7´・1宴の裏《4月》

 エレナが現れてひと月が経った。

 確実に俺の周りが騒がしい。エレナの様子にリーノが常に目を光らせているし、何かと寄ってきては口うるさく姫の扱いについて物申す。近頃ではカルミネが奴を回収に来るまでが、ひとセットになっている。


 それから何故かマウロもよくそばにいる。エレナと仲が良いようだ。彼女は分からないことがあると、彼に教えを乞うているらしい。


 以前そのポジションだったクレトは、控えめにしている。ビアッジョの話では、クラリーに誤解されないように全ての女性から距離を置いているのだそうだ。前回もそうだったのだろうか。


 マウロのほうは下心はないようで、単純に仲間としての態度のようだ。ビアッジョの見立てによると。


 それからダニエレ。あいつはフィーアで我が軍の捕虜となりながらも、逃亡している。以前のコルネリオならば処刑するところだが、あいつは俺を慮り不問に付した。そうしてフィーアへ送った。


 あちらの州都(以前の王都だ)を守る警備の責任者としてだ。何しろあの地は戦の惨敗により、組織の中枢を担える人間が不足している。


 ……というのは建前で、これも俺への配慮。エレナの元恋人なんてものは簡単には帰れない遠い地へ追いやってしまおう、という非常に個人的な理由による。


 ダニエレとの別離にエレナは泣くかと心配したが、彼女はあっさりと見送っていた。どうやらあいつに心残りはないらしい。ダニエレのほうはあからさまに未練たっぷりだったが。


 ということで今のところ、恋敵はリーノだけ。しかもエレナにとっては完全にただの幼馴染のようだ。彼女の俺への態度も堅くないし、前回に比べると、かなりイージーモードだ。が。


 俺と彼女はきっちりとした主と従卒の関係以外の何物でもない。結局こちらからは仕事以外の話はできず、彼女からふられた話題に返事を返すのが関の山。コルネリオからは、お前がそこまでダメ男だとは思わなかったと呆れられている。


 だがそもそも俺は誰が相手だろうと無駄口を叩くことはない。お喋りなコルネリオやビアッジョの聞き役にまわるのがちょうどよいのだ。


 そんな俺にエレナと何を話せというのだ。日常会話すら思い浮かばない。

 せいぜいが、仕事の出来映えや武術を褒めるぐらいだ。

 コルネリオにはそんな風だと他の男にとられるぞと煽られているが、こればかりは仕方ない。




 ◇◇




 毎年四月には恒例の祝宴が催される。招かれるのは騎士のみ。コルネリオが最初に伯爵を討伐したことを記念している。それが彼が王になるきっかけとなったからで、その力となった騎士たちを労うのが目的だ。


