5´・2再び従卒に《3月》&ビアッジョ日記②

 エレナ、ビアッジョ、クレト、俺の四人で廊下を進む。前回と一緒だ。

 リーノはカルミネに引きずられて去り、ダニエレは逃亡した敵の騎士として捕縛された。とはいえ命の危機はないだろう。コルネリオは『一時』捕縛と言っていた。


 だがそれを知らないエレナは恋人のことが心配のようだ。硬い表情で黙ってあとをついて来ている。


「とりあえず『ヴァレリー』と呼ぶことにしよう」と突如ビアッジョが言い出した。「洗濯女はクラリーだ。ヴァレリーとクラリー。うん、いい」

 ひとり頷くビアッジョに、エレナは困惑の目を向けた。


「気に入らないかな?」

 とビアッジョが尋ねると、エレナはいえ、と短く答えて再び黙りこんだ。

「まあ当然、恋人のことが心配か。多分だが大丈夫だろう」

「恋人?」

 エレナは不思議そうに繰り返した。ビアッジョは頷く。

「あの騎士。恋人だと聞いている。とぼけなくていい」


 エレナはビアッジョ、俺、ビアッジョと見た。

「……恋人ではありません。このことは彼に不利に働きますか? 有利に働きますか?」


 俺は思わず足を止めた。

「だが」と言ったのはビアッジョ。「フィーアの下働きからそう聞いたぞ」

 エレナは頷く。

「確かに以前は。今は違います」


 なんだって? どういうことだ。


「とはいえ、大事な友人ではあります。彼は本当に大丈夫ですか?」

「まずはどうやって地下牢から逃げ出したのかを、聞き出すからな」

「それが終わったら?」

「コルネリオ様は君を従卒にして楽しみたいようだ。それなら従順に働いてもらうために、彼を殺さないだろう」


 な?とビアッジョが俺を見るので、頷く。


「……恋人です」とエレナ。

 ぷっとビアッジョが吹き出した。

「実際はどちらだ?」

「事実を言え」つい口を挟む。「俺には嘘をつくな。誤魔化すな」



 彼女が俺を見上げる。

 手を伸ばせば触れられる距離だ。



「……今は違います。だけど彼は私の最期を見届けると譲らなくて、共にこちらへ来ました。ですから私だけ生き残るのは、心苦しい。だけれど妹の姿を一目でも見たい」

「最期、ね」とビアッジョ。

「たとえコルネリオ王に勝てたとしても、無事に城を出られないでしょう?」

「何でそこまでして復讐をしたいかな」

「フンフはまだ攻められないとの言葉を信じ、私は母と妹を置いて旅に出ました。その贖罪です。せめて一太刀を浴びせたかった」

「その気概を他にまわせばいいのに。ん?」ビアッジョが顎に手を当てた。「だから従卒?」と俺を見る。

「さてな」


 平静を装いながら答えるが、すごく気になる。いや、もの凄く気になる。


 エレナは妹たちへの贖罪のために、死を覚悟して決闘をすることにした。そのために、ダニエレとの恋人関係を解消したのではないだろうか。あいつがついて来たのは誤算。彼女としては恋人に生き延びてほしかった。

 違うだろうか。


 彼女に尋ねたいが、この質問は今日あったばかりの間柄でどうなのだろう。不自然ではないだろうか。



「それにしても妹が生きていると、誰にも聞かなかったのか?」

 ビアッジョが話題を変え、それを機に再び歩き始めた。

「フンフの都には戻り、侍女たちが無事であることは確認したのですが、接触はしませんでした。万が一、私と会ったことが知られて罰せられたらいけないですから」


「慎重なだけではこの時勢を生き残れない」とビアッジョは言って、くるりとクレトを見た。「覚えておけ。悪い事例だぞ。おかげで大事な情報を逃し、命を失うところだった」

 クレトは、はいと素直に頷く。


 その様子を見ていてふと気づく。

「お前、荷物は? 宿か?」

 エレナは何も持っていない。前回は小さいながらひとつ、手にしていた。

「ありません。みな処分してしまいました」


「潔いのか愚かなのか」とビアッジョが苦笑する。「なかなか面白いな」

「金は持っているのか?」

「全て寄付しました」


 おやおやと天を仰ぐビアッジョ。

「若い従卒に古着をもらいましょう」とクレト。「同じような背丈が何人かはいます」

「そうだな。生活用品はうちに余っているのを持ってくるか」ビアッジョが言う。


「ありがとうございます」とエレナ。

「あの男も文無しか?」尋ねる俺。

「ダニエレですか? 彼もです」


 あの男は馬鹿なのだろうか。騎士ならば主の、恋人ならば愛しい彼女の、生き延びる道を考え、たとえその可能性が限りなくゼロだったとしても、必要な対策をするものではないだろうか。


