2´・1 妹〈6月〉

 前回フィーアを征服したあと、コルネリオ軍はフンフ遠征を諦めて帰還した。山越えが予測より困難そうで、計画を練り直すためだった。


 だが今回は――。


 二度目の人生が始まった翌朝、コルネリオは俺に言った。このままフンフに進攻する、と。


 前回の人生ではフンフとの開戦直前までいっていた。当然、山についての調査検討は済んでいて、敵からの攻撃を受けるだろうルートも把握済みだった。


 そして今回。フンフ軍は、好戦的ではあるけれど仲間の損害を最小限にとどめる戦い方をするコルネリオが、予想以上に要塞がわりとなっている山に、今の時点で無闇に進軍するとは考えていないだろう。


 どう考えてもチャンスなのだ。


 そしてフンフには、逃れてきたフィーアの王妃と王女たちがいるはずだ。俺たちは今まで国王一家を、例外なく全員処刑してきた。


「だが」とコルネリオは俺を見て、はっきりと言った。「彼女たちは自害し、その遺体が見つかる筈だ。フンフにもしフィーアの王族を名乗る者たちがいても、それは偽物に違いない」


 親友曰く、禍根を断つことと俺を天秤にかけるならば、後者のほうが100万倍の重さがあるという。

 俺には甘い幼馴染には感謝しかない。


 そうしてコルネリオ軍は、二週間の休息(兵士にとってだ。幹部は馬車馬の如くに働いた)ののち、フンフに向けて出発したのだった。





 この進攻はフンフにとって、完全に予測外のことのようだった。しかも俺たちが山超えルートを詳細に検討済みとも考えていなかったのだろう。迎撃用の兵団が待ち伏せてはいたけれど規模は小さく、またコルネリオ軍はそれを避けて通り、混乱して態勢建て直し中の奴らの後方や側面から奇襲をかけて、あっくなく撃破した。


 山越えは厳しかったものの圧勝が続くコルネリオ軍の士気は最高潮まで高まり、その勢いのままフンフ軍の本隊にも完勝、今回も瞬く間に王都を制圧したのだった。





 ◇◇




 フンフの国王は戦場に出ることもしない卑怯者で、彼を含めた国王一家は大まか通常通りに処刑した。

 その一方でフィーアの王妃と思われる女は、コルネリオ軍が入城する前に自害したようだった。


 そしてどこを探しても、第一王女の姿はなかった。ついでにダニエレも。

 だが第二王女らしき女とリーノ、ではなかったレナートはいた。彼女の名前はクラリッサ。フンフの第二王子と結婚したばかりだった。


 コルネリオは一家の処刑時に彼女の番が来ると、待ったをかけた。そして『彼女だけは明日にする、夜に私の部屋に連れてこい』と言ったのだった。


 みな『コルネリオの悪い虫がまた出た』と苦笑して、それで終わり。命拾いした王女ひとりだけが、蒼白の顔をして硬直していた。





 ◇◇





 夜も更け、コルネリオの部屋(勿論、少し前までフンフ王のものだった部屋だ)で、ゆるゆると酒を飲む。お互いに言葉は少ない。

 いや、コルネリオは俺を気遣って黙っているだけかもしれない。

 王妃と第二王女がいて彼女がいないというのは、全くの予想外だった。



 扉を叩く音がして、ベルヴェデーレが入って来た。彼が持つ縄には、第二王子の妻が繋がれていた。罪人のように両手を前で括られ、猿ぐつわをされていた。


 彼女は俺を見て眉を寄せた。コルネリオしかいないと思っていたのだろう。


「聞きたいことがある。フィーアの第二王女クラリッサ」

 コルネリオの言葉に彼女の目が見開かれた。気づかれていると思っていなかったらしい。


 だが間違いないはずだ。彼女はエレナによく似ているのだ。姉に比べれば大人しそうな雰囲気ではあるし、まだ十六歳とのことで幼さもある。


「返答いかんで、お前つきの侍女や騎士を殺さないでやる。だから母親のように舌を噛みきったりするな。分かったか?」


 クラリッサの目がコルネリオと俺の間を往復し、それからゆっくりと頷いた。


「ベルヴェデーレ。くつわだけ外してそこの椅子に座らせろ。終わったら下がれ」

 悪魔は言われた通りに衛兵らしく仕事をすると、静かに部屋を出て行った。


「さて、クラリッサ。まずはお前の結婚の経緯は?」とコルネリオが尋ねた。


 彼女の話によると、フンフ国王は地の利があるから、コルネリオが攻めてきても勝てると考えていたそうだ。そしてその勢いでフィーアからメッツォ軍を追い払い、支配下におく。

 その時にフンフにはその権利があると主張するために、第二王子とフィーアの姫で結婚した。


 まあ、予想通りの答えだ。


「だがその理由のためならば、婚姻は第一王女のほうが適していたのではないか?」


 クラリッサは小さくため息をついた。


「姉はどこにいるのか分かりません。ここまでは一緒に来ました。ですが私と母が無事に迎え入れられるのを確認すると、護衛ひとりを付けただけで旅立ってしまったのです」


 ひとりの護衛。確認しなくとも、ダニエレだろう。


「騎士と駆け落ちしたのか?」コルネリオがストレートに尋ねる。


 おい。もう少し親友に配慮をしてくれてもいいんじゃないのか。


 クラリッサは目を見開いて、それから逡巡しているようだった。

「……駆け落ちなんてしていません」

「一緒に行ったのはダニエレではないのか?」

「どこまで知っているのですか?」

「親公認の恋人だろう?」

「清らかな間柄ですから」

「そう」


 コルネリオがちらりと俺を見る。


「確かに供についたのはダニエレです。ですが、そのような目的ではありません」

「ならば目的をはっきりと話せ」


 クラリッサの目が、またコルネリオと俺の間を往復した。それから覚悟を決めたように、改めて背筋を伸ばした。


「好戦的なコルネリオ王。主君を討って王位を簒奪し、周囲の国も次々と征服。国王家族は皆殺し。片腕は、命乞いされようが敵はひとり残らず殲滅する冷血の騎士。父は、こんな残虐な王を野放しにする訳にはいかん、そう話していました」

