他にも諸々の対応をしていた筈だ。
「そんなものは落ち着いたらでいい。休め」
「主人が休んでいないのに、休めません。落ち着くのを待っていたら、着るものがなくなってしまうかもしれませんしね」
思わずため息が零れる。
「俺はそんなにボロしか持っていないのか、この強情が」
エレナは手を止めて俺を見上げた。
「違います。すみません」
ゼクスとの戦に、彼女を連れて行きたくない。だが彼女は確実に納得しないだろう。
「アルトゥーロ様よりは休憩を頂いています。問題ありません」
「お前と俺とではそもそもの体力が違う。いい加減、納得しろ。お前がそうでは俺の心が休まらん」
「……すみません。では、これが終わったら」
「そのままにしておけ。俺は仮眠する」しないけど。「お前も部屋に戻って休め」
エレナは黙って俺を見ている。
何を考えているのか分からない顔だ。
「晩餐前のこんな時間に、アルトゥーロ様は仮眠なんてしませんよね」
「……する」
「お気遣いをありがとうございます。下がりますね。お食事の前に『起こし』に来ます」
「……そうしてくれ」
エレナは手早く卓上を片付け立ち上がった。
「あの、アルトゥーロ様」
珍しく彼女が言い淀み、もじもじとしている。
「どうした」
「その。王妃様からいただいた服、なのですが……」
「ああ」
あれを着て出かけるなら、俺と。
そう言うのだ、俺!
さらりと、他意などなさそうに、主のパワハラにならないように。
「いただいておいて着ないのはいけない、とビアッジョ様に言われまして」
あいつ、いつのまに。この二日、ほとんど一緒に行動していた筈だぞ。
「申し訳ありませんが、着て街に出かける時に、お付き合い下さらないでしょうか」
思わず辺りを見回す。
いや、悪魔はもう地獄に帰ったのだった。
「妹とふたりは危険だからダメだとも言われてまして、となるとリーノはうるさいですし、クレトはクラリーがいいでしょう。マウロも本命に誤解されては困るとのことですから」
「本命? あいつにそんな相手がいるのか?」
「はい。そう言ってました」
現金なもので、ほっとする。マウロがライバルにならないとはっきりするのは、ありがたい。
しかもエレナが誘えるのは、リーノ、マウロ、クレトしかいないらしい。たとえ四番目だとしても……悔しくはあるが、それ以下よりはマシだ。
「分かった。ノイン一行が帰ったらな」
本音は今すぐにでも出掛けたいぐらいだ。だが仕方ない。
「はい、よろしくお願いします」
エレナはペコリと頭を下げて、では、と部屋を出て行った。
閉まる扉を確認し、隣の寝室に移る。彼女が戻ってきたときに、一応備えておくのだ。
寝台に腰掛け、ふと思いついて服の上から内ポケットを押さえた。そこにはエレナの野ばらの櫛が入っている。彼女が俺の従卒になって以来、見つからずに済む方法は他に思い浮かばず、小袋に入れて持ち歩いているのだ。
エレナの櫛、といっても今回の彼女がこれを知っているかは分からない。ダニエレが落とした時、エレナの物をあいつが持っていて落としたのか、彼女にプレゼントする予定の物を落としたのか、俺は知らないからだ。
……こんなものを持っていても、何の益もないのだから、エレナの目に触れる前に捨ててしまえばいいのに、そうできないでいる。
この櫛のおかげで記憶を取り戻したからかもしれない。
記憶を取り戻し、俺はとにかくエレナを死なせたくない一心でこれまでやって来た。どうしても彼女を戦には連れて行きたくない。
それを告げれば、また彼女は怒るだろう。
今度こそ嫌われるだろうか。
それとも正直に、惚れているから置いていくのだと言えば、少しは納得してもらえるだろうか。
◇◇
翌日、たまたまひとりで馬場に向かっているとき、マウロに出会った。
「お前に本命がいたのか」
そう言うと、
「いるわけないじゃないですか。今は一人前の従卒になるので精一杯ですよ」
との答えが帰って来た。
「いやだな、アルトゥーロ様。俺はそんなに鈍くないし、尊敬するあなたに睨まれたくないですからね」
マウロはにこりとする。
「この前の事件でのアルトゥーロ様の様子を見て、気づかない筈がないじゃないですか。ヴァレリーは鈍感の極みですね。デート、頑張って下さい! じゃ」
去りかけたマウロの肩を、思わずガシリと掴んだ。
「痛い痛い!」とマウロ。
「……誰かに話したか」
「話しませんよ。尊敬してますってば」
「……他の従卒たちにも、そう思われているか?」
「いいえ。アルトゥーロ様は普段は表情に出ませんからね」
ほっとため息が出る。
「……ヴァレリーは分かってないから、なんで一人前の従卒として扱ってくれないのかと、悲しいんですよ」
「悲しい? 怒っているのではなくてか?」
「悲しいんですよ。さっさと、くっつくべきですね」
では、と去っていくマウロの背中を見ながら、『悲しい』について考えた。
エレナを悲しませているとは思いもしなかった。
となると、どうやって戦に連れて行かないことを説明したら、傷つけずにすむのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます