12´・1賓客《10月》
オリヴィアの兄がはるばるノインからやって来た。あちらの王族が我が国に来るのは、オリヴィアの輿入れ以来だ。しかもその時は第三王子だったが、今回は王太子である第一王子。メッツォ王とノイン王女との間の第三子誕生を祝い、なおかつ未来の王の見聞を広める、というのが目的らしい。
ちなみに第一子誕生時は王子は別の国に遊学中で、第二子誕生時はメッツォ王が不在だったから、祝いに来なかったそうだ。
第一王子の名はオルランド。コルネリオと同い年。一見、物静かで穏やかな青年なのだが、聡明さと強かさはコルネリオの向こうを張り、武芸にも秀でるらしい。今まで会ったことのある王子の中で一番まともで、最も油断できないと親友は評した。
第一王子一行はなかなか訪れる機会がないからと、ひと月も滞在する予定だ。その期間中は歓迎会やら視察やらの行事が目白押しで、コルネリオは面倒だと愚痴を言いながらも、オリヴィアの兄を丁寧にもてなしている。
俺たち騎士も、ノインの騎士たちと合同練習をしたり宴会をしたりと、普段とは違う日々に活気づいている。
◇◇
「ノインのあの騎士、格好いいよな」
と背後からクレトの声がした。
中庭でノインの騎士や兵士が集まって、訓練をしている。そこに面した廊下を歩いている俺たちは、その様子がよく見えた。
「あ、私も思いました! 立ち居振舞いが素敵ですよね。騎士の品格に溢れています」
答えるのはエレナ。声が弾んでいる。
「騎士団長の息子だそうだ」とクレト。春に叙任されたばかりらしいが、なかなかどうして、風格がある」
「本当!」
隣のビアッジョが俺の顔を見る。口パクで『文句を言え』と煽るので、顔を背けた。
「君たち」とビアッジョは従卒たちを振り返った。「私たちメッツォの双璧を前に、よくそんなことが言えるな」ふざけた調子の声。
「すみません」とクレト。「あんな若いのに、と思ってつい」
「もちろんアルトゥーロ様もビアッジョ様も尊敬しています」とエレナ。
「アルトゥーロなぞ、彼より若いときに叙任を受けたのだぞ。それでも堂々としていて格好良かった」
いや、お前に『もっと胸を張れ、自信を持った態度をとれ』と散々叱られたぞ。
ちらりとビアッジョを見ると、目が笑っていた。
たった十六歳で騎士になった俺は、ビアッジョやベルヴェデーレ(勿論、悪魔でない、人間のベルヴェデーレだ)の手助けで、それらしい体面を保っていたのだ。
「若い頃のアルトゥーロ様を見たかったです」とエレナ。
「若い頃から強かったのでしょう?」クレトも言う。
「そりゃあ、強かった」とビアッジョ。
……まだ若いと思っているのは、俺だけなのだろうか。確かにノインのあの騎士やエレナたちよりは年上だが、ダニエレよりは若い。
話題の騎士に目をやる。どの男かを確認するまでもない。動きが断トツにいいので、すぐに分かる。あれはかなりの腕前だろう。ついでに顔も良いし、仲間の信頼も厚そうだ。
「ヴァレリーはああいう騎士が好みか?」とビアッジョ。「ダニエレと同じようなタイプだな。騎士の手本であるような騎士」
「……騎士としては」とエレナ。
「異性としては?」質問を重ねるビアッジョ。
「特になんとも思いません」
予想外のことに、エレナはキッパリ言いきった。
「ついでにクラリーはどんな男がタイプなのだ?」更に質問をするビアッジョ。
「クラリーですか? 彼女は……」
沈んだ声に振り返ると、エレナは困った顔していた。
「クラリーは、恋愛も結婚もしたくないのですよ。だからタイプの男性も教えてくれない。ビアッジョ様、私のために聞いて下さり、ありがとうございます」クレトがそう言ってニコリとした。「夏前に、はっきりそう言われました」
「ごめんなさい」とエレナ。「あの子は結婚を一度しているから、もう十分だと考えているのです」
「諦めないけどね」とクレト。
「別に、結婚なぞ何度してもいいだろうに」
ビアッジョが呟く。
そういえば以前、酔っぱらいエレナが、酷い結婚だったと憤っていた。
ふ、と彼女が俺を見た。目が合う。
エレナは口を開きかけ――そしてまた閉じた。
一体何を言いかけたのだろう。
コルネリオの執務室に到着すると、待ち構えていた大臣がクレトとエレナに巻き紙を渡しながら、なにやら説明をする。
両国の従卒同士の交流も深めようと、彼らだけの宴会も開くことになったらしい。その席順表と、自己紹介の順番のリストと、注意事項が列挙されたものがクレトに渡された。今回は彼が責任者でエレナが助手だそうだ。
責任者を誰にするかで政治のお偉いさん方はもめたようだ。仕える騎士の地位順にするのか、従卒自身の年齢か、キャリアか、と。
そうして結局コルネリオの腹心たるビアッジョと俺の従卒にと決まった。
エレナなんて敵国の王女だったのに、すっかり信頼されている。御前試合の時の彼女が、あまりに忠犬ぶりを見せたからだ。
主である俺に嬉々として報告をし、試合前後にドヤ顔を決める彼女は忠実な従卒以外の何者でもない、と判断されたようだ。
