4´・2親友の変化〈12月〉&ビアッジョ日記①

 厩舎を出て小雪の降る中を歩いていると、また洗濯物を抱えたクラリーに出会った。クレトはおらず、別の洗濯女と一緒だった。

 だが俺を見て足を止める。何か言いたそうだ。


「何か用か?」

 仕方なしに促してやると、クラリーは

「一般的に見て従卒の方に手伝ってもらうのは、どうなのですか? 私、故国ではそのような立場の方たちと縁がなかったので、分かりません」と尋ねた。


「すっ、すみません、アルトゥーロ様」先輩女が慌ててクラリーの頭をペシリと叩く。「あたしたちが気軽に話しかけていい方ではないよ」

「そうなんですか?」

「そう!」


「従卒の方が手伝いたいと言っているなら、構わない」

 そう言いながら先輩女を見ると察したのか、頭を下げて先にいってるよと一言、小走りに去った。


「一般論で言えば、なしだろうがな」

「そうですか」

 洗濯物の入ったカゴを持つ手に目がいった。荒れている。


「手伝いはいいが、騒ぎは起こすなよ」

「騒ぎ?」元王女は眉をひそめた。「そんなことはしません」

「三角関係から、ということだ。リーノは決闘でも申し込みそうな雰囲気ではないか」

「リーノ?」彼女は不思議そうに首を傾げる。「彼がどうかしましたか?」

「クレトに敵意をむき出しだが?」


 クラリーはなおもきょとんとしていたが、やがて顔が赤くなった。

「もしや、三角関係とは私のことですか」

「そう」

「違います。レナート、ではなかった、リーノはただ、私を守らなければならないという気持ちが強いだけです。ですが一応、注意しておきます」


「そうか?」

「そうです。大丈夫です。彼は騒ぎなんて起こしません。リーノが好きなのは姉ですから」


 姉。その言葉にピクリとする。


「姉を悲しませないために、私を守っているのです。私が殺されでもしたら姉のために反撃するかもしれませんが、そうでもなければ騒動は起こしません。姉に再会する日を心待ちにしているのです」

「……第一王女はリーノの兄と」


 クラリーは頷いた。

「ええ。姉はダニエレ一筋ですけどリーノはいつか兄から奪う気でいますから。だから先ほどの心配は無用です」


 一筋、という言葉が胸を抉る。


「……そうか。分かった」

 クラリーが鷹揚に頷くのを見て、その場を離れた。



 前回と今回の人生で違うところと同じところ。それらが混在するから、三月になったらエレナが現れるのではないかと期待していた。

 だが大きな見落としがあった。


 今回の彼女のそばには恋人がいる。そして母国フィーアも、亡命したフンフも失くなった今、彼女はただの平民と変わらない。となれば足枷がなくなったのだから、恋人と結婚していてもおかしくないだろう。

 いや、絶対にそうなるだろう。


 少なくとも俺がダニエレの立場なら、もう清い交際でなくても問題なかろう、ようやっとだ!と喜び勇んで手を出す。



 そう考えて、胸がキリキリと痛んだ。

 一瞬、悪魔の顔が浮かぶ。



 馬鹿らしい。

 頭を振って、その顔を打ち消す。

 悪魔の力でエレナを手に入れたとしても、それは俺に惚れてくれたエレナではない。



 このことは考えないようにしよう。

 だが俺の前に夫婦として現れたら……。



 再び頭を振る。

 他のことを考えよう。


 そう、リーノ。あいつもエレナを好きだという。

 ということは前回の人生でもそうだっただろう。俺のことなど許せなかったに違いない。墓場で会ったとき、よく俺に向かって来なかったものだ。今のあいつを見る限りでは、確実に冷静なタイプではないのに。




 うっすらと積もり始めた雪で白くなった庭木を見ていて、ふと一年ほど前のことを思い出した。


 中庭でコルネリオと剣の手合わせに夢中になっていたら、雪が降り出した。今日と同じような小雪だったから気にせず続けていたのだが、ふと気づくとひさしの下にタオルを持ったエレナが待機していた。