 それともエレナの強情っぷりに毒されているのだろうか。


「で、従卒が何をするかは分かるのか?」とビアッジョが尋ねる。

「主の補助、であっていますか?」

「そう。武器の手入れから日常生活の世話まで。その代わり、騎士として必要なことを教えてもらう」


 頷くエレナ。


「ここは特殊でな。城住まいの騎士が多い」

「定期的に戦をしているからですね」

「よく分かっているな。必然的に従卒も多くいるから、合同で鍛練をしたり、また、仕事をすることもある。しっかり横の繋がりを持つように。できるかな、姫君に」

「もちろん。やるからには全力であたります」

「そりゃ良い心がけだ」ビアッジョは笑顔を彼女に向けた。「特別扱いは一切ない。男と同等に働くこと」

「フィーア国王の娘として、誇りにかけて中途半端なことはしません。直ぐには難しいでしょうが、必ずや誰もが納得する完璧な従卒になってみせます」


「負けず嫌いが過ぎる」

 つい、また口を出してしまった。

 ビアッジョは、本当だと言いながら笑っている。


「いけませんか」エレナが強い目で俺を見る。「あなた方の意図は分かりませんが、妹に会うために必要なのが従卒になることならば私は従卒になり、敵であるあなた方に仕えましょう。己でやると決めたことならば、それがどんなことであれ全力を尽くしたい。おかしいですか」


「……結果、早死にだ」

「後悔だらけの人生を送るよりよいでしょう」

「お前本人がよくてもな」


 彼女から目を離す。

 ダメだ、余計なことを言ってしまいそうだ。

 俺と彼女は初対面。そう自分に言い聞かせる。


「そうですよ」

 思わぬところから声が上がった。クレトだ。

「誇りは大事だけれど、同じぐらい生き残ることも大事です。私は七つの時に父が戦死した。ビアッジョ様が支援して下さらなかったら、一家で路頭に迷っていたでしょう」


 ビアッジョの話では、クレトの母親は裕福な家の出のお嬢様で、金の管理能力がなかったらしい。彼が気づいたときには親友の資産はほぼゼロになっていて、所領の屋敷を手放す寸前だったそうだ。

