10´・1御前試合《8月》
7月末、オリヴィアが無事に男児を生んだ。彼女が産んだ中では初めての赤毛だった。デルフィナの子を思い起こさせる、赤毛。
だが何も知らないオリヴィアはそのお子を、
「コルネリオ様の赤毛を受け継ぐなんて、強運を持っている子ね」
と喜んだらしい。
赤毛の男児であることに、俺もビアッジョも不安を感じたが、杞憂だったようだ。コルネリオはとても嬉しそうに見えた。彼は初めて、生まれたばかりの子を抱いたのだった。
◇◇
赤子はクレメンテと名付けれ、王子誕生を記念して、御前試合が行われることになった。軍幹部の騎士以外なら誰でも参加でき(ほとんどの幹部が既に殿堂入りとなっているのだ)、トーナメント制。優勝者には金一封が出る。
ということで城住まいの従卒、衛兵はもちろんのこと、一兵卒まで多くのエントリーがあった。あまりの多さに、三日かけての開催となったぐらいだ。
そして今、俺の目の前でエレナが妹とリーノに責められている。
「エントリーはこいつの命令じゃないだって?」
とリーノが俺を指して尋ねる。
「私がやりたくて参加すると言っているでしょう!」と言い返すエレナ。
「やめてちょうだいヴァレリアナ。ケガをしたらどうするの」情けない顔のクラリー。
「ケガが怖くて従卒は出来ないわ!」エレナは鼻息が荒い。
「あなたは王女よ!」とクラリー。「従卒なんて仮の姿なの」
「違う、私は従卒の仕事が好き! 私に合っているもの」
リーノとクラリーは頭を抱えた。
エレナは御前試合の話を聞くとすぐに、嬉々として申し込んだ。だがふたりには話していなかったようだ。明日から試合、という今夜になってふたりは知り、俺に勘弁してくれと懇願しにきた。だが俺が無理やり参加させたわけではないので、懇願されてもどうしようもない。
それよりも、ここは俺の部屋。気軽に他の騎士の従卒や洗濯女が来るところではない。だというのに、この状況だ。
「どんなに言われても、私は出るから。勝ちたい相手がいるの」
エレナは不敵な笑みを浮かべた。
その相手とはもちろん彼女に暴行した奴らだ。大人数のトーナメント制だから、奴らと当たるかは運次第。だからエレナは当たるようにと、一生懸命に神に祈っていた。
「もし落命に繋がるようなケガをしたらどうするの?」クラリーが涙を浮かべる。「私をひとりにするの」
「それは……」エレナ、やや怯む。が。「そんなことにならないわ! 勝つもの」
「その自信はどこから来るんだ!」とリーノ。
「あら、リーノは共に鍛練をしているのだから、私の腕が上がっていることを知っているでしょう?」
「知っているが、城一番でないことも知っている!」
エレナは不満げに口をへの字にした。
「明日、なるかもしれない!」
「ならん! アルトゥーロ、様も頼むから止めさせてくれ。彼女には無理だ」
「そうよ、お願いします」
「止めません!」
三人の目が俺に向けられた。
「お前たち、どこから彼女が参加すると聞いた?」
俺はおもむろにリーノとクラリーに尋ねた。
「マウロだけど」とリーノ。「張り出されたトーナメント表に名前があったって」
「そう、トーナメント表はもう公表されている」
夕方に一度、中庭に掲示されたのだ。
「彼女の参加は皆に知られている。それなのにこれから辞退するのか? そんなことをすれば怖じ気づいたと笑われるだけだぞ」
「それでも止めて」とクラリー。
「そんなのは絶対嫌!」とエレナ。
「ヴァレリアナ」クラリーは悲痛な声を上げる。再び泣き落とし作戦にうって出たようだ。
「嘲笑われるぐらいなら死んだほうがマシ。私にそんな恥辱に耐えろというの?」
「アルトゥーロ、様。何で参加を引き留めてくれなかったんだ」
リーノが恨めしそうな顔をする。
「アルトゥーロ様は関係ないでしょ!」エレナが割って入る。
「だって主だろう。腹立つけど」
俺のほうこそ腹が立つ。ひとの部屋で騒ぐなと言いたい。
「そろそろ諦めて出ていけ。この強情が他人の話をきくはずがないだろう」
そう言うと何故かエレナは、ふんっと胸を反らした。
