7・1 盗み聞き〔3月〕

 エレナが現れてから一年が過ぎた。


 あと、ひと月ほどしたら進軍を始める。今はその準備で忙しい。まだどの国を攻めるかの公表はしていないが、装備から山越えがあると皆、気づいているようだ。

 そこから二か国の名が取り沙汰されている。


 エレナは知りたそうな顔をしているが、聞いては来ない。胡散臭くて信用が出来ない自分をよく分かっているのだろう。


 彼女は最初の頃のように態度が固くなっている。誰に対してもだが、特に俺には酷い。死相が出ていると言われた占いが気になって、と彼女は言う。だけれど従卒を辞めようとはしない。仕事自体は変わらず完璧にこなしている。


 相変わらず俺を騎士の風上に置けないと思ってはいるし、時おり口にもする。だけれど以前の強い目は、ほとんど見なくなった。代わりに伏せられていることが多い。


 この変化は何なのか。断罪のスケープゴートにしたせいだろうか。




 ◇◇




 騎士用の広間でビアッジョと雑談をしていると、女がひとり飛び込んで来た。オリヴィアの取り巻きだ。俺を見て、


「いたいた!」と叫び、腕を掴んだ。「来て! オリヴィア様が急ぎの用なの!」

「俺に?」

「そうよ、急いで」

「何の用ですか」

「いいから!」

「アルトゥーロはコルネリオ様の騎士ですよ」とビアッジョが諭す。

「それでもよ!」と女。「来ないとあなたが大変なことになるわよ!」


 全く何がなんだか分からない。だがどうせ今は暇だ。

「分かった」と言って立ち上がる。

 途端に彼女は俺の手を引っ張って、走り出した。


 駆け足と言っても俺からすれば早足程度のスピードで、女は俺を外に連れ出した。そして『静かにしてね』と言う。ますます分からない。庭園に入る。


 ふと、片隅に野ばらが幾輪か咲いているのが目に入った。だいぶ早い。狂い咲きだろう。


 オリヴィアが生け垣のそばに取り巻きといる。俺の姿を見て口の前に指を一本立ててから、慌てて手を上下に動かす。

 一体なんなんだ。


「しゃがんで!」と腕をひっぱる女。「アルトゥーロでは見えてしまう!」


 だから、何がだ。

 だが女どもの気迫が凄いので、屈んでオリヴィアの元へ行った。

 彼女は生け垣の向こうを指差し、その手を耳につけた。


 その向こうで誰かが喋っている。確かそこにはベンチがあるのだ。


 誰なんだと考える間もなく、分かった。エレナとクレトだ。

 他愛もない話をしているようだ。


 何故俺が、こんな盗み聞きをしなければならない。


 意図が分からずその場を去ろうとした時。

「アルトゥーロ様のことはどう思っているんだい?」というクレトの声が聞こえた。

「……騎士としての品格はないけれど、主として良い方ですね。案外配慮が細かいし」と答えるエレナ。


 これは褒められたと捉えていいのだろうか。そんな気配はエレナの態度からは微塵も感じられないのだが。


 首を傾げていると。

「そうじゃない」とまたクレトの声がした。「彼は女性たちの一番人気だ。見目もいいし、騎士としての技量も高い。一年も側についていて……好きにならない?」

 心臓に杭が打たれたかのような衝撃が走る。


「まさか。あんな騎士の風上に置けないような人。論外です」

 エレナの硬い声。





 即答だった。迷いもない。





「それなら」クレトの声が続く。「僕と結婚してほしい。僕はまだ見習いだけれど、いずれは騎士になれる。進軍が始まる前に君と夫婦になりたい。どうだろうか」


 真剣な声。

 ……たかが見習いのくせに。



 次の瞬間。

「くしゅんっ」

 突然のくしゃみが響き渡った。オリヴィアだった。

「だ……大丈夫ですか、オリヴィア様」と取り巻き。

「ひ、冷えましたか、散歩はやめにいたしましょうか」取り巻きその二。

「あら、嫌よ」とオリヴィア。



「……考えておいてもらえるかな」クレトの声。「また後で」

 パタパタと去る足音。





「……あの。ねえ」

 ふと我に返ると、オリヴィアが俺の袖を引っ張っていた。

「あの。なんだか、ごめんなさい」

「……何がですか。もう失礼していいですか」

「ええ。ごめんなさい」


 踵を返しその場を離れた。







 エレナにとって。

 俺は、論外、だ。

 それがどうした。

 あいつは俺を騎士として認めていない。

 好意なんてない。

 分かっていたことだ。

 俺だけだ。彼女に笑顔を向けられないのは。



 俺はコルネリオの夢の実現、それだけに全力を注いで来た。

 その他のことなんて、芥に過ぎない。

 ずっとそうだったではないか。

 この先も、それは変わらないはず。



 そう。変わらないはずだ……。





 ◇◇

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