5´・1待ち人《3月》
そろそろだなと思っていると、前回の人生と同じようにトビアの恋人が俺を誘ってきた。すんでまで迷っていたがやはりその気にならないので断り、ならばどうやって彼を辞めさせようかと悩んでいたらば。トビアが俺に泣きついてきた。恋人をボニファツィオに盗られたと言って。
あの碌でもない女は俺が脈なしだったから、いつだったかコルネリオが言った通りにボニファツィオを標的にしたようだ。
トビアを辞めさせる口実には困っていたが、処遇については手配してあった。ビアッジョの旧知で、引退して所領に引きこもっている老騎士に雇ってもらうのだ。理想を持って騎士を目指しているわけでないトビアだから、戦場に出ることのない騎士ならば喜ぶだろう、とまで考えてのことだ。
果たしてトビアは、俺が
「しばらくボニファツィオの顔は見たくないだろう。傷が癒えるまで都を離れたらどうだ?」
と言って、老騎士の元へ行くことを勧めたら、泣いて感謝した。
「この恩は忘れません!」
とまで言われた。
これならば俺がトビアに殺されることも回避できたのではないだろうか。
紹介状と多めの給金と路銀を渡してトビアを見送り、状況は整った。
前回の人生では、彼が辞めた翌週にエレナが現れた。
では、今回は。
期待と不安で俺ははち切れそうだった。
◇◇
「お前、大丈夫か?」
ビアッジョが心配そうな表情で俺を見ている。
「最近おかしいぞ。苛ついているというか。心ここに在らずというか」
周囲を気にしてか、抑えられた声。
「……そんなことはない」
そう答えて窓の外を見る。騎士専用の広間。このところ理由をつけてはビアッジョをここに誘い、つまらぬ世間話をしている。
トビアが去った翌週、最終日。まだ、エレナは現れていない。
彼女は現れるのか現れないのか。そもそも生きてくれているのか。故国も亡命国も失った彼女が、どうやって生活しているのか見当もつかない。
ふう、と大きな吐息が聞こえて我に返る。
「アルトゥーロ」
ビアッジョが立ち上がり俺を見下ろしている。
「少し外に出よう」
僅かな間、考えてから立ち上がった。
「手合わせするか」
体を動かし、頭の中を空にしたほうがいいかもしれない。
「またか!? 訓練が終わったばかりではないか!」
「気晴らしに付き合ってくれるのだろう?」
「だからって。こっちは若くないんだ」
ブツブツ言いながらもビアッジョは断らない。ふたりで開け放してある扉に向かう。
と。
赤い髪を揺らしてコルネリオが現れた。そして――
「アルトゥーロ、ビアッジョ、一緒に来い」
親友が真っ直ぐに俺を見ている。
来たのだ。
ドクリと心臓が脈打つ。
「どうかしたのですか?」
ビアッジョが尋ねる。
「おかしな奴が現れた」コルネリオは俺を見てそう言い「とにかく中庭だ」と促した。
三人で並んで廊下を歩く。俺は緊張なのか何なのか、息苦しい。
「『おかしな』とはどういうことでしょう?」とビアッジョ。
「門前で口上を述べていた。『我こそはフィーア国の第一王女。妹の敵をとりに来た。コルネリオ王に決闘を申し込む』」
「決闘!?」
思わず大声が出た。
コルネリオは俺を見て頷く。
「そうだ、決闘だ。妹が生きていると知らないようだな」
「……表向きは処刑しましたけどね」とビアッジョ。「第一王女は内情がわかる人間に接触してない、ということですね」
そう。フンフの城にはクラリッサの侍女を置いてきたし、その他の使用人も新しい主人のために今現在も働いている。処刑されたのが身代わりの死体だと知っている人間は多いはずだ。
「それで決闘だなんて。随分と勇ましい姫君ですね」
ビアッジョの言葉が耳を通り抜けていく。
前回と違って今回は、エレナの恋人を殺していない。だが敵討ちという主旨は同じだ。それなのに何故、従卒志望から決闘に変わったのだろう。フンフの支援を受けてないからだろうか。だからといって恋人がいるのに、勝ち目のない決闘を申し込むなんておかしい。
それとも前回の人生が、今のエレナに何らかの作用を及ぼしているのだろうか。
トン!と肩を小突かれる。
