4・1 王妃の趣味《9月》
エレナが現れて半年。彼女には変わりはない。
いや。
俺にはだいぶ慣れたのか、当初に比べれば態度が固くなくなってきた。それでもビアッジョやクレト、同室のマウロとへのものとは違う。
ビアッジョには仏頂面をなんとかするか、この機会に倫理観を持てばいいとからかわれる。が、別に仲良しこよしをしたいのではないのだから、そんな必要はない。
ただ、彼女はよく頑張ってはいる。それは認める。
剣術は元々それなりの腕があったが、たゆまぬ鍛練で更に上達した。その他のあまり得意でなかった槍や斧も従卒の平均点には到達。馬術も上出来。
軍事演習では従卒の誰よりも熱心に取り組み、戦法・戦術の勉強も必死に学ぶ。
これは将来、重鎮クラスの立派な騎士になれるのでは、とビアッジョ。
あり得るなと思う。
コルネリオも期待していた方向とは違うが、良い拾い物をしたと満足そうだ。
しかもエレナは近頃俺の世話にも磨きがかかり、何故か服は気に入り順にしまわれているし、酒やつまみを頼めば好物が届く。嫌いな騎士への対応が面倒だと思っていると、程好く自然に割り入ってくる。
俺はそれらの好き嫌いを彼女に話したことはない。ビアッジョは女性ならではの目配りだなと言っているが、正直空恐ろしさを感じる。
一度、そこまで気を遣わないでいいと言ったのだが、彼女はきょとんとするだけだった。どうやら気遣いでもゴマスリでもなかったらしい。
完璧主義かつ凝り性なのだろう。
それにまあ、実のところ便利ではある。
胡散臭さは消えないけれど。
◇◇
その日、コルネリオの執務室を出て城の廊下を歩いていると、エレナが女たちに囲まれているのに出くわした。囲みの中心にいるのはコルネリオの正妻オリヴィアで、他は彼女の取り巻きたちだ。
オリヴィアは北方にあるノイン国の王女で、四年ほど前に嫁いできた。現在二十歳でエレナと同じ年だ。
そのせいなのか彼女はよくエレナに絡んでいる。楽しそうに談笑しているときもあるが、今はエレナは困った顔をして何やら懸命に断っているようだ。
面倒だ。来た道を戻ろう。
そう考えた途端、エレナと目が合った。
あいつは確実に困っている。だが俺に黙礼だけして、助けは求めなかった。
問題なし。急いで去ろう。
踵を返そうとした瞬間、
「あら、アルトゥーロ!」
と、高い声。オリヴィアに見つかった。
仕方ないので慇懃に挨拶をする。どうにもこの女は厄介なので、あまり関わりたくない。
「ねえ、あなたもエレナに言って。一度でいいからドレスを着て欲しいと!」
エレナは彼女の後ろでプルプルと首を横に振っている。珍しい困り顔といい、動きといい、小動物じみている。
「綺麗な顔をしているもの。絶対に絶対、似合うわ!」
他方、オリヴィアは目を輝かせている。
この女は退屈をもて余し、いつもくだらないことを考えているのだ。俺に関係ないことならば放っておけばよいのだが、時々矛先が向けられる。
その脳ミソのない感じが可愛いと、コルネリオは気に入っている。
前の妻は美しさを鼻にかけ、男はみな自分の虜と思い込んでいる阿呆だった。その前の妻は自分の血筋を尊び、庶子の夫を見下している奴だった。
前妻たちに比べればオリヴィアの性格は悪くない。だが前妻たちは鍛冶屋の息子に声をかけるなんてことはしなかったから、楽だった。
「アルトゥーロだってどうせなら可愛いエレナのほうが、教え甲斐があるわよね?」
キラキラとした目をしてオリヴィアが詰め寄ってくる。
「従卒に可愛さは不要です」
「まあ!」とオリヴィア。取り巻きがそれに続く。
まるで安っぽい劇のようだ。
「可愛くなるとかえって指導しにくいのかしら」ふふふと意味ありげに笑うオリヴィア。「そんなことはないかしら。あなたって胸の大きな艶かしいタイプが好みですものね」
