13話 黒鉛絵師エドワード
「久しぶりに来たなぁ王都」
「何ヶ月ぶり?」
「春にうちのパトロンが主催した展覧会に出した絵を回収しに来た時以来かな」
「それ仕事じゃん。プライベートではどうなの」
「ほぼ一年ぶり」
「じゃあ遊ばないと。私先に用事済ませるから、一時間もかからないからこの辺でぶらぶらして待ってて」
書類手続きを済ませるため、王城へ向かったクリス。一時間もかからないと言ったけど、王城周辺は事務処理を円滑にするためか官庁施設が集中していて、買い物とかできる場所が少ない。歩いている人も、かっちりとした服装をしている人が多い心なしか眼鏡をかけている人が多い気がする。でも、いくら官庁施設ばかりといってもコーヒーハウスの一件はあるはず。そこで時間を潰そう。
王城の周辺を歩き始めて、数分。大きめの施設があるけれども、コーヒーハウスの一件も見当たらない。喉が渇いているわけではないけど、飲食できるお店が一つもないと町に彩がなく味気がない。これじゃあ暇つぶしもできない。と肩を落として歩いていると、大きな建物に貼られていた張り紙に目が移った。
『新進気鋭の芸術家が集う展覧会。黒鉛の芸術家エドワード他』
「エドワード先生の作品か、お目にかかれてないから見ておきたいな」
コーヒーハウスもなさそうだし、ずっとおじい様の絵ばかりしか見てなくて目が飢えているし、いい機会だ。
展覧会場に入ってみると、今を時めく絵師さんらの作品を多く飾るためか中は春先のおじい様の展覧会より広く、人も入っていた。その中でもエドワードさんのは特別なようで、展示場の入ってすぐ目の前にその作品が鎮座されていた。
大きさはどれもスケッチブック程度の大きさで、黒鉛の黒一色しか使ってないけど、近くに寄れば寄るほど作品の世界に入り込んでしまう。荒々しく恐ろしい引力が常時放たれている。いつの間にか私はエドワードさんの作品に釘付けになっていた。
「はぁ、見た目は黒色一色だけなのに、他の色が浮かび上がるのが不思議」
「どうしてか教えようか、お嬢様」
突然後ろから若い男の人が声をかけてきた。茶色の髪を横に流して、いかにも芸術家の風貌をしている。エドワードさん本人? なんて話題の芸術家がこんな注目されやすい場所にいたらすぐ大騒ぎするはず。評論家か絵師さんかな。
「人が見える色が大きく分けて何色あるか知っているかな」
「三色ですよね。シアン・マゼンタ・イエロー。二色以上混ぜると色が暗くなって最終的に黒になる」
「その通り。しかし人には直接見える色の他に頭で色を補う機能がある。君は本を読んだことはある? 物語を読む時、文字そのものをイメージする派かい?」
「頭の中にお話を映像化して読みます」
「うん、話が進みやすい、君は僕と同じ感性を持っている。本の世界にはこの世に存在しないものばかり、だけどそこには物があり、人があり、色がある。それをイメージできるのは人の経験、それをもとに人は想像の中で色を作り出す。人は無からでも色をつくりだすことができる。この作品も黒だけだが、人の頭の中で色を補完しているということだ」
人の頭の中にそんな機能があるなんて。でもそれを考えて絵にするなんて、エドワードさんって計算された芸術家なんだ。私が考えることもなく直感で筆を入れるのとは大違いだ。
「ところで君も絵に知識があるようだけど、絵を描いているのかい?」
「はい、でも下絵が上手くなくて。この間友達にもダメダメって言われまして」
「つまりそのほかは評価されているということだ。どう、今日ボクのホテルで一日レッスンを受けてみないかい? ボクが手取り足取り教えてあげるよ」
キラキラと瞬く眼差しで見つめられると、いつの間にか彼は私の手を取っていた。これ、誘われていることだよね。いやだめだ。あんな人だけど、私は婚約者、ここで浮ついた話が露見したら約束を破ってしまうことになる。と彼の手を振り払った。
「私、婚約者がいるので。殿方の部屋に上がり込むのは」
「ほんの数時間だけ、友達の家に上がり込むだけで問題になるのかな」
「ほんの数時間でもです」
どうしても私を引き入れたいのか、グイグイと迫ってくる彼。なんでこんなに迫ってくるの。警備の人もいないようだし、誰か。そして彼が再び私の手を取ろうとしたとき救援が来た。
「ヴィヴィ、やっぱりここにいた」
「クリス! 助かった」
知り合いが来てくれて、まっすぐクリスに抱き着いた。
「どうしたの抱き着いて、ってエドワード先生じゃない」
「どうもレナードさん。彼女とお知り合いなんだね」
「えっ!? エドワード先生ですか。でも誰も先生のこと注目されてない」
「先生、新聞とか展覧会とかメディアに顔出ししない人だからね。でもどうして先生がここに」
「実はボクの幼なじみが王都に来ているから待ち合わせているんだ。たぶんもう来ているんだけどね。黒髪黒目で普段はにこーって笑顔のお面を張り付かせたような背の高い男なんだけど」
うーん、どこかで聞いたことがあるような特徴。まるで私の婚約者のような。
「悪かったな笑顔のお面を張り付かせたような男で」
オブライエン様のことを考えていた矢先、当の本人がエドワード先生の背後に立ってぽきりと拳を鳴らしていた。
「シュバル、やっと来た。待っている間暇だったから、ボクのファンの彼女と今夜絵のレッスンでもって誘っていたところだよ」
「俺の婚約者と知ってて誘っただろ」
「え? 私のこと知ってたのですか」
