9´・1真夏の視察《7月》&クラリッサ日記③

 前回の人生と同じように、7月にコルネリオ直轄地に視察に行くことになった。オリヴィアの出産予定がその月だから6月に変更しようとしたのだが、国王としての仕事が忙しくて不可能だったのだ。ただ予定日は月末だからそれまでに帰れるようにと、視察は上旬だ。


 コルネリオはまだオリヴィアを可愛がっていて(さすがに何度かは遊んだようだが)、出産のときはそばにいてやりたいだなんて健気なことを言って周囲を仰天させたのだった。


 そして今回もボニファツィオを同行させた。アインスの残党を同じ状況で掃討してしまうのが楽だろうという結論になったからだ。


 視察メンバーは前回と同じ。カルミネは都での留守番組で、当然リーノも同じ。故に俺はあいつに胸ぐらを掴まれそうな勢いで、姫のことを重々頼むと懇願された。危険に近づけるな、何かのときは守れ、女であることを忘れるな、間違いは起こすな、と。


 カルミネが、奴の襟首を掴んで引き摺っり去って行きながら

「姫ではなくて従卒だ!」

 と叱っていたが、リーノは懲りずに俺に向かって

「頼む!」

 と叫んでいた。


 ちなみにクレトも拝み倒されたらしい。もっともクレトからすればエレナは愛しいクラリーの姉だから、はなから全力で守る気でいるそうだ。ビアッジョによると。ついでにクレトはまだ片思い中らしい。


 リーノがそんなことを頼んでまわっていることを一切知らないエレナは、直轄地への旅自体を楽しみにしている。フンフを出てから一年間、各地を巡り歩いていたようで、そのため知らない土地に行くことが好きになったようだ。その地方独自の食事に興味があるらしい。

 遊びに行くのではないぞと言ったら、頬を赤らめてすみませんと謝っていた。俺たちは、すっかり普通の主と従卒のようだ。



 ◇◇



 今回の視察も前回と同じように進んだ。時期はやや早いのに照りつける日射しの強さは同じで、かなり体力を消耗する旅だった。だがエレナは泣き言ひとつ吐かずに、他の従卒と遜色なく働く。前回の教訓から、スタミナがつくものをなるべく食べさせた。


 そうして特に問題もなく、農村地帯に行く日となった。

 視察は何事もなく淡々と進み、前回コルネリオが隠密行動をとったところに到着した。


「よし、ここで小一時間の休憩」

 奴はそう言って馬を降りた。みながそれに習う。

 エレナはと見ると赤い顔をして力なく下馬していた。近寄ると、彼女はきりりとした顔を作り、

「何かありますか」

 と尋ねた。

「水筒は。足りているか?」

 彼女にはあらかじめ二本持たせた。

「……ひとつ空になりました」

「寄越せ」


 エレナは不思議そうな顔をしながらも、それを差し出した。


「倒れられたら迷惑だ。木陰で寝ていろ」

「ですが」

「命令」

「ですが」

「ヴァレリー!!」コルネリオが叫んだ。「主の命令を聞け。アルトゥーロの足を引っ張るな」

「……はい」


 エレナは不服そうに返事をしたが、馬を木に繋ぐと木陰で横になった。その顔にビアッジョがタオルを投げる。

 それを見届けると俺は、再び馬に股がった。


 丘の向こうに向けて馬を進める。と、後ろから蹄の音がして、コルネリオがやって来た。

「甘いなぁ」と奴。「あんまり甘いとアルトゥーロのアキレス腱はエレナだと知られるぞ。気を付けろ」

「……分かっている」

「分かっていながら、その甘さか」

「責めに来たのなら戻れ」


 コルネリオは肩を竦めた。


「そんなに愛しくて仕方ないくせに、どうして手出ししないのか不思議だ」

「俺は俺のペース」

「へたれ」


 エレナに再会した当初は、主と従卒の関係のみで過ごすなんてきっと無理だと思ったし、もしかすればベルヴェデーレの誘惑に負けるのではないかとの不安もあった。


 だけれど杞憂だった。そりゃ彼女と恋人同士に戻りたい気持ちはあるが、比較的落ち着いた気持ちで接することができている。エレナの態度のおかげだろう。明らかに俺たちは良い主従関係で、彼女は俺を嫌っていない。だから、焦らなくても大丈夫との心持ちなのかもしれない。


 むしろ怖いのは今日あるだろう襲撃だ。体力を消耗している彼女がちゃんと乗りきれるのか。ただひたすら、それだけが心配なのだ。


「いけそうな気がするけれどな」とコルネリオ。「前回より確実にお前に好印象を持っているだろう?」

「……いいんだ。お前こそ、ずいぶんお遊びを控えているじゃないか。女どもが俺に泣きついてきている」


 当然というかなんというか、この直轄地にもコルネリオの気に入りの女たちが複数いて、来るたびに楽しい夜を過ごしてきた。

 それが今回はゼロ。

「昔ほど興が乗らない」とコルネリオ。

「ふうん」


 多分、奴は妻を『気に入っている』のではなく『愛しく』思っているのだ。オリヴィアもこの数ヶ月、態度が変わった夫をとても嬉しそうな顔で見ている。子供も含めて四人でいることも多い。


