9´・2今回の余波《7月》&ビアッジョ日記③
滞在先に帰る道中も、帰りついてからも、エレナの表情は硬く口数は少なかった。
今回も生き残りのひとりを、アインスの残党と確認後に処刑したから、そのせいがまず考えられる。
それから、もうひとつ。以前の人生で、俺の戦い方は容赦なく心があると思えないと言われた。それを今回も実感したのだろう。しかも今回は俺への評価か良かったから、余計に衝撃を受けたのかもしれない。
エレナに失望されたのかと思うと、俺は予想以上にショックだった。思わずベルヴェデーレの顔が浮かび、慌てて自分を戒めた。
あの悪魔は思い出したように、俺を誘惑してくる。参っているなんて気づかれたら大変だ。
その晩、エレナは俺の隣で黙々と武具の手入れをしていた。表情は変わらず硬い。
彼女に失望されても、コルネリオ軍と俺のやり方を変える気はない。許容は無理でも理解してもらいたいが、どう話せばそれが可能なのかが分からない。以前はどう話したのだろうと頭を悩ませていると――。
「アルトゥーロ様」
と硬い声で呼び掛けられた。
「……何だ」
エレナは手を止めて俺に顔を向けた。その表情は困惑しているように見えた。
「昼間の襲撃犯は、皆、殺されました。生け捕られた人まで」
「生かす必要性がなかった」
「アインス王家の残党とのことでした」
「そうだな」
「アルトゥーロ様」
エレナはますます戸惑っているように見えた。
「アインス王家の彼らが殺され、フィーア王家の私と妹が見逃された理由はなんなのでしょうか」
思いもよらぬ質問。
てっきり生け捕った男のことを責められると思っていたので、その問に対する答えは出てこなかった。
「……何でだろうな」
とつい、こぼすとエレナは
「アルトゥーロ様もご存じないのですか」
とかえって納得したようだった。
「実はクラリッサが、コルネリオ王の大切にしていた方に似ているとかもありませんか?」
重ねられた質問に息が止まるかと思った。事実にだいぶ近い。
「どこからそんな発想が出た」
「ふたりであらゆる可能性を考えて、一番ありそうなことがそれだったんです。使用人に身分を落とされはしましたが、他に何かされてはいない。なぜ生かしてくれているのか、皆目見当がつかなすぎて」
エレナの表情は困惑にしか見えず、他の意図はなさそうに見える。
「……コルネリオの気まぐれだろう。俺も分からない」
精一杯気持ちに蓋をして無難に答えると、彼女はまたもあっさりと、そうですかと頷いた。そして再び手を動かし始めたが、
「それから」と彼女は続けた。「あなたが『冷血騎士』と呼ばれる理由が分かりました。本当に容赦がない。狙われたら逃れられないのですね」
「……死にたくないからな」
「……私もです」
「そうか」
そこで話は途切れた。今回は責められないのだろうか。
しばらく様子を伺っていたが、彼女は集中していて口を開く気配はなかった。
腰を上げ、
「コルネリオの元に行く。お前はそれが終わったら、休んでいい」
そう告げ扉へ向かった。
「アルトゥーロ様」
呼び掛けられて振り返ると、エレナも立ち上がっていた。
「本日もご配慮をありがとうございました。主を水汲みに行かせてしまい、申し訳ありません」
彼女はそう言って頭を下げた。
「体調には常に気を付けろ。コルネリオのそばにいれば、今日のようなこともある」
「はい。……ありがとうございます」
気のせいか、エレナがかすかにだが笑みを浮かべているように思えた。
きっと俺の願望が見せる幻だろう。
◇◇
コルネリオの部屋へ行くと、既にビアッジョが来ていて酒宴が始まっていた。
「彼女はどうだ?」とコルネリオ。「ショックを受けているのだろう?」
「それが『どうしてアインスの王族は殺され、自分たち姉妹は見逃されているのか、この違いはなんだ』と聞かれた」
席につきながら答える。
「なるほど。予想外だな」
コルネリオは椅子の背にもたれて腕を組んだ。