男は誰でもそんな女が好きに決まっている。お前の夫もそうだぞと心の中だけで呟きながら、この悩みの無さそうな能天気女を可愛いと思えるコルネリオは、ストライクゾーンが広すぎる、と思う。
「とにかくね、私の誕生パーティーには絶対にドレス姿で出てほしいのよ」とオリヴィア。
なるほど。来月は彼女の誕生月だ。毎年自分でパーティーを計画・開催している。二児の母親のくせに未だに小娘のように浮わついているのだ。
ちらりとエレナを見ると、またプルプルと頭を振った。
「エレナだけ客になると、他の従卒とのバランスが取れません。城住まいの全騎士・全従卒を招待しないと文句が出るでしょうね」
「あら、そう。それはまずい……のかしら?」とオリヴィアは取り巻きたちを見る。
取り巻きたちは『どうかしら』なんて意味のない言葉をやり取りしている。暇人どもが。
「下らない揉め事を起こしたら、確実にコルネリオの機嫌が悪くなります」
「そう……。ならばいいわ」とにっこりするオリヴィア。「パーティーは諦める。だから今、着ましょう!」
どうしてそうなる。この脳ミソスポンジ女め。
「早いほうが楽しいわ。口実が難しいけれど」
オリヴィアの言葉に取り巻きたちが頷いている。
口実という言葉がひっかかる。なんだそれは?
「エレナの可愛い姿を見たがっているのは私たちだけではないのよ」オリヴィアは彼女に向かって、ニンマリとする。「さあ、行きましょう。エレナを借りるわね、アルトゥーロ」
「駄目です。これからコルネリオの使いで出掛けますが、彼女も同行する必要がある」
「そうなの? 残念だわ」
では失礼、とオリヴィアの脇を通りすぎ、
「行くぞ」
とエレナに声をかけて進む。
背後でしきりに謝る声がして、パタパタと追い駆けてくる足音が続いた。
「直ぐに出掛けますか? 馬でしょうか?」とエレナ。
「徒歩。このまま出る」
「はい。――アルトゥーロ様」
「なんだ」
「ありがとうございました」
ちらりと後ろを振り返る。オリヴィアたちは逆方向へ去りいくところだ。
「もっと強く拒否していい。お前は俺の従卒だ。妃の遊びに付き合わなくても何の問題もない」
「はい。そうしているつもりなのですが、通じなくて」
まあ、そうかもしれない。俺とて見かけたら避けるのだから。
「ドレスは以前から言われていたのです。だけど今日はやけにしつこくて参りました」
「どうしてだ?」
「分かりません。たまには可愛い格好で踊りましょうの一点張りで」
踊る?
誰とだ。
まさかエレナを誰かとくっつけようとしているのか。
零れそうになるため息を飲み込む。
独身の騎士、従卒、衛兵は、一度はオリヴィアにそれを企まれている。俺はかなりしつこく何度もやられた。最終的に見かねたコルネリオが叱責して収まったのだ。
男の格好をしているエレナまで標的になったか。
全くあの能天気女は。
「手に負えないなら言え。コルネリオはお前に女は求めていない」
と言ってから、ふと思う。女は求めてないが、女装は面白がるかもしれない。エレナは男よりも短髪で、表情は強ばってばかり(俺の前限定だが)ではあるが、美人だ。
だがそんなことをしたら、寝た子を起こすようなものだ。せっかく周りが彼女を男と認識しているのだから、そのままのほうが平穏なのは間違いない。
「当然です。私は遊ぶためにここへ来たのではありません」
力強い声に彼女を見やると、また強い目をしてどこか遠くを睨んでいた。
「女であることなんて、遠の昔に捨てました」
「……精進しろ。素質がないことはない」
エレナが俺を見上げた。ゆっくりと目から険しさが消えてゆく。最後に彼女は目を伏せ、ありがとうございますと静かに言った。
◇◇
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