6・1 裏切り者《1月》
「さて。そろそろ裏切り者を断罪するか」
獰猛な笑みを浮かべて、コルネリオがそう言った。
◇◇
エレナが俺の従卒になって10ヶ月。この間内情が漏れている疑いが濃くなり、今や決定的だ。こちらの囮情報の流出が確認できたのだ。
敵はコルネリオの情報網の真の力を理解できていないのだろう。
彼にはとんでもない父親がいる。世界中で信仰される宗教の上層部の一員だ。各地に教会を持ちそれぞれに聖職者が在任し、そこには何百倍もの信者がいる。
これがやりようで幾らでも、有用な情報網にになるのだ。
親子は世界を二つの面から支配するために、惜しみ無く協力をし合っている。
真冬の曇天。空からは今にも雪が舞い降りてきそうだ。そんな極寒の中、城の中庭に上層部の騎士、その従卒、衛兵、大臣、文官が集められていた。皆寒さに震えている。
最奥には急遽作られた高い壇と玉座。そこにコルネリオは足を組んで座っている。この寒さの中いつも通りの軽装で、王らしいと言えそうな唯一の品は、戦の時に纏う深紅のマントのみだ。
その横に立つ俺。俺も普段とは違う、コルネリオ軍の紋章が金糸で刺繍してある黒地の戦用マントを羽織っている。
それだけで皆、この場がどんなものかを理解しているはずだ。
壇上から集まった顔を見渡す。すぐ下にはコルネリオが最も信をおく二人の衛兵が、こちらに背を向け槍斧を持って立っている。ひとりはベルヴェデーレだ。
少し離れたところにビアッジョ。隣にボニファツィオ。その後ろにエレナ、クレト、ベニート。従卒たちはかなり強ばった顔をしている。
ふと視線を感じて見上げると、建物の中からオリヴィアと取り巻きがこちらを見下ろしていた。
そろそろか。
そう考えたとき、
「この中に裏切り者がいる」
とコルネリオが朗々と声を張り上げた。不安と緊張に包まれていた中庭に、怯えが広がる。
「子ネズミ程度ではない」とコルネリオ。「最重要機密が漏洩している。次の戦で敗戦する恐れがあるレベルだ」
どよめきが起きる。
「と言っても、ここ何ヵ月かは偽情報しか漏れていない。安心するように」
エレナは固唾を飲んで、コルネリオに集中している。
「まだ裏切り者が誰か判明していない。その存在を如実に感じ始めたのは四月頃だ。それから今まで気配が消えることはない。確実にこの中にいるはずだ」
「エレナが来た頃だ!」
誰かが叫んだ。
ざっと人が動き、皆がエレナを見た。
彼女は強ばった顔のまま、固まっている。クレトが庇うように動こうとして踏みとどまった。下手をしたらビアッジョも巻き込むと気づいたのだろう。
「そうだな。彼女が来た頃だ」とコルネリオ。「エレナ。お前が裏切り者か」
「……違います」エレナの掠れた声。「私は、そんな機密事項を知る機会はありません」
「だがアルトゥーロの従卒だ」そう言ったのはビアッジョだ。
「盗み聞きでも色仕掛けでも、方法はある」他の騎士が遠慮がちに続けた。
エレナの顔は色を失い、目が限界まで見開かれている。
「そうだそうだ」ボニファツィオが追随した。「始めから胡散臭いと思っていたんだ。だが……」
と彼は俺を振り仰いだ。
「アルトゥーロは気づかなかったのか?」
中庭の空気に戸惑いが混じった。
裏切り者も、情報漏洩源も処罰されなければならない。
それがコルネリオの今までの方針だ。
「それは困った。アルトゥーロなしでは戦の作戦に支障が出る」コルネリオが俺を見ずに平坦な声で言う。「他に裏切り者に心当たりのいる者は」
誰一人声を上げない。目だけが忙しなく動いている。
「……私、ではありません」
唯一上がった声はエレナだった。震えている。
「当然、アルトゥーロ様は漏洩源ではありません」
「お前には聞いていない」とコルネリオ。「誰もいないか。では、アルトゥーロ。裏切り者をそこへ連れて来い」
俺は壇を降り、二人の衛兵の間を通ってそちらへ向かった。ビアッジョと目が合う。
すらりと剣を抜き、裏切り者の喉元に突きつける。反対側からビアッジョが同じようにした。
「ベニートを抑えろ」
そう俺が言うと、一瞬の間のあと裏切り者の後ろで、騎士たちが素早くベニートの腕を後ろ手に捻り上げ、地面にひざまづかせた。
視界の端で、エレナが硬直している。
俺は裏切り者ボニファツィオを見た。俺たちを騙せていると信じていたのだろう。驚愕の表情で固まっている。
「こいつの剣を取れ」
俺の言葉に、そばの騎士がボニファツィオの腰の剣を外し、別の騎士が体を叩いて他に武器を持っていないか確かめる。
終わると俺とビアッジョは一歩下がった。
「陛下の前に出ろ」
ボニファツィオはゆっくりと進んだ。玉座の前まで行くと、がくりと膝をつく。ビアッジョと俺は奴の首元に剣を向けたまま、コルネリオを見た。
「お前はまだ私を分かっていないな」
コルネリオはよく通る声でそう言うと、玉座から立ち上がった。
「裏切り者を誰か分からないままにするはずがないだろう。四年近くここにいてそれでは、優秀な密偵とは言えん。最も四年も隠れていたのは見事だが」
ボニファツィオが小刻みに震えている。
「正体は分かっているぞ。お前の経歴は全て嘘。本当はゼクス国の騎士だろう? いつか私が戦を仕掛けると考え、国王がお前を送り込んだ。私の暗殺が最大の任務。出来ないならば、機密事項の報告」
