0・0 RESET

 目が覚め、半身を起こす。


 長い夢を見ていた。内容は思い出せないが、何だか息が詰まる夢だったのは確かだ。まだ胸が苦しい。


 こんな日に、嫌な目覚めだ。


 ひとつ息を吐くと立ち上がった。狭いテントの中。支柱に取り付けられたランプの小さな炎が揺れている。

 手を伸ばして水差しを取り、洗面器に注ぐ。三月といえども、曙光も射していない早朝はかなり寒い。少し待てば従卒が湯を持ってくるだろうが、今は頭をすっきりさせたい。


 バシャバシャと氷のような水で顔を洗っているとテントの入り口がたくしあげられ、コルネリオが顔を出した。


「早いな、アルトゥーロ」

「お前こそ」

 顔を拭きながら、幼馴染で主の王を見る。既に身支度が整っている。背後には衛兵がひとりいるようだ。

「何か用か?」

「いや、散歩をしていたら水音が聞こえたから、覗いただけだ」

「のんきだな」

「興奮して目が早く覚めた。今日でフィーアが俺たちのものになるのだからな」


 コルネリオ、四ヵ国目の征服戦争。開戦から僅か二週間。フィーア軍は敗戦したのだが、その前に将たる王と王子たちが軍を捨てて逃亡。都に立て籠った。

 情けない王族だ。


 コルネリオ軍は基本的に一般の民は殺さないし、民からの略奪もしない。街も破壊しない。そう伝えて王に投降を呼び掛けたけれど、反応はない。蛮勇しかなく、国民より自分の命が大事な愚王なのだ。


 もっとも、そういう国から征服している。人気のある王では征服後に国民を御しにくいからだ。


 王たちが都に立て籠って三日目。投降の猶予は今日の夜明けまでだ。あと少し時間があるが、もう結果は出ているのと同じ。攻撃開始だ。そして今日中に決着がつくだろう。


「ワクワクするな」

 コルネリオが子供のような笑顔を浮かべる。

「ああ。お前がまた世界の王に一歩、近づく」

「その日までしっかり俺を支えろよ、相棒」

「当然だ」


 つきん、と胸の奥に痛みが走った。

 なんだ、今のは。

 疲れだろうか。


 とはいえ痛みは一瞬で消えた。気にすることは、ないだろう。




 ◇◇




 王城の中を闊歩する。

 予測どおりに都は呆気なく陥落した。いくら高い城壁と有利な位置からの攻撃があろうとも、軍勢の規模が違う。

 こちらからは的確な攻撃。更に民への開門の呼び掛けが、兵士と民の分裂を招いた。


 約束通りに民には危害を加えず城へ攻めこみ、難なく王をコルネリオが、王子を俺が討ち取った。


 あとは残兵を潰すのみ。

 城の裏手にボニファツィオと共に回る。


 と、隠れながら外に向かおうとしている若い男が二人いた。腰に剣。こちらに気づいてすぐさま抜いて構える。

 こちらも剣を抜く。俺に相対している男は背中に棒状の包みを背負っている。もしかしたら国王の証になる錫杖かもしれない。だとしたらこの二人は王族の信頼が厚い騎士だろう。


 相手が踏み込んでくる。やはり上手い。剣を何度かかち合わせ、だが相手の剣を弾き飛ばし、そのついでに剣の切っ先が相手の服を切り裂いた。弾みで小さい何かが飛び出す。

 男が、あっと叫んだ。

 とどめを刺そうとして――。


「兄貴!」との叫び声。

「逃げろ!」と男の声。

 視界の隅に落ちたものが入る。櫛だ。象嵌細工がしてある。


 見覚えがある。

 何故だ。


「くそっ、逃げられた」とボニファツィオ。


 俺はその櫛が気になり、男に剣を向けつつ拾った。

 つげの櫛。象嵌は野ばらの意匠。


 どうしてだ。見覚えがある。


 そう思った瞬間、頭の中で何かがはじけた。


「アルトゥーロ?」とボニファツィオ。

 彼も残った男に剣を突きつけている。

 この男を『兄貴』と呼び、逃げていった男。あの男は『リーノ』だ。


 リーノ?

 誰だ、それは。

 記憶が混濁している。


 手の中の櫛を見る。



 ……エレナ。



 そうだ、これはエレナの櫛だ。

 エレナ。


 俺は再び顔を上げ、周囲を見回した。

 ここはフィーアの王都。間違いない。

 この都を陥落したのはエレナに会う一年前だ。


 どういうことだ。


「アルトゥーロ?」とボニファツィオ。「大丈夫か?」

「……ああ……」

「こいつをどうする。殺していいか?」


 男を見る。


「それを返してくれ!」と男。「殺して構わん! だがそれだけは返してくれ!」


 手中の櫛をもう一度見る。エレナはこれを形見だと言った。俺は勝手に母親のものだと思ったが、彼女は誰のものなのか明言しなかった。


 こいつはきっとエレナの恋人だ。

 リーノは男を兄貴と呼んだ。

 それに以前、こいつを殺した覚えがある。その時も何かが落ちてリーノが拾って逃げたのだ。

 ……この記憶が事実ならば。



「……生け捕りで構わん」

「えぇっ」

 ボニファツィオが驚く。

「本当に大丈夫か?」

「ああ。多分」




 櫛を握りしめた。

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