8´・1アルトゥーロの作戦《5月》
ある晩コルネリオと散々飲んで自室に帰ると、エレナが黙々と繕い物をしていた。その姿を見て、前回の人生で彼女がボニファツィオからもらった酒を飲んで倒れた時も、始まりは繕い物だったと思い出した。
今回まだ俺は彼女が酒に弱いと知る機会がないので、当然禁酒令も出していない。
さてどうするか、と考えながら壁にもたれて彼女をぼんやりと見る。
というか、どうしてそんなに繕い物が上手いのだろう。普通の王女ならば教養の一環として習わされるかもしれない。だけれど彼女は騎士の素養も身に付けている。
「どうぞお休み下さい。これが終わったら失礼しますから」
エレナが言う。
「何故繕い物ができる?」
「教養として習いました」
「騎士の訓練も受けたのに?」
「それを受けるために、王女として学ばなければならないことは完璧に習得しました」
きりりとした目が俺を見る。
さすが強情な負けず嫌いだ。
「まさか役に立つ日が来るとは思いませんでした」
やや和らいだ声音。
「繕い物は城の下働きに頼める」と一応言ってみる。
「はい。ですが彼女たちも仕事が多く、頼んでも日数がかかります。私がやった方が早いのです」
確か、前回もそのような返答だったはずだ。少しの間考え、
「遅くて構わないから、やらなくていい。自分の時間も必要だろう」と言った。
今回は妹がそばにいる。
エレナは手を止めてじっと俺を見た。それから、ありがとうございますと硬い表情で言った。
「だけど私のプライドが許しません。私が仕える以上、主のものは常に最高の状態にしておきたい」
「面倒な女だな」
「だけど私を従卒にしたのは、あなた方です」
前回の彼女が
「ならば繕い物を部屋から持ち出していい。どこでやろうと構わない」
「はい。ご配慮をありがとうございます」
「……遅くまで部屋にいられたら迷惑だ」
ああ。どうしてこう、余計なことを言ってしまうのだろう。ここにいてくれるほうが断然嬉しいのに、エレナに感謝されるとむず痒くなりついつい悪印象だろう態度をとってしまう。彼女に好かれたいという下心があるのが、後ろめたいからだろうか。
「これはもう少しで終わりますから、こちらで仕上げてしまってもいいですか?」
エレナの問いに頷き、再び手を動かし始めた彼女を見る。
段々と前回のこの日のことを思い出してきた。確か俺が彼女に、お前など信用できないと文句をつけ、対して彼女も強気で言い返した。
最初はあんなに彼女を警戒していたのに、どうして俺は惚れてしまったのだろう。
だが、深く考えなくても今なら分かる。
強情で負けず嫌い、俺を嫌いでも仕事を完璧にこなす矜持に惹かれたのだ。
たかが繕い物に真摯な顔をして、サクサク針を進めるエレナは美しい。
しばらくすると終わったようで、彼女は繕っていた服をきれいに畳み、針と糸を片付けた。その様子を見ていて気づく。彼女は所持品を全て処分したはずだ。
「この裁縫道具はどうした?」
「使用人から借りました」
それなら買ってやろうとの言葉が出かかる。そのセリフは主としてどうなのだ? おかしくないか?
「ところでアルトゥーロ様」
煩悶としているうちに服をしまい戻ってきたエレナ。何故か強気の表情で俺を見ている。
「何だ?」
「小耳に挟んだのですが、とあるふたりの従卒が都中の娼館から出入り禁止になっているそうです。本人たちは理由が分からない」
「余程のことをしたんだな」
「アルトゥーロ様」
「何だ?」
「アルトゥーロ様の差し金ですか?」
その通りだ。とあるふたりはエレナを暴行した奴らだ。この件について『出てくるな』と言われたから、奴らに裏で報復してやった。葬りさってやりたいぐらいだが、いずれエレナが自分の手でやり返したいとのことだったから堪えて、精神的ダメージにとどめる方策をとったのだ。
「何のことだ? そのふたりはお前を殴った奴らなのか?」
うそぶく俺をエレナはじっと見ていたが、
「……いいえ。アルトゥーロ様が噛んでいないのなら、いいのです」
と、信用していなそうな表情で言った。
「その後、奴らはどうしているんだ? まだ何かされているのか?」
「調子に乗って、ひとの見ていないところで足を引っ掻けたりと低俗なマネを――」
「やられっぱなしではないか」
「しようとしてくるので、逆に蹴飛ばしたりとやり返しています」
ふんっと鼻息荒く胸を反り返すエレナ。
「……それならいい」
「はい!」
「ケガをさせるのはいいが、自分は気を付けろ」
「はい」
全く。これで王女だというのだから、不思議すぎる。顔立ちは綺麗なのに、中身はコルネリオ並みにとんでもない。
「アルトゥーロ様。実はお酒をいただいて困っているのですが、もらっていただけますか?」
ふいに掛けられた言葉にはっとした。
「誰からだ?」
「ボニファツィオ様です。昼間、ちょっとお困りの様子だったのでお手伝いをしたのですが、その礼にといただいたのです。私は……あまり飲みませんし、よければ」
どうやら前回とほぼ同じ展開のようだ。
貰おうと答えると、エレナは自室に取りに向かった。
ひとり残った部屋で、先程までエレナが座っていた椅子に腰かける。
エレナは確かに酒に弱い。だが人前で飲まないのには、別の理由がある。前回の人生最後の数日間で分かったことだ。この部屋で二度ほど彼女と酒を飲んだ。
彼女は酔うと人格が変わる。
しかも酔いが醒めても、その間の自分の言動をしっかり覚えているそうだ。それが嫌らしい。だが酒自体は好きなのだ。
しばらくすると酒を手にしたエレナが戻って来た。グラスは持っていない。
「こちらです」と差し出される。
僅かに迷い、寝室にある水差し用のコップを持って来るように告げた。
「今、お飲みになるのですか?」エレナが目を見張る。「既にだいぶ飲まれていますよね」
「通常」
「かなり匂いますけど」
そう言いながらも彼女はグラスを取ってくると、酒を開けた。そのまま注ごうとしたので止めて瓶を受けとる。
グラスにほんの二口程度を入れ、エレナに差し出した。
「多少は飲んでおけ。ボニファツィオへの言い訳用に」
「そうですね」と素直なエレナ。「いただきます」
彼女は恐らく相当度数が高いだろう酒を、くいっと飲んだ。そして。
「あ。美味しい」
◇◇
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