6・2 ねぎらい《1月》
祝杯からそのまま晩餐、また祝杯と続き、夜中に自室に戻るとエレナが俺の武具全ての手入れをしていた。
確かに夕方、処刑に使った剣を渡して手入れを命じた。だけど何時間も前だし、他の武具のことは言っていない。
だが彼女の前に並んだそれらは、乏しい明かりの中ですら煌めくぐらいに磨き上げられていた。
エレナは俺を見ると我にかえった顔をして、慌てて立ち上がった。
「すみません、やり始めたら夢中になってしまって。これが終わったら下がります」
普段通りの彼女に見える。
「……怖かったか?」
「はい?」
「昼間の断罪。負けん気の強いお前でも、怖かったのか?」
「……はい」エレナには珍しい、弱い声。
あのパフォーマンスは、元々彼女が標的に上がることを前提にした筋書きだった。
「案外普通の感覚なんだな」
「……自分でも度胸のなさに驚きました。恥ずかしながら、しばらく震えが止まらなくて。情けないです」
昼間の光景がふと甦った。
彼女の背に添えられた、手。
刺すような鋭い痛みが胸に走る。
「急いで仕上げてしまいます」
エレナはそう言って座ると、手入れを再開した。
彼女は秋の終わりに体調を崩して痩せて以来、体型が戻ることがない。本人はどこにも問題はないと言うし、実際にそれ以外には不調は見られない。
「明日……」
「はい」
エレナが手を止めてこちらを見た。
その前に並ぶ俺の武具は、どれも美しい。
「……昼飯でも食いに出るか」
「はい?」
「たまには労ってやる」
たまにはは何も、初めてだが。
しかし返事がない。エレナを見ると、見開いた目をして真っ直ぐに俺を見ていた。
そうだ。彼女にとって俺は、尊敬できない騎士だった。俺との食事では褒美にはならない。金品のほうがよいのだ。
「やは――」
「ありがとうございます」エレナがまた立つ。「よろしくお願いします」
その声に嘘はなさそうだ。
「どこか希望の店はあるか? そうだ、あのフィーア出身の男がいる店が旨いのだったな」
「はい。ですが他に気になる店が。そちらでもいいですか」
「構わん。お前の労いだからな」
「はい」
頷いたエレナは、庶民が行く安い店の名を上げた。
もっと高級店でいいぞと言おうとして、止めた。そんな提案、なんの為にするのだ。
あまり考えたくない。
俺の心臓は壊れているようだ。
馬鹿のように煩く脈打っている。
◇◇
「ねえねえアルトゥーロ」
城の廊下をひとりで歩いていると、そう声をかけられた。見なくてもわかる。オリヴィアだ。聞こえなかったことにして、そのまま行こうとしたのだが――
「捕まえて!」
の号令のあと取り巻きが駆けてきて、両腕に抱きつかれてしまった。ついでに胸をぎゅうぎゅう押し付けられる。嬉しくないことはないが、最近あまり興味が湧かないので暑苦しいだけだ。
「……何でしょうか、妃殿下」
「あなた、聞こえていたのに無視したでしょう」
オリヴィアは不機嫌そうに言ってから、ケロリとした顔になった。
「まあ、いいけれど。それより今日という今日は協力しなさい。エレナにドレスを着せるのよ!」
「……まだ諦めていなかったのですか」
思わずため息が零れた。
「だって絶対に絶対!今日が狙い目だと思うのよね」
オリヴィアは無駄に目をキラキラさせている。
「何のですか」
「だって昨日はとても良い雰囲気だったのですもの。今こそエレナはドレスを着て、女の子の気分になるべきよ!」
昨日はとても良い雰囲気? 断罪の茶番劇で震えていたエレナが?