 ただコルネリオ自身、自分の気持ちを理解できていないようだ。なにしろ人生の半分以上の時間をデルフィナを想ってきたのだ。彼女以外の女性に惹かれることがあると思っていないのではないだろうか。


 それから取るに足らない話をしながら小川に着くと、エレナの水筒に水を汲んだ。


「前回はここで少し休み、並木に戻ったところで農民たちが不審者を知らせてきた」とコルネリオが確認する。

「そう」

「ならば一応、休むか」

「戻る」

 コルネリオがはっ、と笑う。

「さっさと告白するなり、ものにするなりしろよ。心配性め」

「……」

「クレトもビアッジョもいる。大丈夫だろうに」

「今はな。襲撃を迎えうつ体力を取り戻してもらわないと不安だ」

「……そうか」


 コルネリオはそばにやって来ると、俺の肩を叩いた。


「大丈夫だ。エレナが死んだのはこの襲撃じゃない。お前も俺もいる。なにひとつ問題はない」

 力強い声だった。

「絶対に大丈夫だ!」


「……分かっている。頭では」

 だがどうしても、あの晩のこととリンクしてしまうのだ。それに前回と全く同じという訳でもない。もし、また俺の目の届かないところで何かがあったら。


「どうしても怖いならばベルヴェデーレに盾となれと命じてやる」とコルネリオ。「だがそんなことをすれば、彼女が特別だとみなに知られる。少なくともボニファツィオが生きている間は、隠したほうがいい」

「分かっている。ベルヴェデーレはいらん」

「今、エレナが死にたい理由はないはずだ。深刻な悩みを抱えてそうにも見えない。お前はさりげなく彼女のそばにいて構わない」

「……すまん」

「冷血の名が泣くぞ。……気持ちは分かるがな」


 コルネリオは再び俺の肩をポンポンと叩いた。

「戻るぞ」


 再び馬に股がろうとして。麓のほうから農民がふたり、駆けてくるのが目に入った。コルネリオと顔を見合せるとお互いに素早く乗馬し、農民の元に急ぐ。


「騎士さま! 怪しい集団が! この先をうろついてます!」

 と息切れしながら農民が言う。どうやら前回と少しタイミングが違う。

「こちらに向かっているか?」とコルネリオ。

「王様を探しているような感じです! わしらには漏らすような輩はいませんが、こっちに来るかどうかは」


 ボニファツィオが今日の巡回地を知らせているのだから、アインスの残党は待ち伏せするか、向かってくるかの二択だ。

 前回は待ち伏せだったけれど、このタイミングの違いはもしかしたら、こちらに向かっているという可能性もある。


 彼らが分かる限りの情報を聞き出してから褒美を渡す。ふたりは、お気をつけて下さいとへこへこ頭を下げながら来た道を戻って行った。


 俺たちも彼らと逆の方向に馬の鼻先を向ける。

「まだ全然、休めていないな」とコルネリオ。「エレナだけではない。クレトと年嵩の衛兵もしんどそうだった」

「どうする」

「動けない奴がいては邪魔だ。置いて行こう。ベルヴェデーレも残して、三人の体力が回復次第、帰らせる。どうせアインスの残党と分かっている。全力で掃討」

「分かった」


 並木に戻るとエレナ、クレト、年嵩の衛兵は木陰で横になっていた。

 ビアッジョと残りの衛兵は車座になり、何やら盛り上がっているようだった。だが俺たちを見たビアッジョがすかさず立ち上がる。こういうときの直感が鋭いのだ。衛兵たちも続く。


「農民からの情報提供があった。この先で不審な集団が俺を探している」

 コルネリオの言葉にその場に緊張が走る。身体を起こしかけていた三人は慌てて立ち上がり、エレナはふらついた。急いで立ちくらみをおこしたに違いない。クレトが支えている。


