12´・2事件《10月》&ビアッジョ日記④

 コルネリオはオリヴィアに面白くないと伝えないまま、数日が経った。


 一方でビアッジョは当該の騎士ロドルフォとよく話をし、俺も何度か言葉を交わした。感じの良い青年で年のわりに落ち着きがあり、いずれ大物になるだろう雰囲気だ。正直なところ、オリヴィアと似合いだと思う。


 だがふたりが話している場面も見たが、確かにコルネリオの言うとおりではあるが、周りには必ず侍女や他の騎士、兄などがいて、ふたりきりということはない。

 これを気に掛けるコルネリオは、かなり妻を愛していると言える。


 もういい加減、自分を赦し、幸せになってもらいたい。




 ◇◇



 夜、自室でひとり過ごしていると、ノックの音がした。どうぞと答えると扉が開き、硬い表情をしたマウロと、口をへの字にしたエレナが入ってきた。


 何かあった、と悟る。

 途端に心臓がキュっと縮こまった。

 実はエレナには内密で、マウロに彼女の様子を見るよう頼んでいたのだ。リーノやクレトと共にいるときはいいが、そうでないときは、できるだけ目を離さないでほしい、と。


「何かあったか」

 と問えばマウロは大きく頷いた。

「危うく殺人事件になるところでした」

「大袈裟!」とエレナ。


「どういうことだ」

 そう尋ねるとふたりはビクリとした。エレナは小さな声で、すみませんと言って目を伏せた。


「食堂で彼女とクレト、料理長たちで従卒用宴会の打ち合わせをしていたんです」とマウロが説明をする。「俺は入れませんから、話が聞こえない程度距離をとった廊下で待っていました」

「それはご苦労だった」


 マウロは頭を左右に振った。

「判断ミスです。彼女もクレトも料理長と一緒に使用人用の出入口から帰ってしまって、見失ってしまったんです」


 それは俺のミスだ。クレトにはマウロに頼んだことを伝えていないし、エレナの身辺に気を配れとも話していない。彼は城住まいでないから、基本的には夕刻にビアッジョと共に街に帰る。何かあるなら夜だろうからクレトは戦力外だと考えて、何も告げなかったのだ。

 彼にも頼んでおけば、使用人口は使わなかっただろう。


「慌てて後を追って、そうしたらたまたま物陰で剣を振り上げている人影に気づき……」

「剣!? 彼女を殺すつもりだったのか!」

「いえ、鞘に入っていました。ただその時は分からなかったので、咄嗟に『敵兵!』と叫んで剣を抜いて突撃してしまいました。被害状況は、彼女と私は怪我なし、相手はふたりいて、ひとり肩に裂傷、もうひとりは打撲」


 マウロの目が一瞬弱気になった。

「すみません、なるべく隠密にとのことでしたのに、叫んでしまったのでクレトと衛兵ふたりが駆けつけてしまいました。すぐに従卒仲間だと分かったので、彼らにはアルトゥーロ様の指示があるまで内密にしてほしいと頼んで、ふたりを見張ってもらっています」