「春になったら進軍を始めるのでしょう? 今のうちにまとまっておくべきよ」
取り巻きたちが一様に頷く。
「……何の話ですか?」
「あら。気がついてなかったの? エレナとクレトロットよ。お似合いよね」
「……」
脳裏に昨日の光景が再び甦る。
エレナを庇おうとしたクレト。彼女の背を撫でながら優しく声を掛けていたクレト。
なるほど。既にそういう仲だったのか。
「……だとしても、俺には関係のないことです」
「……」
「では失礼」
返事を待たずに踵を返す。
廊下を通り階段を降り約束の場所へ行くと、エレナがひとりで立っていた。
ひとりでいることにほっとする。
「行くぞ」と言えばエレナは姿勢を正して固い表情で
「本日はご配慮をありがとうございます」
と真顔で堅苦しく言った。
俺はこいつに笑顔を向けられたことがない。ただの一度も。
クレトにはよく微笑んでいるのに。
◇◇
城を出て、街中を二人並んで歩く。昨日とは反対に空は良く晴れ日差しは暖かい。そのせいなのか街も活気づいている。
と。
「ちょいと、そこのアンタ」
と声を掛けられた。目をやると、道の端に流れ者らしき婆さんが座りこんでいた。占い師のようだ。
「違う、男前のほうじゃない。小さいほう」
「私ですか?」とエレナ。
「そう、アンタ。アンタ、死相が出ているよ」
エレナの強ばった顔が更に固くなった。
「くだらん。そうやって占い料をむしり取るのだろう」
「料金は取るけど、本当だよ。アンタはまずいよ。本来はそんな格好をする人間じゃないだろう。無理した歪みが近いうちにアンタを殺す」
懐から金を取り出し、占い師に放った。
「毎度。アンタ、こっちにおいで」
そう言いながらずだ袋の中から、なにやら取り出して、地面に敷かれた布の上に広げた。何種類かの花の刺繍がしてある汚いハンカチだった。
「どれが好きだい」
エレナは戸惑いながら俺を見て、それから占い師に近寄ると一枚を指差した。
「野ばらだね。可憐なのに刺がある」
占い師はまた何かを取り出す。今度は動物の刺繍のあるハンカチ。
「好きなのは?」
彼女は犬を指した。
「やっぱりね」と占い師。次は傍らの大皿を引き寄せた。被せてあった布を取ると、中には煎った豆が入っていた。
「目をつぶって好きなだけかき混ぜて」
エレナは言われた通りにする。
占い師はしばらく皿を睨んでいたが、ちょいちょいとエレナを手招きして、その耳に何かを囁いた。
それが終わると占い師は、
「ちゃんと婆さんの言ったことを守りなよ」
と言った。
再び二人で歩き出す。
「……何を言われた」
「……信念を捨てて新天地に行け、と」
「騎士を諦めろということか」
「多分」
「他には?」
「それだけです」
直感的に嘘だなと思った。占い師はもっと長く何やら囁いていた。
だがエレナは俺に言う気はないらしい。
「お代を払います」
彼女は腰に着けていた袋から、小さな巾着を取り出した。野ばらの刺繍がある。
「そんなに好きなのか? 野ばら」
確か形見の櫛もその柄だった。
「はい。花の中で一番好きです」
「お前にも女らしい面があるのか」
エレナの顔がうっすら赤くなった。初めて見る。
「代金はいらん。今日はお前を労う日だ」
「……ありがとうございます」
黙って隣を歩くエレナを盗み見る。俺より頭ひとつ分小さいから、真横に並ぶと顔は見えない。いつもは彼女がやや後ろを歩くのに、今は完全な真横だ。
何を考えているのだろう。
そもそも昨晩は何を考え、俺の武具を完璧なまでに磨きあげていたのだ。断罪で自分が意図的にダシに使われたことぐらい、気づいているはずだ。
それに腹を立てるでもなく、いつもにも増して仕事を熱心にするなんて。
こいつの思考が全く読めない。
「アルトゥーロ様」
「何だ」
「あの。あちら」
困った表情のエレナが示すほうを見たら、建物二階の窓から見知った女が身を乗り出していた。どうやら俺を呼んでいたらしい。
「アルトゥーロ! 最近、全然来てくれないじゃない! 寄って行って!」
「私はまた今度で構いません」エレナが言う。「失礼します」
ぶわっと。
自分の中で何かが膨らむ。
女に適当に返して、先を歩くエレナに早足で追い付く。
「アルトゥーロ様」
エレナが何故か困り顔で俺を見上げた。
「腹が減っているんだ。飯が先だ」
あまり、考えたくない。
エレナが死ぬなんてことも。
エレナに興味をもたれていないなんてことも。
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