19話 すべてが終わった日
目覚めると私はベッドに横になっていた。頭には氷嚢が乗せられ、体中にはガーゼと包帯があちこち巻かれ、まるでミイラのような状態になっていた。
「お嬢様お目覚めになられましたか」
「ヴィヴィ! よかった」
傍には執事とクリスが座っていた。私が目覚めるや否や、クリスは水道の蛇口を一気に開けたように目に涙を湛えて抱きしめた。痛た。クリス強く抱きしめすぎ。
「二日も目覚めなくて、熱も出ていたし。今日も目覚めなかったらと眠れなかったんだから」
「え……ふっ。とぅ」
二日もと声を出そうとしたが、声が出ない。口のあたりがピリピリと痛むけど、喉が裂けるような感触はない。おそらく二日も声を使ってなかったから、声を出す感覚が忘れているだけかも。
「ヴィヴィ? もしかして、喉が焼けて……っ」
焼けて? 改めて自分の体に貼られているガーゼを少し押すと、ひんやりとした感触が伝わってくる。そうかドアを開けた時に襲ってきた炎で火傷したんだ。布団を被っているから全身が見えないが、脚の腿にもガーゼが貼られていることから想像以上に火傷の範囲が広いらしい。けど、喉のあたりは火傷の影響はない、それをクリスを安心させないと。
私は首を振って、喉のあたりに指を指すと指で丸を作った。
「そうか、喉は焼けてなかったんだ。お医者さんからは重症になるような火傷はなかったけど、全身に軽度の火傷を負っているからしばらく安静にするように言われているから、ゆっくり休んでね」
「うん」
数少ない声なら声は出せるようで、返事はすることはできた。じゃあ今日はゆっくり……いやそうじゃない! アトリエは! ベッドから出ようと脚を曲げようとしたとき、ズキッと槍が突き刺さったような痛覚が襲われた。
「だめ、安静にしないと。傷が広がっちゃう」
「あ、あと、り」
アトリエとかすれ声を出しながら窓を指し、アトリエがある林の方向を指さす。絵筆とか絵の具とか無事だった画材が残っているかもしれない。こんな時に声がでないなんて。何度も私がアトリエの方に指差すが、クリスは執事と顔を見合わせて口ごもって何も言わない。
「ヴィルシーナ! 目覚めたと聞いたが」
オブライエン様が私が目覚めたことを聞きつけたようで、バンッと乱雑に扉を開けて入ってきた。私と違い、治療を受けた痕やガーゼの一つもなくあの火事の被害を受けてなかったみたいだ。
「おおぶ……さま」
「オブライエン様。今ヴィヴィは声が出せなくて、それでその」
「……俺が話をする。みんな一度外に出てくれ、誰かが言わなければならんことだ」
「お願いします」
みんな何かをオブライエン様に託したらしく。申し訳なさそうな顔をしながら二人とも部屋を出て行ってしまった。二人きりになった部屋の中は怖いほど静寂に包まれていた。オブライエン様はいつも見せる不遜な態度もなく、何かを躊躇っている表情を我慢しているようだ。そしてゆっくりとクリスが座っていた椅子に座ると、その重たい口を開いた。
「アトリエは全焼した。お前の絵もオルファンの絵も全部灰になった」
「ままだ。あとに」
「もう何もない。お前の母上が昨日残骸を全部片づけた」
何も、ない。手の甲に熱いものが一つ落ちる。
あそこにはこの間買ったばかりの筆があったのに。おじい様が使っていたのを使い続けていたイーゼルも、固くて座高が低くて使いにくい丸椅子も、小さいころからおじい様と一緒に身長の高さを引いていた壁も。全部、なくなった?
