26話 エピローグ 私は大絵師の影を踏む

 木目で彩られたアトリエの中で、細い絵筆で下絵に輪郭をつけて立体感を出す。前にオブライエン様に指摘された箇所を取り込んだやり方だ。


「製作は順調か」

「まだ全然です。自分の色を出すのがちょっと怖くて」

「オルファンはすでに『新境地』に入ったんだ。多少絵が崩れても大して気にする人はいない」

「甘く見過ぎです。あの時はマジックで目が眩んだだけです。ちゃんとした評論家が見れば私の絵なんてすぐに見破ります。お金に目が眩んでませんか」

「ふっ、一丁前に言うようになったなヴィルシーナ先生」


 オブライエン様が髪をかき上げると、左手の薬指に指輪がはめられていた。先月私たちは正式に婚姻を結んだ。結納金としてオブライエン邸の庭におじい様がつくったのと寸分変わらないアトリエを再建してくれた。まさか柱に描いた線の色まで再現してくれるなんて思わなかったけど。そして再建されたアトリエの中で私はを描いている。

 あのオークションの日以降、オルファンが今後継続して新作を出してくれるか不安になった貴族、金持ちから山のような手紙がヴァイオレット家に届いた。お母様は返信すべきかまたも眠れない日々を送ることになったが、その中に宛名のない新聞の切り抜きで書かれた手紙が入っていた。


『先生、次回も頼みます』


 嫌な予感をしながら、その奇妙な手紙が届いた翌日、オブライエン様に見せると予想通りの答えが返ってきた。


「オルファンを追いかけていた奴らだな。『次回』とあるからやはりあの三十七番の奴だろうな」

「あの方はファンと公言されてましたが」

「ファンにしては動きに一貫性がない。『雪原の雪だるま』の入札の際、三十七番は一度も札をあげてない。そして『蝶の花束』の時も、最初のと、レオナルド夫婦にチキンレースを仕掛けた時の数回、一枚の攻防戦でも三十七番は途中で降りてしまった。絶対確保したい人間にしては、入札の動きがおかしい。まるでうちの動きに合わせて入札したみたいだろ。本来の予定では代理入札で入っていた俺の部下が、お前の描いた絵と同じ値段を鑑賞の時に入札するよう命じたが、先んじて三十七番が入札の札を挙げた。俺たちの動きを最初からマークしていたというわけだ」


 じゃあ私が描いた作品を狙っていた人たちの思惑通りに渡ってしまったということ。あの三十七番の人の手が震えていたのは、暗躍していた人が待ちわびていたものに喜んでいたなんて。しかも私たちの関係すらも知っていたなんて。


「なぜ腑に落ちません。なぜ三十七番の人は、私たちの計画を手伝うようなことを」

「単純なことだ。レオナルド夫婦に怒っていたからだ。あのアトリエにはオルファンの絵のほかに、下絵もあった。一年もかけて、送りつづけた下絵にの筆が入てくれるのを願う作戦が、バカ夫婦のせいで御破談になった。相当恨んでいたと思うぜ。そこに俺たちがオークションの日に向けてコソコソしていた。今後はヴァイオレット家の敷地内でもどこかで盗聴されているかもしれな」


 どこかで。急に四方から見られているような感覚に陥り、もう遅いかもしれないのに窓のカーテンを慌てて閉める。貴賓室には私とオブライエン様のみしかいない、それでも怖さが足のつま先から震えあがり、心臓を揺らす。しかしオブライエン様には余裕があり、手紙をひらひらと揺らした。


「ただ、こんな手紙を送り付けるなんて、やはり間抜けだ。女だと思って脅せば描かせられるだろうと浅はかだ。俺なら『オルファン氏はオークションの結果に納得できずやはり金輪際筆を持つことを辞めました』と宣言する。主導権はこちらにあるのを、こいつらは失念している」


 私が震えているのに、この人はやはり顔色一つ変えてない。やはりこの人なら……


「それでお前はどこへ向かう。この家で絵を描くことも難しい、絵の供給することもできない以上、もう俺を婚約者としてのメリットはなくなった」

「いいえ、あります。あなたのところで絵を描かせてください」

「正気か?」

「生半可であんな返事しません。私にできることは絵を描くことぐらいです」

「それが危険だと」

「わかっています。でもおじい様を追い詰めた輩をこのまま野放しにするわけにはいかないのです。私が描き続けることで彼らをおびき寄せて、捕まえます」


 私は絵師オルファンとして絵を出すことを条件として婚姻を結ぶことを告げた。


 ブルーベリーに近い青を含んだ筆を置いて、固まった体を伸びする。結婚してから初めて作品……となってほしい。『瞬くアトリエ』以降オルファンに近い絵は未だに指の先から出てこない。下絵の問題でも色の問題でもなく、何か納得がいかないのが続いている。おじい様はこれを月に二枚も継続して描いていたなんて、おじい様は偉大な絵師だ。


「ヴィルシーナ、お前宛ての手紙だ」

「……また彼らからですか」

「よく見ろ、知っている名だ」


 手渡されたのは二通の手紙、一通は新品の便せんで書かれたもの。もう一通は対照的に見ただけで安物と分かる茶色い封筒に入っていた。


『ヴィヴィ結婚後の生活どう? 伯爵様にいじめられてない? もうあなたと商売ができなくなるのは寂しいけど、暇ができたらそっちに遊びに行くからね。その時は王都のお菓子と商品を携えてくるからね。 あなたの親友クリス・レナードより』


 結婚後、クリスとはもう絵は出さないと答え、プライマリー契約を打ち切った。オルファンの絵の扱いや販路を活用するならクリスが最適だけど、オルファンが私だと知っている以上、彼女にギルドや市場を敵に回してまで関係を続けることはできない。

 一方オブライエン様なら、リース事業で培った独自の販路がある。その販路を使って、オルファンの絵を供給する。私の絵を完全に独占できるメリットもあるし、そうすれば彼らはプライマリーギャラリーであるオブライエン様のところにやってくる。もちろん代償だって大きい、私だけでなくオブライエン様自身が襲われる可能性がある。最悪命だって。


「何を考えこんでいる」


 ピュッと持っていた便箋を取り上げられると、オブライエン様の顔が真正面に見えた。


「本当に絵を描いてもいいんですか。金が入っても最悪あなたの命が狙われる危険な橋を渡るリスクが」

「危ういお前を放置しておくわけにはいかないって言ったろ。それに詐欺師はリスクを冒してでも大金を得ることが大事だ。とにかくまずは絵を一枚描き上げてからにしろ。立ち止まっては何も改善されん」


 オブライエン様はそう言い残してアトリエから出て行った。一人分のコーヒーとお菓子を残して。相変わらず不器用で噓つきな人だ。オブライエン様からのもらい物を口に咥えて、茶色の封筒を開ける。そこには見慣れた文字がつづられていた。


『私のことは気にせず。描き続けなさい。 おじいちゃんより』


 おじい様、絶対にオルファンの名を私に移して、安心して過ごせるようにさせてあげるからね。そして私は目の前の描きかけの絵を完成させるために、焦げ跡のある絵筆を手にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紛い物しか描けない私が詐欺師侯爵様に唆されるまで チクチクネズミ @tikutikumouse

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