7・2 恋〔3月〕
エレナが最後の武具を片付けた。
夕方、それの総点検と手入れを命じたのだ。夕飯すらここで軽食で済ませ、数時間。大分夜も更けた。
次の仕事は、何がある。
いや、もうそんな時間ではない。
だが。
「終わりました、アルトゥーロ様」
椅子にふんぞり返る俺の元に来て、エレナが言う。
「失礼してよろしいでしょうか」
「……酒とつまみを持って来い」
「はい」
エレナは嫌な顔ひとつせずに部屋を出て行く。
自分の愚かさに反吐が出そうだ。
……彼女を下がらせたくない。
そうしたらきっとクレトが待っている。求婚の返事を聞くために。
俺はコルネリオのためだけに、脇目もふらずに生きてきた。数え切れないほどの敵を殺し、冷血と呼ばれようが気にならなかった。
それなのに。
しばらく待つと、エレナが命じられた通りのものを持って戻ってきた。
目前の卓上に並べ置く。
「注ぎますか?」
無言で頷く。
それが終わるとエレナは数歩離れた。所在なさげだが、やらなければならない仕事はもう何もないし、俺が許可しないから下がりたくともできないのだ。
グラスを手にして、飲みたくもない酒を飲む。
駄目だ。いい加減、彼女を下がらせないと。
「あの、アルトゥーロ様」エレナらしくない、おずおずとした声。「失礼ですが、何かありましたか」
不審に思って当然だ。
こんなことをして彼女をここに留めても、何の意味もない。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
先ほど離れたエレナが戻って来た。
「私でお力になれないのなら、誰かお呼びします。城外でもどこでも参りますから」
「……いや、構わん。もう、下がれ」
「ですが」
「下がっていいと言っている」
「……はい。失礼します」
エレナが一礼し、そのまま扉へ向かう。
彼女が行ってしまう。
クレトの元へ。
そんなのは……
「クレトは見習いだ」ついに言葉がこぼれ落ちた。「金もない。家は代々騎士の名門だが、十年前に父親が死んでからは金に困って、今はビアッジョの援助に頼っている。あいつは、やめておけ」
エレナが息を飲む音がした。
「なぜ、それを」
俺は気づくと立ち上がり、彼女に詰めよっていた。
「俺ならば、金も名誉もある」
そう言ってから、それらが彼女にとっては意味のないものだと気づく。
見開いた目に見上げられている。
「……どうしたら俺に惚れてくれる」
内に留めておきたい言葉が溢れ出す。俺は、論外、なのだ。こんなことを言っても仕方ない。分かっているのに、止められない。
クレトに彼女を渡したくない。
「お前に惚れているんだ」
胸が痛くてたまらない。
いつからなのか。愛想のないこいつのどこがいいのか。自分でも全く分からない。
馬鹿らしいと思うのに、彼女を思う気持ちがどうやっても消えてくれないのだ。
エレナの目はますます大きく見開かれている。思いもよらぬことに、困っているに違いない。
俺は論外なのだから。
「……クレトは断りました」
思わぬ言葉に、瞬きをする。
エレナは強ばった顔をしたまま、真っ直ぐに俺を見上げている。
「もし私が誤解させるような態度をしていたのならば申し訳ないと、謝りました」
「いつ」
あの庭園の会話を盗み聞きして以来、ずっと仕事をさせていた。
「求婚されたすぐ後に。時間をおいて希望を持たせてしまったら、いけませんから」
それが本当ならば、俺は本当に何の意味もないことを彼女にやらせていたのだ。
「私は」エレナの声が震えている。「アルトゥーロ様。色恋に耽るためにここに来たのではありません」
そう、彼女は騎士になるため、だ。
彼女の見開いた目に、何故か涙が浮かぶ。
「アルトゥーロ様は騎士の品格はないし、ガサツで粗野だし、人の奥様に手を出すし、博打遊びも酷いし、娼館に出入りするし、騎士としての自覚はないし、とてもではないけど騎士の風上には置けません 」
エレナの頬を涙が伝う。
「だけど……」
ボロボロと涙が溢れる。
「だけど、私は……」
エレナの頬に手を伸ばす。
「私は、アルトゥーロ様……」
そっと唇を重ねる。
エレナは逃げなかった。
◇◇
腕の中のエレナがもぞもぞと動き、起き上がった。
清々しい曙光が部屋いっぱいに溢れている。
「どこへ行く」
尋ねるとエレナははにかんだ表情で
「朝の支度の準備を」
と答えた。
「今日はいい」
「ですが」
「いいから、もう少し側にいてくれ」
「はい」
頷いたエレナは柔らかい笑みを浮かべていた。
「……初めてだ」
彼女の頬に手を伸ばし、包みこむ。
「何がでしょう」
「お前が俺に笑顔を向けるのが」
「すみません。でも」
彼女は笑顔を深める。
「私もアルトゥーロ様の笑顔を見たことがありません」
「俺は基本仕様がそれなんだ」
「ずるいです」
エレナをそっと抱き寄せた。
幸せとはこういうことを言うのか。そう思った。
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