匂いで時を超えまして。
じぇにー。
第1話 1年目、春の日のリフレイン
ざわざわとする頭の記憶。
知らないような知っているような、そんな温もり。
私は一体、誰?
Episode.1 1年目、春の日のリフレイン
「オビサガさーん、帯探るあさーん、診察室にお入りください」
憎き花粉の季節が巡る。
病院で処方された花粉症の薬は、私にとって必要不可欠なものだ。
鼻がぐすぐすしてしまうタイプの私は、この時期の耳鼻科とは友達にならざるをえない。
「帯探さん、投薬治療を続けるのもありですが…鼻の粘膜を焼くっていう治療法もありますよ。」
「えっ、そんな治療法があるんですか?。」
「ええ。でも、粘膜は再生しますか定期的に焼く必要はありますけどね。」
「…検討します。」
どんなもので焼くのかは分からないけれど、自分の鼻の中で粘膜が焼けるほどの何かが熱を持つ、なんて恐ろしいことなんだろう。
鼻の粘膜を焼く治療なんて、想像しただけでも痛そうで嫌だ。
私は人一倍痛みや痛そうなことに対して弱い。
痛そうなことといえば、テレビドラマの暴力シーンが苦手だ。
映画のグロさも、いじめや嫌なことを言われるシーンなど、そういった部類がすべて苦手。
もちろんそれは、想像した世界にも該当する。
なので、鼻の粘膜を焼くなんて考えただけで血の気が引くのだ。
通院が終わり、いつも通りの薬を出してもらって家に帰ると、一足先に母が帰宅していた。
玄関を開けた瞬間に、夕飯を仕込む良い香りがする。夕方の香りだ。
「ただいまー。」
「おかえり。ま病院はどうだった?」
「んー、鼻の粘膜を焼く治療をおすすめされたけど、痛そうだしやりたくない」
「…そう。ま、その方が良いかもね。るあは痛いの人一倍苦手なんだから」
心配そうに微笑む母の表情の奥に影があったことに、私は気が付かなかった。
それからあれよあれよという間に半月が経った。
まもなく高校1年生も終わり、私は2年生になる。
私の通う学校は、2年生から文理、特進とコースが分かれるので、理系や特進へ行く友達とは天変地異が起きても同じクラスにはならない。
1年間を一緒に過ごした親友、小伏茉莉(こぶしまり)は理系コースに進んで、私は文系コースに行く。
「あーあ。明日で茉莉との“クラスメイト”もお終いだね。」
「クラスは変わっても放課後に遊んだりお弁当一緒に食べたりはできるじゃん。」
「そうだけど…茉莉がいないと不安だよ。それに、茉莉は部活入ってるから忙しいじゃん!放課後遊べない。」
明日は高校の終業式。
1年間過ごしたこの教室ともお別れし、教室は3階から2階へと移る。
荷物もそのまま教室から運べるようにと、クラス分けの発表も明日。
そんな学生ならではの事情もあってか、みんなそわそわしていてなんだか落ち着かない雰囲気が漂っていた。
そんな中で茉莉と私は、せっせと教室の掃除を済ませていく。
茉莉は、さっきから何度も掃除したばかりの場所を掃いている。
いつも毅然としている彼女でも、もしかしたらそわそわしたりするのかもしれない。
「こうやって茉莉と掃除するのも…。」
「マジでさ、るあってそんなに感傷的になるタイプだった?超おもしろいんだけど。」
「もう。茉莉は人の心とかないわけ?。」
あっけらかんと笑う茉莉を不貞腐れた目で見つめると、ふと茉莉の丸い目が見開かれていくのが分かった。
その刹那、私の背後で音を立てて何かが倒れた。
一気に静かになる教室、大きな音に誘われ、廊下掃除の人も呆気にとられている。
倒れたのは、掃除用具などが入っているロッカーで、その上に無造作に積み上げられていた段ボールも一緒に床に転がっていた。
少しの温かさと7割の冷たさを持った風が、埃っぽさと、学校特有のにおいを運んでくる。
花粉症だし、この風きついな、なんて考える冷静さは何故かある。
しかしその香りが鼻腔をかすめた瞬間、頭の中でいきなり火花が散ったような、いきなり目の前をライトで照らされたような、そんな感覚に陥った。
ぐるぐると目が回るような気がして、頭が痛い。
立っていられない。
耳が聞こえない。
でも、何かが頭に浮かんでいる。
懐かしいような、思い出したくないような光景。
ぱちぱちと瞬きをするたびに情景がうつり変わっているような、そんな気もする。
しゃがみこんだ私に、茉莉が何か言っているけれども、茉莉の言葉がどんどん遠くなっていることだけが分かって、音は全く聞こえることはなかった。
気が遠くなることも分からないまま、私は遠い残像をみているような、そんな気持ちになっていた。
私が見たあれは一体何なのだろうか。
意識が遠くなっていって、身体が私のものではなくなっていくとき、耳鼻科の先生が言った「鼻の粘膜を焼く治療がありますよ」という言葉が、残像とともにリフレインされているような気がした。
匂いで時を超えまして。 じぇにー。 @_J_e_n_n_y_K_
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