 堅苦しいものではなく、豪華な酒に料理に無礼講というやっていることはあまり普段と変わらない宴で、唯一の違いはホストとして都で一番格式の高い娼館の女たちがいること。


 一方で、従卒たちにもささやかな宴が用意されている。場所は騎士用の食堂で、やはり普段では見ることのないような豪勢な酒と料理が出るのだ。




 宴の最中、女の踊る奇妙なダンスを見ていて突如、思い出した。エレナが酒に弱いことを。前回のこの宴はどうしたのだろう。飲まずに過ごしたのだろうか。

 今回はどうせリーノが隣にぴったり付いているのだろうから心配はないとは思うが、気にはなる。


「何を暗い顔をしているのだ」

 コルネリオが聞いてきた。

「生まれつきだと知っているだろう」

「確かに子供のころから醒めた顔をしてはいたがな」


「へえ!」

 という声と共に、カルミネが酒を片手に割り込んできた。

「醒めているアルトゥーロ少年は何して遊んでいたんだ?」

「あっちに行け、酔っぱらい」とコルネリオが蹴る。

 酷いと不貞腐れるカルミネ。


「……カルミネ」

「はいよ」

「リーノは酒はどうだ? 強いか?」

「激弱!」彼はくっくと笑い始めた。「あんなに威勢がいいくせに、酒は一口で真っ赤だ。今夜は飲まされてぶっ倒れているんじゃないか」

「……使えない奴だな」

「だろう?」


 だがエレナがいれば飲まないかもしれないし、マウロもクレトいる。心配することはないはずだ。


 ねえねえアルトゥーロ様、と両脇に座る女たちが体を寄せてくる。カルミネはグラスを彼女たちに差し出して、俺にも酒を注いでくれよ、とケタケタ笑う。


 俺は立ち上がると奴を引っ張り、空いた席に座らせた。

「少し酔いざましをしてくる」

「えぇっ、アルトゥーロが!?」と大仰に驚くカルミネ。


「お前、弱くなったな」とコルネリオは吐息した。「情けない」

「うるさい」

「ま、ゆっくりしてくるといい」

 幼馴染は俺が何を気にしているのか分かっているのだろう、呆れたような顔で手をひらひらさせた。

「どうせなら朝まで帰ってくるな」


 その言葉を無視して広間を出る。

 別に食堂をのぞきに行くわけじゃない。言葉通りに、酔いざましの散歩に出るだけだ。


 ……我ながら情けない気がしてきた。そんな言い訳を自分にするぐらいなら、堂々と食堂をのぞきに行ったほうがいい。ただ従卒たちはみな、主のいない宴を楽しんでいる。そんなところに俺が顔を見せたら、確実に盛り下がるだろう。



 そんな迷いのせいなのか、俺の足は外に向かった。

 せっかくだ、外の空気を吸ってそれからどうするかを考えよう。


 月明かりしかない庭の花壇にすることもなく腰かけていると、どこからか話し声が聞こえてきた。確実に穏当ではない。ケンカだろうか。こんな晩に衛兵か下働きか。


 放っておこうと思ったときに、ドスッという重い音がした。何回か続き、遠ざかる足音が二人分。

 そして静かになった。

 誰かが一方的に殴られたようだし、恐らくそいつは動けずにいる。


 仕方なしに声がした方向に向かう。

 そうだ、そいつを運びついでに食堂に寄ろう。

 そんなことを考えていると、建物の陰の暗がりからうめき声が聞こえた。


「だいじょ……」

 大丈夫か、そう声を掛けかけ、一瞬にして心臓を鷲掴みされたような衝撃が走った。身体を丸めてうずくまっているのはエレナだった。


「おい! しっかりしろ!」

 駆け寄り背中に手を添える。暗くて顔の表情までは見えない。心臓が早鐘のように鳴っている。

「おい!」

「だ……い、じょうぶ、です」

 途切れとぎれの掠れ声だけれど、確かに聞こえたエレナの声に、恐怖がやや収まった。


「……ちょっと……腹痛……休めば……」

「殴られたんだろうが!」

 苦しそうなのに、何故か嘘をつくエレナに怒鳴り、抱き上げた。

「あの!」

「黙っていろ、バカが!」


 幸い血が出るようなケガはなさそうだ。そのことに心の底から安堵する。

 思い切り抱きしめたい衝動に蓋をして、俺の部屋に向かうことにした。


 エレナは黙っていろと言われたせいか、おとなしい。

 月明かりの元に出て、その顔には殴られた形跡がないことに気づく。先ほど腹痛と言っていたし、腹を数発やられたのだろう。今もそこを抑えている。


 ならば犯人には、はらわたが飛び出るほど殴り返してやる。エレナの手当てが終わったら。


 ギリギリと歯ぎしりしそうになるのを堪えて自室に着くと、彼女を寝台にそっと座らせた。

 城には医師薬師もいるが寝ているかもしれないし、彼女を触らせたくもない。部屋には打撲用の塗り薬が常備してあるので(使うのはいつもトビアだった)、それを引っ張り出した。


「服を脱げ。ケガはどこだ」

「嫌です」


 聞こえた声に戸惑い、彼女を見ると睨むように俺を見上げていた。


「脱げ、薬を塗る」

「嫌です」

「何でだ」

「見せたくありません。自分でやります。薬をいただけますか」

「子供か。意地を張ったって、数発殴られているのは分かっている」

「違います。……あなたは女性の体など見慣れているかもしれませんが、私は見せ慣れていません」

「……そうか」


 薬を彼女に渡す。

「隣にいる。終わったら声をかけろ」


 ありがとうございますとの言葉を背中で聞きながら、隣室へ移り扉をしめた。

 もやもやしたものが心の内に広がる。


 彼女にとって俺も他の男たちも同列らしい。


 だが仕方ない。彼女は何も覚えていない。

 いや、覚えがどうのこうのの前に、この今の人生においては、俺が彼女の恋人だったことは一時たりもないのだ。


 頭では分かっていても、悔しさやら歯痒さやら惨めさなどが湧き上がるのは抑えようがない。

 ダニエレにならやらせただろうかなんて、下らぬことまで考えてしまう。



 頭を振って後ろ向きな考えを追い出す。

 今の関係が主と従卒でしかないのならば、主としてきっちり振る舞うしかない。


 ため息をついて椅子に座る。


 だけれどエレナはこの部屋で、俺の求婚に『喜んで』と返事をしたのだ。




 しばらくして、寝室から足音が聞こえた。扉が開きエレナが現れる。

「ご面倒をおかけしました。もう大丈夫です」

「……何発、どこにやられた?」

 彼女は口を開かない。

「主人に報告」

「……腹に三、足に一」

「手加減のある音には聞こえなかった。座れ」


 エレナは不服そうに対面に座り、卓に薬の容器を置いた。


「相手は誰で、原因は何だ」

「相手は秘密です」

「何だと?」

「言いたくないです」

 口をへの字にするエレナ。彼女の強情っぷりに、脱力する。俺はこんなにはらわたが煮えくりかえっていて、相手を二度と立ち上がれないぐらいに仕返ししてやりたいというのに。


