6´・2エレナの疑問《3月》
この日は比較的オーソドックスな日程だった。午前中は騎士同士の鍛練がメイン。合間に多少の事務仕事。昼食はコルネリオととり、午後は遣いで教会庁へ。だが昨日まで敵方だったエレナは留守番をさせた。
街に出たついでに店を見てまわり、幾つかの買い物を済ませる。
城に戻るとエレナを呼び、厩舎へ向かった。
昨日のうちに馬が扱えるとの確認はしてある。子供の頃から乗馬も剣術も習っていたという。姫なのに何故かと尋ねたら、エレナは真顔で面白そうだったからと答えた。よく周囲が許したなと言うと、許されたことはない、との返事。
彼女は少しだけはにかみを見せて、
「みな、私に根負けしたのです」
と説明した。あまりにエレナらしい。
というか前回はかなり長い間、彼女の真顔しか向けてもらえなかったはずだ。はにかむような可愛い顔を見せてもらえるまで相当な月日を要した気がする。
今回は彼女の恋人の敵ではないゆえの差異なのだろうか。
ボニファツィオが耳打ちしてきたのだが、彼女はリーノと共に、ダニエレの様子をベニートに尋ねたようだ。本当に恋人関係ではなくなったのだとしても、やはり大事な相手であることには変わりないのだろう……。
厩舎に入り、自分の馬の元へ行く。鼻を撫で様子を見ながらエレナを紹介する。問題がなさそうだったので、彼女に世話を任せた。
水・餌やり、寝床の整備、ブラッシングと丁寧に問題なくこなしていく。前回と同じだ。
その様子を確認し、エレナに明日から任せたと言えば、彼女は素直に首肯した。だけれどどこか、何かを言いたそうに見える。
「思うことがあるなら、はっきりと言え」
するとエレナはじっと俺を見た。
「……後にします」
そう言って視線を巡らす。その先には、同じように馬の世話をする従卒たちがいた。
「だけど」とエレナ。「『冷血』との通り名なのに、馬を大事にするのですね。昨晩にマウロから言われました。馬のことだけは、ミスをしないほうがいい、と」
その時、ふと記憶がよみがえった。前回も、同じようなことを言われたことがあった。だがあれは暑い日だった。
……そうだ、コルネリオの直轄地に行く旅の途中だ。何故今回はこんなに早く、この話題が出たのだろう。
既に馬に集中してブラッシングをしているエレナを見ながら、考える。
そうして思い出した。前回はエレナと仕事以外の話をするようになるまでも、何ヵ月もかかったのだ。
表情と雑談の、明らかな違い。
もしかしたら多少は、良い関係を築きやすい状況なのだろうか。
◇◇
その晩。俺の部屋で武具の手入れをしているエレナはだいぶ疲れているように見えた。前回はどうだっただろうかと考えるが思い出せない。恐らく、彼女に興味がなかったから、そもそも見ていなかったのだろう。
全てを終えて片付けて、俺の前に立ったエレナは疲れを隠すかのように背筋を伸ばして毅然としていた。
「ご苦労、下がっていい。と言いたいところだが、昼間に言いたそうにしていたことは何だ?」
エレナはじっと俺を見ている。それから、
「昨晩、何のための旅だったのかを質問されました」と言った。
確かに俺は尋ねた。クラリッサから聞いてはいたが、それは他人からの情報に過ぎない。エレナ本人から説明を受けるべきだと思ったのだが、結局は同じ理由だった。自分の目で社会の様子を確かめるため、だ。
「最初のきっかけは、あなたです」
「俺?」
頷くエレナ。
もしや前回の記憶があるのだろうか?
途端に心臓がバクバクと激しく脈打つ。
「『冷血アルトゥーロ』。敵ならばたとえ女子供でも、容赦なく殲滅する。そう聞いていました」
エレナの言葉に、脈がやや落ち着く。どうも違う雰囲気のようだ……。
「そんなあなたにダニエレは負けた。だけれど殺されなかった。聞いていた噂とは違います。ならば好戦的で近隣諸国を蹂躙して回っている野蛮なコルネリオ王との噂は、どうなのか。彼には善政を行い民に人気があるとの噂もある。私は自分の目で見ていないから、どちらが本当なのか、分からない」
「なるほどな」
エレナは小さく息を吐いた。
俺がダニエレを殺さず、しかも逃がしたのが原因だった訳か。
それが良かったのか悪かったのかの判断はつかないが。
「……昼間、あなたは街に出て私は留守番でした」とエレナは続けた。「その間にクレトが妹に会わせてくれました。そのために留守番にしてくれたのですね」
「……違う。信用できないお前を連れて行ける場所ではないと説明したはずだ」
「自分の恥だからと給与を先払いして服を買わせてくれました。食事を運び慣れてないと思えば助けてくれ、馬を大事にし、仕事は丁寧に教えてくれる。マウロが話していました。アルトゥーロ様の従卒になりたがっている者は多い、私は幸運だ、と」
「そんなことは聞いたことがない」
これは本当だ。リップサービスだろう。……誰へのだ? 俺の耳に入るのを見越してか?