「で、なんて返した」
「知らん、と」
ハハッと笑う幼馴染。
ビアッジョはグラスに酒を注いで俺に差し出した。どうも、と受けとる。
「私もそこは気になっています」とビアッジョ。
「それはそうだよな」とコルネリオは頷き、ちらりと俺を見て、再びビアッジョを見た。
「ヴァレリーはアルトゥーロの惚れた女だ」
コルネリオの言葉に、飲みかけの酒がむせる。
「大丈夫か?」と幼馴染。
ビアッジョはなんとも言えない顔をしている。そんな彼に向けて
「まあ、理解しがたいな。あれこれ順番がおかしいと思うだろう?」と話す親友。
「コルネリオ」
「なんだ、ビアッジョに話すのはいやか」
「そうじゃない。突拍子もない話だ」
ビアッジョが俺を見る。
「彼女がアルトゥーロの大事な女なのだろうとは思っていた。決闘を申し込みに現れたときから」
「だと思った」とコルネリオが頷く。「ビアッジョの目を騙せるはずがない。お前は明らかにおかしかった」
「……そうなのか?」
頷くふたり。
「だがどんなに考えても接点が分からない」とビアッジョ。
「分かるはずがない。お前の記憶にないことだ」とコルネリオ。「この人生は二度目。お前にとっても、俺、アルトゥーロ、全ての人間にとってもな」
ビアッジョの目がすっと細くなった。奴が本気で思考しているときの癖だ。言葉の意味を真剣に考えているのだ。
「ヴァレリーが俺たちの前に現れるのも二度目」とコルネリオ。「一度目もアルトゥーロの従卒になり、こいつは彼女に惚れた。結婚の約束もした。だが彼女は仕事中に殺され、翌日にアルトゥーロもトビアに殺された」
「アルトゥーロがトビア風情に?」
「そう。お前は号泣してた」
「私が?」とビアッジョ。「まさか」
「大号泣だったぞ」
「だとしたら、アルトゥーロが戦場以外で死ぬなんて思っていないからですよ」ビアッジョが珍しく照れた顔をする。
「俺もそう思っていた。それが次の三月のことだ」
「次?」
「そうだ」とビアッジョ。「その後、何故か時間が巻き戻った。俺とアルトゥーロには前の記憶がある。他の人間にはない」
「どうしてです?」
「分からん」
コルネリオは表情を変えることなく、嘘をついた。
ということは、ベルヴェデーレについては打ち明けないらしい。
「原因も理由も分からないがアルトゥーロが死んだあと、目が覚めるとフィーアの都に攻めこむ日に戻っていた」
「攻めこむ日……」とビアッジョは呟いて、じっと一点を見つめた。
長い時間のあと、彼は俺を見た。
「あのアルトゥーロが騎士をひとり、殺さなかった。天変地異の前触れかと思った」
「それほどではないだろう」
「それほどだね」とコルネリオが俺の言葉に答える。
「あの騎士はヴァレリーの恋人という話だったな」ビアッジョが続ける。「……そうか」
「納得したか?」
ビアッジョは頷いた。
「時間が巻き戻るなんて信じられません。だけれどそれが事実なら、ずっと感じていた違和感の説明がつきます。アルトゥーロがヴァレリーに惚れていたのなら、彼女に初めて会った日の彼がおかしかったのも、最初から特別扱いだったのも、何より女遊びをきっぱり止めたのも、全部、腑に落ちる」
「そうだろうな」とコルネリオ。
「となると」
とビアッジョは目を瞑り、また短い間口を閉ざした。再び目を開いた彼はコルネリオを見た。
「その『一度目』と『今』は、まるっきり同じものですか?」
「同じところと違うところが混在している」
頷くビアッジョ。
「まずは、アルトゥーロが殺されるのを回避しないといけませんね」
「その通り」コルネリオは嬉しそうな笑みを浮かべた。「だがあの時こいつは、ヴァレリーを亡くして呆然としていた」
「なるほど。まずは彼女の安全の確保が第一。トビアは?」
「遠ざけたし、今回は恨まれていないから問題ないだろう」
ビアッジョが俺を見た。
「何で恨まれたんだ?」
コルネリオが笑う。
「恋人に手を出した」
「向こうが誘ってきた」
