4´・1従卒たち〈12月〉
ひらり
と白いものが舞い降りて来た。
空を見上げる。
「雪ですね」トビアが言いながらぶるりと震えた。「道理で寒いと思った。早く帰りましょう」
コルネリオの遣いで教会庁に行った帰り。そこかしこで子供が初雪に声を上げて喜び始めた。
灰色の重苦しい空。
ボニファツィオの断罪をしたのは一年ほど前のこんな日だった、と思い出す。いや、一年前というのはおかしいのだろうか。日付で言えば、一年後だ。
あのとき密偵と弾劾されかけたエレナの、恐怖に見開いた目。アルトゥーロ様も連帯責任ですかと尋ねた声。夜更けまで必死に武具を磨き上げていた顔。
……本当は彼女をスケープゴートになどしたくなかった。だがコルネリオの右腕としては、そうせざるを得なかったのだ。
茶番劇のあとも、祝杯を上げるよりもエレナのそばにいたかった。怖がらせてすまなかったと言いたかった。
それなのに俺はなにひとつ出来ず、謝る機会もないまま彼女を失ってしまった。
「コルネリオ様? どうしました?」
道の先からトビアが振り返っている。
「何でもない」と答えて止まっていた足を踏み出した。
最近トビアに恋人ができた。嬉しそうに自慢している。だがその恋人はもう少ししたら俺に言い寄ってくるはずだ。彼女は、純朴な従卒はエリート騎士に近づくための手段でしかないと考える、あの淫売だからだ。
さて、どうするかな、と考えてしまう。
この二度目の人生は一度目と全く違う部分と、ほぼ同じ部分とが混在している。
となると未だ行方知らずのエレナが前回と同じように、三月に現れるかもしれない。もしかすれば、また、俺の従卒になるかもしれない。
ついついそんな淡い期待を抱いてしまう。
一度はエレナを諦めると決めたが、やはり機会があるならばもう一度彼女と恋人同士になりたい。
だから。トビアの恋人の据え膳を前回と同じようにいただき、彼が従卒を辞めるようにした方が良いのではと考えてしまう。
だが辞めたトビアは、薄汚れた格好で夜中に都郊外をうろつくような輩に落ちぶれる。恐らくは盗賊にでもなったのだろう。貴族生まれで甘い考えの彼だ。庶民に混じって働くことができなかったに違いない。
悪い男ではないのだが。
これでも戦場を生き残ってきているわけだし。
城の門をくぐる。
「トビア。コルネリオに俺は戻ったと伝えろ。その後は休憩」
「ありがとうございます!」
従卒は嬉しそうに言って駆けていく。
エレナだったら部屋の暖炉に火を入れるか確認してから歩み去るな、と考える。あいつは王女だったくせに何故あんなに気が回ったのだろう。元からの性格なのだろうか。
そうだ。馬の様子を見ておくか。トビアの手入れは何でも中途半端だ。もっともボニファツィオあたりなら気にならない程度だ。ビアッジョなら厳しく注意するだろう。
厩舎のある城の裏手に向かって歩いていると、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。そちらを見ると建物の影から、クラリーとクレトがそれぞれ洗濯物を抱えながらやって来た。
クレトは俺に気づくと顔を赤くした。
「えっと。手が空いていたので、運ぶ手伝いを、ちょっと」
「あ、従卒の方に手伝ってもらうのはいけなかったですか?」
クラリーは、まるで俺たちの間柄が本当に騎士と洗濯女のような様子で、戸惑っている。
「いいんじゃないか。本来の仕事に差し支えがなければ」
「良かった」とクラリー。
クレトはペコリと頭を下げて小雪の降る中、ふたりは別棟の洗濯室に向かって行った。
クレトはもしやエレナの顔が好みだったのだろうか。あの顔をしていたら、中身は誰でもよいとか。それとも全てを忘れていても何か引っかかるものがあって、エレナによく似た顔と声のクラリーに恋したのだろうか。
どのみちライバルが減るのはいいことだ。
そのまま建物沿いに進もうとして。二人が出てきた辺りから今度はリーノがやって来た。目が完全にふたりを追っている。俺に気づくとあからさまにビクリとした。
「三角関係か」
「違うわっ!」俺の言葉にリーノが眉を寄せた。「クレトはお前たちの差し金か?」
「差し金?」
「裏があるのか、ないのか」
「そんなものあるか。どう見ても惚れているじゃないか」
「判断できるほど親しくない」
「なるほど。言葉遣い」
「……気を付けますっ!」
それからリーノは大きく息を吐いた。
「ひ……クラリーを泣かせたら許しません」
「クレトに言え」
「あいつにも言います」
「ここではクレトの方が先輩だぞ。それにあいつも代々騎士の名家出身だ。洗濯女ごときを相手にする身分じゃない」
リーノはギラリと俺を睨み、それからまたため息をついた。
「クラリーに聞いたんです。辛くないかって。そうしたら日の差さない地下牢に幽閉されるより、百倍マシだそうで」
「逞しいな。王も王子も情けなかったのに」
リーノがまた睨む。
「うちの陛下たちはいい方たちでした」
「身内には、だろう」
「……まあ、そうだったのでしょうね」
「素直だな」
「外に出て初めて分かりましたよ。だからといって、あなたたちが敵であることは代わりません。とにかく」リーノは洗濯室に目を向けた。「クラリーが我らの姫であることには、代わりません。私しかいないのだから私が守らないとならないのです」
「それはいいが従卒の仕事をしろよ」
「休憩中です」
「休憩は休むためのものだがな。メリハリをつけなければ怪我をする。カルミネに迷惑をかけるなよ」
リーノの肩をポンと叩いてすれ違う。
「……自分だって時間外の訓練が多いじゃないですか」
背後から届いた声。ふといつかの晩を思い出した。
「俺はエリート様とは違って叩き上げだならな。その分、基礎体力が違うんだ」
そう答えながら歩み去る。
近頃あの晩にリーノは何故、俺に真実を語ったのだろうと考えるようになった。本当に野ばらの礼だったのか?
