8・1 守り刀〔3月〕

 4月に入ったらフンフ国に向けて進軍する。

 だがその前にすることがある。

 メッツォの都にあるフンフの大使館が不審な動きをしている。こちらが開戦準備をしていることを察知して、阻止を企んでいるのだ。ずばり、コルネリオの暗殺を。


 だから俺たちは奴らに襲われてやるのだ。

 そうすれば開戦の口実は上々。非はフンフにあり、となる。


 コルネリオは広大な領土を持つ国の王だが、そのらしさはない。外出だって馬を使い、供も最低限しかつけない。

 だからそこを利用する。


 筋書きはこうだ。都郊外の宮殿に逗留していた彼の父親が、夜中に暗殺されかける。その知らせを受け取ったコルネリオはいつもの供をつけて、馬で向かう。


 知らせは手の者を通じてフンフ側にも行く。きっと好機だととらえ、用意している襲撃団を差し向かわせるだろう。フンフは自国の騎士と雇った傭兵を1ダース以上、大使館に隠しているのだ。


 こちら側はコルネリオ、俺、ビアッジョ、クレト、衛兵四人の八人。いつものメンバーだ。普通に考えたらフンフ側が有利と判断するだろう。だが予め都の外に騎士たちを隠しておくのだ。




「私も行かせて下さい」


 いよいよ明日がその作戦の日、という晩のこと。エレナが久しぶりに強い目で俺を見上げて言った。

 計画からエレナは外した。まだ従卒を始めて一年だからという言い訳を、コルネリオとビアッジョは黙って認めてくれたのだ。


「参加する騎士の従卒で、同行しないのは私だけのようですね」とエレナ。


 そうなのだ。

 だが俺は、いつだったかの占い師の言葉がずっと引っ掛かっている。彼女を危険から遠ざけたい。

 そもそも今回の計画を彼女には教えなかった。それなのに阿保なクレトがエレナも参加だと勘違いをして、話してしまったらしい。最重要機密なのに。


「アルトゥーロ様の……お手付きだから外された、と後ろ指を指されたくありません」

 エレナの顔は赤らんでいる。


 恐らく城のほとんどの者が俺たちの仲を知っているだろう。吹聴は全くしていないがあの晩から今日までの約十日、エレナは必要な物を取りに行く以外、自室に戻っていない。俺が、マウロのいる部屋で着替えをしたり寝起きをしてほしくないと、頼んだのだ。

 従卒たちは自ずと察したはずだし、彼らに箝口令をしいてもいない。


 第一、コルネリオにからかわれた。国王の耳に入る程度には広まっているのだ。


 この状況ならば確かにそう噂されるだろうし、エレナにとっては我慢できないことだろう。


「お前が騎士になりたい気持ちは分かっているが、俺はあの占いが怖い。戦にも連れて行きたくないのが本心だ」

「大丈夫です。決して無理はしません。ですからお願いです、アルトゥーロ様」


 エレナの大きな目が俺を見上げている。


「それにアルトゥーロ様も悪く言われてしまいます。それは嫌なのです」

 コルネリオとビアッジョ以外は彼女が不参加とは知らない。だが分かった時はきっとここぞとばかりに、俺を攻撃するだろう。


 俺はそんなことは意に介さない。

 だがエレナはそうでないだろう。


「……どうしても参加したいか」

「はい」

「ならば条件がある」

「なんなりと」


 俺は唾を飲み込んだ。少し前まで、生涯口にすることはないと思っていた言葉だ。


「エレナ。結婚してほしい」


 彼女の目がますます大きくなって、大粒の涙が幾つも溢れ落ちる。


「……喜んで」

 掠れる声でそう言った彼女は、俺に抱きついて激しくしゃくり上げた。

「アルトゥーロ様」

 途切れとぎれの声でエレナが言う。

「私なんかを愛して下さって、ありがとうございます」


 エレナを力いっぱい抱きしめた。



 ◇◇



「そうだ」

 上着を手に取ると、内側のポケットから小ぶりの短剣を取り出した。装飾は何もなく、実用一辺倒の見た目。だが実用にも向かない。


「なまくらだがな。親父が唯一作った武器だ。俺が叙任された記念に作ってくれた」

 父は酒飲みで喧嘩っぱやく、いかにも下町の男という男だった。騎士になって早死にするより家業を継げと煩く言っていたが、これを作ってくれた。鍋しか作ったことがなかったくせに。しかも、これを作った後にさっさと死んだ。


 剣としては全く使えないからお守りがわりに常に携帯している。万が一のとき、最後の反撃ぐらいには役に立つだろう。


「これをやる。守り刀にしてくれ」

 エレナはそれが貴重な品のように両手のひらを出して、押し頂いた。

「……ありがとうございます。大切にしますね」

「明日は近くにいろ」

「アルトゥーロ様は案外心配性なのですね」

 微かに浮かんだ笑顔。その額にキスを落とす。



 胸の奥がざわついている。

 我ながら、自分がこんなに弱い精神だとは思わなかった。

 不安を振り払うためにも、また、エレナを強く抱き締めた。




 ◇◇




 翌日。計画通りに事が運ぶ。

 夜更けの報らせ。コルネリオと少ない供での急行。郊外での襲来。味方が合流しての反撃。


 だけれど気づいた時には、近くにいたはずのエレナの姿が見えなくなっていた。


 気になりつつも俺はコルネリオの騎士だ。仕事を最優先しなければならない。それにこちらが圧倒的に有利な人数だ。心配はない、はず。


 全てが終わり、ビアッジョが生け捕った敵をひとり縛り上げていると、クレトが

「アルトゥーロ様」

 と声を掛けてきた。


 今、お前に構う時間はない。エレナはどこだ。そう思いながら『何だ』と返事を返す。


「アルトゥーロ様」


 クレトが再び名を呼んだ。


「だから、何だ」

 答えて振り返り、蒼白の顔をした彼が人を抱き抱えていることに気がついた。


 満月の冷たい光に照らされて、その腕の中の人間は見間違いようがなく、エレナだった。


 閉じられた目。

 力なく垂れ下がる腕。





 胸は深紅に染まっていた。

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