1´・2幼馴染〈3月〉

「裏切ってすまん。いかようにでも処罰してくれ」

 頭巾とマントを脱ぎ、腰の剣と懐中のなまくら剣を地面に置いた。

「こうする他なかった。本当にすまない」


 驚くことに声が震えた。

 ずっと俺は、親友のコルネリオが世界の王になる日を夢見ていた。そのためだけに騎士になり、冷血と呼ばれようが構わなかった。その俺がこいつを裏切り失望させる日が来るなんて、つい数刻前まで考えたこともなかった。それなのに。煩悶する間もなく、裏切りを知られてしまった。


「これは何か関係があるのか?」コルネリオが隣のベルヴェデーレを見て尋ねた。

「さて?」

「予測していたか?」

「どうでしょう?」


 性悪め、とコルネリオが吐き出すように言った。そして。


「ベルヴェデーレ。あの男が無事、城壁の外に出られるよう、誘導しろ。味方は絶対に殺すな」

「かしこまりました」

 一礼したベルヴェデーレは衛兵の制服と槍斧を持ったままの姿で、男が消えた扉をくぐって行った。


「コルネリオ?」

「あの男はエレナに関係があるのか?」

 息を飲んだ。


「お前、エレナを覚えているのか!?」

「まあな。お前こそ、だ。アルトゥーロ」コルネリオが小さく息を吐いた。「……俺が訊くまでお前は、エレナに惚れていると教えてくれなかったな」

「……すまん」

「幼馴染の親友だからといって、秘密がない訳ではない。お互いにな。アルトゥーロ。時間を戻したのは、俺だ」

「……どういうことだ」

「正確には、戻すようベルヴェデーレに命じた」


 一体こいつは何を言っているのだ?


「中に入ろう。全て話すから、お前も隠さずに話せ」

 幼馴染はそう言って地面に置かれた剣を拾い、俺に差し出した。



 ◇◇



 コルネリオは死んだばかりの王の部屋を自室としている。

 部屋に入ると差し向かいで卓につき、幼馴染の王はふたつのグラスに酒をなみなみと注いで、片方を俺に差し出した。


「最初から覚えていたのか? それとも思い出したのか?」とコルネリオ。

 最初というのがどこかは分からないが、後者なのは間違いないだろう。

「思い出した」

「いつ」

「あの男と対峙したとき」

「ボニファツィオが様子がおかしかったと言っていたが、そうか。あいつがエレナに関係があり、それでお前は思い出した」


 俺は頷き、尋ねる。

「お前はどこまで知っているんだ」

「何も知らん」とコルネリオ。「そうだ、お前は殺されたんだ。それは覚えているか?」

「ああ」

「お前を殺った奴はどいつだ!?」

 コルネリオの顔が険しくなる。

「前の……、いや、今の従卒トビアだ」

「は? あいつか? あんなヒヨッコに殺られるお前じゃ……」


 コルネリオは言葉を切って、じっと俺を見つめた。


「……死にたかったのか?」

 尋ねる声は低く、表情は珍しく影っていた。

「まさか。ただ、ぼんやりしていて反応できなかっただけだ」

「用心深いお前が、深夜の郊外にひとりでいるのに、ぼんやり?」

「本当だ」


 コルネリオは再び黙って俺を見ていたが、やがて息をついた。


「俺は彼女を亡くした時、怒りが外に向かった。お前は内に向かった、ということか。あの晩、お前についていなかった俺が悪い。ひとりにしてやる方がいいと判断したが、間違いだった。お前がそこまで惚れているなんて気づかなかったんだ」

