7´・2コルネリオの父《4月》&クラリッサ日記①
「街に出るのはひと月ぶりです」
やや弾んだ声に振り返る。一歩後ろを歩くエレナは、どことなく嬉しそうだ。
この一ヶ月の間、俺が街に用事があってもエレナは留守番をさせていた。そうすればその時間、彼女は休憩できる。
「お気遣いをありがとうございます」
「別に」
「今日の鍛練を休めるようにしてくれたのですよね。昨日の打撲を心配して」
その通りだ。気の強い彼女は普段通りに振る舞っているが、まだ相当痛いようだ。時おり顔をしかめたり、おかしな動きをする。そんな様子で鍛練に出れば、昨日の奴らは確実につけこんでくる。だからわざわざその時間に外出することにした。
「元から仕事がある」
「はい」
街を歩いて思い出した。エレナは視線を集めるのだった。メッツォでは少数派のダークブラウンの髪と瞳。整った顔立ち。服装のおかげで美少年と思われているからいいものの、あまり面白くはない。
「街の様子は分かるか」
「いえ、ほとんど分かりません。都に到着して真っ直ぐに城へ行ったので」
「ならば覚えろ。クレトがいい。あいつならビアッジョが都合をつけてくれる」
はい、との返事。
「妹にはちゃんと言ってやれ。俺の指示だと」
「まさかアルトゥーロ様もご存知なのですか?」
「何を」
「クレトが妹に片思いをしていること」
「知っている。むしろ何故知らないと思っていた」
うぅん、とうなるエレナ。
「リーノが俺に、クレトを妹に近づけるなと凄んできたときもあった」
「えぇっ。それはすみません」
何だろう。仕事と関係はない話が出来ている。しかもエレナの態度は堅くない。
「ちょっと過保護が過ぎるんです。リーノには注意しておきます」
「昨夜の件はバレてないのか?」
「勿論です。知ったら騒動を起こしそうなので、絶対に秘密を守ります。アルトゥーロ様も内密にして下さって、ありがとうございます」
まあ、暴行犯は特定済みだがな、と心の内で呟く。
宴では城の使用人たちが給仕をしているのだが、その責任者は従卒の出入りに目を配ることになっている。城住まい以外の騎士と従卒も出席する宴なので、一応、注意を払っているのだ。
だから責任者に尋ねれば、即答だった。
彼女の手前今回は見逃すが、機会があったら俺が叩きのめしてやる。
「それにしてもアルトゥーロ様は人気なのですね」
俺に話し掛けてくる人数の多さのことだろう。一律にいなしているが、たいていの奴は臆することなく、また次の機会に声をかけてくる。
「気を付けろよ。お前にいい顔をする奴は、九割俺目当てだと思え」
はいと頷くエレナ。
そういえば以前、冷血と呼ばれる俺が自国民に人気があるとは思わなかった、とエレナに言われたことがあった。
「冷血の俺が話し掛けられるのは不思議か?」
「いえ」
いえ? エレナを見ると、不思議そうに俺を見ていた。
「戦場ではどうかは知りませんが、普段は冷血ではありませんよね」
……なんでだ。
前回に比べて格段に俺の印象が良い。ダニエレを殺さなかっただけで、ここまで違うものなのだろうか。
「アルトゥーロ様?」
掛けられた声にはっとする。
ついつい彼女をみつめていたらしい。
「……買いかぶりだ」
そう答えて足を進める。
今日はコルネリオの父親の元へ行く。よくある情報交換だ。
前回の人生同様、今年は戦はせず、国内と征服した地の統治に力を注ぐ。その裏で次の狙いを定めて情報を集める。コルネリオの標的はボニファツィオの母国ゼクスだ。
メッツォの都からはやや遠く、位地的にはゼクスの向こうにオリヴィアの故国ノインがある。
今のところノイン征服の予定はないが、状況により昨年のように二か国連続で遠征するかもしれない。
その辺りの各国の情報を父親に探ってもらっているのだ。
途中から無言で歩き教会庁に到着をすると、俺はエレナに隣の大聖堂を示した。
「お前はあの中で待っていろ。絶対に他に行くな」
