17話 オルファンの真意
教会の中は古くも、チリ一つ落ちていない清潔さ。そして太陽の光が差し込んで輝く美しいステンドグラスは見事なもの。こんな中を本当だったらじっくり鑑賞したいところだった。しかし現実は、盗み聞きがバレてマザーに二人そろって正座させられて怒られる場所では、そんな感傷に浸れない。
「まったくなんですかいい年をした男女が、人の話を盗み聞きだなんてはしたないことを」
懺悔室でオブライエン様の話を聞いていたマザーは、皺がくっきりと刻まれた老年の方だが、彫刻刀で削ったような鋭い目は凄味が、髪の毛一本も修道服から露出しない着こなしは厳格さを表しており。怖いマザーを体現していた。
「でもマザー、婚約者が何を思っているか聞いてみたいもんでしょ」
「お黙りなさい。そもそも懺悔室とは、自分の罪を告戒する場所。人は何かしら罪を犯すものです、人には言えない罪を神に仕える私たちが聞き、他言無用であると約束しています。それ俗人が盗み聞きしたら、悪用する恐れがあります。まったく大きく成長して鼻高々になっているでしょうが、ここいらで鼻っ柱を折らないといけないようですね二人とも」
「マザー。俺は関係ないんじゃ」
「あなたも過去に懺悔室の話を聞いていた余罪があります。あなたのことですから、盗み聞きした内容でよからぬことを企んでいたのでしょう」
「懺悔室の話は俗世では持ちださないはずだろ」
「ロシェがあなたもやったと自白しています。これで懺悔室であなたから聞いたものではないはずですよ」
あのオブライエン様を手玉に取る頭の回転の速さ。どこかオブライエン様によく似ている。するとマザーの鷹の眼がついに私にも向けられた。
「貴女もです。シュバルツの婚約者とのことですが、ご不満があるなら盗み聞きなどせず直接口で言いなさい。人は口によって出ずるのです」
「あまり口が上手くない方で」
「上手い下手の問題ではありません。貴女の心中にある思いを突き付ける行為こそが大事なのです。それで貴女お名前は」
「ヴァルシーナ・バイオレットです」
マザーの迫力に気圧されながら自分の名前を答える。と、急にマザーの険しい表情が緩み、口を小さくポカンと開けて驚いた顔をした。
「バイオレットって、バイオレット男爵の? あなたは長女ですか? それとも次女ですか?」
「次女ですが」
血相を変えるマザーにたじろぎながら答えると、マザーは年を取っているとは思えないほどの健脚で教会の奥へと走っていった。どうしたのだろうと動揺している最中、オブライエン様とエドワード先生は迷うことなくマザーの後を追っていった。
「ま、待ってください」
一人残されるわけにもいかないと、二人の後を追いかけた。
教会の奥の扉を開けると、そこは教会の事務所で大量の紙が積み上がっていた。だがどれもマザーが管理しているのか、乱雑に置かれているわけでなく、整然としていた。マザーは一番奥の棚の引き出し中を目を大きく見開きながら何かを探していた。
「マザーどうした。こいつに何があったんだ」
「一年もあなたを探しました。ようやくこれをお渡しすることができます」
マザーが取り出したのは茶封筒の蝋で封じられた手紙だった。蠟は開けられた形跡もなくしっかりとくっついていた。裏返られると、書かれた日付と差出人の名前が入っていた。日付は去年の冬ごろ、そして差出人はオルファン・バイオレット。
「おじい様の手紙!?」
「オルファンは、私が若い頃から当院に寄付をさせていただきまして。その縁からよく文通する間柄でした。昨年の冬にこの文を頂戴した時、孫娘の次女に必ず直接渡して欲しいと直接お渡しになられました。大事な文だから決して開けてはならないと厳命を受けて。ですがヴァイオレット商会に訪れてもオルファンのことと伝えたら門前払いをされまして、途方に暮れるなくずっとここに保管しておりました。」