 そして酒を煽る。


「オリヴィアの方が理解していた」

「オリヴィア?」

「そう」とコルネリオは首肯した。「なんで付き添っていてやらなかったんだと叱られた。お前、プロポーズしたんだってな」

「なんであの女が知っているんだ!」

「エレナから聞き出したらしい。と言っても本人は否定したが、態度でまるわかりだったそうだ。無駄に他人の恋愛の世話を焼いているから、察知力が高いのだろう」


 ということは、いつだか庭に呼び出され盗み聞きをさせられたのは、俺がエレナに惚れていると気づかれていたからか。


 なんてこった。脳みそのない能天気女だと思っていたのに。

 ……そうか。だからエレナの棺に婚礼衣装を入れてくれたのだ。


「お前の遺体がみつかって、恐らくエレナの墓参の帰りだったと推測できた。ショックだったよ」

「……すまん」

「お前が戦場以外で死ぬとは思わなかった」

「本当にすまん。俺もそう思っていた」


 だよな、と苦笑するコルネリオ。


「俺はお前と一緒に世界の王になる。だからお前の遺体を見つけてすぐ、ベルヴェデーレに、アルトゥーロの死の根本的な原因が生じるところまで遡れと命じたんだ。そうしたら二年も前まで戻った」

「あいつは何者なんだ」

「それは後で説明する。何故この日なのか、原因が何なのかは、あいつは教えてくれん。だから俺はどう動いていいのか分からなかったし、エレナについて何も知らん。ただ――」


 コルネリオがまっすぐに俺を見た。


「記憶のあるお前があの男を逃がした。俺を裏切ってまで。エレナに関係があるとしか考えられない」

「そうだ。すまん」

「まさか、彼女はこの国の王女か」

 首肯する。

「ならば彼女は俺たちに復讐するために現れたのだな」

「それと恐らくはフンフの密偵」


 コルネリオは深く息を吐き出し、片手で額を押さえた。そのせいで顔の半分が見えない。


「アルトゥーロ。いつから知っていた。いつから俺を裏切っていた」

 声に滲むものに、はっとする。

「違う、知ったのはあの晩だ! エレナの墓で会った男から聞いて初めて知った!」


 コルネリオが手を下ろす。揺れる明かりのせいなのか、その両目が潤んで見える。


「本当だ、コルネリオ。その事を考えていて背後をとられた。俺はお前に嘘はつかない!」

「信じるぞ?」

「ああ」

「次に裏切られたら、俺は容赦しないぞ」

「当然だ」


 コルネリオは再びため息をついた。


「お前があいつを逃がすのを見て、どれだけの衝撃を受けたと思う」

「すまん」

「……今夜、お前が何度『すまん』を言うのか、数えるか」


 俺の親友、コルネリオ。

 俺が裏切ったのをその目で見てショックを受け、それでもなお理由を聞かずに、すぐさまダニエレの逃亡を助ける決断した。エレナに……俺が惚れた女に関係すると考えてくれてのことだ。



「俺は何があっても、二度とお前を裏切らない」

「そう願う」


 しばらくの間を置いてから、コルネリオが右手を差し出した。

 こいつと握手するなんていつぶりだろう、そう考えながら彼の手を強く握りしめた。


「とにかく、どういうことか全て話せ」


 握手が済むとコルネリオが言った。

 俺はあの晩にリーノから聞いた話と、今日の夕方にダニエレと対峙したときに記憶を取り戻したことを簡潔に説明した。


「あの男がエレナの恋人」とコルネリオ。

 頷く。胸の奥が痛い。

「エレナは敵討ちのために、うちに来た。父親、兄、といても主眼はきっと恋人だな」

「……」

「……お前はその恋人を殺さずに逃がした」コルネリオは呟いた。「お前は優しい男だよ。俺が私生児だと無視される中、お前だけが遊んでくれた。頭がイカれてると嘲笑される中、お前だけが俺を信じてついてきてくれた。優しすぎる」

