3´・2自主練〈9月〉
「アルトゥーロっ! そろそろ休憩させろっ!」ビアッジョが叫ぶ。
「だらしがない。それでよく戦で死なないな」
「こっちは中年なんだぞっ!」
仕方ないので構えていた剣をおろす。
ビアッジョも息をついて同じようにした。すかさずクレトがタオルとグラスを差し出し、ビアッジョはグラスをとって喉をならして飲み干した。
「アルトゥーロ様もお飲みになりますか?」
善良そうな顔をした俺の従卒、トビアがタオル片手に寄ってくる。これがあの薄汚れた男になって俺を殺したのかと思うと、不思議な感覚だ。人は些細なことで簡単に変わるらしい。
「いや、いい。お前たちも手合わせしたらどうだ」
二人の従卒が顔を見合わせる。それから、では失礼して、と言って離れて行った。
今は訓練の時間ではない。自主的な鍛練にビアッジョを付き合わせているだけで、ここ中庭には俺たち四人の他に人影はない。長い遠征から帰還したばかりだから、自由時間にわざわざ剣の稽古をしようなんて騎士はいないのだ。
階段に座りこんでいるビアッジョの隣に腰かける。
「全く、お前はどこまで強くなる気だ?」とビアッジョ。
「コルネリオが世界の王になるまでは、気を抜けん」
一度殺されたしな、と心の中だけで呟く。
「あと四か国か」とビアッジョ。「六年以内に行けるかな?」
「なんだ、六年って?」
そんな期限があっただろうかと考えていると。
「六年後に私は四十だ。体力が持つか心配だろう?」
「今四十の幹部はどうなるんだ」
「私はただの幹部じゃない。暴走しがちな二人の面倒も見なくてはいけないのだぞ? 他の騎士の何倍もの心労と苦労がある」
「言ってろ」
離れたところで手合わせをしている二人の従卒を見る。
クレトは上手い。褒めたくはないのだが。
一方でトビアはそうでもない。彼はクレトの二歳上で従卒としても先輩ではあるが、剣はからきし負けている。トビアは地方貴族の三男坊で、行き場がないから従卒になっただけの男だ。だから考え自体が甘いのだ。
「トビアが愚痴っているようだぞ」
その言葉にビアッジョを見る。
「『アルトゥーロ様が、帰還したら娼館に連れて行ってくれると約束していたのに、忘れている』とさ」
「……そうだった」
フィーアと開戦する前に、奴を鼓舞するためにそんな約束をした。すっかり忘れていた。
「どうしたんだ、アルトゥーロ。戻ってもう二週間を過ぎたのに娼館も女も賭博も、全然遊んでいないだろう?」
「いや、全くではないぞ」
そう、全くではない。だが確かに以前のようには遊んでいない。そんな気になれないし、これで少しはエレナの考えるまともな騎士に近づけているのではないか、と思うと満足するのだ。
「健全でいいのだがな。何かあるなら相談にのる」
「……何もない。気にするな」
「そうか」
話したところでエレナを覚えていないビアッジョは、俺が妄想に捕らわれたと思うだけだろう。
「もうひとり、健全なのがあそこにいるしな」
と言うビアッジョの視線を辿ると、回廊を並んで歩くコルネリオとオリヴィアが見えた。
帰還して以降コルネリオはオリヴィアとの仲を深め、一方で数いる愛人たちは丸っきり無視だ。あいつのことだからすぐに元通りになるかもしれないが、とにかく驚きの事態ではある。
「急に妻が可愛らしく思えるようになったらしい」
「急に? 何きっかけなんだ?」
「帰還した日だ。姫の話をしたら、妃殿下が見たことがないほど嬉しそうな顔をしたんだ。それにグッときたそうだ」
それからというものコルネリオが子供たちを話題に出すと、妻は幸せそうに微笑むという。今までそんな顔をしたことはなかったのに、二度目の人生では何故こうなったのだろう。そう考えたコルネリオは、もしかしたら自分から子供の話をしたことがなかったのかもしれない、と気がついたという。
そういえば抱いたこともないかもしれないと、コルネリオが息子をひょいと掴み上げると、妻も侍女も乳母も息を飲み、息子の顔は強ばった。
もしや怖がられているのかと、そっと抱き直すと皆が安堵のため息をついた。そうしてオリヴィアが幸せそうに息子の頭を撫でたのだそうだ。
知らなかったオリヴィアの一面に絆されたコルネリオは、この二週間、他の女に手出ししていない。遠征から帰ってきてこんな様子なのは、初めてだ。
「あの洗濯女を連れ帰ると言った時はどうなるかと思ったが、杞憂だったな」
ビアッジョは苦笑している。