お父様はおじい様の件について関わりたくないと仰っていたから、おじい様の名前を出しただけで追い返されたのだろう。でもなんでわざわざ直接渡すように厳命するなんて、今までずっと手紙でやり取りしていたのに、どんなことが書いてあるのだろう。
『ヴィヴィへ、突然こんな手紙を渡してしまいすまない。私は今逃亡中の身だ。私の絵の独占を狙う輩に追われている。これまで趣味で描いたものが大きな金になったのは嬉しいが、金のために私を拘束するような輩に、絵を渡すことなど断じてできん。
その輩が訪れたのは私がアトリエを出る直前の数年前。ヴィヴィやお前のお母さんたちに危害が及ばないよう、こっそり作っておいた秘密のアトリエで絵を描いて送っていたが、ついにそのアトリエも見つかってしまった。幸い、色がついた絵はすべてヴィヴィに送った後で残っているのは下絵のみ描いた数点だけだ』
あの冬の時点で数点だけ? でもこの春まで送られてきたのは八枚、数点にしては数が多い。そういえば、絵は毎月二枚きっかり送ってくれた。去年の冬の時も下絵にはなったけどペースは同じ。それが年を開けてから月に一枚来るか来ないかのペースになった…………まさか。
今までのことが、まるで玉になっていた糸が全部解けたように一本につながった。何度もおじい様に返信しても、同じ文面しか送ってこなかったのは下手に余計なことを書いて、私に発覚されることを防ぐため。絵を送るペースが一気に減ったのはその犯人が描く速度がおじい様のを超えられなかったからだ。たとえ下絵でもおじい様の絵を再現できるほどのクオリティを保つのは至難の業。
けど私の予感は、おじい様からの手紙の続きの内容で越えてしまった。
『もし奴らから下絵を送られても、決して絵に筆を入れてはいけない。それは奴らの罠だ。今送っている私の絵が最近オークション価格で下落していると聞く、それは完全でないからだ。奴らはお前が筆を入れた作品を市場に出るのを狙っている。『オルファンの絵』とはヴィヴィの出す色こそが、世間が認めている『オルファンの絵』なのだから。決して売ることのないように』
驚きや震えが来なかった。それらを通り過ぎて、頭が思考停止してしまい動け泣かくなってしまった。後ろからオブライエン様が持っていた手紙を取り上げて、中身を読むと顔が真っ青になった。
「おいおい、こりゃあとんでもない爆弾だろ。オルファンの絵が実質共同制作で、しかも今オルファンの絵を独占しようと企んでいる輩がいるって」
「ミス・ヴィルシーナ。今まで下絵などは送られてきましたか?」
「はい、でもそれらは一切売りには出しおりません」
「本当だぜマザー、前に下絵を見せてもらったが、一枚も出してないのは確認済みだ」
「ああ、それはよかった。いいですか三人とも、これは他言無用ですよ。彼女に最悪のことが起きるかもしれません。シュバル、彼女の家に送り迎えを」
オブライエン様の手配で、急ぎ私の屋敷に帰ることになった。馬車に揺られながらおじい様の本物の手紙を何度も読み返した。おじい様は話すときは柔らかい口調だけど、手紙の時は厳格な書き方になる。間違いなくおじい様のだ。けどその内容に頭がいまだに追い付かない。
私がおじい様の絵を描いていたなんて。昔を思い返すと、おじい様の絵を手伝うとき色塗りを任せられていた。下絵の方をずっと任せてもらえなかったのを気にしてなかったが、あれはおじい様が私の才能を見抜いていたからなのかも。
「すまないヴィルシーナ」
突然反対側に座っていたオブライエン様が頭を膝にくっつけるほど垂れて謝罪した。
「春の展覧会に出した絵を素人の駄作なんて貶めてしまった。まさかお前が『オルファン』とはなぁ。色塗りはよく似ていると評してしまったが、本物なら当然だな」