「違う。俺が楽しかったからだ」


 ははっとコルネリオが笑った。

「俺も楽しかった。……だが、納得できん。俺はお前の死を回避する。そのためにベルヴェデーレを使った。正直エレナの生死なんて、どうでもいい。お前さえ死ななければ。

 たがお前はそれでいいのか。うっかり殺されるほど惚れているくせに。あの男が生きて彼女に再会したら、エレナはきっと俺たちの元に現れないぞ」


「構わん」


 リーノは言った。エレナは密偵を始めてすぐに苦しみ始めた、と。俺は彼女に苦しんでほしくない。食えなくなってやつれて、挙げ句に死を選択するなんて辛い思いをしてもらいたくない。


 彼女が幸せに生きてくれるなら。

 俺はエレナに出会えなくてもいい。


「……俺ならば恋敵なんてきっちり殺して、万全の準備をして愛しい女を確実にモノにする。勿論、死も回避する」

「お前はそういう奴だな」

「今ならまだ殺せるかもしれないぞ」

「いいんだ」


 もう決めたことだ。俺がダニエレを殺し再び彼女と出会い、お互い愛しあうようになったとして。エレナは必ず、恋人の敵に惚れたことに悩むだろう。

 だから、これでいいのだ。


 膝の上の手を固く握りしめる。


 エレナが苦しまないのが、一番なのだ。







 小さく息を吐いて、気持ちを落ち着ける。

「俺は全て話した。時間を戻したという説明をしてくれ。ベルヴェデーレは何者なんだ」


 もうエレナの話は終い。

 その思いを込めて問うと、コルネリオは手にしていたグラスを静かに置いた。


「約束をしてくれ。今後も変わらず、俺と共にいると」

「無論だ。お前が世界を手中に収めるのだけを楽しみに、ここまで来たんだ」

「そうだな、アルトゥーロ」


 ふと、ランプの火が大きく揺れた。


「ベルヴェデーレは悪魔だ」



「悪魔?」

 頷くコルネリオ。

「お前、本当に悪魔憑きなのか? いや、まさか」


 だがコルネリオは、やや不安そうな表情をしている。滅多にしないその表情を見て、真実なのだと悟った。


「いつからだ。これまでの勝利は、まさか――」

「全て俺の実力だ。悪魔の力は借りてない」


 そうしてコルネリオは全てを語った。

 始まりは彼の最初の妻、デルフィナの死だったらしい。


 駆けつけたコルネリオが妻と我が子たちの無惨な遺体を見つけ、そのただ中で義母がベルヴェデーレに羽交い締めにされていた。コルネリオはすぐさま、狂って暴れ回る義母を殺した。

 俺が聞いた顛末も、公式記録もそうだ。


 だが実際は違うという。

 コルネリオは怒りに任せ、ベルヴェデーレごと義母を剣で貫いた。そして『神でも悪魔でもいいから、愛する人を生き返らせてくれ。この二人と自分の死後の魂を、その代金としよう』そう叫び、そこに悪魔が現れた。


「ということは十年前にベルヴェデーレは悪魔と入れ替わったのか?」

 そうだと頷くコルネリオ。


 道理で、と得心した。彼は昔は人の良い頼れる兄貴という風情だったのに、いつの頃からか性格が変わってしまっていた。別人というのならば納得できる。


「だがデルフィナは?」

 生き返ってはいない。

「悪魔は死んだ者を甦らせることはできないが、時間を遡ってやり直すことは出来ると言った」とコルネリオ。


 そこでコルネリオはその日の朝に戻ったそうだ。

 悪魔は何一つ、死を回避するヒントを教えない。だが義母を軟禁し、自分が妻から離れなければいい、そう考えた。けれど小さなことの積み重ねで思惑通りにことは進まず、結局、同じように妻子は義母に殺されてしまった。


「悪魔に嵌められたんだ」コルネリオの顔は悔しさに歪んでいた。「よく考えてみたら、デルフィナが助かると俺が悪魔を呼ぶことがなくなる。そんな状況にさせる筈がない。怒りに駆られていた俺は、そんなことも気づかずに悪魔と契約をしてしまっていた」


 コルネリオは当然、もう一度時間を巻き戻すように言ったがそれに対する答えは、同じ願いを受け付けることはできない、という制約だった。しかも悪魔が叶える願いは三つまで。