「うん。シュバルが婚約したときに写真を送ってくれてね。たまたまこの展覧会に来ていたらから、君を家に呼んだらシュバル飛んでくると思ったんだけど。意外と早く来てくれたから」
あははと笑うエドワード先生に落胆した。絵に理解できる人の誘いとちょっと心が揺れて悩んだのに、オブライエン様を呼ぶためだったなんて。やっぱりオブライエン様と友達だから似たような性格の人が来てしまうのかな。すると、エドワード先生の頭をオブライエン様がつかみ上げた。
「お前、人の婚約者を家に連れていくことの重大さわかっているのか」
「いやごめん。特に考えてなかった」
「婚約者がいる身でほかの男の家に上がるなんて、婚約破棄ものになるってことだこの芸術馬鹿! それにこいつはお前のことを評価しているって話しただろ」
「ごめんごめん。分かったから放して」
とエドワード先生が懇願すると、ようやくオブライエン様は手を放した。取り乱した拍子に崩れた髪を手櫛で直した。
「確認するが、あの馬鹿の誘いに乗らなかったんだろうな」
「もちろんです。あの方がエドワード先生とも知らなかったですし」
「そうか。意外と我慢強いんだな」
むっ、意外とは何。こっちだって、オブライエン様のことを考えて必死に抵抗していたというのにいつも怒らせるような言動ばかりで、優しくない。
「わかりやすいんだよね、ちょっと揺さぶりかけると本性を表す。商人として致命的じゃないの。商売敵の前でそんなの見られたら」
「あ?」
「そこにいるの、プライマリーギャラリーのレナードさん。オルファンの絵を取り扱っているよ」
「どうも。お二人とも仲が良いのですね」
やっとクリスのことに気づいたオブライエン様は、服に乱れがないかぐるっと見回しって、確認した後クリスに向かって一礼した。
「お見苦しいところを失礼。彼とは古くからの友人で」
「もう素バレているんだから、そのままでいいんじゃないの」
二人の横で茶々を入れてくるエドワード先生に、オブライエン様の口元がひくひくと引きつる。エドワード先生また顔を手づかみされるかもしれないというのに、分っているのかな。
「もしかしてオブライエン様がご友人の絵を扱っていたというのは、エドワード先生のことで?」
「うん正解。ボクがデビューするまではよく絵の梱包とか手伝ってくれたんだ」
「プライマリーに出す予定の作品を当日まであちこち放置しているから、仕方なくです」
あっ、口調が。ある程度の体裁は保っているが、言葉の節々に感情が乗っている。けど怒りでなくどこか親しみのようなものも感じる。昔からの友人となると鉄壁のような仮面もいとも簡単に外れるのだろうか。
「お話しを遮って失礼ですが、エドワード先生と新進気鋭の伯爵様がどうしてここにいるのでしょうか。もしお邪魔でなければ手伝いできますよ」
クリスが二人の間に入ると、彼女の眼がギラついた。これは商売の匂いを嗅ぎ取った感じだな。
「商魂逞しいお人だ。機密というわけではないし、ギルドと関係が深いレナード家の話も聞いておきたかった。オルファン氏の個展を我が家主催で開催できるか相談しに来たんだ。彼なら個展を幾度も開催しているし、規模と必要作品数がいかほど必要か聞けると思って」
「個展は春に
「開催は王都ではなく、ヴァイオレット領地でやろうと思っている。過去オルファン氏の作品が一般公開されたのはいずれも王都での催されたものばかり。この国で名を馳せている大絵師に出世しているのに出生の地で彼の個展が一度も開催されてないのは物寂しいと思い」
過去におじい様の展覧会や個展が開かれたが王都のみだったのは、主催となる人が王都在住だからだ。展覧会や個展を開くのは相当の金がかかり、しかも売買目的でなければ赤字になる。芸術に無関心な両親に自領でそんなお金を出す余裕もないため、今まで催される機会がなかった。
でも売買するには絵の枚数はそこまでない現状、赤字覚悟で売買目的でない個展しかない。そんな優しいことをあの人がするのだろうか。それは商売人のクリスも同じだった。
「慈善事業でするというわけではありませんよね。伯爵様が手掛けているリース事業の宣伝が目的では」
「うちの事業を見越して、そこまで見抜きますか。有り体に言えばそうだ」
「臆面もなく事業のことを口にするなんて、大胆な方」
ふふっと笑うクリスだけど、二人の間に火花が散っているように見えた。現状二人は私のプライマリーだけど、クリスは売買がメイン。オブライエン様はリース。販売形態も違うし背後の組織も異なるつまり二人はライバルだ。ライバル相手に個展を開き方を聞こうとしている。だから、大胆と答えたんだ。
もしかしてここから熾烈な商人の腹の探り合いが!?
「いいですよ」
「いいのクリス? オブライエン様とはライバルになるんじゃ」
「うちもオルファン先生にはお世話になっているし、いつかギルド主催の個展を開く参考にもなるから」
「いい返事です。共に商売を見越すこと商人のやり方だ」
思いがけないほどあっさりと承諾されて、拍子抜けしてしまった。二人の話し合いが決まり「終わった?」エドワード先生が口を大きく開けて欠伸していた。
「じゃあ移動しない? こんなところで立ち話したら疲れるでしょ」
「こんな素晴らしい作品が集まっているところですのに?」
「飲み物もお菓子も出ない展覧会に居てもつまんないでしょ」
自分の作品も飾られているのにつまらないなんて。絵のことの知識はあるのに、ほかのことに興味がないなんて不思議な人だ。
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