「アルトゥーロ」とコルネリオ。「暗いな」
「……元からこの顔だ」
「お前が仏頂面なのはいつものことだがな」とビアッジョ。「今夜は久しぶりにうちに飯を食いにくるか?」
どうやらだいぶビアッジョに心配をかけているらしい。
「いや、今夜は俺と飲み明かす。な?」
口の端を上げてニヤリとしている親友は、祝い酒と確信しているのに違いない。
「お前の性格が羨ましい」
「繊細め」
そんなやり取りをしながら中庭に出る。
前回と同じように春の薫りが漂い、ぐるりを囲む衛兵。その中央に立つのは……。
エレナだ。間違いなく、彼女だ。くせの強いダークブラウンの髪。短くはなく、後ろで結んでいる。髪と同じ色をした瞳の目は、かつてと同じように強い。そして男装、腰には剣。
生きていてくれた。
安堵で膝が崩れそうになる。
あの晩に、何度呼び掛けても返事はなく目は開かず、徐々に冷えてゆくエレナが脳裏によみがえる。
二度と言葉を交わすことが出来ないと絶望した彼女が、ここにいる。
あの悪夢は正しく夢となったのだ。
エレナは、生きている。
「お前が滅亡したフィーア国の第一王女を名乗る者か」
コルネリオが前回と同じように、自ら話しかけた。
「その通り。フィーア国王イラーリオの長女ヴァレリアナ・カステリーニだ。コルネリオ王、妹の敵討ちをしに来た。あなたに決闘を申し込む」
コルネリオを睨み付けるエレナ。
懐かしい声だ。
「妹? 父と兄はよいのか?」コルネリオが尋ねる。
「妹は騎士でもなんでもないか弱き女。しかもまだ十六。国王の家族だからというだけで処刑されるのは、あまりに理不尽だ!」
怯むことなく堂々とコルネリオに対峙するエレナ。セリフは違えども、状況は前回と同じだ。
……いや。
よくよく見たら、彼女の後方にダニエレがいた。奴は強ばった顔でコルネリオを睨んでいる。
「生き残るとすぐにお前のように復讐に来る。処刑は当然だ」コルネリオは真顔でそう言った。それから。「だからそれについての決闘は受け付けていない」
「逃げるのか!」とエレナ。
「お前みたいのが来る度に決闘しろというのか? 何故忙しい私が敗者のくだらぬ復讐に何度も時間を割かねばならぬ」
エレナが口をへの字に引き結ぶ。
「だがチャンスをやろう」コルネリオがニヤリと悪い笑みを浮かべた。「私の片腕アルトゥーロ。知っているな」
その言葉にドキリとする。親友は前回と同じ流れに持っていくつもりだ。
「勿論」と答えるエレナ。「『冷血アルトゥーロ』。敵を容赦なく殲滅する、との噂」
俺をちらりと見た。強い目で。
……覚悟はしていたが、やはり何も覚えていないのは確かな目だった。
「その通り」とコルネリオが頷いた。「彼と戦え。百数える間に殺されなかったら、お前の勝ちだ。決闘してやろう。どうする ?逃げ帰るか?」
「まさか」エレナは即答する。そうしてしっかりと俺を見た。「勝負を頼む」
コルネリオがバシリと俺の背中を叩いた。
「腑抜けてるな。今回は勝て」
そう耳に囁く。
「二十だ」
「多い」
幼馴染は鼻で笑う。
エレナをひたと見据えて彼女の前に進み出る。一年間主従をしていたのだ。彼女の剣の腕前も癖も熟知している。せいぜいの不確定要素は、ダニエレの存在がどう影響しているかぐらいだ。
それにしても、彼女は全く恋人のほうを見ようとしない。俺に勝てるつもりでいるのか、既に別れを済ませているのか。気にはなるが、目の前でいちゃつかれるよりはいい。
お互いに剣を抜いて構える。
「始め!」
コルネリオが声を上げた。
エレナが素早く踏み込んで来る。彼女はいつもそうだ。初見の相手の場合は、自分をなめきっているうちに、勝負を有利に持っていきたいらしい。
彼女の変わらない強い目に引きこまれながら、数度剣をかち合わせて。カウントが十五になろうとしていることに気づいた。コルネリオは二十は多いと言ったから、この辺りで終いにしないとだ。
エレナの剣を強く弾くと、バランスを崩した彼女は地面に片膝をついた。その目前に剣を突きつける。
「勝者アルトゥーロ」とコルネリオの声が響き渡った。「殺していいぞ」