「その判断でいい」


 マウロがはい、と頷く。

 エレナを見る。


「いつぞやの奴らか」

「……はい」

「武器で殴ろうとしたのなら、さすがに見過ごせない」

「……はい」

 エレナは目を伏せたまま素直に返事をするが、口はへの字のままだ。


「アルトゥーロ様」と強ばった表情のマウロ。「奴ら、ひとが入るような大きさのずだ袋を持っていました」

 それは……。

 エレナを連れ去り、ひとけの無いところでもっと暴行を加えるつもりだったということだ。怒りと恐怖が再び湧いてくる。

 エレナはことの危険さを分かっているのかどうか、俺とは目を合わさないままだ。


「マウロ。未遂に済ませてくれて、助かった。ノインの王子がいる中で事件になっていたら、陛下が恥じをかく」

「とんでもありません。後手に回ったのです」

「だが最悪の事態は避けられた。とりあえず犯人の元へ行く」


 立ち上がり、もう一度エレナを見る。やはり口が強く引き結ばれている。

 何がそんなに不満なのだろう。


 とにもかくにも、彼女に何もなくて良かった。

 背中を流れる冷や汗を感じながら、マウロに頼んでおいて正解だったと心の底から思ったのだった。




 ◇◇



 それから慌ただしくことは進んだ。

 ふたりの従卒は殺人未遂として即刻逮捕投獄。証拠は遺体をいれるための袋を所持していたこと。


 従卒を雇っていた騎士は、俺とエレナに平身低頭で監督不行き届きを陳謝。従卒たちの凶行は寝耳に水のようだった。明日にはコルネリオから罰が下されるだろう。


 ちなみにマウロは、戻りが遅いエレナを心配して迎えに来て、偶然暴行現場に出くわした、ということにした。

 彼にはたっぷりと褒美をやるつもりだ。また彼の主である騎士にもだ。


 マウロの主、コルネリオへの報告は明日にすることにして、一通りの対処を終えるとかなり夜深い時間となっていた。


 ずっと言葉少なく控えていたエレナは、全てが終わったあとも俺について、私室へやって来た。下がって良いと指示したにも関わらず。

 余程、伝えたい不満があるらしい。


 俺が椅子に座るとエレナはそばに立った。口は変わらずへの字、だが目は伏せたまま。

 よく考えると、こういうケースは初めてだ。エレナは意見があるときはいつも強い目で俺を見る。


「言いたいことは、はっきり言え」

 水を向けると彼女は俺を見た。なんだか複雑な表情をしている。


「……何故マウロが廊下で待っていたのですか? 何故アルトゥーロ様に報告なのですか? 彼に私の監視を頼んでいたのですね」

「そうだ。お前を暴行した奴らが、大臣から仕事を依頼されたことを僻んで、また何かすると予測できた」

「だからと言って!」強い口調。「なぜこっそりマウロに頼むのです! 私に注意を促せば十分でしょう!」


 エレナの不機嫌はマウロに助けられたことかと思っていた。

 相手は物陰で彼女を待ち伏せしており、マウロがいなければ確実に殴打されていた。


 その自分の隙に苛立っているのだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。俺がマウロに依頼していたことが、彼女のプライドを傷つけたようだ。


「お前に忠告するだけじゃ、危険を避けられない」

 エレナの顔が歪む。

「そんなに私は信頼がありませんか」

「ない。お前は意気込みが空回りする。他人に助けを求めるのも嫌いだ。ひとりで対処しようとして、最悪の結果を招くだろう」


 脳裏にクレトの腕の中で血塗れになっていたエレナの姿がよみがえる。二度とあんなのは、御免だ。


「……アルトゥーロ様が心配して下さることには感謝します。だけれど納得できません。騎士見習いなのに他の騎士見習いに守られるなんて、情けない」


 久々に見る、エレナの強い目だ。

 悔しさか怒りか両方なのか、強い感情が宿された目だ。俺はその目が好きだが、今回ばかりは苛立った。


「たかだか半年従卒をしただけで、何を傲慢なことを言っている。一人前にでもなったつもりか。騎士に大切なのは試合で勝つことじゃない。戦で相手を倒し、尚且つ自分が生き残こることだ。お前は前回も今回も負けている。クレトがいなければ今頃、死体だったかもしれないのだぞ。冷静な判断もできないお前なぞ、従卒失格だ」