「……原因は?」

 エレナはじっと俺を見る。

「原因は?」

「アルトゥーロ様は関わらないでくれると約束をしてくれるなら、話します」

「お前な……」思わずため息がこぼれる。「俺にずっと心配の種を抱えていろというのか」

「……」


 彼女はゆっくりと瞬きをして、それから表情を和らげた。


「……原因は、アルトゥーロ様です」

「俺?」

 意外な答えに驚くが、彼女は頷く。

「コルネリオ王の片腕であるアルトゥーロ様。当然、仕事は多岐にわたり重要なものが多い。ならばあなたに仕える従卒もそれに関わることになる。王との繋がりもできる。野心のある従卒たちにとってあなたは、コルネリオ軍の中で最も仕えたい騎士のようです」

「……なるほど」


 それは考えたこともなかった。俺の周囲の騎士たちは、従卒はたいてい知人からの紹介で採用している。従卒希望者のほうから誰それに仕えたいと願っても、そちらに空きがなければ希望が叶うことはほぼない。


 俺の場合も、トビアもその前の従卒も、紹介での採用だ。時たま『雇ってくれ』と直接来る者もいるが、間に合っているからと断っている。


「それなのに処刑されるべき王族で女の私が、コルネリオ王の気まぐれでアルトゥーロ様の従卒になった。面白くない人たちがいるのです」


 知らなかった。

 少なくとも今日城に呼ばれている騎士はみな、コルネリオ軍の中核を担う人間だ。その従卒ならば、条件はみな同じ。コルネリオにとって重要なのは誰に仕えたかではなく、実力があるかないかだ。


 俺もあいつもそう考えていた。


 トビアもそんな阿呆な考えの従卒にやっかまれていたのだろうか。

 いやそれよりも、前の人生でのエレナはどうだったのだろう。もしかしたら誰にも愚痴らず、ひとりで対処していたのかもしれない。


「認識不足だった」

「アルトゥーロ様が謝ることではありません。とにかく今回のことはそういう訳ですから、どうか何も知らなかったことにして下さい」

「何故だ」

「だって私がアルトゥーロ様の従卒に相応しくないと思われてのことですよ。これであなたが出てきたら、ますます主に泣きつく軟弱な女、従卒失格、と思われてしまいます」

「だが従卒同士の暴力沙汰を見過ごせない」

「そんなものはありませんでした!」


 エレナはまた口をへの字にする。


「なかったって、お前……」

 呆れて二の句が次げない。


「そもそも私のミスです。彼らが私を良く思っていないと分かっていたのに、油断してしまいました」

「……リーノは何をしている」

「酔いつぶれました。マウロとクレトが部屋に運んでくれたのですが――」

「皆がいない隙に誘い出されたのか」

「はい。だから私のミスです。……彼らにも内密に願います」


 睨むように俺を見るその目に、ふと懐かしさを感じた。以前のエレナはよくそんな目をしていた。


「お願いします。これ以上彼らに馬鹿にされたくありません。アルトゥーロ様は出て来ないで下さい」

「なかったことにして、やられたままで終わりにするのか?」

「まさか! 従卒同士の模擬戦や御前試合があると聞いています。その時に絶対、完膚なきまでに叩きのめします! 素手の力は負けますが、得物を使えばいけます!」


 身を乗り出しての力説。


「……お前は本当に負けず嫌いだな」

「いけませんか? 馬鹿にされて黙っているような従卒よりマシだと思いますが?」


 いけなくなんてない。エレナらしすぎる。

 ……正直可愛すぎて、抱き寄せキスをしたい。だが彼女は今、俺の恋人ではない。


「そもそもお前は王女で、なりたくて従卒になったのではないだろう」

「だけれどなったからには、コルネリオ軍一の従卒にならないと気が済みません」


 強い目が俺を見ている。

 なんて強情で誇り高いのだ。


「分かった。だがひとつ約束をしろ」

「なんでしょう」

「無理をするな。命の危険を感じたら、意地を張らずに助けを求めろ」

 これだけは何があっても譲れない。

「……分かりました」

「絶対だぞ」


 俺は二度と、彼女の死なんてものは見たくないのだから。



  ◇◇

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