 手合わせが終わると彼女は小走りでやって来て、タオルをコルネリオに渡した。次に俺に。ふたり分を用意していたのだ。


「風邪をひきます。頭を拭いて下さい」

 エレナがそう言うとコルネリオは

「よく出来た従卒だな」と笑った。「だがこれぐらいで病になったら、俺の軍ではやっていけないぞ」

「そうかもしれませんが、だからと言って濡れたまま放置する理由にはなりません。陛下もどうぞ、タオルをお使い下さい」

 エレナは国王に、そうきっちりと言い返した。


 あいつはそういう所が細かくて、雨に濡れればすぐに火をおこして俺の服やら靴やらも乾かした。騎士は常に最良の状態でいるべきだ、という考えだったようだ。

 もしかしたらフィーアの城詰めの騎士がそうだったのかもしれない。



 ……今頃エレナは、恋人の世話を甲斐甲斐しく焼いているのだろうか。



「そんなところで何をぼんやりしている」

 掛けられた声にはっと我に返る。コルネリオだった。その腕の中には息子。隣にはオリヴィア。ふたりに向かって一礼をする。


「ぼんやりしていると殺されるぞ」とコルネリオ。

「二度目はない」

「当たり前だ」


 コルネリオの後ろでベルヴェデーレがニタリと笑みを浮かべている。

 あんな奴に頼るなんて真っ平だ。


「満足したか」とコルネリオは腕の中の息子に尋ねた。

「はい! ととしゃま」息子は赤い頬をして頷く。

「ならば父はアルトゥーロに用があるからな」

 コルネリオはそう言って息子を妻に託した。息子は不満そうな顔をしている。それをオリヴィアがあやしながらふたりは去って行った。


「あいつが雪を見たいと言ってな」

 そう言いながらコルネリオはひとり残ったベルヴェデーレを犬でも追い払うかのように手を振って、下がらせた。


 ふたりきりになると雪の降る小道を並んで歩き始めた。

「お前はどうせ、エレナのことを思い出していたのだろう」

「……」

 返事をしないでいると、幼馴染は無言で肩を竦めた。


「よくそれで彼女を諦められると思ったもんだ」

「お前と違って繊細なんだ」

「今ここにビアッジョがいたら吹き出していたな」

「お前が俺にそう言ったんだぞ」

「そうだったか?」

「都合の悪いことは忘れやがって」

 コルネリオは、ははっと笑った。


「しかしお前が『ととしゃま』か。おかしな気分だ」

「俺もそう思う」幼馴染は真面目な顔で頷いた。

「すっかり懐かれたな」

「そうなんだ。こうなってみると可愛い気がしてくる」


 前回の人生では、ともすれば彼に子供がいるなんてことは忘れていた。きっと本人も、だ。


「それにな」とコルネリオは続けた。「近頃オリヴィアもただの能天気ではない気がしてきた」

「どういうことだ?」


 話しながら建物内に入る。タオルはないから頭を軽く振って雪を落とした。


「オリヴィアの取り巻き――友人たちとも最近話す。で、誰かが俺に言ったんだ。『オリヴィアが今までで一番良い王妃だ』と。何故かと尋ねたら、彼女たちと対等に話しをするから、だそうだ。相手の意見に耳を貸し、気を配る。かといって必要なときには王妃としての威厳もある。友人たちはみな頷いていた」


 思い返してみると、オリヴィアはいつも友人に囲まれて楽しそうにしている。一方で前妻たちは、取り巻きはいたけれどあのような雰囲気ではなかった。俺は貴族や上流階級なんてものが分からないから、それが普通だと思っていたのだが、そうではなかったらしい。