 思わず詰るように叱ると、エレナはますます顔を歪めて唇をかんだ。


 コルネリオが彼女に処刑か従卒かを選ばせたことを考えると、従卒失格なんて言い種はおかしい。今回のエレナは望んでなったわけではないのだから。


 だけれど彼女はこの先どうするのだろう。


 前回の人生同様に、いや、それ以上に完璧に仕事をこなし、プライドを持ってやっている。このまま騎士になりたいとでも考えているのだろうか。


「……アルトゥーロ様は……」

 エレナは言い掛けて口をつぐんだ。

 しばらく待っても続きを言わない。

「俺がなんだ」


 エレナはますます唇をかんだ。


「言いたいことがあるなら……」

「失礼します!」


 突然彼女はそう叫ぶと身を翻して、部屋を飛び出て行った。


 呆気にとられて、閉められなかった扉がゆっくりと動いているのを見つめる。





 エレナに嫌われてしまっただろうか。せっかく良い関係が築けていたのに。

 だけれど俺にとっては彼女のプライドよりも何よりも、死なないでくれることが一番重要なのだ。




 ◇◇




 翌朝、やって来たエレナは愁傷な顔をしていた。

 一通りの身支度が終わり部屋を出るタイミングで、彼女は深く頭を下げた。


「昨晩は申し訳ありませんでした。頭に血が昇っていて、子供のような駄々をこねてしまいました」

「反省したのか」

「はい。自分の未熟さを棚に上げ、あのような言い掛かりをつけてしまい、本当に申し訳ありません」

「……急変だな」

「マウロに叱られました。アルトゥーロ様が正しいと」


 途端、胸に痛みが走る。

 俺の言葉には反発したのに、マウロの言葉は素直に受け入れたのか。


「冷静になってみれば、確かにそうだなと分かりました。たかが従卒の身辺にご配慮下さったのです、感謝すべことでした」



 違う、『たかが』じゃない。俺はお前が……。



 エレナが顔を上げた。

「お引き留めしてすみません。今朝は朝食の前に陛下の元でしたね」

 従卒の顔をしたエレナはそう言って扉を開け、俺が通るのを待った。


 その扉をくぐりながら、コルネリオの元へ行けばベルヴェデーレがいるな、と考えすぐにその悪魔を頭から追い出した。


 今回、嫌われなかっただけ良かったのだ。

 どんなに方法が分からなくても、エレナには悪魔の力なんてなしで、俺を好きになってもらいたい。


 だけれどそれには、どうすれば良いのだろうか。



ビアッジョ日記④



「何を落ち込んでいるんだ?」

 隣でどんよりとした空気を醸し出しているアルトゥーロに尋ねる。彼の表情はいつも仏頂面で、変化に乏しい。だが長年の付き合いから、僅かな雰囲気の差を感じ取れる。

 アルトゥーロ表情読み選手権があれば、私は準優勝できることは間違いない。優勝はもちろん、コルネリオ様。


「まだヴァレリーとギクシャクしているのか?」

 先日ちょっとした騒動があり、彼は愛しのヴァレリーと口論になったらしい。すぐ翌日に彼女のほうが折れた(まあ、それが妥当な内容の口論だ)そうだが、態度がどこかぎこちないという。

 それで彼はすっかり落ち込んでいるのだ。


 一応彼なりに努力はしたようだが、何故彼女の態度がそんなままなのかは分からないという。


 もう、さっさと愛していると言ってしまえと思うのだが、アルトゥーロは自信がない……というかフラれるのが怖くて伝えられないようだ。


 情けない、の一言で片付けたい気もするが、前回の人生とやらでは結婚の約束までしたというから、フラれるショックは通常の失恋の何倍もあるだろう。


「飯に誘ってみたらどうだ」

「ノイン一行がいる間は、仕事以外で城を出ない」

「そうだった」

 万が一の事態に備えてアルトゥーロはそうするようにと、コルネリオ様から頼まれている。

「さりげなくプレゼント……って柄ではないよな、お前は」

「分かりきったことを言うな」

「珍しい酒を貰ったから飲まないかと誘う」

「コルネリオを誘わず彼女に声をかけるのは不自然」

「そうだな」


 お手上げだ。他に何がある?

 クレトだったら、手を握れとアドバイスするのだが。

 ……これではあいつよりもピュア恋だな。


「そうだ、彼女の仕事道具は? 何か買い換え時のものはないのか?」

「……必要なものはもうない」

「その言い方、すでに買ったということか」

「……こうなる前にな」

「貢いでいるな」

「仕事の褒美としてだ」

「言ってやれ、主のお下がりを使う従卒もいるぞと」

「……それはマウロに教えられたそうだ」


 マウロ、と言う声に僅かに苛立ちが見えた。

 全く。あんな若造にまで嫉妬をするなんて、昔のアルトゥーロからは考えられない。


「そうだな、私が彼女と話してみるか。お前が気にしている、何がいけないのか、と」

「止めてくれ、情けない」

「だがそれが一番の解決策だ。お前は顔に出ないからな。ヴァレリーは主が気に病んでいると気づいてないのだろう」

「止めろ」


 思わずため息がこぼれる。

「八方塞がりだぞ!」

「自分で何とかする。情けないところは見せたくない」

「それじゃ彼女の主張と一緒だな」


 アルトゥーロの表情が微妙に変わった。

「強情でプライドが高い見栄っ張り。似た者同士だ」


 友人の肩をポンと叩く。

「お前たちは似合いだよ。助けが必要なときは声をかけろ。このビアッジョ様がすぐさま馳せ参じよう」

「……ノイン一行が帰ったら、食事に呼んでくれ」


 驚いて長い付き合いの友人を見る。そんなことを頼まれるのは、初めてだ。


「喜んで。妻とふたりでアシストするから、頑張ってくれ」

「おい」

「何だ?」

「まさか奥方に話してないだろうな」

「話してはいないさ。だが敏い女だからな、言わずとも察する」

「やはり行かん」

「いやいや、招待する」

「行かん」

「来るんだ」


 そんな低レベルな争いをしていると、クレトとヴァレリーがひょこりと現れた。


「何を喧嘩しているのですか?」とクレト。

「こいつが強情なんだ」

 仏頂面のアルトゥーロを指さすと、何故かヴァレリーが真顔で大きく頷いたものだから、私は思わず吹き出してしまった。


 やはり、お似合いのふたりだと思う。

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