親友を振り返る。目が合うと奴はニヤリとした。
「フィーアの第一王女と名乗る者。言い残すことがあれば、聞いてやろう」
あいつは何を考えているのだ。
「何もない。負けを認める」エレナは静かに言った。
彼女を見て、それからダニエレを見る。清廉潔白な騎士は蒼白な面持ちで恋人を見ているだけで、一言も発しない。
そういえばリーノはどうしたのだろう。割って入って来ないということは、彼女と兄が城内にいることを知らないのだろう。
そう思ったとき。
「ヴァレリアナ!」との叫び声と共にリーノが駆けてきた。
「レナート!?」エレナが驚きの表情になる。「生きていたの?何故ここに?」
リーノはエレナに駆け寄りひざまずくとその肩に手をのせ、俺を睨み上げた。それからコルネリオを。
「レナート!」
そこにダニエレも走って来た。
「兄貴! いたのか!」
どうやらリーノには兄が見えていなかったらしい。
「兄貴がついていながらこれはなんだ!」
リーノが鬼の形相で兄に食って掛かる。
「クラリッサの敵討ちに来たの」とエレナが静かな声音で言う。「だけれど見ての通り、負けたわ。どいてちょうだい」
「敵討ち!? クラリッサは生きているぞ!」
リーノが叫び、再びコルネリオを見た。
コルネリオはふい、と顔を背けたがその視線の先には気まずそうな表情のカルミネがいた。
「カルミネ。あいつを遠ざけておけとの伝言を受け取らなかったか」
「もっ、申し訳ありませんっ」カルミネが直立不動の姿勢で答える。
そこに
「妹は生きているのか?」とエレナの静かな声が続いた。
「フィーアの第二王女は自死したはず。うちの洗濯女によく似た娘がいるらしいがな」コルネリオはニヤリとした。「第一王女も共に自死したのだぞ。彼女の名を騙る偽物よ」
エレナの顔が一瞬にして固くなる。
「失礼な!」ダニエレが叫んだ。
「仲間を見捨てひとりで逃げた雑魚は黙れ」
コルネリオの言葉にダニエレの顔がひきつる。
「さて、偽物。お前は負けた」
「申し訳ないが前言を撤回させてほしい。第二王女によく似た女と、最期に話をさせてもらえないか」
凛とした声で真っ直ぐにコルネリオを見るエレナ。気の強さも潔さも以前の通りだけれど、少し、柔軟になったような気もする。前だったらこんなにあっさりと偽物説を受け入れなかったのではないだろうか。
と、コルネリオが俺を見た。
そうか、と気づく。あいつはなんだかんだでノープランなのだ。まさか決闘を申し込みに来るとは考えていなかったから、展開を見ながら対応しているのだろう。
だが俺を見られても、何の方策もない。ただ黙って見返す。
コルネリオは顔をエレナに戻した。
「正体の分からぬ者をうちの使用人に近づけることは出来ない。お前はここで死ぬか――」しばしの間。「ここで雇われるかだ」
エレナは瞬いてから、首を傾げて呟く。
「正体が分からぬ者を雇うのはいいの? それとも見せしめ? 辱しめ?」
「雇われてくれ!」とリーノが小声で返す。「今のところ、本当にただの使用人として使われているだけだ。意図はわからないが」とちらりと俺を見上げる。「みんなで生き延びよう!」
エレナは短い間リーノを見つめていたが、やがて頷いた。そして。
「分かりました」そう言って突きつけられている剣を気にすることなく立ち上がった。「あなたに雇われます」
「賢明だ」と答えたコルネリオは俺に顔を向けた。「そうだ、アルトゥーロ。従卒が辞めて困っていたな。彼女を雇ってやれ」
「なっ!!」兄弟が声を揃えて叫ぶ。
「嫌ならば処刑だ」
「それでは、そのように」エレナが力強い声で、すんなりと了承する。
そして俺を見た。強い目をしているが、何を考えているのかは分からない目だった。
「あなたの従卒になりましょう。よろしくお願いします。アルトゥーロ様」
『アルトゥーロ様』。一年ぶりに聞いたその声、その呼び方。
俺は訳の分からない感情が溢れ出しそうになるのを必死に抑え、鷹揚に頷いた。
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