負けた国王家族を処刑しないのが初めてならば、外地で気に入った女を都に連れ帰るのも初めてだ。
おかげで幹部たちは、コルネリオがあの女を相当気に入ったようだと噂しあった。もしやオリヴィア妃の地位が(もしかすれば命も)危うくなるのでは、なんて物騒な話も出ていたぐらいだ。
「お前にはきちんと説明しただろう? あれは人質だ、と」
うーん、とうなるビアッジョ。
「どうにもそれが、コルネリオ様らしくない気がするのだが。まあ、そうなのだろうな」
付き合いの長いビアッジョは、それだからこそ踏み込むべきとそうでない境界線の見極めが上手い。
「そうなんだよ」
そう言って、額の汗を手の甲で拭う。
前回の人生で俺が死んだときのことだ。
エレナの葬儀の翌朝、俺の部屋を訪れた使用人は、そこは無人で寝台に寝た形跡すらないことを、慌ててコルネリオに報告したという。
葬儀の日俺は普段通りに振る舞っていたつもりだったが、他の者からすれば無理をしているようにしか見えなかったらしい。だから即、これは何かあったのではないか、ということになったようだ。
衛兵たちが城を探す間、コルネリオはオリヴィアに激しく叱られ(よくよく考えたら彼女が怒るのはこれが初めてだったそうだ)、その最中、彼女がエレナの墓は誰か確認に行っているのよね?と尋ねたらしい。
手配をしていなかったコルネリオは慌ててベルヴェデーレと数人の衛兵を連れて城を出て、途中で念のためにビアッジョの家に俺がいるかを確認。そこからビアッジョも同行して都郊外の墓地に向かった。
その道すがら、俺の遺体を見つけたそうだ。既に野犬とカラスに荒らされて、ひどい有り様だったらしい。
目を背けたくなる無惨な死体にビアッジョは駆け寄って、何でなんだ!と叫んで号泣したそうだ。
コルネリオはあまりの衝撃に茫然自失で立ち尽くしていたというが、泣きじゃくるビアッジョの姿はしっかりと目に焼き付いているという。
そうして我に帰ったコルネリオは、時間を巻き戻すよう、その場で悪魔に命じたそうだ。
コルネリオも俺も、ビアッジョが泣いたところを見たことがない。親友だったクレトの父親が戦死したときも、歯を食いしばって耐えていた。それが騎士の運命だ、と言って。
ビアッジョも、俺が戦場以外で死ぬことはないと思っていたのだろう。
「消えた第一王女を釣る餌だ。それ以外の意味はない」
「そうだな」頷くビアッジョ。
「お前なしで決めたのは悪かったが、コルネリオが急に言い出したんだ」
ビアッジョは不思議そうな顔を俺に向けた。
「そんなのはいつものことじゃないか」
「まあ、そうか」
「フンフを落としたあの晩だろう? そういえば深夜に何を口論していたんだ。随分下らなさそうだったから、すっかり忘れていた」
「コルネリオが女の口説きかたなら自分に任せろと言い張るから」
ぶふっと吹き出すビアッジョ。
「コルネリオ様も据え膳ばかりなのに、その自信はどこから来るんだ?」
「だろう? そう言い返したら口論になった」
「恋愛指南なら、私に任せろ」ビアッジョが胸を張る。「結婚して十数年。いまだに新婚のようだ」
「……それは夫婦円満の方法ではないか?」
「ん? 確かに」
「どいつもこいつも頼りにならん」
「アルトゥーロ」
「なんだ?」
「本命が出来たのか?」
ビアッジョが真面目な顔をしている。
「いや。そういう訳じゃない」
「洗濯女は?」
「全く関係ない」
「そうか」
「……本命が出来たら手助けしてくれるか?」
「当たり前。お前が落ち着いてくれたらいいと思うしな」
「ならばその時は頼むか。コルネリオよりは信頼できる」
「任せろ」
クレトと争うかもしれないぞ、とまたも心の中だけで呟いて立ち上がる。
「休憩終了」
「もう昼だぞ! 私は飯を食べに帰る。愛しい妻が待っているからな」
「なんだ、つまらん」
「お前も飯を食いに行け!」
「それなら私がお相手しましょう」
割って入って来た声に振り返ると、階段をベルヴェデーレが降りてきた。珍しくひとりだ。
「お前がコルネリオについていないなど珍しいな」
「私にだって休み時間はあります」にこりとするベルヴェデーレ。「なかなか騎士様と手合わせしていただく機会はありませんからね、お願いしますよ」
「昔はよくしたがな」
本物のベルヴェデーレと。悪魔はなんの魂胆で出てきたのだか。
「そうだな、懐かしいな」ビアッジョはそう言って立ち上がる。「ではベルヴェデーレ、付き合ってやってくれ」