「俺は軍事に政治に忙しい。貴族や有力者との親交は億劫だ。それをオリヴィアが代わりに担っている、という気がする」

「なるほど」


 彼女は社交家で、誰とでも分け隔てなく接する。言われてみれば、取り巻きだけでなくその家族や貴族たちともよく話しているかもしれない。


「城内をよく徘徊していると思っていたが、あれもあちこちに声をかけて友好関係を築くためかもしれない」

「……城住みの騎士だけでなく従卒でも、彼女と言葉を交わしたことがない奴はいないかもな」

「だろう?」

「そういえばオリヴィアの悪口を聞いたことがないかもしれん」


 前妻ふたりは、騎士に対して見下した態度をとっていた。特に二番目の妻は、庶民から叩き上げの俺など犬猫以下の扱いだった。

 そんな風だから、当然人気はなく悪評ばかりが取り沙汰されていた。


「そうなんだ」と頷くコルネリオ。「気になって古参の衛兵に、オリヴィアをどう思うか聞いた」

「何だって?」

「彼女が来てから城が明るくなったと言った」

「そうか?」

「そうらしい。他の使用人にも確認した」


 コルネリオの私室に辿り着き、ふたりで中に入る。暖炉では火が赤々と燃えて暖かい。

 そのそばの椅子にそれぞれ座る。


 二番目の妻は、俺がここにいるのも嫌そうだった。というかコルネリオにはっきりと、臣下の騎士が王の私室で寛いでいるのはおかしいと言ったらしい。


「思わぬ収穫だ」とコルネリオは俺を見て笑った。「お前のために巻き戻した人生だかな。前回は見えていなかったものに気付けた」

「それは良かった」

「オリヴィアも案外いい女だ」

「そうみたいだな」

「来年七月予定だ」

「何が?」

「出産」


 幼馴染の顔を改めて見る。

「何だって?」

「オリヴィアの三番目の子だよ」

「……前回はいなかったな」

「だな」

「おめでとう、でいいのか?」

「ああ」

「ん?」

 指折り数える。

「帰還してすぐか?」

「そうだな」

「だから悪魔は嘆いていたのか」


 帰還してすぐにベルヴェデーレが、コルネリオを誘惑しようがないといったことを話していた。


「いや、関係ないだろう。さすがに悪魔も妊娠してるか見通す力はないようだ。先ほど彼女から報告を受けたときに控えていたのだが、心底驚いた顔をしていた」

「そうか。……というか『先ほど』?」

「ああ、雪を見に下へ降りる前だ」


 ふうん、と返事をして幼馴染を盗み見る。

 先のふたりの子のときは、こんな申告はなかった。王妃の妊娠が公式に発表されたときに、こいつは『あ、忘れてたけど出来たらしいぞ』なんて軽い口調で言っただけだった。


 もしやデルフィナを亡くした傷が癒えるときが来たのだろうか。


「とにかく朗報なのだな。おめでとう」

 改めてそう言うと親友は笑った。良い笑顔だ。


「ところでお前はトビアをどうするんだ。随分あいつはご機嫌みたいだが」とコルネリオ。

 こいつは事あるごとに、あいつをクビにしろだとか、いやいっそのこと俺に殺させろだとかうるさい。


「ついに恋人が出来たらしい」

「お前が盗ったあの恋人か」

「言い方に腹が立つが、その恋人だ」

「事実だろうが」

「最近の俺は以前よりは品行方正だ」

 何故かため息をつくコルネリオ。

「オリヴィアがわくわくしている」

「わくわく?」

「お前に本命がいると思っている。間違いではないがな」


 まだその本命に出会えていない。出会えるのかさえ分からない。出会えても結婚しているかもしれない。


「案ずるな。もし三月を過ぎてもエレナが現れなかったら策がある」

「策?」

「フィーアの第二王女を捕らえていると大々的に宣言する。生きていれば耳に必ず入る規模で、だ」

「今までのコルネリオ軍のやり方に反するぞ」

「クラリッサを生かして連れ帰った時点で反している」


 お前は俺に甘過ぎやしないか。そう思ったが、口には出さなかった。ただ、感謝するとだけ伝える。


「で、トビアだ。どうする。今回も盗るのか」

「そんな気分ではないんだ。だが従卒は辞めてもらいたい」

「だから殺」

「すな。それは前の人生だ。今は関係ない」

「だが今回もやるかもしれない。俺は危険な芽は摘み取っておきたい。もう次はお前を助けられないんだぞ」

「分かっている。気を付けるさ」


 頼む、と呟くコルネリオ。


「どうするか決まったら、ちゃんと相談しろよ」

「分かっている」

「どうも心配だ」

「二度とお前を泣かさないさ」

「泣いたのはビアッジョだ」

「二度とビアッジョを泣かさない」

「違うだろ!」


 コルネリオは何とも言えない顔をして俺を見た。


「お前、少し変わったな」

「そうか?」

「ああ、変わった。なんだか面白くないが。きっと良い方向なんだろうな。全く面白くないが」

「なんだそれは」

「俺は面白くないんだよ」

「子供か」

「俺は子供じゃない。立派な父親だ」


 胸を張る幼馴染に、お前も変わったじゃないかと言い返してやった。





おまけ《 ビアッジョ日記 ① 》

(ビアッジョのお話です)


 降っている雪を窓辺で見ていて、ふと外の小道で立ち話をしている男女が目についた。アルトゥーロとクラリッサだ。雪の中、一体何を話しているのだろう。


 アルトゥーロは以前よりだいぶ変わった。かつては興味があるのは親友の征服戦争だけで、他は全く頓着しない男だった。かといって隠者のようなわけではなく、女は来る者拒まず、賭け事には豪快に金をつぎ込み、享楽を楽しむ。ただし、その場限り。


 ところが、その享楽すら耽らなくなった。

 おかしいなと気づいたのは、フンフ征服から数日経ってから。原因はよくわからない。処刑をしなかった唯一の王族、クラリッサによるものかとも思ったが、違うようだ。


 健全なのは良いことだが、幼馴染以外にも大切なものを持ってほしい。

 友人として、また、兄貴分として、切にそう思う。


 生活が健全になったことに関係があるのかないのか分からないが、従卒への態度も変わった。


 以前のアルトゥーロは従卒をきっちりと指導していたが、それは将来コルネリオ軍を担う者を育てるためであり、余計な会話はしなかった。それが近頃では時たまではあるが声をかけるようになり、相手をひとりの人間として見た対応をしている。


 おかげでアルトゥーロの人気は増している。元々、騎士としての技量に優れ、それに関しては非常に勤勉な彼は、真面目に騎士を目指す従卒たちの憧れの的だった。それが各従卒に良い対応をするようになったのだ。彼を目標とする従卒たちは喜んでいる。



 アルトゥーロの変化はどれも良いほうだ。

 原因は分からないけれど、恐らくコルネリオ様は知っているのだろう。気にしている様子はない。

 ならば私は黙って見守るだけだ。


 いつか、アルトゥーロが幸せを掴むことを願いながら。




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