5・1 模擬戦《11月》

 エレナが俺の従卒になって八ヶ月。近頃彼女は目に見えて痩せた。季節の変わり目で体調を崩したと言っているが、仕事は休まず完璧にこなしている。

 ビアッジョが仕入れた情報によると、以前より食が細くなっているらしい。


 一度しっかり休養しろと命じたがエレナは、元々が痩せやすい体質なだけでたいしたことはないからと、拒否をした。


 あんなに俺に向けていた侮蔑を含んだ強い眼差しも、あまり見なくなった。


 出来すぎていて胡散臭い。それがエレナだ。こんな風ではこっちの調子が狂う。




 ……そう。俺はちょっとペースを乱されているだけだ。


 十数年もの間、コルネリオが世界の王になる日だけを目指し、心血を注いできた。それ以外は金も名誉も、女も家族も些末なことだった。

 この先もそれはずっと変わらない。


 そのはずだ。





 ◇◇





「すまんっ!!!」


 叫び声が馬場に響き渡った。馬上での槍を使った模擬戦の最中だ。組み手はエレナとボニファツィオの従卒ベニート。

 模擬戦なので本物の槍は使っていない。ただの長い棒で、先はくず布を何重にも巻いてある。

 そのはずなのに、何故かエレナの上着の胸元が裂けて垂れ下がっていた。


「止め!」とビアッジョが声を上げ、二人は俺たちの元まで来て馬を降りた。

 その拍子にエレナの胸元から何かが落ちた。

 屈んで拾う。つげの櫛だ。しかも野ばらの象嵌細工がある。一見して高級品とわかる品。


「……形見なんです」

 馬から降りたエレナが言う。

「母親か?」

 彼女は頷いた。その手に櫛を返す。


「アルトゥーロ、これ」

 ビアッジョに声を掛けられそちらを見ると、彼はベニートの模擬槍を差し出していた。くず布がずれて棒が顔を出している。しかも先端が割れて鋭い。


 ベニートを見ると真っ青になって冷や汗を垂らしている。

「手入れが悪すぎるな」と俺が言うと、

「すまん、すまん」とやって来たボニファツィオが軽い調子で答えた。「こいつはどうも不器用で」

「不器用を理由にするなと、いつも言っているだろう!」珍しくビアッジョが声を荒げた。ベニートにはこういうミスがよくあるのだ。「味方に怪我を負わされるなんて、冗談じゃない」


「怪我は?」とエレナに問う。

「ありません。服だけです」

「そりゃ良かった」とボニファツィオ。

「良くない!」とビアッジョ。「ベニートには懲罰を」

「そう怒るな。怪我はないんだ、たいした事じゃないだろう!」

「お前は適当すぎる!」


 言い争うビアッジョの手から棒を取る。

 そして。

 素早く突いた。ベニートの眉間を目掛けて。


「ヒッッ!」


 奴は間一髪避けて、というか腰を抜かして地面にへたりこんだ。


「アルトゥーロ」とビアッジョがため息をついた。

「たいした事ではないのだろう?」

「いや――」とボニファツィオ。「……すまん」

「全く、お前は。味方を殺すなよ?」とビアッジョ。「だがボニファツィオ。そもそも今日の槍戦はアルトゥーロが相手のはずだった」


 そうなのだ。本来は俺が全従卒を相手にする予定だった。ビアッジョは審判。他の騎士は観戦かつ自分の従卒の戦法の分析。馬は誰も連れて来ていない。

 なのにベニートの番の直前に衛兵が俺に仕事の話を持ってきたから、その次の番のエレナとやらせていたのだ。


「アルトゥーロにこんなものを向けていたら、どのみちただでは済ませてくれなかったぞ」とビアッジョ。「ベニートは命拾いをして良かったな」

「す、すみません」

 座りこんだままのベニートは半べそをかいている。

「気を付けさせる」とボニファツィオ。「罰も与える」


「後で何の罰にしたか、報告しろよ」

 コルネリオの声が響き渡った。奴が赤毛をなびかせて颯爽とやって来る。「なまくらな事をしていると、衛兵にも示しがつかない。なあ?」


 問いかけられた傍らの衛兵が頷いた。古参組でコルネリオ専属のベルヴェデーレだ。

「いずれ軍幹部になるでしょう従卒の皆さんです。是非我ら衛兵の手本になっていただきませんと」

 冷ややかな声と視線。


 衛兵は一部を除いてほとんどが騎士ではない。身分は下だが、ベルヴェデーレは古株ということもあって遠慮がない。昔はもう少し可愛げのある兄貴分だったのだが、いつの間にかすっかりふてぶてしくなってしまった。