「アルトゥーロ様は?」
「俺は教会庁。だが女は入れん」
分かりましたと頷くエレナ。
大嘘だ。建前は女人禁制だが、結構な頻度で女を見かける。
「万が一何かあった時は、俺の名を出していい」
「はい。アルトゥーロ様……」
「何だ」
「……いえ……。では、お待ちしています」
彼女が大聖堂に入るのを見届けてから、教会庁に向かう。前回彼女を初めて連れて行ったのがいつか、正確には覚えていないが、少なくともこの時期ではなかった。
受付に名を告げ、いつも通りに父親の部屋に向かう。前回と同じならば、今日はくだらない愚痴を聞かされるはずだ。
奴の部屋に入ると、コルネリオの父親、ワガーシュはいつも通りに俺に椅子を勧めた。一応息子の幼馴染へ気遣いをする程度の常識はある。他の常識はないが。
必要なやり取りを済ませるといつもなら面会終了なのだが、今日はわざとらしいため息が続いた。
「アダルジーザと手を切ることにした」とワガーシュ。
アダルジーザとはコルネリオ二番目の妻だ。隣国ツヴァイの王女で絶世の美女との誉れが高く、実際にとんでもなく美しい女だったが、同時に高慢で傲岸な女だった。
あちらの国から持ちかけてきた縁談で、そのときコルネリオは既に遠征計画を立てていたのだが、彼らを油断させるために敢えて婚姻を結んだ。
ツヴァイとしては、女好きとの噂のあるコルネリオに美女をあてがっておけば、隣国間の友好が保たれるとの考えだったのだろう。だが実際にはたった三日で奴は妻に愛想を尽かした。そしてツヴァイ征服が終わったら、理由をつけて処刑する予定となった。
それに待ったをかけたのが、息子の嫁に一目惚れしたワガーシュだ。
『殺すなら頂戴よ』『構わんよ』という軽いやり取りを経て、アダルジーザは離婚されてワガーシュの元に送られた。
それから数年。聖職者のはずの男は、四十歳も年下の愛人をそれなりに可愛がってきた。だが近頃は彼女の性格にも、繰り返される浮気にも疲れ果てたとぼやいていた。
「わしの金で放蕩の限りを尽くしながら、若い男を漁ってきた償いをしてもらうわ」とワガーシュ。
前回と同じように事が進むのなら、アダルジーザは初夏に、かつてツヴァイの都だった街の娼館に売られる。
そこがもっとも高値をつけてくれるからだ。
「次は顔だけでなく性格も良い女にするのだ」
お前は聖職者だよなと言ってやりたいがそれを言い出したら、コルネリオの存在の根幹を揺るがす論議になるので黙っている。
「聞いたぞ、アルトゥーロ。新しい従卒はたいそう美しい娘らしいな。会わせてくれ」
全く前回と同じ流れだ。エレナを大聖堂に置いてきてよかった。
「連れて来ていません」
「そうなの?」
「お疑いなら廊下をご確認下さい。どのみち女のくせに従卒をこなせる強い性格です。手を焼きますよ」
「そうか……。だが美人なのだろう?」
「美人なんていくらでもいます」
ワガーシュは、ケチだと文句を言う。このまましばらくかわしていれば、すぐに新しい愛人を迎えてエレナへの興味はなくなるはずだ。
「では、失礼します」
こちらから話しを切り上げ立ち上がる。
「ああ、アルトゥーロ」
「何でしょう」
「コルネリオの妻がまた子を産むというのは本当か?」
「ええ。七月予定です」
「聞いとらん」
「いつものことでしょう」
「大事な駒だ、きちんと知らせろと言っているのに」
憤然とするワガーシュに、コルネリオにとっては駒じゃない、と言ってやろうかと思ったがやめにした。そんなことは彼にとって興味のないことだろう。
慇懃に一礼をして、部屋を出た。
親友の父親だが、どうしても嫌悪感がぬぐえない。気分を変えたくて足早に大聖堂に向かう。エレナの顔を見れば、きっと俺の澱んだ気持ちが浄化されるだろう。
そうして大聖堂に入り、あまたいる人の中からエレナを探す。ダークブラウンの髪は目印になるはずなのだが、なかなか見つからない。