「アルトゥーロ様はよく分かっている!」
リーノは肩をがくりと落とし、クラリーは深いため息をついた。そうして一応、突撃してきたことを詫びて、すごすごと退散していった。
自室に平穏が戻る。
「ご迷惑をおかけしました」とエレナ。
「何故話しておかない」
「うるさく言われると思ったので。リーノは不参加でトーナメント表を見ることはないだろうから、知られることはないと考えたのですが、見通しが甘かったようです」
エレナは途中になっていた武具の手入れを始めた。
「今日はもういい。下がれ」
「何故ですか?」
彼女は心底不思議そうな顔を俺に向けた。
「明日に備えて早く休め」
「私に従卒の仕事を蔑ろにしろ、と言うのですか? もちろん嫌です。通常通りの仕事をして、明日も当然、勝ちます」
「見事なまでの強情っぷりだな」
一体どうしてこんな性格になったのだか。少なくとも父親と兄は、敗色濃厚の軍を見捨てて城に立て籠るような人間だったのに。
「呆れますか?」
「まあな」
「……」
黙々と手を動かすエレナ。
やがてポツリと。
「……ご配慮は嬉しいのです。だけど、嫌なのです。すみません、面倒な性格で」
彼女はそう、謝った。
「昔から、何故女に生まれたんだと言われました。王子だったなら大成しただろう、と」
「王子だったなら、都陥落と共に死んでいたな。いや、お前なら最期まで軍に残って討ち死にか」
エレナが俺を見た。はいと頷く顔が、気のせいか、笑顔に見える。
「……私だって、自分に優勝できるほどの実力があるとは思っていません。それでも奴らには勝ちたいし、優勝を諦めるのは嫌です。かといって試合に備えるため、やるべき仕事を放るなんてことはできないのです」
「構わないがほどほどにしろ。怪我なんてしたら、あいつらは大騒ぎするだろう」
ありがとうございますと言ってエレナは再び仕事に戻った。
彼女は明日、二回戦に進めば、暴行犯のひとりと対戦できるかもしれない。それを楽しみにしているのに違いない。
「自分の従卒が勝ち進むのは、主にとっても誉だ。勝利の数が増えるほど、高価な褒美をやろう」
「でしたら裁縫道具をいただきたいです」
「仕事道具じゃないか。そんなものいつでも買ってやる」
「ですけど欲しいものなんてありませんし……。誉と言っていただけるだけで十分です」
「そうか」
「はい」
「……」
ビアッジョに、今回の褒美との名目でプレゼントを贈るといいと助言された。欲しいものを買いに共に街に出る口実になるし、彼女の趣味も分かるから、と。
だがあっさり、失敗だ。
「あ、でも」とエレナが声を上げた「最近従卒の間で話題のご飯屋さんがあるのです。連れて行ってもらえたら、嬉しいです」
「分かった」
「二回戦に勝ったら」
「二回戦、な」
「もちろん勝ちますけど」
ふんす、と鼻息が聞こえそうなドヤ顔をひとりでするエレナ。
今俺が、どんなに喜んでいるか気づきもしないだろう。
それにしても前回のエレナに比べて今回のエレナは、よく喋るし表情が豊かだ。俺に負けて従卒になったはずなのに、確実に楽しんでいる。やはり前回は敵だったから、あんな態度だったということだろうか。
常に堅苦しいエレナも良かったが、今回の面白いエレナも良い。
完璧なまでに主と従卒の間柄でしかないが。それでも生きてそばにいてくれるだけでありがたい。
真面目に手入れをするエレナの横顔を盗み見る。
エレナがまた俺を好きになってくれることはあるだろうか。
◇◇
祭りのような賑々しい中、中庭で御前試合が始まった。エレナも暴行犯も無事に一回戦を突破。試合後彼女は誇らしげな顔で俺に報告に来た。
御前試合だから当然、王であるコルネリオが一段高いところに設えられた玉座から観戦しているのだが、その両脇は俺とビアッジョだ。オリヴィアはまだ産後なので、閉会式のみ参加。政治的重鎮やら有力者やらは気兼ねなく出入りできるように、王から離れた場所に観覧席が設けられてある。
その特等席にいる俺は、当然エレナの試合を見ていたし結果も分かっている。だけれどエレナはわざわざ報告に来た。