 コルネリオは笑顔で『だよなあ』と同意している。


「とりあえずエレナは着替えてこい。それ以上服が破れたら士気に関わる。ボニファツィオとベニートは隅に控えろ。取り組みは再開。王が観覧してやる。アルトゥーロを負かした者には褒美をやろう」

 コルネリオは楽しそうに言ったが、皆は黙って一礼をしただけだった。


「従卒がアルトゥーロを負かすなんて、ハードルが高く現実味がありません」とビアッジョ。「せめて、惜しい取り組みをした者に褒美を」

「お前は甘いな。仕方ない。ビアッジョに花を持たせてやる。惜しい取り組みをした者に褒美だ!」

 途端にどよめきが起きた。


 コルネリオが苦笑する。

「この程度で次の戦は大丈夫か?」と俺に囁いた。

「大丈夫だろ。世界最強のコルネリオ軍だ」

 今は時期を見ているからおとなしくしているだけ。春を過ぎたら進軍する。軍隊のほうは着実に力を蓄えているところなのだ。

「まあな。俺とお前の軍は圧勝以外にあり得ない」

 破顔する幼馴染。



 その斜め後ろでベルヴェデーレが口の端に笑みを浮かべ、視界の隅ではエレナがクレトに声を掛けられていた。




 ◇◇




「申し訳ありませんでした」

 そう言ってエレナが深々と頭を下げた。

 何のことか分からず、俺は首を捻った。


 模擬戦は無事に終わり、幾人かが褒美を下賜された。従卒たちは浮かれながらも手早く片付けを終え、馬場もきちんと整備し、何ら問題はない。

 昼食は別だったが、そこでミスでもやらかしたのだろうか。


 午後の仕事の指示を受けに俺の仕事部屋へ来たエレナは開口一番、今の通りに謝罪したが、全く心当たりがないのだ。


「何のことだ?」

「模擬戦です」頭を上げたエレナは、久しぶりに強い目をしていた。「ベニートの武具の先端が崩れていた件です」

「それで何故お前が謝る」

「途中で気づきましたが試合を続けました。問題ない、勝てると。驕っていました。申し訳ありません」


 エレナは口を固く結んでいる。

「それが本当ならば、お前は愚かで騎士の資格はないな」

 俺は立ち上がると机の前に周り、そこに腰かけた。

「ベニートは不器用で武芸も並みに見える。だがあいつは従卒八年目。戦にも何度も出ているベテランだ。お前にない経験値を持っている。侮っていい相手ではない」

「はい。身を持って分かりました」

「突かれていたら怪我をしていた」

「はい」

「その判断が出来ないならば、騎士の資格はないということだ」

「……はい」


 まあ。俺がエレナの立場だったなら試合は続行するし、逆に大怪我をさせてやるが。


「やはり休め。判断力が落ちているのだろう」

「嫌です。女だから弱いと言われたくありません」

「言う奴などいるか。お前が誰よりも努力しているのは皆分かっている」

 エレナの目が一瞬揺らいだ。


「不遜で胡散臭いのは別としてな」

「……休みません。体調は本当に問題ないのです。判断ミスは単なる驕りです」

「余計に悪い」

「はい」

「休まないならクビだ」

 エレナは不服そうな顔をした。


「今休むと、ベニートに負けかけた言い訳に見えます」

「負けん気の強さだけは従卒一だ」

「ありがとうございます」

「実力が伴わないなら早死にする。戦場で敵ならば、俺はお前を最初に殺す。空回りしている、いいカモだ」


 エレナは目を伏せた。


「……私が敵ならば、この命を捨てても冷血アルトゥーロの首を獲ります。……騎士の名誉にかけて」

「それは負けたのと同じことだ」


 沈黙がおりる。


 と、突然、廊下に通じる扉が音をたてて勢いよく開いた。

 派手な格好をした女がツカツカと入ってくる。


「アルト! 金を貸して! またダンナが使いこんじゃったのよ!」

 思わずため息がこぼれる。

「もう金輪際貸さないと言ったはずだ。貸して返されたためしがない」

「だから一年もがんばったじゃない! 今度こそ最後! どうせあんたはがっぽり稼いでいるし、妻子はいないんだからいいじゃない! ダメなダンナのせいで苦労してる姉ちゃんを助けなさいよ!」


