3´・1帰還〈9月〉

 長い遠征を終えてメッツォの都へと無事帰還した。


 前回判明した裏切り者ボニファツィオとベニートは、途中で捨てて行くかとも考えたのだが、結局何も知らないふりをしたままにすることにした。むしろ重用し、ガンガン偽情報を流してゼクスを混乱させるのだ。


 それからやはり前回、俺を殺した従卒トビア。コルネリオは絶対に殺すと言い張った。禍根は断つがヤツの主義だから当然とは言える。だけれど俺はまだそいつを雇っている。


 前回よりも数ヶ月遅い帰還となったが、国にも城にも変わりないようだ。

 オリヴィアは相変わらず能天気な笑みを浮かべて夫たる国王を出迎えた。それも勿論、前回と同じ。


 だがもしや、夫の留守中に城も国もしっかり守っているオリヴィアは、実は良くできた王妃なのではないかと、初めて思った。

 勿論大臣や衛兵、文官、といった優秀な人間が実質的な仕事をしているのだが、王妃はお飾りでも、国王の代理を立派に務めていたらしい。


 今まではそれを当然だと思っていたが、よく考えてみたら美貌しか長所のないコルネリオの前妻や、民を捨てて逃げるフィーアの王妃なんかに比べると、至極真っ当だ。


 笑顔を浮かべ騎士ひとり一人にも労いの言葉をかけるオリヴィアは、実は能天気なだけの女ではないのかもしれない。


 この二度目の人生では関係のないことだが、彼女はエレナの棺にあふれんばかりの花と婚礼衣装を入れてくれた。それだというのに俺はその礼も言えないまま、死んでしまった。


 どうやってその感謝を伝えればいい?


 一通りの挨拶が済み皆が思い思いに動き出すと、俺はオリヴィアの元に進み出た。

「オリヴィア妃殿下。遅ればせながら、姫君のご出産おめでとうございます」


 思い付いたのは、それだけだった。彼女は夫の留守中である七ヶ月ほど前に、第二子を出産した。二人目であるうえ女の子とのことで、コルネリオも俺たちも何の関心もなかった。前回も、今回も。


「……まあ」

 そう言ったオリヴィアは、見たことのない笑みを浮かべた。最上級に幸せそうな顔だった。

「ありがとう、アルトゥーロ」


 彼女の隣のコルネリオを見る。目を見張っている。

「……そうだったな、オリヴィア。よく頑張ってくれた」

 彼女は夫にも笑顔を向けた。

「ありがとうございます。お会いになる?」

「ああ。……そうだな。祝宴の前に顔を見てくるか」

 夫の言葉に妻は笑みを深めた。


 去り行く二人を見送っていると、ビアッジョがそばにやって来た。

「コルネリオ様がお子に関心を持つなど、珍しい」

 彼の第一子は多分、二歳ぐらいのはずだが父親らしい言動をしているのを見たことがない。


「妃殿下は王族にしては子煩悩な方だから、嬉しかろうな」

 ビアッジョの言葉に驚く。そんなことは初めて聞いた。

「そうなのか? 初耳だな」

「いや、言ったっはずだぞ、何回かは」彼は苦笑した。「コルネリオ様もアルトゥーロも関心がないから覚えていないだけだ」


 そうなのかもしれない。彼女が子煩悩かどうかを判断するための記憶すらもない。興味がなかったからだ。コルネリオも妻を気に入ってはいたが、やはり、それだけだった。


「……子の名前はなんだった?」

「フローラ=ジェンマ姫だ。覚えておけよ」

「王子は?」

「お前……」ビアッジョは深くため息をついた。「……それだけコルネリオ様も無関心ってことだ」

「いや、話題に上がらない訳ではないぞ」


 なんとなく申し訳なくなり(それが誰に対してなのかは自分でも分からないが)、言い訳をねじ込む。


「ただ、コルネリオは『息子』と呼ぶからな」

「嘘をつけ。聞いたことがない。コルネリオ様は『あれ』ばかりだろうが。セノフォーテ殿下だぞ。これを機に覚えておけ」

「努力する」

「ついでにお前もそろそろ所帯を持ったらどうだ? ――ん? 私は何か悪いことを言ったのか?」


 ビアッジョが怪訝そうな表情をしている。

「いや、何も」


 そう答えて改めて、ビアッジョがエレナを覚えていないという事実に胸が苦しくなった。あんなに仲良さそうに喋り、家にも招いていたというのに。


 エレナを失って半年も経つのに、俺は一向にそれに慣れることができない。

 もし今悪魔に契約を持ちかけられたら、了承してしまうのではないだろうか。





 ◇◇




 祝宴が始まるまで時間が空きそうだったので、ひとり庭園に出た。なんの期待をしていたのか分からないが、以前に野ばらが咲いていたところに自然と足が向いたのだ。だが、既に秋。春の花はさすがに咲いていなかった。