 それで、と促すコルネリオ。


「ところがフンフに来る道中で、幾つかの噂話を聞きました。私たちを王族だと知らない旅商人たちからです。曰く、コルネリオ王は好戦的ではあるけれど、民のためには善政を行っている。彼が征服した国の民は王が変わったことを喜んでいる。むしろコルネリオ王は、王と民の関係が悪いところから攻めているようだ」


 クラリッサはひと息ついた。


「私は馬鹿馬鹿しいと思いました。フィーアの国民は父や私たちに敬意を抱いている。その噂はきっとコルネリオ派が流した嘘だ、と。だけど姉は、段々考え込む時間が増えました。私たちは王族の立場からしか民を見ていない。もしかしたら不満がたまっていたのではないか。そんな考えにとりつかれてしまったのです」


 旅商人の噂話は事実だ。コルネリオが攻める国を選ぶ基準のひとつが、征服後に平定しやすいよう、王が愚鈍であるということだ。

 エレナやこのクラリッサは内から見ているから分からなかったのだろうが、フィーアの国王はけっして民に慕われている王ではなかった。


「ですから姉は自分の目で事実を確かめたいと言って、私たちが止めるのも聞かずに旅立ってしまいました」

「で、どこにいるのか分からない、と」

 頷くクラリッサ。

「いつ帰ってくるかは?」

 彼女は、分かりませんと答えた。


「姉はとても頑固なうえに直情型で、こうと決めたら周りの意見なんて聞かないのです。私たちにできるのは、彼女が自分なりに納得するのを待つだけ」


 全くもって妹の言う通りだ。

 と、コルネリオがまた俺を見た。


「念のために尋ねるが」とコルネリオ。

「俺か?」

「この女、欲しいか?」

 思わず眉を寄せた。


 クラリッサはエレナによく似た容姿だ。それだけでなく声もまた、そっくりだ。目を瞑って聞けば、エレナがそこにいると勘違いすることができるだろう。


 だけれどこれは、エレナではない。


「すまん、怒るな。ただの確認だ」そう言ってコルネリオは再びクラリッサを見た。「第二王子の妻は、俺の怒りを買って閨で殺される」


 彼女の顔が強張った。


「さて王子妃。誇り高く王族として死ぬのと、惨めに身をやつし生き延びるのはどちらがいい」

「当然王族として死にます」

 強い眼差し。やはりエレナに似ている。


「その場合はお前の侍女や騎士たちも皆死ぬ。お前の死体には、フィーアから民を見捨てて逃げた卑怯者との看板をつけて、広場に晒してやろう」

「ひっ、卑怯者? 私が?」

「他になんと呼ぶ? 私は無辜の民は殺さない主義だが、王に都に立て込まれたらまるごと攻撃するしかない。そのせいで何人の民が巻き添えを食ったことか。だが姫君は逃げおおせ、優雅に暮らしている」

「フィーア王家の血を絶やさぬためよ!」

「血筋になんの意味がある。王家の血をひいていない私のほうが国民に支持をされ、騎士の血をひいていないアルトゥーロのほうが代々の騎士よりも強い」


 クラリッサの顔は蒼白だ。


 まあよい、とコルネリオ。

「ベルヴェデーレ!!」

 彼が叫ぶと扉が開き、悪魔が顔を出した。

「彼女の侍女と騎士をいますぐ処刑しろ。妃は臣下を守るつもりはないそうだ」

 恭しく頭を下げるベルヴェデーレ。


「待って!」とクラリッサ。「もうひとつの選択肢。私に何をさせるつもり?」

 コルネリオは笑みを浮かべた。

「下働きの使用人として雇ってやる。意図がわからぬ第一王女に対しての人質だ」

「姉への?」

「頑固で直情型なのだろう? 父の敵討ちにやって来るかもしれない」


 クラリッサはまたコルネリオと俺を見比べた。


「……あなたが姉を恐れるとは思えない」

「なるほど、愚かではないのか。だがこれ以上、敗者に教えることはない」

 クラリッサはしばらくコルネリオを睨み付けていた。

「……あなたの愛人になれということ?」

「いや、俺は可愛げのない女に興味はない。アルトゥーロも必要ないようだし、完全に下働きだ」


 デルフィナは相当可愛げのない女だったぞ、と思う。いつもツンとしてプライドの高さは世界一だったに違いない。もっとも彼女以外でコルネリオが手を出してきた女は、正反対のタイプだけだが。


 いやそんなことよりも、他にも突っ込みたいことは沢山ある。


「……分かりました」クラリッサが覚悟したのか、渋面で承諾した。「下働きになります。皆を殺さないでくれますね」

「約束は守る。ベルヴェデーレ」

 悪魔が首肯する。

「分かっているな」

「勿論ですとも、陛下。早速準備を致します」


 そう言ってベルヴェデーレはクラリッサに歩みより、その手首から垂れていた縄を掴んだ。

 一瞬、フィーア国の元王女の顔が歪んだが、すぐに表情を消して優雅に立ち上がり誇り高く退出していった。

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