「ビアッジョ。トビアに休憩に行ってよいと伝えてくれるか」
「了解」
去っていく彼を見送る。ビアッジョが二人の従卒に声をかけるとトビアがこちらを向いて軽く頭を下げ、足取り軽く走って行った。
「エレナだったらこちらまで来て、『失礼します』と一言ありますよね」
悪魔を見るとニタニタしていた。
「何の用だ」
「相手をしますと言ったでしょう? 私は疲れ知らずだからいつまでも戦えますよ?」
「ひとりでやってろ」
「どうやって?」
「悪魔だろ? 分裂しろ」
「いやだなあ、私はあくまで一個体。下等生物ではあるまいし、分裂はできませんよ」
「ふうん。悪魔にも出来ないことがあるのか。それとも下級悪魔だから制限が多いのか?」
ベルヴェデーレの顔に一瞬怒りが浮かんだ。
「私を怒らせるのは得策じゃない」
「知らないから聞いただけだろうが。そもそも人間の要求を三つしか受け付けない悪魔なんて、聞いたことがない。限りなく誘惑するものじゃないのか」
悪魔はふうっと人間のように吐息して、先ほどまでビアッジョが座っていたところに腰をおろした。
「人間の要求を際限なく聞くのは、みな疲れたんだ。そこで三つまでにしようと決めた」
「みな? どこで決まったんだ?」
「悪魔の最高評議会。私は評議会員の中でもトップレベルの悪魔だぞ」とドヤ顔をするベルヴェデーレ。「次に下級悪魔なんて言ったら八つ裂きにするからな。で、その三つでいかにその人間を堕落させるかが腕の見せ所だ。それなのに」またため息をつく悪魔。忙しい奴だ。「コルネリオは全くダメだ。どんな誘惑を囁こうが全て無視。嫌になる」
「……なるほど」
まさかと思うが、俺は今、悪魔の愚痴を聞かされているのだろうか。いや、そんな阿呆なことはない。きっとこれは悪魔の何かの作戦なのだ。
「せいぜいが女遊びが激しいぐらい」
「お前が現れる前からだぞ」
コルネリオがおとなしくしていたのは、デルフィナと結婚した約一年の間だけだ。
「そうなんだ。あれは私の手腕ではない。それでも悪魔的には良い点だったのだが、ここ二週間それもぱったり止んでしまった。帰還したての今が、誘惑を囁く狙い目だったのに!」
やはり俺は愚痴を聞かされているのだろうか。
「あれじゃ品行方正なただの賢王だ。この私と契約した人間で堕落しなかった奴などいなかったのに!」
「コルネリオは意志の強い男だからな」
「悪魔の沽券に関わる!」
「そうか」
「……だがもう、いい」
ベルヴェデーレが俺を見る。吸い込まれそうな瞳だ。
「次の契約者にならないか。エレナだって思いのままだぞ。再びお前に惚れさせることもできる」
そうか、と得心した。悪魔は俺にコルネリオを殺させたいのだ。意のままにならぬからさっさと死んでもらって魂を回収。そして次の契約者となった間抜けな俺を堕落させて楽しむに違いない。
どう答えるのが正解なのだろう。
「アルトゥーロ、様!」
おかしな間がある呼び掛けにはっとする。リーノだ。中庭の対面から走ってくる。
「今なら手合わせをやってくれるかもとトビアから聞きましたが、衛兵殿の次にいいですか!」
「カルミネの……」
「許可は取りました!」
被せるように叫ぶリーノの目は、真剣だ。隙あらば俺に一撃与えたい、といったところか。
そういえばこいつは、エレナの墓で会ったときに剣を向けられても平然としていた。ボニファツィオからも逃げているし、もしかしたらそれなりの腕があるのかもしれない。
「だそうだ」と悪魔に言って、立ち上がる。「やってくるか」
「私とは?」
「断っただろう?」
「鍛練に向いているのは私ですよ。あんな小僧では相手にならないでしょう」
「悪魔の誘いにのるなと、コルネリオに釘を刺されている」
「なるほど」
コルネリオには注意を促すべきだろう。悪魔がお前の死を願っていると。
リーノの元に歩み寄る。
「衛兵殿は終わったのですか?」
振り返ると、ベルヴェデーレはこちらに背を向け階段をのぼっていた。
「リーノ」
「何です」
「悪魔の誘いにのるなよ」
「何のことですか」
彼は眉間にシワを寄せた。
「コルネリオの首を獲るなんて無謀なことは考えるな、ということだ」
「そりゃ無理ですね。主君の敵ですから。姫が人質ですから、やりませんがね」
「……正直だな」
「繕っても仕方ないでしょう」
平然と言い放つリーノに、少しだけ楽しい気分になった。
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