 それ以降、彼は親友が遺した家族のために管財人を雇い、生活資金を援助している。クレトの騎士叙任費用も出すつもりのようだ。


 お人好しだ、と思う。


「あなたが死ぬのは勝手だけれど、それに騎士が巻き込まれている。可哀想に」

 ちらりと振り返ると、エレナはクレトに向かって何か言いたげに口を開いたが、結局は一言も発しないままだった。


 そのまま誰も話さないまま、俺の部屋についた。

「ここがアルトゥーロの部屋。覚えるように」とビアッジョが説明する。「私は城には住んでいない」

 首肯するエレナ。


「君の部屋の案内と従卒の仕事についてはクレトが説明する。一旦下がって、仕事開始は」とビアッジョが俺を見る。

「晩餐後だな。明朝の指示を出したい」

「だそうだ。質問は?」ビアッジョが尋ねる。

「ありません」

「ならばクレト。あとは頼む」


 俺に向かって一礼するエレナ。


「少し待て」

 そう言って自室に入る。必要なものを取り、再び廊下へ。硬い表情をしたエレナに差し出す。彼女は戸惑い気味にそれを受け取った。


「給与を前払いしてやる。クレト、時間があったら外に出て服を買わせろ。従卒が古着をくれと乞いまわるのは、俺の恥じだ」

 そうだなとビアッジョ。クレトも承知しましたと頷く。

 エレナは――。


 大きな目でしばし俺を見上げていたが、やがて柔らかな声音で

「ありがとうございます」

 と静かに言った。

 その眼差しには、昔見られた嫌悪は含まれていないように思えた。




 ◇◇




「上手くいった」

 親友がニヤニヤしながら俺にグラスを渡す。まだ真っ昼間だが、祝杯らしい。

「俺の手腕と幸先の良いスタートを祝って」

 機嫌良くグラスを掲げて、飲み干すコルネリオ。


 奴の私室。二人きり。

 とりあえず俺もグラスを空にする。


「湿気ているな。エレナは現れた。上手くお前の従卒に収まった。何が不満だ?」

「『殺していい』とは何だったんだ。あそこから、どう持っていくつもりだった?」

 なんだそんなこと、とコルネリオは二杯目の酒を注ぎながら笑う。


「お前が機転をきかせてエレナが感心する見せ場を作ってやったんじゃないか。リーノに乱入されてしまったが」

「見せ場……」思わず額を抑えた。「俺がそんな役回りをできると思うのか?」

「最初の印象は大事だ」

「なら、先にそう言っておけ」

「何も知らないビアッジョの前でなんてだ? 本命が現れたから打ち合わせしようぜ、か? それともビアッジョをのけ者にするのか?」

「そうじゃないが……」

「弱音を吐くな。ガンガン攻めろ。別れているなんてラッキーじゃないか」


 ん?と思ってコルネリオの顔を見る。


「ああ、知らなかったな」とコルネリオ。「恋人関係は解消したらしい」

「……誰から聞いた?」

「ダニエレ本人だ。ボニファツィオの尋問の付き添いついでに尋ねておいた」


 そうそう、とコルネリオ。

「あの男、逃亡の手助けは弟がしたと言った。うちの軍の誰かだとは確信していそうだが、お前だとは気付いていないようだ。良かったよ」

「いらぬ心労をかけてすまん」

「別に。お前だと言ったなら、王の片腕を罠にはめるつもりなのかと糾弾して処刑する。簡単なことだ。恩を仇で返すような奴を生かしておく必要はない。そうだろう?」


 まあなと頷く。

「だが殺さないでくれ。敵討ちも終わったし、彼女は……」

 その先は言葉にしたくなくて、口をつぐむ。

「敵討ちは関係ない。旅に出る前にエレナから別れてほしいと言ってきたそうだ」

「そうなのか? ……というか、どこまで聞いた?」

「全部だ。二人はまるっきり清い関係。別れの理由はダニエレも分からないらしい。とにかく関係は解消したいの一点張りだったそうだ。旅に同行するのも相当に渋られて、絶対に復縁を望まないことを条件に許可が降りたようだ」

「……何故だ?」

「エレナに聞け」


 まさか俺の記憶があるのだろうか。

 いや、それならば死を覚悟しての決闘なんてしないだろう。多分。


「ひとりでうだうだ考えても、答えは出ないぞ」正論を吐くコルネリオ。「今回のお前は恋人の敵ではないし、少しは無愛想を控えて会話をしろ。口説け。別れたとはいえ最大のライバルが生きているんだ。気を抜かずに攻めろ」


「……お前、楽しんでいるだろう」

 幼馴染はとんでもなく生き生きとしている。

「親友を応援しているんだ。ついでに楽しむがな」

「勝手に楽しめ。俺は初対面のふりをするだけで精一杯だ」

「ふうん。手を出したくてたまらないか」

「その言い方はやめろ」

「事実だろう? 死んだはずの彼女が生きて目の前にいるんだ。俺ならたまらず抱きしめる。この手で実感したいじゃないか」


 口に運びかけていたグラスをおいた。

 まるでその通りだ。彼女に触れて、幻ではないと確かめたい。

 だがどんな理由をつければ、そんなことができるのだ。前の俺なら躊躇わずにしただろうが、今の俺にはできない。エレナにどう思われるかが気にかかってしまう。


「エレナを生き返らせるために時間を遡ったのではないがな。お前に必要なことならば、俺はバックアップするし、お前もエレナも死なせはしない。その代わり、俺が世界の王になるまでしっかりサポートをしろ」