「いえ、私も自ただおじい様そっくりの絵を描いただけとしか意識していなかったですし。それに下絵が素人の域を出ていないってクリスからも評価されましたし。とにかく顔を上げてください、急にしおらしくなるとこっちもどう返事すればいいのか困ります」
「ボクが乗っていること忘れないでよね。婚約者同士でのろけていると、こっちもどうしたらいいか困るって。イデッ!?」
パンッとオブライエン様の裏拳がエドワード先生の額に飛んで、座席から崩れ落ちさせた。
「勝手に乗り込んで、余計な口を挟んで。お前が屋敷に行っても守れるほどの腕力どころか走っただけで息切れするほどの体力しかないだろ」
「同じ芸術家として、ヴィヴィの作品を見ていたいんだよ。ボクもオルファンの絵は見ているけど、共同制作って判明したから色塗り担当の君が一から描いたもの見てみたいんだよね。展覧会で彼女の絵を見ているシュバルと違ってね」
エドワード先生に見てもらえるなんて光栄だ。こんなことだったら、アトリエきれいにしておくんだった。ふとオブライエン様の方を見ると、肩肘を窓の淵に乗せて不機嫌な顔をして「人の婚約者を愛称で呼ぶなんて」と小さく呟いていた。オブライエン様も愛称で呼べばいいのに、何を怒っているんだろう。
「オブライエン様申し訳ありませんでした。嘘つきと暴言を吐いて。私おじい様の努力の結晶が人の思惑に振り回されるのが許されなくて」
「お前が謝ることはない。俺の言い方が悪かったんだ。もっとお前の気持ちを汲み取れてなかった。リース事業は継続するが、絵画を安く所有できる気持ちを味わえるお前の理念を遂行させる」
「理解しています。でもご紹介の際には私を必ず同伴させてください」
「ほう、そこまで商売に前のめりになるとは」
「いえ、オブライエン様が詐欺みたいな商売をしていないか監視するためです」
ぷふっとオブライエン様は笑い「経験不足のお前にでもバレないようにしないとな」と懲りてない言い方で返された。
「まあ何はともあれ、これで二人の仲は修復されたことで一件落着だ」
エドワード先生は楽観的に構えているけど、落着とはいえない。おじい様の居場所がわからないままで、追っ手に追われているということだ。もしかしたら、おじい様が今囚われているかもしれない。どこにいるのか探さないと。
「ヴィルシーナ焦る気持ちは分かる。だが、まだオルファンの新作が市場に未だ出てない。逃げ仰せている可能性もある」
「ありがとうございます。でも一つ分からないことがあるんです。なんでおじい様はアトリエを離れた後も絵を描き続けたのか。色塗りは私のでなければならないと分かっているのに」
「ボクは分かるよ。嫉妬さ。自分が売れているのはヴィヴィさんが筆を入れたからであって、百パーセント自分の実力じゃないと。アトリエを出たのは、そいつらに追われているのがちょうどいいタイミングだったからじゃないかな」
「でも結果として絵の価格が下がった。世間でも冬の時代と言われて、評価が下がったと言われて。そんなことになったら、私だったら筆を持てないかも」
「だからだよ。今までの作品を越えるためにオルファンさんずっと描いていたんだよ。そういうの芸術家の性だから。ヴィヴィさんが一から絵を描き続けたのもそうじゃないの?」
私が絵を描き続けているのは、好きだから。だけどおじい様のモノマネを脱したい気持ちもあった。意識してなかったけど、いつかモノマネでないものを描きたいと努めているそれが、芸術家の性に従っていた産物だったんだ。
ヴァイオレット領地に入りあと少しで屋敷に着くとなった時、空に黒い雲がかかっていた。雨雲のような湿ったものとは異なる焦げたような色。
え? まさか。火事!? 火元の場所ってまさか、うちの屋敷じゃ!
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