よくやったと褒めると彼女は首肯して、
「次も必ずや勝ちます」
と宣言をして去って行った。
「まるで忠犬」とコルネリオがニヤニヤする。「騎士と従卒の立派な関係だな」
「本当に」とビアッジョも頷く。「敵の王女だったのに、完全にお前を主として認めているな」
「……だから何だ」
「アルトゥーロの手腕を評価している」と幼馴染。
周りにいる衛兵たちはきっと、王が片腕を褒めていると思っていることだろう。ベルヴェデーレだけが真意を理解して、腹の中で笑っているに違いない。こいつは今でも俺に悪魔の言葉を囁く。
コルネリオがビアッジョにベルヴェデーレの話をしなかったのは、この『悪魔の誘惑』のせいらしい。
長い共存生活からコルネリオが知り得た悪魔のルールによると、契約者は常にひとりだけらしい。つまりコルネリオが生きている限り、他の人間とは契約できない。
それから契約者を殺すことは出来ない。
自分の正体を契約者以外に明かすことも不可。
だけれどコルネリオが打ち明けた相手(つまり俺)に対しては、悪魔であることを秘密にしなくていいようだ。そして恐らく、その人間に対しては甘言で惑わすことが許されている。
そうなると、ビアッジョに真実を伝えれば、悪魔は彼にも悪の言葉をかけて誘惑し始めることになる。だから彼には打ち明けないそうだ。
悪魔は誘惑がうまい。
もしエレナと、主従としても上手くいっていなかったら甘言にのっていたかもしれないと思う。
「それでアルトゥーロ」とビアッジョに呼び掛けられた。「ヴァレリーへの褒美はどうするのだ?」
「二回戦に勝ったら、飯をご馳走してくれと言われた」
「飯?」ビアッジョとコルネリオが声を揃えた。
「滅多に手に入らない高級食材とか?」
「いや、従卒の間で話題になっている飯屋だそうだ」
「つつましいな!」コルネリオが楽しそうに声を上げた。
「いい主従関係になったもんだ」とビアッジョ。
「ま、頑張れよ」ふたりは再び声をそろえた。
そうして夕刻。今日、最後の試合がエレナの第二試合となった。
文官連中は半数が厭きて帰宅、貴族やら有力者はほぼゼロ、野次馬的心境の武官と兵は大量に残っていた。そこにふらりとオリヴィアがやって来て、すかさず立ったビアッジョの席に腰かけた。
俺も立ち上がり国王夫妻から離れ下がる。
と、オリヴィアは
「アルトゥーロ。そんなに下がらなくていいわ。あなたの従卒でしょう?」と俺を振り返って言った。「前で見てあげて」
「そうだぞ」とコルネリオ。「ビアッジョもだ」
俺たちは礼を述べて、夫妻の半歩後ろまで出た。
こちらを見て待っていたエレナと目が合う。彼女は自信満々の顔で頷いた。まるで任せろと言っているかのようだ。
壇上の俺たちの位置取りが落ち着くと、審判が始め!と叫んだ。
エレナは動かず、相手が踏み込んでくる。
「おや。いつもと違うな」
すかさずビアッジョが呟いた。エレナはアグレッシブに攻めまくるのが好きだ。それが今回は受けの姿勢だ。相手は彼女が怖じ気づいているとでも考えているのだろう。調子にのっており、そのせいか隙がある。
エレナはそこを的確に突いた。
「冷静だな」とコルネリオ。「前はこんな戦法はとらなかった」
その通りだ。前回も指導はしたが、身に付かなかった。性格的な問題だと思っていたが、今になってみると単に俺を信用していなかったから、この戦い方にも信が置けなかったのかもしれない。
今回も指導はしたが、実践しているのは初めて見た。試合開始前のドヤ顔は、この戦法への自信だったに違いない。
そうしてエレナは完全勝利した。相手は剣を落とし地面に膝をつき、その首に剣を振り下ろされるという無様な姿を晒したのだった。
「勝者、ヴァレリー!」
との宣言に彼女は輝かんばかりの笑顔を浮かべ、俺を見た。どうだ、やってやったと叫びそうな顔だった。
俺は安堵して、小さく頷いた。
◇◇
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