「なるほど。それが今回は据え膳に手を出さず、代わりにボニファツィオが、となったのか。トビアの再雇用先を探していたのは、これ関連か」
「そうだ」
「ようやく繋がった!」
ビアッジョは、すっきりしたと言わんばかりの笑顔を見せた。
「ボニファツィオがゼクスの密偵と分かったのは、前回だ」とコルネリオ。
ビアッジョには既にそれを伝えていたが、判明したのは父親からの情報提供と嘘の説明をしていたのだ。
「今日、アインスの残党が現れたのは奴の手引きだ。ただ前回は全員で対峙できた。今回はそうならなかった」
「同じところと違うところ、ということですね」と参謀ビアッジョは頷く。「ボニファツィオはどうするのですか?」
「前回は冬に断罪の場を用意した。最高のシチュエーションで、士気を高めるために利用したんだがな。今回はまだ決めていない。どのみち、もう少し泳がせる」
「分かりました」とビアッジョ。「当面することは?」
「アルトゥーロの支援」ニヤリとするコルネリオ。「すっかり弱気で、口説くこともできない」
「おい」
「可愛いものですね」とビアッジョもニヤリとした。「私が手解きしてあげましょう」
「ビアッジョ」
「本命が出来たら助けてほしいと言ったぞ。忘れたとは言わせないからな」
よしよし、と言いながらコルネリオはご機嫌な様子で全員のグラスに酒を注いだ。そして、
「我が親友の幸せを祈って!」
そう言って、グラスを高く掲げた。
ビアッジョ日記③
朝食を食べているとアルトゥーロとヴァレリーがやって来た。アルトゥーロは私の隣に座り、ヴァレリーは調理場へ向かう。
「お早う。二日酔いは?」
「なるか、そんなもの。たいして飲んでいない。お前こそ悪酔いしなかったか?」とアルトゥーロ。
悪酔いは昨晩、時間が巻き戻っている話があったことを指しているのだろう。
「いいや、全く」
「そうか」
いつの頃からか、アルトゥーロが変わったと思っていた。その変化には私への態度も含まれていて、気遣いというか優しさというか、そのようなものを言葉でもらうようになったのだ。
恐らくは、それも時間が巻き戻ったことによるものなのだろう。
ヴァレリーが戻ってきて手際よく料理を並べ、パンを盛る。すっかり普通の従卒だ。
アルトゥーロはいつも通りに泰然と構えていて、配膳が終わると彼女を見ずに小さく頷いた。
「……何を見ている」彼が私に尋ねる。
「ん? うむ」
「答えになっていない」
彼はごく時たま、ヴァレリーに対して特別そうな言動をするが、普段はまったくそんな様子はない。一般的にはどう見ても、彼女を好きなようには見えないのだ。
顔を彼に寄せて囁く。
「もう少し彼女に熱視線を向けてみたらどうだ。素っ気なさすぎる」
アルトゥーロが冷たい目を私に向けた。
「ん? 本命ができたら手助けして欲しいと、頼まれた覚えがあるが?」
「本人のそばで言う奴があるか」
「……なるほど」
「それに、そんなことは不可能だ」
「どうしてだ?」
「どうやればいいか分からん」
そう答えてパンに手を伸ばすアルトゥーロ。後ろを振り返ると、壁際でヴァレリーがクレトと親しげに話していた。クレトのほうが余程彼女に好意があるかのように見える。
「これは前途多難だな」
「頑張ってくれ、ビアッジョ」
「何故私が頑張るのだ?」
「昨晩は『手解きをしよう!』とノリノリだったな」
「ふむ。確かに」
「頼んだ」
「頼まれてはやる。だが、まずは腹ごしらえだ」
チーズを口に運ぶ。
これはかなりの強敵のようだ。
アルトゥーロはその無愛想をなんとかしないと進まぬ気がするが、それは無理な話だろう。
「私だったら、熱視線、さりげないボディタッチで距離を縮める、とやるのだが」
そう呟くと、冷血と呼ばれる友人は、小さいけれどキッパリした声音で
「却下」
と一刀両断したのだった。
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