4・2 街中のふたり《9月》
街中をエレナと二人で歩く。彼女はそこそこ注目を集める。
メッツォの人間の多くは、髪は金髪もしくはそれに近い茶色が多く、目も色素が薄い。一方でエレナのような濃いブラウンの髪と目は、数少ないので目立つ。しかも彼女は美しい。
もっとも世間には、少年と認識されているだろうが。
「……アルトゥーロ様と街を歩くのにも、だいぶ慣れました」ぼそりと言われた言葉に彼女を見る。「冷血と呼ばれる騎士が、こんなに自国民に人気があるとは思っていませんでしたから」
エレナ同様、俺も常に注目の的だ。
何しろ俺は絶大な人気を誇るカリスマ国王の右腕だ。通称どおりに敵に対しては容赦しないが、大半の国民には関係がない。むしろ庶民からすれば、鍛冶屋の息子から騎士に、そして国王の腹心に大出世したヒーローなのだ。
街を歩けば下心のある奴らが寄ってくる。
と言っても、ほとんどの男は無視。女は好みのタイプにだけ立ち止まる。
そんなものだから無視された輩はエレナを捕まえ、なんとか俺を引き留めようとするのだ。
俺は気にせず先に進む。
それが二人で街に出たときの、いつもの光景だ。
「それにしても実物を知らないって、幸せなことですよね」
城では感謝していたエレナが冷めた口調で言う。やや不満そうな表情だ。
少し前に近寄って来た女と俺の会話が気に入らなかったのだろう。どうしてこう倫理観がないのだ、と聞こえるように呟いていたから。
「あなたの戦う様子を見たら、皆裸足で逃げ出すでしょう。心がないのか、と」
「心がなくとも金と名誉があるからな」
エレナがチラリとこちらを見る。
「先ほどアルトゥーロ様が女性とお話していた時、私は外したでしょう?」
確かに彼女は離れて行った。その先も見ていた。だが彼女はそのことに気づいていないようだ。
「あなたの他の恋人様に手招きされて、呼ばれたんです! なんとかしろって! 悪口を吹き込めとか密会を邪魔しろとか。こんな頼みごとばかりされるんですよ。少しは自分を律して下さい」
「騎士ならば、か?」
「あなたが冷血でも、せめてまともな騎士だったなら……」
「だから俺が嫌ならいつでもクビにしてやる」
普段なら『それは嫌です』との返答がくるのに、どうしてか彼女は難しい顔で押し黙ったままだった。
そのまま教会庁に着く。世界中に信者のいる宗教の総本山だ。ここにはコルネリオの父親がいる。
窓口で来訪を告げると、いつものようにすんなりと通される。本来なら窓口の先に行けるのは、宗教関係者か王族だけ。だが俺は特例になっているようだ。
エレナを連れ先導の元、父親の執務室へ向かう。時おりすれ違う聖職者の中には、あからさまに顔をしかめる者もいる。
コルネリオの父親は息子に力を貸すと同時に、息子からの力を借りてこの世界で権力を握っているのだ。故に敵も多い。
エレナを廊下に残し、父親にコルネリオからの手紙を渡す。返信が必要なものではないから、伝言だけをもらう。
この父親、何故聖職者になったのかは知らないが、俗物の見本のような男だ。コルネリオも教育や身をたてる助けをしてくれたことに感謝はしているが、内心では嫌っている。利用価値があるから未だに親子ごっこをしているだけなのだ。
俺も奴と話すことはないから、用件が終わればさっさと退散する。
教会庁を出ると、エレナが何の用事だったのかと尋ねた。今までも彼女を連れて父親を訪ねたことはあるが、その目的を訊かれるのは初めてだ。
ちらりと顔を見るが、いつもの固い表情をしている。
「ここのところ内情が漏れている節がある」
エレナが足を止めて俺の顔を見た。
「そのスパイを炙り出す打ち合わせだ」
「……そんな重要なことを私に話してよいのですか?」
「お前にも協力してもらう」
「……私がスパイだったらどうするのですか?」
「お前には知り得ない情報が漏れている」
「そうなのですか」
嘘だ。エレナだけなら知り得なくても、他に仲間がいる可能性はある。
例えばビアッジョ。あいつは誰とでも親しく話す。俺の従卒と二人きりでいても、誰も不審に思わない。ビアッジョが情報を仕入れる係で、エレナが連絡係。
もしくはコルネリオの衛兵。エレナの美貌に堕ちて彼女の手先として情報を集めている、なんてことも考えられる。
彼女の交遊関係の広さとコミュニケーション能力の高さを見ると、十分あり得ることなのだ。
「私は何をすれば……って、こんな話は城に戻ってからですね」
「城住まいの従卒たちを見張れ。怪しい奴がいたら報告」
城住まい、とエレナが呟く。
「本来ならクレトが適任だが、あいつはビアッジョの屋敷住まいだからな」
「分かりました」
素直に頷くエレナ。また強い目をしている。初めての秘密の任務に燃えているのかもしれない。彼女のことは信用していないから、今まではそういった事をさせてこなかった。
今回のこれも、スパイ探しを任されたと思ったエレナがどう動くかが主目的であり、彼女を信頼してのことではない。コルネリオの発案だ。