俺としては、複雑な気分ではある。
そして、心配でもある。
以前、エレナを暴行したふたりが、この状況に大人しくしているだろうか。ひとりは御前試合でエレナに大敗を喫した。さぞやプライドが傷ついただろう。
あの手の輩が、エレナから手を引くとは思えない。
「それでは」
と掛けられた声に我に返る。大臣がビアッジョと俺を見ていた。
「あなた方はそれぞれの従卒の監督をお願いします」
ビアッジョがにこやかに返答する。奴は大臣や有力者にも受けがいい。代々騎士で由緒ある家系であるし、何より人当たりが良い。
一方で俺は、コルネリオの片腕だから仕方なくそれなりの対応をしているという思惑が見え見えの態度をとられている。
今までそれで構わなかったが、エレナを守ることを考えると、もう少し彼らとの関係を改めるべきかもしれない。
エレナ、クレト、大臣とその取り巻きが部屋を出ていくと、コルネリオはひとつしかない椅子を持ってきて、執務机の前に置いて座った。ビアッジョと俺は机の縁に腰かける。
「しかし従卒の宴会まで開くとは、大歓迎ですね」とビアッジョ。
「オリヴィアの従弟が従卒にいるそうだ。それで大臣たちが気にして催すことになった」とコルネリオ。
「従弟? では王族ですか?」
「ああ。父親の弟の息子で十七歳。王族ではあるが一切の特別扱いはしていないから、こちらにも伝えなかったらしい。あちらの侍女たちが話しているのを、たまたまうちの侍女が耳にして発覚」
「なるほど」
「ノインの金鉱は大臣たちにとっても魅力的だからな。良い顔をしておきたいのだろう」
それはコルネリオも同様なのではないか、と思った。ただしそれは第一王子に対してではなく、オリヴィアに対しての良い顔、だ。
ただ、今は別のことが気になる。どうもコルネリオが沈んでいるように見えるのだ。常に生気に溢れている彼がこんな様子を見せるのは、デルフィナの命日だけだ。
「何かあったか?」
そう問いかけると親友は、珍しく口ごもった。その様子を見たビアッジョが腰を上げる。
「私は失礼しましょう」
そう言って扉に向かう。
「……いや、いい。座れ」
では、とビアッジョは戻って来て再び俺の隣に座った。
「たいしたことではない」とコルネリオは言った。
だが口調も表情も普段とは違う。
「少し、気にかかっただけだ」
俺たちは黙って待つ。
しばらくの沈黙のあと、幼馴染はポツリと、
「オリヴィアの恋人が来ている」
そう言って、口を引き結んだ。その顔は、痛みに耐えているかのような表情だった。
「恋人?」と戸惑い勝ちなビアッジョ。「だとしても『元』でしょう?」
「そうだろうがな」
「何を根拠に、そう判断した?」
「オリヴィアの態度。明らかに再会を喜んでいる。向ける顔が違う。声も弾んでいる。会話も親しげだ」
羅列するコルネリオに、ビアッジョと俺はそっと視線を交わした。
「だとしても、それだけで元恋人とは断定できませんよ」
「ベルヴェデーレに探らせた。ノインの侍女や侍従は、ふたりは惹かれあっていたと話したそうだ」
「あいつの話を信じるのか?」
俺の問いかけに、コルネリオは目を反らした。全く、らしくない。
「だとしても過去の話です」とビアッジョ。「オリヴィア妃殿下は、王妃としてもあなたの妻としても、最高の方です」
「分かっている!」コルネリオは苛立たしげに答えた。「だから、ちょっと気にかかっただけだと言っただろうが」
また口を強く引き結んだ幼馴染は、気まずそうに余所を向いた。
「相手は誰だ?」
「……ロドルフォという若い騎士だ。騎士団長の息子で、騎士の手本みたいな男」
ビアッジョと再び顔を見合わせる。先程エレナとクレトが騒いでいた騎士だ。
「……妻がいて、夏に子供が生まれたばかり」とコルネリオ。
「若いのに」ビアッジョが目を見張る。
「オリヴィアとの噂を打ち消すために、父親が急いで結婚させた、とあちらの侍従侍女は思っているようだ」
「コルネリオ」
親友に呼び掛ける。
「面白くないのなら、オリヴィアにそう伝えるべきだ」
ビアッジョが頷く。
「……器が小さくないか。数年ぶりに再会した恋人同士だ」
「お前のそんな弱気は久しぶりに見る」
「それに」と奴は目を伏せた。「俺は他の女に惚れないと約束をした」
俺は立ち上がると、幼馴染の元へ行きその肩に手を乗せた。
「もう九年もお前はひとりだ。デルフィナがお前を赦さなくても、俺は赦す」
デルフィナの死後、彼女の日記が見つかった。何年にもわたるそれには、平民であるコルネリオへの恋心と、メッツォの王女としてのプライドとの間で葛藤する気持ちが切々と書かれていた。
コルネリオはそれを俺に見せ、その後は誰にも読まれないように焼き捨てた。奴は彼女のプライドを守ることを選んだのだ。
こいつは心底彼女を愛していた。
だけどもう、生きてそばで支えてくれる女を愛してもいいのではないだろうか。
◇◇
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