18話 焼け落ちるアトリエ

 行者をけしかけて、馬車の速度を速めさせた。屋敷の敷地が近づくと火元は屋敷ではなく林の方から上がっていた。林の中で火事なんて、まさかあそこに燃え移ってなんかないよね。お願い無事でいて。


 ようやく屋敷に到着すると、屋敷の前ではメイドやお母様が揃って出火している林の方を見ていた。私が帰ってきたのに気づくと、お母様が抱き着いた。


「ヴィヴィよかった。家を出ていたのは知っていたけど、もしかしてアトリエにいるかもと思って」

「お母様どいて、アトリエに。向かわせて!」

「だめ。危ないわ」

「作品が全部燃えてしまう!」


 その言葉を出すと、お母様は抱きしめていた腕を緩めた。その隙にするりと抜け出して、アトリエの方へと駆けていく。

 今朝で駆ける前までのんびり静かな林が、悲鳴を上げて赤く染まっていた。アトリエの方へ進んでいくと、黒煙は濃くなり、木の枝には火が燃え移り、リスやネズミが林の外へ逃げようと地べたを這って逃げまどっている。

 お願い、お願い、お願い。走りにくいヒールを脱ぎ捨てて、靴下姿で駆けながらアトリエが無事であるよう祈った。だが、祈りは届かず、現実は無残にもアトリエを焼け焦がしていた。


「やだ。やだー!」


 すでに三角に組まれた丸太屋根が火の帽子に様変わりしている。でもこのまま待つのなんて絶対いや! アトリエの壁の材木が炎で弾けて小さな火の粉が降り注ぐ中で、川の水を汲んで水を投げ込む。ジュウゥと音立てて、あっという間に水が蒸発してしまった。

 二回目、三回目。水を汲んでは壁にかけるが、火の勢いは衰えずまだ燃え移ってないアトリエの反対側にまで到達しそうだった。


「消えて、消えてよ。おじい様の絵が、私の絵が。壁が! 思い出が!」

「何やっている! 死ぬぞ!」


 私の手をつかんだのはオブライエン様だった。「火があたらなくても、煙で息が詰まって死ぬぞ」と羽交い締めして、アトリエから引き剥がそうとする。ダメ、絶対に。ここを離れちゃ。体を無理やり下げて、オブライエン様の腕の中から抜け出した。

 そして汲んだばかりのバケツを手に、アトリエのドアに手をかける。外からだめなら内から。


「待て開けるな!」


 ドアノブに手をかけた時、ノブから信じられなような熱が伝わり慌てて手を引く。瞬間ドアが灼熱の炎を伴って独りでに開け放たれた。炎の勢いは強く、私の体を風船のように軽く吹き飛ばし、地面に叩きつけられた。

 痛っ、体が熱い。服から焦げた匂いが漂う、さっきの炎の勢いで服に火がついたようだ。体についた火を消そうと地面に転がって消そうとするが、火がついている面に接すると火が体に密接して熱さがひどく伝わる。熱っ、でもアトリエが……

 すると上から大量の水が降り注ぎ、体についていた火が一瞬で消えた。


「危ないと言っただろ! 密閉空間の中で燃えていたところに、急に外気を入れると大やけどの危険があるんだ。死んだらどうするつもりだ!!」


 叱責するオブライエン様の顔は眉間に皺を三重に寄せ、見たことない気迫に満ちて、私の脚が立てなくなりそうだ。けど。フラフラと脚に力を込めて立たせ、アトリエへと歩き出す。歩くたびに体がズキズキと痛む、火傷したのだろうか。アトリエはさっきドアが開け放たれたおかげで、中の様子が見えていた。火の勢いも弱まっているみたいだし、もしかしたら無事な作品があるかも。


「だめだ死ぬぞ」

「お願い。せめて、筆だけでも。全部燃えてしまって終わりにしたくない。あの中に置いておけない」

「手遅れだ。全部燃えてしまっている」


 オブライエン様が首を振り、アトリエの方を指さした。

 痛む体を押さえて、指さした方を見る。いつもアトリエの正面に入ったところに置いてあったイーゼルの姿がない。その脇に今朝描き上げた私の絵のキャンバスが、火に飲み込まれて火だるま状態になっていた。


「あっ……ああっ」


 もう声が出ず、私はその場に崩れ落ちた。そしてまるで見計らったかのようにアトリエの屋根の頭頂部がメキメキと音を立てて崩れ落ちると、立て続けに組んでいた木々が火の粉を上げて崩れ出した。


「逃げるぞ。いいな。絶対助けてやるからな」


 最後に感じたのは、大きな背中の感触。優しい声だった。そしてそのまま暗転した。

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