3・1 真夏の視察《7月》

 エレナが来てから四ヶ月が過ぎた。

 彼女は今も上手くやっている。従卒たちとは仲良く、騎士たちからの評判は良い。コルネリオは何も起こらずつまらないと言っているが、彼女自身を気にいってはいる。


 一方で俺は変わらず胡散臭さいと思っている。だが、まあまあ普通の主と従卒の関係を保っていると言えるはずだ。

 いまだにエレナが俺を見る目には嫌悪が混じるが、態度はやや軟化した。


 言いたいことを言ってすっきりしたら緊張しなくなった、と彼女は話ている。

 俺たちはごくごくたまにだが、仕事以外の話をするようになったのだ。


 俺があいつに禁酒令を出したのが発端だ。単にまたぶっ倒られるのが面倒だっただけなのだが、エレナはこれでボニファツィオの酒をきっぱりと断れると安堵し、感謝したようだ。


 で、多少は俺の評価が上がったらしい。


 そもそも俺に騎士の品格なんてものを求めている人間なんていないのだ。王であるコルネリオが規格外なのだから、俺の存在など霞む。


 しかもあいつが王になったとき、口うるさく古めかしい奴らは文官にしろ武官にしろ、いなくなった。自らのケースもあれば、そうでないものもある。


 そしてメッツォの新体制を構築するメンバーは若返り、規範よりも実力を尊ぶ人間の集まりとなった。



 ◇◇



「休憩!」とコルネリオが声を上げた。

 皆が馬を止める。

 丘の中腹。道の両脇にはこの辺りだけ糸杉が並んでいる。休憩には丁度良い。


 俺たちは今、都から馬で三日ほどのコルネリオ直轄領に来ている。彼が最初に手に入れた領地だ。


 11年ほど昔のことだ。ここの領主である伯爵が反乱を企み、それを起こす寸前でコルネリオが討伐し、褒美としてその地を丸々貰ったのだ。


 まあ、詳細は省く。裏には当然彼の父親の暗躍がある。伯爵にその意志が本当にあったのかは分からない。

 ただひとつ確かなのは、領民はコルネリオを大歓迎した、ということだ。


 この領は交通の要になる街があるし、畜産農業も盛んでかなり豊かだ。

 コルネリオは即位をしてもこの地を直轄領にして、時々視察に回る。


 今日は農村地帯の見回りだ。この辺りは青々とした小麦畑が広がる。真夏の日差しは強く、遮るもののない畑地帯は陽炎が揺らめいている。


 それだと言うのに農道のあちこちに領民が立ち、コルネリオを歓迎する。




「ちょっと行ってくる」

 とコルネリオは軽い調子でそう言って衛兵を二人従え、燃えるような赤毛を風になびかせ、颯爽と駆けて行った。その方向には、穀物倉らしき建物。


「そういえば、前回、ここか」とビアッジョが苦笑する。

「そうだな」と俺。

 ちらりとエレナを見ると、不思議そうに周囲を見回している。


 昨秋の視察のとき、この地の村長夫人がこの辺りに立っていた。妙齢の、雛には稀なる美貌のご夫人だった。


「昼寝でもするか」

 ビアッジョはそう言って、さっさと下馬し日陰に横になる。クレトと残った衛兵たちも馬を降り、適当な場所を探し座り込んだ。


 俺は少しの間迷い、馬を進めた。この先、丘を越えたところに小川がある。エレナは無言でついて来る。


 すぐに目的地に着く。

「水筒に補充」

 そう言うと彼女は何か言いたそうに俺を見たが、返事だけして命令に従った。


 真夏に都から直轄領まで三日間の馬の旅。滞在はすでに四日目。昼間は仕事、夜は地元有力者が開く宴会。俺たちにはどうってことはないが、従卒三年目のクレトですら疲労が色濃い。エレナは何も言わないが、体力は限界に近いだろう。前回の休憩では水筒の残りを気にしながら、ちょびちょびと飲んでいるようだった。