「そこの三人、お前たちは足手まといだ。しばらくここで休息をとり、体力が回復したら別ルートで帰還」

 エレナが不満そうな表情をして、俺を見た。

「ベルヴェデーレ」

 コルネリオの呼び掛けに、はい、と悪魔が一歩前に出る。

「お前はあいつらにつけ」

「承知致しました」

「俺たちは予定コースを進む。襲撃者の方が人数が多い。生け捕らなくていいから全力で対峙」

「構わないのですか?」とビアッジョ。

「可能そうならばひとり残してもいいが、まずはこちらがひとりも欠けないように対処することが第一だ」

 ビアッジョがわかりましたと頷く。


 川の水を満たした水筒をそばの衛兵に渡す。エレナが気づいて小走りにやって来る。


 その時耳に届いた音。背後の丘を振り返る。と、頂上に人の姿。さっきの農民があわてふためいて、来ますと叫びながら駆け降りてくる。


 段々と聞こえてくる蹄の音。

「今回は攻めか」とコルネリオ。「全員騎乗、臨戦態勢。敵は恐らく十名、弓、槍なし。三人は後方に下がれ。ベルヴェデーレはその前。残りは全員突撃」

 ちらりと俺を見た。

 この状況ならば仕方ない。頷いて了承を伝え、エレナを見る。強い目をしている。持ち前の負けず嫌いだ、気持ちに火がついたのだろう。むしろ空回りが心配になってきた。


「大丈夫です!」エレナが俺に向かって叫んだ。「このような所で無駄死にして、主の名を汚したりはしません!」

「頼むぞ、ヴァレリー!」とコルネリオ。「お前は洗濯女への切り札だからな!」


「コルネリオ!」

 丘の上に襲撃者たちが現れた。農夫はそれぞれ道をそれて小麦畑の中に駆け込む。


「突撃!」

 王が叫び、先頭をきる。その後ろに俺とビアッジョ。四人の衛兵が続く。


 コルネリオはどんな時でも必ず先頭を行く。だから皆、ついて行く。俺もビアッジョも、他の多くの騎士、衛兵たちも。




 ◇◇




 前回よりも、ほんの少しだけ苦戦した。

 恨みが募りに募ったアインス王家の残党はしぶといのだ。彼らは俺たちより四人多く、しかも後方に行かせたくない。俺は悪魔なぞ信用できない。


 結果、俺とコルネリオは必要以上に殺しまくってしまった。おかげで今回は仲間に怪我人すら出なかった。優等生のビアッジョは前回と同じようにひとりを生け捕りにした。さすが、俺たちの参謀兼馭者なだけある。


 エレナはというと。ベルヴェデーレの後方で、大きな目を皿のようにして俺を見ていた。



クラリッサ日記③



 はあぁっ

 と、隣に座ったレナートが深いため息をつく。これで何度目なのか、分からない。


 ヴァレリアナがアルトゥーロ付きの従卒として、コルネリオ王の地方視察に同行して三日目。彼女が帰ってくるのはまだまだ先なのに、これでは先が思いやられる。

 私だって仕事があるのに。今は休憩中だけど。日陰とはいえ、真夏の庭は暑い。それを幼馴染のために我慢して付き合う私は偉い。


「大丈夫かな、ヴァレリアナ」

 レナートは息も絶え絶え、末期のような様相だ。そのセリフも何度目なのだろう。

「なるようにしかならないわよ」

「クラリーはどうして平気なんだ!」

「だってヴァレリアナですもの。ひとりで旅に出ると言い出したときよりは、心配してないわ」

「だけど!」


 レナートが勢いこみすぎて唾を飛ばしている。汚いなあ。


「あのときは兄貴がいた。今回はいない」

「人数は比べ物にならないわ。ひとり対大人数」

「だけど全員敵!」

「……そうだけど」


 確かにそうなのだけど。ヴァレリアナは全く不安がっていなかった。むしろ旅に出られることに心踊らせていた。多分、アルトゥーロやコルネリオ王たちを信頼しているのだ。

 なんで父や兄を殺した相手をそう思えるのか不思議だ……と言いたいところだけれど、最近、さすがに分かってきた。


 ここの人間たちは、私たちの敵だった。だけど私たちと変わらない人間で、みな家族も友人もいる普通の人たちだ。けっして悪鬼ではない。

 面倒見のよい先輩メイドとか、頻繁に手伝ってくれるクレトとかを、敵として見ることはできない。


「……自分だって、従卒仲間と楽しく過ごしているのでしょう?」

 そう言うと、レナートが力を抜くのが分かった。


「……だけど、敵だ。どこかで落とし穴が待ち構えているかもしれない」

「……」

「離れていたら、ヴァレリアナを助けることも出来ない」

「そばにいたからといって、助けられるとも限らない。でしょう?」


 レナートは目を伏せた。彼は一度兄を見捨てて逃げた。そうするしかなかったとはいえ、かなり深い傷となっているようだ。どうしてなのか、ダニエレが生きて逃げてきてくれたから良かったけれど、そうでなかったら恐らく一生の負い目となっただろう。


「ヴァレリアナを信じて待ちましょう」

 これも何度、口にしたことか。

「……待つのは辛い」

「レナートはそろそろ彼女を諦めて、他の女の子に目を向けるべきよ」


 すると幼馴染は私にきつい目を向けた。

「兄貴がフラれて、ようやく俺にチャンスが回って来たんだ」

「本当にそう思っているのかしら?」


 姉が何故恋人に別れを告げたのか、誰も分からない。どうしても教えてくれないのだ。


「最近、ヴァレリアナは本気で騎士になりたいのではないかと思うの」

 それほど従卒の仕事に打ち込んでいる。


 だがレナートは不機嫌な顔をして何も答えなかった。

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