2´・2 口論〈6月〉
先ほどベルヴェデーレは『準備』と言った。
恐らくこれからクラリッサは侍女に姿を変え、ベルヴェデーレはどこからか彼女の身代わりにする死体を調達してくるのだろう。その死体を第二王子妃として改めて殺し、先に処刑された夫たちと共に葬るに違いない。
「大人しそうな顔をしていても、やはりエレナの妹だな。気が強そうだ」とコルネリオが言った。
「聞いていないぞ。連れて帰るなんて」
「まあ、そうだな」とコルネリオは王の顔から友人の顔に戻って酒を口に運んだ。「お前はまだ、後ろ向きだからな」
「どういう意味だ」
アルトゥーロ、とコルネリオは俺の名前を呼んだ。
「俺はデルフィナを失った。悪魔にまで頼ったのに、取り戻すことができなかった。だがお前のエレナは生きている。
それなのにお前は諦めやがった。彼女の幸せのためだろうがなんだろうが、腹が立つんだよ。うっかり殺されるぐらい惚れていたのなら、もう一度手に入れろ。反論は聞かん」
「……なんだそれは」
「言葉通りだ。このまま綺麗にサヨウナラだなんて納得できん。だいたい今回、お前はエレナの恋人を殺していない。それなら普通に出会って恋に落ちたってなんの問題もない筈だ」
まくし立てたコルネリオは真っ直ぐに俺を見ている。
返事をする代わりに酒を煽った。
そのぐらいのことは、勿論俺も考えた。コルネリオがフンフに進攻する、だがエレナがそこにいても王族と見なさず見逃してくれると言ったときに。
前回と違う出会い方ならば、エレナが苦しむことはないかもしれない。俺は彼女の恋人を殺さなかったのだから、その可能性は十分ある。兄のほうは、これから自分の目で世の中を見れば前回と同じように、立場の違いのせいだと納得してくれるのではないかと思う。
だが……。
「ここにエレナの母親と妹はいたが本人はいなかった」コルネリオは続けた。「それなのにお前は彼女の行方を探そうともしない。後ろ向きと言わずなんと言う。へっぽこにも程がある」
「……」
「エレナの幸せ? そんなもの知らん。お前は自分の幸せを掴みとれよ。二十年以上一緒にいるが、お前が執着したものなんて彼女だけではないか」
「……お前の勝利に執着はしてるぞ」
「それを除いてだ!」コルネリオは拳で卓を叩いた。「お前と俺は運命共同体だから、別枠!」
「なんだよ、それ」思わず苦笑が零れる。「まるで子供の屁理屈だな」
「だが事実だろう?お前は俺の夢の実現以外には、興味を持たなかった」
「まあ、そうだな」
「それなのにどうして諦める?身を引こうとする?俺には理解できん」
「……」
「だから妹を連れて帰ってやる。エレナはあの性格だ。きっと妹を取り返しに来るだろう」
俺はまた、返事をする代わり酒を煽った。
「……アルトゥーロ」
「……なんだ」
「……まさかお前、エレナを手に入れる自信がないのか」
幼馴染の顔を見る。
「違う出会い方をしたら、無理だと思っているのか」
一体どうしてコルネリオは、余計なところで幼馴染ならではの洞察力を発揮してくるのだろう。
「……どう考えても無理だろうが」
そう答えて、胸がズキンと痛む。
「意味が分からん! どうしてだ!」
コルネリオがまた卓を叩いて身を乗り出した。
「どうしてもこうしても、俺は元々、彼女の好みの男ではない。エレナが好きなのは清廉潔白な騎士だ。しかもそんな騎士様が生きてちゃんとそばにいるんだぞ」
「そんなのは奪えばいいだろう! 前回、最終的にはお前に惚れたんだ。何を弱気になる必要がある」
「一年、従卒と主として共に行動したからだ」
「ならば一年分を詰め込んで、必死に口説けばいいだろう!」
「口説き方など知らん!」
「何を言ってる! 散々遊んで……」
「据え膳しか食ってない!」
コルネリオは間抜け面を晒して、押し黙った。
「……そう、だったか?」
「そうだ。俺は子供の頃からお前の片腕になるために必死だったろうが! 恋愛なんてするヒマはなかったし、しなくても女に不自由することもなかった」
「……なるほど。そうか。確かに」
お前もモテるもんな、と呟いてコルネリオは椅子の背にもたれた。
「だからって、そんなアホな理由で諦めがつくものなのか? 求婚までしたのに」
「……分からない」
だが、エレナがいなくなって三ヶ月も経ったというのに、俺はまだ気持ちの整理がついていない。
「ふざけんな。俺はエレナのせいでお前を一度失ったんだぞ。クソみたいな泣き言を言ってないで、幸せになれ。でないと許さん。まあ、恋愛するヒマがなかったのは俺のせいだからな。その分はサポートしてやる」
ドヤ顔でふんぞり返る幼馴染。
「……コルネリオ」