恐らく、違う。
あれはリーノの復讐だったのだ。エレナを死なせてしまったことに対しての。
一年も仕えさせておきながら、密偵と気付かなかったことを嘲笑い。
挙げ句、本気で惚れたことを冷笑し。
彼女を殺したのはお前なのだと、楔を打つ。
それでも根が善人なのか、余程俺が哀れに思えたのか、最後に一言だけ僅かな救いをくれたのだ。彼女にとってはエレナのまま、俺に愛されたと刻まれた墓碑の元で眠るほうが幸せだろう、と。
リーノは、元から味方ならば良い従卒になったろう。やや面倒くさい性格ではあるが、剣の腕は良い。恐らく兄に勝っているのではないだろうか。
勿体ない。
そんなことを考えながら厩舎に向かった。
◇◇
馬のブラッシングをしていると、誰かがやって来た音がした。
「あれ、アルトゥーロ様」
掛けられた声に目を上げる。マウロだった。
「やあ、ブラッシング、良いなぁ」と俺の馬にも声をかけて奥へ進む。
「アルトゥーロ様は大事にされてますよね、馬」姿は見えなくなったが、マウロの声が聞こえてきた。「従卒と馬番に丸投げの騎士は多いのに、アルトゥーロ様は多忙でありながらきちんと可愛がっていて、尊敬します」
以前はあまり言葉を交わすことはなかったが、この一年ほどは多少、声をかけるようになった。エレナと同室だったマウロは恐らく下心抜きで彼女と親しく、先輩としてよく面倒を見てくれていた。
「自分の馬だから当然だと思うがな」
「そういう所が、従卒たちの尊敬を集めるところなんですよ。あのリーノも、通り名のイメージと違いすぎて調子が狂うと言ってました」
「あいつはどうだ。従卒たちの中では」
ふふっという笑い声が聞こえた。
「俺達とは仲良くやってますよ。同年代だし半年も共にいれば、まあ、馴れ合いますよ」
「そうか」
「悪い奴じゃないですしね」
「だが気は許すな」
「はい。心得ておきます」
なんとはなしにリーノは大丈夫という気がするが、前回の人生ではそばにいたエレナが密偵だと見抜けなかった。ボニファツィオなんて何年も分からなかった。安易に自分の目を信じてはいけないだろう。
「ですが、なんだか洗濯女を巡って三角関係のようで」
幹部の騎士についている従卒は、クラリーの正体を察している。
「やきもきしているようですよ」
「あれはやはり、そうだよな。本人は違うと否定していた」
「あ、そうなんですか」
と、視線を感じて目をやると、馬の間から顔を出したマウロが俺を見ていた。
「なんだ?」
「いえ。……いつの間に聞いたのかなあ、と」
「さっき、クラリーとクレトの後をリーノがつけていた」
マウロがぶっと吹き出す。
「分かりやすいっ! クレト頑張れ、ですね」
楽しそうな表情をしたマウロの顔が再び消えた。
ブラッシングが終わり、馬の鼻を撫で首を軽く叩いてやると、馬はぶるぶると鼻を鳴らした。
いい子だ、と囁いてやる。
「……そういうところ、見習わせてもらいます」またマウロの声がした。顔は見えない。「馬との信頼関係も、強さの秘密ですよね」
「……持ち上げても何も出ないぞ」
「違いますよ」笑い声。「前々から従卒の間では話題になってましたよ。だけどあまり会話する機会はなかったですから」
確かに以前は俺に話しかけてくる従卒は、トビアとクレトしかいなかった。
「あ。生意気なことを言いましたか」
ひょこりと飛び出る顔。
「いや。別に」
良かった、との言葉とともに引っ込む顔。
二度目の人生が始まって九ヶ月。確実に以前の生より、喋る相手が増えている。何故だろう。
◇◇
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