 エレナが見開いた目で俺と女、つまりは姉とを見比べている。


 この女は碌でもないバカで、若い頃から男を取っかえ引っかえ。ようやく結婚して落ち着いたと思ったら夫婦揃って金遣いが悪く、困窮すると弟にたかりにくる。


 前回かなりきつく責めたから、しばらくやって来なかったのだが。来たら来たで全く態度に反省が見られない。


 だが今はバカ姉と争いたい気分ではない。腰を浮かせ机をまわる。引き出しから金の入った袋をひとつ取り出すと、卓上に放った。


「さすがエリート騎士様! 感謝するよ、アルト!」

「次に来たら適当な罪で逮捕するからな」

「それでも弟か!」


 踵を返した姉は、すぐに足を止めた。


「もしかして、あんた」とエレナに話しかける。「噂の騎士見習い?」

「はい。エレナです。お見知りおき下さい」

 姿勢を正し挨拶するエレナ。

 その彼女の胸を姉はがしりと掴んだ。

「なんだ、やっぱり男だ。女が騎士なんておかしいと思ったんだ」


 エレナの顔が強ばる。

「手を離せ。それは女だ」

「ええ? 嘘だあ」

「さっさと帰らないなら衛兵を呼ぶ」

「クソ弟!」


 姉が鬼の形相で捨て台詞を吐いて、足音を立てて部屋を出て行く。扉を閉めもしない。代わりにエレナが閉め、また机の前に戻って来た。


 クソ姉。

 だが。やはり姉弟らしい。エレナを女かの確かめ方が、まるっきり同じだなんてぞっとする。がくりと項垂れたくなるのを我慢して元の位置に戻り、机に腰を乗せる。


「……お姉さま、ですか?」と、エレナが尋ねる。

「違うと言いたいが、そうだ。次に会うことがあっても、あしらって構わない」

「……ご家族がいるとは知りませんでした」


 両親と他の兄弟は既に死んでいる。それを誰かに聞いたのだろう。だが姉とは関わりたくないから、周りも気を使って話題に上げることはない。


「あれは家族じゃない。寄生虫だ」

「……」

 エレナの目があちこちに動く。何かフォローを考えているが浮かばない、といったところだろう。


「……だけど、あれですね。アルトゥーロ様も愛称になると、とたんに可愛らしいイメージになります」

 散々考えたあげくが、それか。


「愛称じゃない。元の名だ。鍛冶屋の息子がこんな大層な名前のはずがないだろうが。騎士の叙任を受けるときに、コルネリオがもっと騎士らしい名前にしろと言うから、変えた」

「では変えていなかったら『冷血アルト』ですか。迫力ゼロですね」


 変えた当初は何の意味があるのかと不思議だったが、今は良かったと思っている。エレナの言うと通りアルトでは庶民的すぎて、兵士たちに侮られたかもしれない。


「話を戻すが――」

「休みません。判断ミスは謝ります。クビは遠慮します」

 矢継ぎ早に言うエレナ。眉間に皺が寄っている。

「ならば次にミスをしたら、問答無用でクビだ」

「分かりました。その時はビアッジョ様に泣きつきますが、条件は飲みます」


 なんだそれは。呆れるほどに強情だ。

 強情すぎて笑えてくる。


 もっともビアッジョはクレトを重用しているから、エレナまで雇うつもりはないだろう。


 というか。


「そう言えば……」


 馬場でクレトに何を言われていたのだと尋ねようとして、ギリギリで押しとどまった。

 そんなことを訊いて、俺はどうしようと言うのだ。



「……櫛。随分な高級品だな」

 なんとか捻り出した話題。だが本当にあれは庶民が持つ品ではない。

「……そうなのですか? 形見なのでよく分かりません」

「お前の母親は貴族か上流階級の人間だったのかもしれないな」

「だとしたら私は父の血が濃いのでしょう。騎士としての生き方しか分かりません」


 エレナは目を伏せ、静かにそう言った。




 ◇◇

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