「ありがたいだろう?」
「お前、本気で口説いた女は何人いる?」
「本気はデルフィナだけだ。知っているだろうが」
「彼女はお前の口説き文句に絆されたことはないよな」
「うん?」
「お前のサポートは役に立つのか? 自分だって据え膳ばかりだよな?」
「お前よりはまともに口説いている!」
ふざけんな、信用できるか、弱気にも程がある、とかなんとか。しばしの間、激しく言い争っていると、扉を叩く音がした。
「誰だ?」とコルネリオ。
「ビアッジョですが、開けますよ」
その言葉通りにビアッジョが開いた扉の向こうにいた。寝間着の上にガウンをはおり、手には剣。
「どうした?」
「それはこっちのセリフです」ビアッジョは不機嫌そうに眉を寄せている。「若い衛兵が、陛下の部屋から激しい口論が聞こえると泣きついてきたんで、仕方なく様子伺いに来たんですよ」
「……ご苦労」
「扉の外まで聞こえましたが、下らない争いのようですね」
「そうでもないぞ」
コルネリオの言葉に、ビアッジョの眉間のシワが深くなる。
「一国の王が兵士につまらぬ心配をかけないで下さい」
「……うむ。だがアルトゥーロが悪い」
「コルネリオが悪い」
「どっちでもいいですから、静かにケンカして下さい。私は眠いんです!」
「……分かった。ゆっくりと休んでくれ」
コルネリオの言葉に俺も頷く。
ビアッジョは、お願いしますよ、と念を押して扉を閉めた。
「お前のせいでビアッジョが不機嫌だ」とコルネリオ。
「違う、お前のせいだ」
「お前の、」
「お前だ」
また言い争いが始まりそうになり、お互いにはっとして口をつぐんだ。
「とにかくエレナを諦めるな。俺は許さん」とコルネリオ
ため息が零れた。
「……エレナが現れたとして、その隣には恋人がいるんだぞ」
「だからなんだというんだ」
「……クレトですら俺にはキツかった」
思い出すだけで嫉妬で苦しくなる。
「お前、案外繊細なんだな。俺はデルフィナの隣に立つ男は、誰であろうと殺す気でいたぞ」
「お前は血の気が多すぎるんだ」
コルネリオはグラスの酒を飲み干すと、それを音を立てて卓に置いた。
「妹は連れて帰る。俺はやりたいようにやる。どのみちエレナがとっくに野たれ死んでいる可能性だってあるしな」幼馴染は大きく吐息した。「お前、今自分がどんな顔をしたか、分かっていないだろう。そんな悲壮な顔をする奴が、彼女を諦められるなんて微塵も思えん」
「……俺はそんなひどい顔をしたのか?」
コルネリオは黙って首を上下に振った。
あの晩、クレトの腕の中で血塗れで息絶えていたエレナを思い出すと、今でも苦しくなる。二度とあんな無惨な目に遭わせたくない。
「そばにいて守りたいだろう? あのダニエレなんて旧態依然とした騎士の腕を信頼できるのか? 確実にお前より弱いのだぞ?」
見るとコルネリオは、暗い顔をしていた。
「俺は守れなかった。二度目ですらな」
デルフィナが殺されたあとのこいつの荒れようは酷かった。怒りの持っていく場がなかったからだろう。元王妃の遺体は野犬とカラスにでも喰わせろと言って、郊外の荒れ地に捨てさせた。
コルネリオは多くの王族を処刑してきたが、弔いを許さなかったのは、後にも先にも彼女だけだ。
二度目でも愛する女を守れなかったコルネリオの自分への怒りは、どれほどのものだったのだろう。
「……お前の気持ちには感謝する。チャンスをくれたことにも」
「当然だ。お前がいなければ、俺は世界の王になれないし、なりたくもない」
そう言って手酌で酒を注ごうとしたコルネリオは。
「すっかり言い忘れていたが、巻き戻す前の記憶があるのは本来、それを命じた俺と実行した悪魔だけなんだそうだ。お前が思い出したのは、完全なイレギュラー。ベルヴェデーレの話では、相当な後悔なりなんなりの強い思いがあったからではないか、とのことだ」
それは、つまり。
「どう頑張っても、エレナが前回の記憶を取り戻すことはない。関係は一から構築するほかないぞ。泣き言を言っているヒマがあるなら、必死に口説け。いいな?」
エレナは俺を思い出さない。
主従としての日々も、俺の腕の中にいてくれた幸せな時間も、プロポーズのことも、何もかも。
彼女が苦しむことがないようにと、俺は彼女を諦めると決意した。
だけど本当は心の片隅で、期待していたのだ。彼女が全てを思い出し、俺の元に帰って来てくれるのではないか、と。
「……アルトゥーロ。すまん。もっと早くに教えておくべきだったな」
コルネリオが立ち上がり俺の隣に立つと、静かに肩に手をのせた。
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