 と、給水を終えて立ち上がろうとしたエレナがふらついて、しゃがみこんだ。

 思わずため息がこぼれる。


「……すみません、立ちくらみです。何てことはありません」


 その言葉通りに直ぐに立ち上がったが顔は火照り、おかしな表情だ。暑さにやられたのだろう。

 一旦ここで休むしかなさそうだ。

 汗拭き用に持っていたタオルを濡らし、エレナに放る。


「頭に乗せておけ。座って休憩」

「……すみません」

「そんなんじゃ騎士にはなれんな」

「……精進します」


 そう言ってエレナは一礼をし、その場に座った。適当な場所を探す余裕もないらしい。

 コルネリオが戻るまで、時間はある。ここで軽く休憩をしたら先程の場所に戻り、日陰で休ませよう。視察の最中に倒れられたら、迷惑だ。


 そんなことを考えていると、たいして時間が経っていないのにエレナは『もう大丈夫です』と立ち上がった。まだ顔が赤く目には力がない。


「……しっかり休め。落馬でもされたら困る」

「はい。ですがもう、休憩終了の頃合いではないでしょうか」


 前回の休憩は給水だけだったから、短かった。エレナは今回も同じ休憩だと考えているらしい。


「コルネリオは小一時間は戻らない。急がなくていい」

「コルネリオ様はどちらへ?」

「最高機密」

「失礼しました」


 エレナ以外は皆分かっているが、正直に答える必要もない。

 彼女はまた座った。


「ですが供も少なかったし、大丈夫なのですか?」

「コルネリオか? いつもこんなものだ」

 今回の旅にはボニファツィオなども同行しているが、今日は街で別の仕事をしている。


「一国の王であるのに」

「あいつもあいつ付きの衛兵も、強い」

「ですが大勢の敵に囲まれたら」

「コルネリオは間抜けじゃない。それに領民も、怪しい集団がいれば知らせてくれる」

「……コルネリオ様は慕われていますね。各地で民が歓迎してくれる」

「当然だ。領民、国民を考えた政策をとっているからな」


 それは彼らのことを考えてのことではない。自分が野心に専念できるよう、地盤を固めておきたいだけなのだ。反乱分子が生じないようにするための、善政にすぎない。


 だけど動機がどうであれ、民にとっては良い政策であり、故にコルネリオは支持されている。

 しかも若くて美男、破竹の勢いで周辺国を支配下に置いている男だ。そのカリスマ性に民が熱狂するのは必然だろう。


 コルネリオを良く思わない人間は彼を、悪魔の力を借りているだとか、悪魔憑きだとかの侮言で貶すが、圧倒的な絶賛によってかき消されているのだ。




「10年で四か国」

 とエレナが呟いた。目を閉じている。喋りすぎたのではないだろうか。

「その頻度で戦をしているのに、国は疲弊していない」

 そう彼女が続けた。

「だから賢王だ」

「……そうですね。確かにすぐれた政策をとっているのでしょう。すみません、喋っていたら気分が……。少し横になってもいいでしょうか」


 今日の視察メンバーで新顔はエレナだけだ。皆、地理には明るいから、戻らなくても俺たちがここにいるとの見当はつくはず。

 だが。

 かなり具合が悪そうだ。横になるなら日陰に行ったほうがいい。


 立ち上がると、彼女を担ぎ上げた。

「あの!? アルトゥーロ様!?」

 そのまま俺の馬に乗せ、自分はその後ろにまたがる。エレナの馬がこちらを見ているので呼ぶと大人しく寄ってきた。

「捕まっていろ」

「……すみません」


 そのまま並木に戻る。

 昼寝をしているはずのビアッジョは起きていて、俺たちを見て立ち上がった。

「暑いからな。大丈夫か」

 クレトも来てエレナが降りるのを手伝う。そのまま彼女は日陰に入り、横になった。顔に濡れタオルを載せている。


「まあ、よくもった方だ。未経験者には強行軍だろうからな」とビアッジョ。


 クレトが手で扇いで風を送っている。焼け石に水だと思うが、本人は真剣な顔だ。あいつも最初の夏、訓練中に泡を吹いて倒れたから、他人事とは思えないのかもしれない。


「コルネリオ様が戻るまで寝かせてやっていいんだな?」ビアッジョがひとの顔を見てニヤニヤする。「エレナもいい加減、お前は仏頂面なだけで、そう悪い奴じゃないと気づいてもいい頃合いだよな。騎士の品格がなくても倫理観が歪んでいても、部下はきちんと育てる。それが冷血アルトゥーロ」