というか、マウロの名前が出過ぎじゃないか? 厩舎でも聞いた。まさか今回はクレトではなくマウロが恋敵になるのだろうか。
「コルネリオ王が私たち姉妹に何を望んでいるのか分かりませんが、少なくとも、私をひとりの新人従卒としてきちんと扱って下さったことには感謝します」
「……従卒がいなくて困っていたのは事実だ」
はい、と頷くエレナ。
「前の方は突然お辞めになったとか。なのに別の騎士への紹介状を用意した、とマウロが……」
「またマウロか」
思わず呟くとエレナは黙った。
「……いや、何でもない」
自分の狭量に、自分で辟易する。マウロは俺を褒めている。しかもこの話の流れならば、エレナの中で俺の好感度は上がっている可能性がある。それだというのに今からこの程度で苛立っていては、俺の精神がもたないに違いない。
「マウロの話はしないほうがいいのですか?」
「いや、そんなことはない」
じゃあ何なんだと突っ込まれたら困るが。
エレナは俺をまじまじと見つめていたが、
「それからもうひとつ」と切り出した。「やはり、気になります。あなた方の意図は何なのか。コルネリオ王は私をあなたの従卒にしておきながら、敵意を向けるなと言い、信用してないのに王の私室にまで連れて行く。よく分かりません」
まあ、当然の困惑だ。どう答えるのがベストなのだろうか。
「……まず、俺の従卒は必然的にコルネリオに関わることになる。言伝てを頼むこともあれば、あいつの元にいる俺を呼びに来なければならないときもある。私室の場所は覚えてくれないと仕事にならない」
頷くエレナ。これは事実。トビアも、その前の従卒も同じ条件だった。
「お前を俺の従卒にしたのは、コルネリオの……遊びのようなものだ」
「遊び?」
「あいつはいつも退屈している。面白いことが起きないかと常に思っているし、自分からも仕掛ける。それが今回のお前。……深い意味はない」
「なるほど」真顔で再び頷くエレナ。「みなさんそれを分かっているから、普通に私を受け入れているのですね」
「それはリーノのせいだな。フィーアの人間だっのに、あの通りだからお前に対する警戒心も薄れているのだろう。良いことではないな」
上手い言い訳ができたのではないだろうか。自然に『深い意味はない』と告げられた気がする。
と、エレナが
「……彼、フィーアではあんな風ではありませんでした」と言った。
「リーノか?」
「はい。軍団長の次男で実力もあるから周りに一目置かれていて、もっと騎士然としていたのです」
「うちに来て堕落した、ということか?」
「いえ、楽しそうです。あんなに感情丸出しなんて、子供の頃以来。軍団長の息子という肩書きがなくなって良かったのかも」
しばらくの間をおいて、エレナは照れ臭そうな顔をした。
「敵の本拠地で言うことではありませんでした」
もしも。今が本当にエレナに会って二日目であったなら、このセリフと態度には何かの裏があるに違いないと考えただろう。だけれど一年間、彼女の変化を見ていた身では、きっと本心だろうという気がする。
「主君を失ってコルネリオ軍に来た騎士も多くいる」
「そうなのですか?」
「五ヵ国も征服しているからな。コルネリオに忠誠を誓うなら、仲間として迎えいれることもある」
だからお前も、との言葉が口から出そうになるのをすんでで飲み込む。
「……他に何かあるか?」
「いいえ」と言って彼女は更に姿勢を正した。「本日はご指導をありがとうございました」
うむ、と頷く。
「お休みなさいませ、アルトゥーロ様」
一礼したエレナは部屋を出て行った。
パタリ、と音をたてて閉まった扉をぼんやりと見つめる。
『お休みなさいませ、アルトゥーロ様』との声が耳に残る。柔らかな声音だった。
行かないでくれ、俺を思い出してくれと告げたい。以前はこの部屋で共に眠ったではないか……。
だがそんな悶々とした思いなど、コルネリオに後ろ向きだと怒られるだけだろう。もっと建設的な考え、いや、行動をしろ、と説教するに違いない。
いや。むしろ会話を多くできたのだから、褒められるべきではないだろうか。
というか以前のエレナは下がり際に『お休みなさい』なんて言わなかったのではないだろうか。『失礼します』の一辺倒だったような気がする。
これは良い関係なのか、それともエレナは前回と全く違うという悪い兆候なのか、どうなのだろう。
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