コルネリオがエレナを見る。
「どこか胡散臭いエレナが城に来て、お前は大胆になった。私たちが密偵の存在に気づいたら、彼女に罪を擦り付ければいい。上手くすれば、私の肩腕アルトゥーロも潰せる。そうそう」
コルネリオが今度はベニートを見た。
「従卒が間抜けなふりをして、あれこれ工作をしていたな。いつだったかの模擬槍、先端に遅効性の毒が塗ってあったのだろう?」
ベニートが使っていたそれを回収し豚に刺したところ、致命傷でもないのに数時間後に死んだのだ。
「視察先で襲撃されたのも、お前が裏で動いていたのだな。私はお前を重用してやったつもりだったのに、残念だ」
コルネリオが獰猛な笑みを浮かべた。
「言いたいことはあるか、裏切り者よ」
「地獄に堕ちろ! 悪魔憑き!」
ボニファツィオが叫んだ。
「地獄行きはお前だ。お前は卑怯な手段で我が軍、数万もの命に死の引導を渡そうとした。仲間を殺す、これを悪魔の所業と言わずになんと言う」
雄叫びが一斉に上がる。
しばらく待ってから、コルネリオが右手を上げた。
すっと静まる。
「裏切り者を処刑せよ」
◇◇
全てが終わり振り向くと、エレナはまだ強ばった顔のまま、動けないでいるようだった。
クレトとマウロが懸命に話しかけている。
エレナは俺と目が合うと、我に返った顔をした。
ギクシャクとした動きで俺の元へ来る。
「……始末はどうすれば」
掠れた声。その目が裏切り者だったものを見た。
「衛兵がする」
「怖かったかい?」ビアッジョが優しげに声をかけた。
エレナはかくん、と首を縦に振った。
「……私に何かあれば、アルトゥーロ様も責任を問われるのですか?」
「主だからな」とビアッジョ。
「コルネリオ様の腹心なのに?」
「示しがつかないだろう?」ビアッジョが言う。
「……つけ込まれないよう、気をつけます」
「そうしてくれ」
俺の言葉にエレナは無言で頷いた。
それから彼女の視線が俺の背後に動いた。振り返ると衛兵を従えたコルネリオだった。紅のマントが翻り、堂々たる様だ。
「エレナ」
国王の呼び掛けに、エレナははいと返事をして背筋を伸ばした。
「あの状況でアルトゥーロを擁護したのは立派だった。普通は自分の擁護だけで精一杯だ。褒めてやる」
「ありがとう、ございます」
「アルトゥーロ。ビアッジョ。来い」
俺はエレナに休憩しているよう命じた。ビアッジョも同様だった。
去り際にちらりと見ると、クレトがエレナの背中に手を添えて、何やら優しげに声をかけていた。
◇◇
「良いパフォーマンスだった」
コルネリオが満足そうに言う。
コルネリオ、俺、ビアッジョ。後ろに衛兵二人。廊下を王の私室に向かって歩いている。
そう、先ほどの茶番はパフォーマンスだ。
前回の戦が終わってから日々は平穏で、良くも悪くも大きな出来事はない。一般庶民ならば喜ぶだろうが、血気盛んなコルネリオ軍には退屈で弛みきった日々だ。
裏切り者を見つけ処刑することで、たるんでいた気持ちに喝を入れたのだ。
ついでにゼクス国への反感も植え付けられた。次の目標がゼクスではないのが残念ではあるが、いずれは攻め込む。次の次にしてもいいだろう。
「しかしビアッジョの後にアルトゥーロを色ボケと言ったのは誰だった? カルミネか?」
「カルミネですけど、色ボケとは言ってないですよ」ビアッジョが苦笑いをしている。
「同じだ」
「それくらいで降格させないで下さいよ」
「しないが、覚えてはおく」
コルネリオとは、まだ誰も味方がいない頃から二人三脚でやって来た。親友であり戦友だ。
だが今や彼は四か国を征服した偉大な王で、俺はその右腕とはいえただの騎士に過ぎない。古参でない者たちは、俺たちの関係の深さを詳しくは知らない。
俺はそれで構わないのだが、コルネリオはそうではない。俺を軽んじる人間は不遜な危険人物との認識だ。
俺はコルネリオが世界の王になるのを見たいが、コルネリオは俺と共に世界の王になると思っているのだ。
「カルミネは機会があればアルトゥーロを排除したい、と考えているということだ」とコルネリオ。
「そうですけどね。我が軍は血気盛んな猛者の集まりなんですから、新参者ではそのぐらいは普通でしょう」
「だがな、現状の把握を正しくできていない、ということだ」
ビアッジョはやれやれといった表情だ。
カルミネは少なくとも、パフォーマンス的にはいい発言をしてくれたのだ。おかげでボニファツィオがエレナに濡れ衣を着せるつもりだったことも、俺を潰そうとしていたことも、皆に明確に伝わった。
「カルミネもまずい発言をしたと今頃後悔しているさ」
「そうだな」ビアッジョが俺の言葉を受けて頷く。
「俺が覇者になるにはアルトゥーロが欠かせない」とコルネリオ。「ビアッジョ、お前もだ」
「ありがたきお言葉です」とビアッジョ。
ベルヴェデーレが目前の扉をさっと開いた。コルネリオの私室だ。
「では、祝杯を上げながら、次の打ち合わせをしようではないか」
そう言ったコルネリオは、子供のように無邪気な笑顔を浮かべたのだった。
◇◇
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