4話 脱走
「んっふふふふーん」
愉快で楽しげな鼻歌が私の耳に入る。
聞いているだけでも絶好調な気分なのだと理解できるが、私はこの人の気分を1ミリたりとも理解したくない。
そんな愉快な鼻歌が聞こえる中で、私はゾンビのように絶望しながら廊下をひたひたと歩いていた。
じゃらじゃらと音が鳴る。
廊下に並ぶ生徒達はその音を聞くと、咲き誇っていた笑顔もたちまち消えて、ひそひそ声だけが廊下を支配する。
みんなの視線はただ一人と一匹に向けられて…犬飼ハルはその視線を欲しいままにしていた。
「…しにたい」
「わっふふふふーーん!!」
早朝、まだチャイムも鳴らない肌寒い寒気が残る朝の時間に、ひそひそ声と絶望と希望に満ちた声だけがそこにはあった。
◆
○月☆日 晴れ。
昨日、盗撮事件を解決しました。そのお礼に生徒会長のお姉ちゃんから犬をプレゼントされました。
その犬はとってもかしこくてとってもかわいくて…とってもとっても……。
「変態っ!!」
じゃらり、音が鳴る。
右手に握られた鎖が音を立てると、その先に繋がれていた先輩が目を強く輝かせて、今まで聞いたことないほど満ち満ちた声で「わんっ!」と鳴いた。
「ねぇねぇご主人様!」
「なんですか…先輩」
「もぉ!ポチって呼んでよ〜ユリちゃんも生徒会のみんなも私のことそう呼んでるよ?」
「あの人達順応しすぎでしょ…ていうか先輩本当にやめてくださいメンタル死にますホントにマジで!!」
わんわんと鳴く先輩に対して泣きそうな私。昨日からずっとこんな調子が続いているからか私の目は魚のように死んでいた。
「その、色々聞きたいことあるんですけど…まず首輪外しません?それとそれやめません?」
「えぇ〜?せっかく気持ちいいのにやめたくないなぁ〜」
「ははっ…」
何言っても無駄、かれこれ何千回とやめるように頼んだけど先輩はこの調子。というよりお姉ちゃん曰く解き放ったんだそう…。
先輩は超が付くほどのドMの変態で犯罪者予備軍だってお姉ちゃんは言ってた。
日々擬態のため天才のフリをしていたけど、私達にバレてから隠す必要もなくなって今はこの状態らしい。正直言って…。
「地獄…」
「わふ?」
憧れの先輩の裏の顔がこんなんだったなんて何かの夢だと信じたい…けど、先輩の劣情に塗れた姿を見ていると、どうしようもないほど現実だと実感する。
「…とりあえず、先輩は教室に戻ってください!ここ一年の教室ですよ!」
「えぇ!?私犬なんだよ?ご主人様から離れたくないよぉ!」
「周囲の目とかがあるんですって!!」
ちなみにここは教室。クラスメイトもいるし授業を始めようと待っている先生もいる。
そんな皆の視線が、雨となり矢となり私を刺し貫く。
正直言って、滅茶苦茶恥ずかしい。
「おねがいですからっ!!」
「……むぅ、分かったよ私も教室に戻るけど…でも、私を解き放ったってことは私でも何するか分かんないから!」
手放した鎖がじゃらりと音を立てると、先輩はニヤリと口角を歪めた。
それは脱獄成功した囚人のような、自由を得てしまった犯罪者のようだった…。そこで、私もしまった!と気付く。
「あっ、まさか…!」
逃げる気だ!!
気付いたのも束の間、流石天才…いや変態の脚力!人外レベルのスピードで教室から去っていくのを見て戦慄が走る。
「ああっ!!」
お姉ちゃんが飼い主だとか訳の分からないことを言っていた理由を今初めて理解した。
「こうなるのを知ってたんだ…!」
「いやぁ、駄犬を飼ってると大変だね飼い主さんは」
「あっ、ユカ!」
欠伸を噛み締めながら、隣から愉快そうに笑うユカの声が聞こえて思わず振り返る。
「どうしよう、授業が…先輩が!」
「まぁまぁ…ノートはとっておくからさ?ここは私に任せて行ってくれハル」
「ユカぁ…!」
いつも眠たげなユカが神様に見える!
