15話 リースの弊害
「オブライエン様、お話が」
奥の部屋の扉を開けた時、私は大事なことを失念してしまったと口を押えた。オブライエン様のほかに個展の来客が座っていたのだ。
見本市の奥は来賓室になっていて、品評会などの時も商談の場として利用される。今回もリースを希望する方のためにオブライエン様がカタログを片手に直接商談をしていたのを頭に血が昇っていて忘れてしまっていた。
「どうしましたか。何か大事がありましたか」
「いえ、急な用事ではありませんが」
奥で座っていたお客様から気を使われてしまった。どうしようこのまま下がってしまったらバツが悪いし、商談中に何かあったと思われてオブライエン様の印象も悪くなってしまう。
「ああ、ウェルカムワインが安いものを使っているのではとクレームが出たんだな。ワインの銘柄を見せてからにするオペレーションにすればこんなことには。すみません主催としてお客様にご説明しなければならなくなりました。商談を中断して申し訳ございませんが」
「構いませんよ。自慢ではありませんが、私はワイン通でして。あの上等なワインを安物だと謗る輩には、銘柄で黙らせないと。絵画もそうでしょう、偽物かどうかは本人のサインがあるかです」
「その通りです。ヴィルシーナ、倉庫にまで付いてきてくれ」
大げさにオブライエン様が手を頭に当てて、口からスラスラと出まかせを紡ぎ出した。あまりにも見事な嘘の付き方に、思わず信じ込みそうになってしまった。言われた通り倉庫の裏に連れていかれると、オブライエン様は腕を組んで眉をひそめた、
「で、商談を中断させてまで何を言いに来た」
「おじい様の作品の値段。また上がっていると聞きました。それは事実ですか」
「事実だ」
躊躇いもなくオブライエン様はすぐに返事を返した。
「おじい様の絵が高くなるのを避けるのが約束の条件でした。絵の販売をしばらく停止したからでしょうか。でもこんな短期間でまた値が上がるなんておかしいです」
「いや販売したとしても、どの道高騰化は避けられなかっただろう」
「避けられなかったって、どういうことですか」
「憧れだった絵が期間限定だが手元にある。たとえ借り物であっても、事情を知らない人たちからはついに所有されたのだと称賛される。そして期限が近づくと手放すのが惜しくなる。そしてそいつらはこう言う「買わせてくれ」と。いやむしろ上がらない方がおかしい」
「では、リース事業は裏目になってしまいます。安く提供できたはずなのにそんな」
「そんな都合のいいことがあるわけないだろう。それに値段が上がっているのはセカンダリーのオークションだ。値段の上げ下げは客の判断だ。リース事業自体は変わらない値段で提供を続ける。そうすればより高くなったオルファンの絵が呼び水となって、借り物でも手に取ろうとしたい成金や貧乏貴族がやってくる」
なんでそんなひどいことを。リースを依頼しに来ている人たちは、おじい様の絵を近くで見たくているのに。ベンバトル男爵のような立派な方でも借りたくて二枚も頼む人だっている。それを値段が釣りあがってより儲かるためだなんて。
「嘘つき!」
「俺は嘘なんてついてない」
「おじい様の絵をマネーゲームにしないよう約束したじゃないですか! これではリース事業がマネーゲームの原因になってしまいます」
約束もその原因の根源すらも反故にされて抑えきれない怨嗟が吐き出されていく、その口激の数々がぶつけられてもオブライエン様はまるで無反応。ふんと鼻息を鳴らして目を伏せて返ってきた言葉が。
「言ったろ。俺は詐欺も平気でやる人間だと。それを承知で婚約を継続したんだろ」
「約束の前提を反故にしたのはそちらでしょ!」
まったく悪びれることもない態度に私はカッとなり、倉庫の扉を締めずに出て行ってしまった。
脇目も振らず会場の中を通り抜け、ウェイターの人が止めようとするのも無視して外へと出てしまった。空気が重い、空を見上げると水を多く含んだ黒の水彩絵の具を垂らしたような雲が覆われていた。空気も水分が多く含んでいるのか走って大きく呼吸をすると、口の中が潤い頭がすぅっと冷却された。そして自分のしたことに自己嫌悪が走る。
何やってんだろ私。
あの人はそういう人じゃないか。
ここまで絵に心酔している大元となったおじい様でも、こんなに絵のことで四苦八苦してなかった。売れなくても酷評されても「しょうがない」の一言で済ませていた。一晩寝ずに、頭を悩ませて描いた絵が展覧会で誰も立ち止まってくれなくてもおじい様は「しょうがない」と。
そうだ。許せなかったんだ。おじい様が席を離れていた時に足を止めてくれた人がいたのを私は知っていた。見てくれた人がいたのに、一生懸命描いた絵を「しょうがない」で終わらせてほしくない。それからずっとおじい様の絵のどうやって評価されて、目に留まらせれるか研究して、制作のお手伝いをして……
そうだ、私はおじい様が大好きだったんだ。大好きなおじい様が大好きな絵を寂しく風化させたくないために。恋も出会いも全部かなぐり捨てて、勝手にひとりになってしまった。そして今もまた勝手にまたひとりになってしまった。
階段に座ってうずくまっていると、上からのほほんと暖かな声が注がれた。
「ヴィヴィどうしたの、せっかくの可愛い顔とメイクが台無しだよ」
声の主はエドワード先生だった。
「あいつは他人の作品には興味ないから来ないと思うぞ」とオブライエン様が仰っていたけど、ちゃんと招待状を受け取って来たんだ。
「いらっしゃっていたんですね」
「うん。ワインが出るからって聞いてやってきたよ。お代わりもしてくれてサービスいいね」
お出しするウェルカムワインは一杯だけのはずなんだけど、たぶんエドワード先生がウェイターにわがまま言ったんだろうな。
「で、そんな可愛いヴィヴィを泣かした男はどこにいるの。どうせあの顔だけいい人でなし男でしょ、場所だけ教えて」
「違うんです。私が、私のせいです」
エドワード先生に事のあらましを包み隠さず伝えた。リース事業のことも、そして婚約に至った経緯についても。
「経緯を聞いても、シュバルが十対〇で悪いと思うんだけど」
「そのリスクを受け入れて、リース事業も全部手掛けてくれた人に後ろ指を指すようなことをしてしまって」
「思いつめすぎというか……だったらいいところあるよ。来週王都の東側に来れる? 面白いもの見られるよ」
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