そんなことないと否定しようとするが、現実なのだと目からあふれる涙の数だけ現れてくる。
「なぁ。なんで、のこ。のこして」
「火災の影響が大きかった。周りの木々も全焼してしまい、倒れてしまいかねなかった。倒す先として適したのがアトリエがあった場所だった。そこに火災で燃えてしまったものをまとめて破棄するほかなかった」
「でも、でも。わたしにひとこといってくれも」
布団を握りしめて涙をこぼすと、喉が戻ったのか声がだんだん戻ってきた。
でも声が戻っても、アトリエのものは二度と戻ってこない現実が余計に苦しめる。どうせなら声も戻らなければよかったのに。けど、私の意志に反して、声を出せば出すほど元に戻る速度が早くなる。
「あそこには、いっぱい。いっぱい。だいじなもの。のこっていた。まだぶじなものが、あったはず」
「本当にすまない。アトリエがお前にとって大事な場所だというのは分かっていた。最初にアトリエに入れてくれた時から」
「そんなの。いまさら。優しくしなくても! あなたと婚約をつづけたのは、アトリエを守るため。それだけのために、詐欺も相性も我慢して続けた。でももう、守るためのものがなくなって。婚約の条件の、おじい様の作品も全部なくなって。なんで優しい言葉をかけるの!」
本当に性格悪いな、私。
頭を下げてまで、アトリエを守ろうとしてくれた人にわがまま暴言を吐き出して。オブライエン様には何の非もないのに、ひどい言葉を投げつけても何も解決しない。傷を増やすだけの無意味なやり取り。自傷行為のようで胸の奥が傷つき、涙が布団にシミを増やす。
手の中に細長いものが握り締められた。涙をぬぐって手の中を見ると、それは一本の絵筆。穂先は普通のものよりやや短く、絵の部分は焦げた箇所もある。
「破棄される前に見つけた。ほかにも探してみたが、持ち帰れそうな無事なものがそれしかなかった」
「…………ごめんなさい」
気を使わせたこと? 廃墟の中から服を汚してまで探してもらったこと? 何でありがとうという五文字の言葉を出せなかったのか、自分でもわからず出た言葉にまた沈んだ。
「ヴィルシーナ。絵を描いてくれ」
「え?」
突然のことに筆をもったまま呆然としている。当の本人は目を瞑って何かを覚悟しているかのように身構えていた。
「ん、殴らないのか」
「いえ、なぜ殴る必要が」
「病床の人間に描けなんて人の心がないと怒ると思って」
「あまりにも唐突だったので」
「すまん。俺も焦ったみたいだ。あのアトリエの火事は放火に違いない。以前入った時アトリエの内外には引火物が置かないように管理されていた。徹底管理されたアトリエで不注意による火災は考えられない。後で聞いたが火災は黒煙が発見してからすでに火に包まれていたらしい。通常の火災で煙が出てから家屋がすることは、放火によるもの以外まずない。現場から油の臭いがあったから間違いない」
「そんな」
告げられた事実にショックが隠せず、頭を抱え体を丸めた。故意でアトリエを燃やしたなんて。いったい誰が。
「ヴィルシーナ、アトリエが燃えたことで今どうなっていると思う」
「もしかして、おじい様の絵がまた上がっているのですか」
「軒並みな。オルファン所有のアトリエが全焼のニュースは王都にすでに駆け回っている。アトリエの中身はヴィルシーナが秘匿していたが、勘のいい奴らはアトリエに何があったか調べるだろう。残骸だけでもイーゼルのほかにやたら数が多い絵の残骸に作品が置いてあると勘付くだろう」
元々供給不足だったおじい様の絵の在庫が火災ですべて失われたとなれば、供給が完全になくなり価格が上昇する。オブライエン様の情報ならこれを機におじい様の絵が今後出ないと噂を立てればより高い値で売れる絶好の投機機会だ。ということは、放火をした犯人はそれが目的で。
「最近屋敷に訪れた人間で、絵に不満を持っていた奴はいたか」
絵に不満がある人と言われても。絵の直接購入を希望していた人はこれまで十人以上いたし、みんな絵が高い高いと文句を言って帰って……いや一人、一組いた。購入でなく交換を希望していた人が。
「レオナルド夫婦。あの方たちが持っている絵きっと値段が上がっているはず」
「考えは同じだ。レオナルド夫婦が持っていた絵は『夏の時代』の作品、『冬の時代』と比べれば高く売れるが、最高落札価格が出る『秋の時代』と比べれば安い」
今まで来訪した人と違い、絵を所有しているレオナルド夫婦なら絵が高騰した方が都合がいい。個展の時の反応も、動機には十分。
「だが、決定的な証拠がない以上捕まえることはできない。そこでヴィルシーナの絵を使って復讐計画を建てる」
「復讐計画?」
「お前の絵をオルファンの絵として、レオナルド夫婦に売らせる」
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