「だから残りは、俺が死にかけた時と、お前が死んだときに使うことにした」

「感謝する、と言いたいところだが、世界の王にしろと願わなくていいのか?」

「冗談じゃない。そんなものは何も楽しくないじゃないか。お前とデルフィナに軽蔑されるのもご免だ」


 鼻息荒く胸を反り返すコルネリオ。笑みがこぼれた。

「さすが、コルネリオだな」

 こういう奴だから俺はついて来たのだ。


「貴重な一回を俺に使ってくれて、ありがとよ」

「ああ。だからそういう訳で、次に死んだら助けられない。重々気をつけてくれ」

「分かった」

「悪魔は俺が死ぬまで、ベルヴェデーレの姿でそばにいるそうだ」

「衛兵として?」

 頷くコルネリオ。


「ベルヴェデーレの姿をとるならきちんと衛兵として振る舞えと言ったのだが、あいつ自身も楽しんでいる。数百年ぶりの人間界らしくてな。満喫する気満々だ。しかも死なないからな。重宝しているぞ」

「悪魔憑きではなくて、悪魔使いじゃないか」

「そうかもな」

「だが死後の魂、か」

「そんなものは幾らでもくれてやる」

「お前とは地獄でも一緒だと思っていたぞ」

「それだけは、すまん」


 酒を口に運ぶ幼馴染を見る。

 死後のことなんて、まともに考えたことはない。ただ、言葉にした通りのことを漠然と思っていた。


「悪魔にやった魂はどうなる?」

「さあな」




 と、扉が開いてベルヴェデーレが入って来た。

「人気がなくとも、ノックしろ」とコルネリオ。

 ベルヴェデーレもどきは肩を竦めた。

「あの男は無事外に出ましたよ」

「ご苦労。下がってよし」

「私の話をしたのでしょう? アルトゥーロ殿、次の契約者になりませんか?」

 ベルヴェデーレがニタリとした。人の笑みとは思えないおぞましさがある。


「考えてやってもいいが、ベルヴェデーレの姿はな」

 騎士に成り立ての頃、彼にはよく面倒を見てもらっていた。それが外側が同じだけの別物だなんて、複雑な気分だ。

 すると悪魔は――。


「エレナの姿にもなれますよ」


 ビシャリ、とヤツの顔に酒がかかった。見るとコルネリオが空のグラスを持ち、眉をつり上げていた。

「失せろ、悪魔」


 悪魔は不機嫌な表情をしたものの、黙って部屋を出ていった。


「すまん」とコルネリオ。「悪魔だからな。……俺も言われた」

「……別にお前が謝ることではないだろう。ま、でも――」椅子を引いて立ち上がる。「今夜は疲れた。もう寝る」

「そうか。……では、また明日」

「ああ、お休み」

「アルトゥーロ!」

「なんだ?」

「『また、明日』」


 コルネリオの顔を見ると、複雑な表情をしていた。


「……昨日の晩にお前と別れた後、『明日』にお前はいなかった。約束しろ。また、明日会う、と」

「……死んで悪かった。『また明日』な」

「ああ。また明日」


 幾分か表情が和らいだのを確認して、俺はお休みと言って部屋を出た。


 暗い廊下にランプの灯が揺れる。

 所どころに立つ見張りに労いの声を掛けつつ、自室に戻った。


 形容しがたいものが俺の内をのたずり回っている。

 ランプを置きベッドに腰かけて。上着の内からそれを取り出す。


 つげの櫛。野ばらの象嵌を指でなぞる。


 エレナがいない『明日』。これからは毎日がそうなのだ。明日も明後日も明々後日も。


 そもそもこのやり直しの人生では、エレナに出会うこともない。彼女は俺を知らないまま生きるのだ。











 エレナ。お前は自分がいなくなっても、冷血の俺は泣かないと考えたのだろうか。

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