再び歩き始め、近くの花屋に寄る。不思議そうな表情のエレナをそのままに、店主に『いつものを』と頼む。
待つことなく、大きな花束と小さな花束が渡された。
そのまま教会庁の隣の大聖堂に入る。知り合いの寺男に声をかけ、地下の霊廟へ降りた。明かりは天井付近にある小窓からのみ。それでも九年通っているから迷わない。目的の墓の元へ着くと二つの花束を供え、短い祈りを捧げた。
隣を見ると、エレナも祈っていた。誰の墓なのかも分からないだろうに、俺よりも長い時間をかけている。
やることは終わったのでその場を後にする。エレナは慌ててついて来た。
地上に出ると、彼女はもの問いたげな顔をしていた。それはそうだろう。あの場に墓碑はあるけれど、読めるほどの明るさはない。
「……どなたか尋ねてもよいのでしょうか?」
「尋ねるのは構わない。答えないがな」
「……失礼しました」
あの墓に眠っているのは出産で死んだことになっている、コルネリオの最初の妻と赤子だ。毎年命日に訪れている。
だがこれも、エレナに話す必要のないことだ。
ただ、俺がもし死ぬようなことがあれば、誰かに引き継いでもらわなければならない。だから従卒が変わる度に連れて行くのだ。
と言っても歴代の従卒の中で一番信用できないエレナだ。俺の代わりを務める日など来ないだろう。
◇◇
城へ戻る途中、飲食店が連なる通りを歩いているとその中のひとつの店から、給仕がひとり出て来た。背が高く体格がいい。エレナと同じような濃い茶色の髪と瞳。そこそこ美男。
その青年はこちらに気づいて、あ、という表情をするとエレナに向かって親しげに片手を上げた。
見れば彼女も笑顔で手を振っている。
この男のことはビアッジョから聞いたことがある。エレナの街の友人だ。お互いに少数派の髪色ということがきっかけで親しくなったそうだ。
青年はちらりと俺を強ばった表情で見た。
「誰だ?」とエレナに尋ねる。本当は名も出身地も知っている。
「リーノです。この店で給仕をしていて、友人です」とエレナ。
リーノは固い顔のままペコリと頭を下げた。
「古い知り合いか?」
「いえ。この通り似た髪色が縁で、最近知り合ったんです」
エレナが男に『こちらは主のアルトゥーロ様』と説明する。
「お前の出身は?」
「フィーア国です」
聞いている通りの答え。フィーアはコルネリオが一年半前に征服した南方の国だ。
「戦で負けて、どうやらメッツォは国が凄く発展しているらしいって噂で聞いて。それで来たんです」とリーノはたどたどしく話した。「確かに全然違います」
「南の方はどの国も、都でももっと人が少ないしアレだよね」とエレナ。
「そうそう」とリーノ。「ここは大都会だ」
はるか昔に国がひとつの帝国だったとき、中心だったのがメッツォだ。他国と差があるのは当然だ。
フィーアなんて国土の広さと農業しか特色がない田舎だ。それなのに蛮勇な王は周辺国に働きかけて、コルネリオを倒そうと画策していた。
結局その働きかけた国に裏切られ、計画はコルネリオの知るところとなったのだ。
お陰でメッツォはより食料が豊富になり、国民は潤っている。
「じゃあ、仕事中だから、また」とエレナ。
ああと答えたリーノは俺にもう一度頭を下げた。顔はやはり強ばっている。
あの国の第一王子と軍団長を討ち取ったのは俺だが、そのことでも知っているのだろうか。それとも単純に『冷血』との噂に怯えているのか。
どんな理由があろうとも、目付きが気に入らない。
男の姿が見えなくなるところまで来ると、エレナに
「フィーアに行ったことはあるのか?」
と尋ねた。
「幼い頃に辺境に住んでました。ちょうど隣国と小さな衝突を繰り返していた頃です」
「父親が傭兵で雇われていたのか」
「はい」
「あの男はフィーアのどこだ?」
「聞いたけれど知らない街でしたね。忘れてしまいました。都会に憧れたと話していたから、田舎町でしょう。彼の店はなかなかの味ですよ」
「……食べに行ったのか」
エレナはこの半年の間、丸一日の休みは数日しかとっていない。一刻も早く騎士になりたいから、休んでいる暇はないのだそうだ。
俺としては常に小判鮫にくっつかれていて鬱陶しいのだが、その分動向は把握している。ついでにお喋りなビアッジョがあれこれ報告してくるから、知らないとはない。
そう思っていた。
だがこの件は初耳だ。
「先日いただいたお休みのときに」とエレナ。
「ひとりで?」
「いえ、クレトとです」
クレト?
それならビアッジョは確実に知っているはずだ。どうしてあのお喋りは俺に話さない。何か隠し事でもあるのだろうか。
◇◇
城に戻ってすぐ、クレトに出くわした。
「ちょうど良かった」と奴が言う。「エレナ、馬に飼い葉をあげに行こう」
彼女は頷き、
「行ってきます」
と俺から離れクレトの側へ歩み寄った。
『待て』
口から出かかったその言葉を飲み込む。
去って行く二人の従卒の後ろ姿。
どうして俺は用もないのに、待て、なんて言おうとしたのだ?
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