しばらくうろうろとしていたら、参列席の隅でこうべを垂れて祈りを捧げている彼女をみつけた。何をそんなに熱心に祈っているのだろう。先立った家族のためか、ダニエレのためか。
いずれにしろ真摯な横顔は聖母のように美しく、声を掛けるのは阻まれた。
祈りが終わるのを、離れて待つ。
やがて目を開け顔を上げたエレナは、俺に気づいてほんの少しだけ、照れたような笑みを浮かべた。
クラリッサ日記 ①
裏庭の片隅でヴァレリアナと並んでパンをかじる。天気の良い日はこうしてランチを取る。洗濯メイドの先輩たちも、姉の従卒仲間たちも、黙って見逃してくれている。お互いにかつて王女だったことを忘れそうな格好と食事だけど、ふたりで生きていられるだけありがたい。
それに短い間だったけど、鬱々とした結婚生活より百倍マシだ。
私の白く美しかった手は荒れてひび割れが酷い。それでも今のほうが自由でストレスもないから、手荒れも重労働も耐えられる。
どちらかと言えば、従卒をやらされているヴァレリアナのほうが心配だ。彼女は変わり者で幼馴染と共に騎士の素養を学び育った。強情で負けず嫌い、高いプライド。軍団長に、何故男に生まれなかったと言わしめたぐらい、騎士に適したひとだ。
その彼女が、敵である騎士の従卒にさせられてしまった。
私は洗濯メイドだからコルネリオ王や騎士たちと顔を合わせることはなく、だから敵の本拠地にいてもそれなりに穏やかに過ごせている。
だけどヴァレリアナは。精神が参ってしまうのではないかと、心配だ。
彼女が従卒になって一ヶ月。今のところ普通にしているけれど、私の前で無理をしているのではないかと、疑っている。
「ねえ、ヴァレリアナ。本当に大丈夫なの?」
「なにが?」姉は不思議そうな顔をした。
「従卒。辛くない?」
「全然」
「敵だし」
「まあ、ね」
「あの『冷血アルトゥーロ』だし」
「普段はそんなことはない、って話したわよね」
「そうは見えないもの」
「あの仏頂面は通常だってマウロが。あれで結構配慮が細かいし、従卒の主としてはいい人間だと思う」
ヴァレリアナの言葉に嘘はなさそうに見えるけれど、信用できない。確かにクレトもそう話しているけれど、フンフの城に攻め込んで来たとき、容赦なく騎士たちを殺して進む場面を見てしまったのだ。あれは本当に恐ろしかった。
「昨日、街に出たの」
「ええ。リーノから聞いたわ。とても案じていた」
本当、過保護ねと姉は笑う。
「それでひとりでアルトゥーロ様を待つ間、何かあったら自分の名前を出していいと言うのよ。心配してくれるというか……。少なくとも従卒を替えのきく下男としては見ていないの。悪い人じゃない」
「そうかしら。ヴァレリアナが美しいから、いい顔をしているのかもよ。変なことをされていない? 大丈夫?」
「大丈夫よ」姉は笑った。「凄くモテるみたい。何人にも声を掛けられていたもの。女性は間に合っているでしょう」
「まあ、顔立ちは悪くないものね」
目を見張るほどではないけれど、美男の部類には入るだろう。
「それにコルネリオ王の片腕、つまりエリート」
「そうか。ダニエレのポジションということね」
頷く姉。
「だから何の心配もいらないわ」
ヴァレリアナはにこりとした。
「……私たちはどうなるのかしら」
「分からないけれど。今できることを、きちんとすることが大切だと思う」
「そうね」
「そうよ。さあ、午後の仕事もがんばりましょう」
「え? もう食べ終わったの?」
見れば姉のパンは跡形もない。
「早いわ!本物の従卒みたい」
「私、本物よ」
ヴァレリアナの口調は僅かに不満そうだった。
「そうね、ごめんなさい」
彼女はもしかしたらこの調子で、本物の騎士にまでなってしまうのかもしれない。
そんな気がした。
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