「勿論だ。だがエレナのことは俺のペースでやらせてくれ」

「へたれめ!」


 そんな不毛なやり取りはベルヴェデーレが、いい加減に仕事をしろと叱りにくるまで続いた。


「あいつは悪魔のくせに、仕事をさせるのか?」とこそりとコルネリオに囁く。

「そうなんだ。俺に嫌がらせをして楽しんでいるのかもしれん」

「堕落しないからか?」

「かもな」

「おかしな奴だ」

「だが油断するなよ。あいつの口車には絶対に乗るな」


 正直なことを言えば、時たま力を借りたくなることはある。これから何も覚えていないエレナがそばにいれば、その欲求は高まるかもしれない。

 改めて、気を引き締めないとならない。


 そう考えると――

「十年あいつと共にいて、力を借りないお前は凄いな」

 そう言うと親友はさりと、当然だろうと笑ったのだった。




 ◇◇




 夕食が終わり部屋に戻ると、扉の前にエレナが所在なさげに立っていた。すっかり忘れていたが、前回もそうだった。


「食事はとったか?」

 エレナがはいと頷くのを見ながら扉を開ける。

「買い物は?」

「済ませました」

「金は足りたか?」

「はい」

「部屋は? マウロと同室か?」

「はい」


 胸の中にもやもやしたものが広がる。だからといってエレナをひとり部屋にする口実はない。むしろ元敵方なのだから監視役が必要なのだ。


 俺は卓につきエレナは傍らに立たせて、仕事の説明をする。彼女の顔を見ると様々な思いが込み上げて来そうなので、他所を向いて話す。


 エレナは真面目に、合間合間に相づちを打つ。そうだ以前もこうだったと思い、また訳の分からない感情が湧き上がる。


 全ての説明を終え、エレナからの質問にも答えると俺は、

「下がってよし」

 と言った。尋ねたいことも言いたいことも山のようにあったが、とても口に出せそうにない。コルネリオにへたれと言われて当然だ。


「……あの、ひとつだけ、よいでしょうか」

「なんだ?」

「どれほど勤めれば、妹に会わせてもらえますか?」

 思わず彼女の顔を見上げた。


「まだ会ってないのか」

「はい」

「明日、クレトに聞いてみろ。きっと良いタイミングを知っている」

「……そうですか。ありがとうございます」

 では、とエレナは一礼をして部屋を出ていった。







 閉じられた扉をしばしみつめ、それから上着の内から櫛を出した。野ばらの柄のつげの櫛。そっと握りしめる。

 俺も何も思い出さないほうが、楽だったに違いない。






《 ビアッジョ日記 ② 》


 ここ数日、アルトゥーロの様子がおかしい。感情の起伏が乏しく、故に常に泰然としている彼が、やけにそわそわとしている。恐らく、何かを待っている。


 気にはなるが、コルネリオ様はそんな親友の様子が心配ではなさそうだから、事情を知っているのだろう。ならば私は、気晴らしの相手をするにとどめよう。




 ◇◇



 そんなアルトゥーロがいよいよおかしい。


 今日、フィーアの第一王女が誤解から、コルネリオ様に決闘を申し込みに来た。苛烈な性格の姫君であるが、その容貌はなかなかに素晴らしい。


 その彼女を見たアルトゥーロは、なんとも言い難い表情をした。一目惚れ、というものではない。彼がここ数日待っていたのは彼女だろうと思わせる、そんな表情だ。


 だが初対面のはずだ。アルトゥーロとは長い付き合いで、少年の頃から知っているし、長く離れたこともない。フィーアの姫に会う機会などなかったと断言できる。


 ではあの表情は一体何なのだろうか。


 しかも何がどうして、姫はアルトゥーロの従卒となった。コルネリオ様の差し金だ。いつもの悪ふざけのようだけれど、違うような気もする。


 更にアルトゥーロは、金も物も全てを処分したという姫に給金の前払いを渡して、必要なものを買うよう命じた。自分の体面を保つためだと言っていたが、本来の彼はそんなことを気にする奴ではない。


 どういうことなのだろう。


 背景にあるものが何なのか見当もつかないが、彼女がアルトゥーロにとって非常に重要な人間でありことは確かに違いない。


 それならば口は挟まずに、そっとバックアップをすればいい。





 いつかは、訳を話してくれるだろかうか……。

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