第2話男の子

一人の男の子がいた。

彼はこの春に卒業し、就職する新社会人だった。

彼は一人暮らしを始めようと、新たな住居を探していた。


彼はこの春、一人の女の子を振った。

勇気を出して、自分から告げたであろう告白だった。

想いを告げられた彼は、少しだけ考え「ごめんね」と謝った。しかし本当は、考えたように見せるため少しだけ間を置いただけであった。

彼は女の子のことを全く知らなかった。外見も声も、おそらく性格も自分好みではないと判断して「No.」の返事をした。

彼にとって女の子という存在は、取り換えのきく玩具だった。

女の子を振っても、彼の心は全く痛くも痒くもなかった。ただ、面倒なものが一つなくなった。彼にとってはそれだけのことだった。


実家を離れた彼は一人で暮らし始めた。

今日から俺、一人暮らしを始めたんだぜ。だから、いつでも遊びに来いよ。

彼は幼馴染に言った。

家賃はちょっと高いかな。でも職場からも近いし、稼げばいいんだよ、稼げば。大丈夫、すぐに慣れちまうよ。

彼は新しい生活に浮き足立っていた。


仕事が始まると、昼間はずっと家にいる。忙しい毎日。慣れない接客。新しい人との出会いと付き合い。

彼はホストになった。男が女を接待する。「お姫様」を接待する「騎士」や「王子様」を演じることは簡単だ。そこに感情が入れさえしなければ接客なんてらくなもの。彼はそう思っていた。

彼は女に興味がなかった。例外は幼馴染のただ一人だけだった。

彼の幼馴染は気の置かない付き合いのできる女性だった。夕方に出勤し、朝方に帰宅する生活は辛かった。疲れ果てて帰宅しては、ベッドで沈むように眠りに着く。そして昼に起きては仮眠を取ったりして時間を潰し、再び夕方には出勤する。

職場の仲間との付き合いはとても良好で楽しい。次第に夜型の生活にも慣れ、彼はやっと自分は社会人になれたと実感した。


彼は両手両足の指では足りないほどの数の女から、淡く濃い想いを向けられ続けた。そして、向けられたそれらを「ごめんね」と言っては振り続けた。

一人暮らしを始めてからもそんなことが何度もあったが、彼はそんなことなどなかったかのように爽やかな笑顔を振り撒き続けた。

彼はおんな泣かせだった。


今日から俺、一人暮らしを始めるんだ。そう言われた幼馴染は彼の隣に一歩間を開けて座り、こう言った。


「そろそろ、本気の彼女でも作ったら?」


言われた彼は呆れた顔をしてこう返した。


「いいんだよ、そういうのは」


決まった一人と付き合い続けるのなんて疲れてしまう。本気の恋愛は崩れた時が辛い。

付かず離れず。重い想いを抱えて生きるのも、想いを抱えさせられるのもしんどいから、自分は一人と決めない。誰もいらないんだ。

冷めてる人ね。そんな貴方とだから友人でいられるのよ。幼馴染は思っても口にしなかった。


彼は昼間、家にいることが多かった。

外出が嫌いというわけではなかったが、仕事の時間が夜間ということもあって昼に出掛ける機会は少なかった。たまに同僚や幼馴染等と食事に行ったりはする。外出する中で最も多い場所はショッピングセンターだった。


彼は化粧が好きだ。趣味の範囲として好むため、自分の財布と時間が許す限り没頭することができる。

遊びで爪を彩ることもある。気分と季節に合わせたネイルたちは同僚と客の女たちに人気だった。金を出させるほどではないと言い、彼の趣味は職場でのサービスにもなった。


彼は外出が嫌いではない。

引きこもりでもニートでもない彼は、人並みに外へ出る。学生時代には友人たちとサッカーや野球等のスポーツもした。小遣いが入るようになってからはバッティングセンターやカラオケ、ゲームセンターにも入り浸った。


彼は気分屋だった。出入りする店はころころ変わった。友人たちは彼のそんなところを理解していたため、一緒になってふらふらしていた。もちろん、社会人となってからは彼らとの付き合いはない。


職場の同僚たちは彼の師であり、先輩であり後輩であり、友人だった。そんな関係を彼は知らなかった。

気紛れな自分と真摯に向き合ってくれる同僚たちとの関係を、彼は好ましく思っていた。だから、彼らとの付き合いも蔑ろにすることはなかった。


彼は昼には大抵家にいる。

夜の仕事のために体力を温存しておくという意味も含まれるが、彼は意外と家事をこまめに行う。洗濯も掃除もほぼ毎日行うし、ゴミもまとめて仕分けし、ゴミ出しの曜日もきっちりと守る。

だから、一人暮らしを始めた部屋のどこに何があるのかもわかっていた。彼は昼にしか家にいなかった。

誰もが起きて外に出るような時間にしかいなかった。逆に、誰もが眠る夜の時間には外へ出て仕事をする。

一人暮らしをしているはずの部屋はいつだって、昼には物音がし、夜には静まり返る。どこにでもある当たり前の生活を繰り返していた。


その部屋は、いつだって人一人分の気配しか部屋の中にはなかった。

それが彼の「一人暮らしをし始めた」部屋であった。




ある時彼は幼馴染に言った。


「最近、部屋の中が変な気がする」




買ったはずのない色の歯ブラシが増えている。自分は硬いブラシしか使わない。やわらかいブラシを買うはずない。

知らないタオルが増えている。しかも新品。タオルは職場の同僚がくれるものが山ほどある。宣伝も兼ねているからどこかしらに同じマークが入っている。知らないタオルにはそれがない。

ゴミ箱の中身が増えている。前日に出したばかりなのにどこから出てきた。

化粧品と香水が気づかないような場所に増えている。香水がふわりと香るそれらは女性が使う物ばかり。自分が使う化粧品は男性用の無香料。女性用なんて部屋にあるはずがない。

何かおかしい。何か変。

あるはずのない物がある。


一つ一つはどれも小さな事だった。だが、その小さな事の数が多過ぎた。幼馴染は言った。


「その増えた物、どうしたの?」


彼は無表情に答えた。


「もちろん、すぐにすてたよ」


どこかの女が彼のために用意したものだとしても、そんな顔であっさりとゴミ箱に入れるのだろうな。幼馴染はそう思った。

そんな顔で、あっさりと女をすてていくんだろうな。幼馴染は思った。




彼は現状をそのままにすることにした。気味が悪い。でも、害はないんじゃないか。そう思っているようだった。

学生時代も含めて、彼には女性からの贈り物がたくさんあった。その中には良いものと悪いものがあった。

誰かからの想いは重い。貴金属や高価な物は重い。箱の中に髪の毛が大量に入った物を見てみろ。吐き気がするだろう。

彼は一人暮らしを始めた部屋で起こっていることは、まだ軽いことだと思っていたのだ。


その後も彼の一人暮らしをする部屋には、知らないはずの物が増えていった。

そういった物はすぐにゴミ袋の中に入れられ、次の日にはゴミ置き場に直行となる。




幼馴染は何度も彼に尋ねた。大丈夫か、と。

彼はいつも心配させないように大丈夫だと答えた。次第に顔には疲れが見えるようになっていったが、幼馴染にはどうすることもできなかった。




しばらくして、彼は突然引っ越すと幼馴染に言った。

友人は思った。物が勝手に増える部屋なんて不気味だよね。その部屋には結局一度も幼馴染は訪れなかった。








「どこかで聴いたような話だな」




幼馴染は呟いた。

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