「仕事だからな。あいつにとっては、品格のない騎士は他がどうであろうと、悪い奴のくくりだろうよ」


 うん、まあ、そうか、と言いながらビアッジョは頭を掻きながら元の場所に戻って、ゴロリと横になった。


 俺よりも彼女とよく話すビアッジョは、彼女の騎士観を熱く聞かされているらしい。クレトには、俺は騎士と認めがたいとこぼしたこともあるという。


 それでも彼女は俺の世話も武具の手入れも手を抜かない。




 俺も休むべく腰を下ろそうとして、丘の上から手を振りながら、駆け足でやって来る農民たちが目に入った。騎士様、と叫んでいる。

 その男らは息せき切ってこちらに来ると、


「怪しい奴らが!」


 と話した。この先にある葡萄畑のあたりに、見たことのない数人の男がうろついていたという。

 農民に褒美を渡す。


「休めないなあ」と苦笑しながら立ち上がるビアッジョ。

「いや、いい。奴らにはコルネリオの居場所は分からないだろう」

「帰りを待つか?」

「俺が伝えてくる」


 と、いつの間にかエレナが立ち上がっていた。

「お前はいい。コルネリオの居場所を教えたくない」

「アルトゥーロは君をまだ信用していないからな」とビアッジョ。


 そうなのだ。今回の旅も彼女には、出発前夜まで同行を伝えなかったし、目的地は到着するまで明かさなかった。


「俺たちが戻るまで座って待機」

 そう指示を出すと念のため衛兵を二人連れて、幼馴染の元へ向かった。



 ◇◇



「それで、エレナはどうしている?」

 用事を済ませたコルネリオと馬を並ばせ、並木に戻る。後ろには衛兵。不審な集団がいると知ったって、こいつは先頭を進むのだ。


「暑さにやられて戦力外」

「演技ではなくてか」

「あれが演技なら騎士より俳優が向いている」

「そうか。しかし今日の間抜けどもはどこの人間かな」

「さあな」


 コルネリオは楽しそうだ。視察なんて本当は退屈で仕方ないのだ。だから常にこのような襲撃を期待している。憂さ晴らしに、暴れまわり殺しまくりたい。それが賢王コルネリオの本性だ。


 これまでの襲撃犯はほぼ、彼に滅ぼされた王族の残党か、彼を警戒する権力者が差し向けた人間かのどちらか。コルネリオとしては後者のほうが、相手に攻め入る理由になるから都合がいい。


 四か国目の国を滅ぼしてから一年半近く。次の狙いは定めてあるが、まだその時期ではない。短気なコルネリオは戦をしたくてウズウズしている。もしこれから迎える襲撃犯がその国の者ならば、鴨葱だ。


「楽しみだ」

 笑うコルネリオは無邪気そのもので、まるで子供のようだ。


 実際に子供だった頃、こいつが

「俺は世界の王になる」

 と言ったとき、俺は唖然とした。なんだこの馬鹿はと思ったのだ。だけど同時に、こいつなら本当にやり遂げそうだとも思った。


 一緒にやろうぜと誘われて、いいよと即答した。

 鍋づくりの鍛冶屋になるより、余程楽しそうに思えたのだ。




 休憩場所に戻ると、残っていた全員が立って並んでいた。エレナもだ。だいぶ顔色が落ち着いている。


「よし!」とやはり上機嫌のコルネリオ。「これから襲撃者が現れそうだ。必ず、ひとりは残すように」

「いつも問題なのはあなたたちでしょう」とビアッジョが指摘する。「生け捕るようにしますから、たまには邪魔をしないで下さいよ」

「失敗したら、お前、減給な」

「横暴。やる気が出ないなあ」

 コルネリオの笑い声が辺りに響いた。




 出発する直前、馬上の俺にエレナが寄ってきた。

「ビアッジョ様は本当に減給になってしまうのですか?」

 周りを気にかけながらの低い声。

「冗談だ」

「そうですか」

 胸を撫で下ろした様子だ。


「ここに来てから実戦は初めてだな」

 頷くエレナ。

「誰もお前を助けない。自分で乗り切れ」

「大丈夫です。こんなところで死ぬために従卒になったのではありませんから」


 力強い声に、思わず彼女を見た。真っ直ぐで強い目が俺を見ている。さっきまで倒れていたくせに。


「アルトゥーロ様の実力も見させていただきます」

「……生意気だな」

「既にご存知でしょう?」

 余裕の表情で肯定し、エレナはさっと馬に乗った。


「アルトゥーロ様のお陰で回復しました。襲撃なんて問題なく対応できるでしょう」

「……感謝しろよ」

「しています。ありがとうございました」


 きっぱりと言うと、彼女はなんの怯えも躊躇を見せずに、馬の腹を静かに蹴った。




 ◇◇

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