 当たり前のことなのに、何故か気分が沈む。この城にはエレナの痕跡が何もない。


 手持ち無沙汰に、まだ主人の荷物を運んでいる従卒たちをぼんやりと見る。

 クレトにマウロといったエレナと親しかった彼らも、勿論彼女を覚えていない。



「アルトゥーロ、様」

 掛けられた声に振り向くと、眉間にシワを寄せたリーノが立っていた。クラリッサと一緒に彼も連れて帰って来たのだ。万が一どちらかがコルネリオに敵意を向ければ、もう片方が処刑される仕組みだ。


 リーノは姫のためなら何でも耐えると約束をし、カルミネが戦で失った従卒の後釜になった。てっきり二十歳ぐらいだと思っていたが、実際のところ彼はまだ十七歳で、フィーアでも従卒をしていたらしい。一兵卒にする案もあったが、従卒のほうが監視しやすいだろうと結論づいたのだった。

 ついでに名も改め、レナートから再び(俺にとってはだが)、リーノとなったのだった。


「なんだ、従卒」

 何でも耐えると言った割には、いまだに俺を様付けで呼ぶことに抵抗があるらしく変な間があるし、顔は嫌悪でいっぱいだ。俺は父親の敵であるから、気持ちは分からないでもない。


 だが従卒たちとは打ち解けてきているようだ。

 やはりエレナと同様に何ヵ月も寝食を共にすれば、敵も同じ人間なのだと気づき憎しみが薄れるのだろう。


「クラリーのことなのですが」

 クラリーとはクラリッサのことだ。こちらも名前を変えた。

「せめて侍女にしていただけませんか。私が下男でも何でもやりますから」

「嫌ならば王族として死ぬべきだった。俺たちは彼女に選ばせてやったぞ」

「だけれど、洗濯女だなんて」

 リーノは悔しそうに唇を噛み俯いている。


「侍女になどして、コルネリオ陛下の家族に危害を加えられてはかなわん。城の中を自由に動き回れる、食事に携わる、そんな仕事はさせられない。当然だ」

「だが彼女は女だ! そんな暴力的なことは――」

「第一王女はお前と共に騎士の教育を受けたのだろう?」


 リーノはうっと言葉に詰まった。


「彼女は特別だ!」

「言葉遣い」

「……彼女は特別です。クラリーは何も出来ない」


 そんな言葉は何の保証にもならない。かつて、ひ弱だと思っていた中年女が行った凶行があるのだ。


「お前が逆の立場だとしてもそう言って、大事な家族のそばで働かせるのか? 随分な聖人様だな」


 リーノは再び唇を噛んでいた。


「それでも、彼女の尊厳を……」

「二度も王族として負けたくせに、尊厳も何もあるか。俺に噛みついているヒマがあるなら仲間を手伝え、新入り。というか、お前は自分の仕事は終わったのか?」


 ベテラン勢はともかく、他の従卒はまだ忙しくしている者が多い。


「……荷運びは済んだのですが、その後の指示を頂いていないので、何も手を付けていません。片付けるにもカルミネ様のやり方があるでしょうから、指示を待ったほうがいいでしょう?」


「お前、バカなのか? それならなおのこと俺と話していないで、カルミネの元へ行け」

「私は元敵方なので、城の中枢には入るなとカルミネ様に命令されてます」

「ならば人を間に立てればいいだろうが」

「従卒は皆、忙しそうですから」

「お前、本当に従卒だったのか? エレナですらもっと……」


 思わず出た名前に、はっとして口をつぐむ。エレナはこの世界にはいないのだ。


「……もう戻るから、カルミネに伝えておいてやる。次からは自分で動け」

 リーノは瞬きをして、だが俺礼を言いたくなかったのか、僅かに頭を下げた。


 というよりもこの男は愚鈍なのではなく、つまらぬ反抗心を見せつけているだけだとその表情から気がついた。

 なんでもやると言いながら、コルネリオ軍の騎士に仕えることにガマンがならないのだ。

 そう考えると、エレナの矜持は凄い。憎い敵の俺の元で、従卒の仕事は手を抜かず完璧以上にこなしていた。


 彼女は城に現れたときに二十歳と言ったが、あれは嘘だったようだ。レナートと第一王女は同じ年だという。あの時の彼女はまだ十八だったのだ。


 二十歳ですら小娘だと思っていたのに、俺より八つも年下となると一層居たたまれなくなる。

 そんな年端も行かない彼女が必死に隠していたものを、俺は全く気づけずにいたのだ。あまりに情けない。



 そんな風だから彼女を失ったのだ。

 もしまた彼女に会えたなら、同じ事を繰り返したくない。






 ◇◇

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