「ありがとうユカ、それじゃ私行ってくるね!」
「おう、じゃあおやすm………zzZZ」
もう寝てるぅうううう!?
さっきまでのカッコいいユカは秒で机に付した、けど追いかけないと先輩が被害を出してしまう…。
そうして私は今日初めて授業サボりました。
◆
「へっへっへっへっへ!!」
誰もいない静寂に包まれた廊下にて、息を荒くさせながら走る四つ足の怪物がそこにいた。
「ハルちゃんってば真面目だよねぇ、まぁそのおかげで逃げ出せたのだけれど!」
ハルちゃんから逃げ出した私は一目散にとある物を回収するために走っていた。
それは隠しておいたカメラと写真。
ハルちゃんが私を追っていた事を知っていたから、万が一に備えて隠しておいたのを回収するために私は駆ける…だけど。
「いたぁ!先輩ッ!!」
びくうっと心臓と身体が跳ねた。
声の方へと振り向くと、二階の窓から凄い形相で私を見ていた。
「そこで待っていてください!今そっちに行きます!!」
「いや、待つ訳ないじゃん」
例え可愛い後輩でもそれだけは聞けない。
止まっていた足を動かして、逃げようとするのも束の間…ハルちゃんが窓から身体を乗り出した。
「え、うそ…」
飛び降りる気!?
ヒュッと全身が縮んだ、ドMの私ですらその恐怖に全身が冷えてくのを感じる…。
「な、なにしてんのハルちゃんって…え、えええっ!!?」
焦る気持ちも束の間、身を乗り出したハルちゃんは、さながら猿のように壁の突起物や掴めそうな所を使って器用に降りていく…。
ろ、ロッククライミングだ…!
「そ、そうだった…ハルちゃんってば私より身体能力良かったんだった!!」
ハルちゃんは身体能力とそのセンスだけなら私以上に勝る、肉体に特化したハイスペック女子高生…。
そんな彼女に追いかけられるっていうことは…。
「ひ、ひいいいいいいいいっ!!!」
地獄を意味する。
全速力で走る私、普通の人なら追いかけきれずにリタイアするけれどハナちゃんはグングンと距離を縮めていく。
あれだけ差があったのにもう捕まりそうなほどの距離になっていて余裕だった私も焦りの表情を浮かべた。
な、なんとかして撒かないと!
絶望的な状況のチェイスにて、私は何度もフェイントを仕掛ける。が、さすがハルちゃんフェイントが一切効かない〜!!
「ひ、ご…ごめんなさい!ハルちゃんごめんって!!」
「……先輩、いえポチ」
「えっ…」
ドキッて心臓が跳ねる。
いま、ポチって言った?言ったよね!?
「なに嬉しそうな顔してんですか、気持ち悪い……」
「いや、だってこんな顔にも…!」
「ステイッ!!」
あっはぁぁんんん!
ハナちゃんの言葉の重みが全身を縛りつける、縄よりも鎖よりも何よりも強烈なその言葉に私の身体は快楽に震えた。
「は、はぁっはぁっ!」
「先輩、私決めましたよ」
「私、あなたの飼い主になります。こうやって脱走されたり好き勝手されたら嫌なので」
「えっ、なってくれるの!?」
「ステイって言いましたよね?」
あ、そうでした!
思い出して口を閉じる、けれど嬉しすぎてにやけが止まらないよ〜!
「気持ち悪い…けど、決めたことなので」
そう言い放ってハルちゃん…いえ飼い主様は離されていた鎖を持つと、侮蔑と蔑みの眼差しで私を強く睨む。
あ、ああああああああああああっ!!
「覚悟しておいてくださいね」
「わ、わん…」
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