リバーシブル

犬屋小烏本部

第1話女の子

一人の女の子がいた。

彼女はこの春に卒業し、就職する新社会人だった。

彼女は一人暮らしを始めようと、新たな住居を探していた。


彼女はこの春、失恋をした。

勇気を出して、自分から告げた告白だった。想いを告げられた男の子は、少しだけ考え「ごめんね」と謝った。

彼女の淡い桜色の恋心は実らなかった。

しかし男の子の前で泣くことはせずに、「いいんです」と言って健気に笑った。


実家を離れた彼女は一人で暮らし始めた。

今日から私、一人暮らしを始めたの。♪素敵なお部屋を見つけたんだ♪

彼女は歌うように友人へ言った。

家具もほとんど揃っててね、家賃はちょっと高いかな。狭い気もするけど、一人だもん。すぐに慣れちゃうよ。

彼女は新しい生活に浮き足立っていた。


仕事が始まると、昼間はずっと外にいる。忙しい毎日。慣れない作業。新しい人との付き合い。

彼女は疲れ果てて帰宅しては、夜になるとベッドで沈むように眠りに着いた。そして朝が来ればのろのろと起き、職場に向かう。

彼女は辛くはなかった。とても充実した日々を送っていた。

失恋したことが嘘だったかのように、彼女の笑顔は輝いていた。

今日から私、一人暮らしを始めるんだ。そう言われた友人は、吹っ切れたかのような彼女を見ながらある時こう言った。


「そろそろ彼氏でも作ったら?」


言われた彼女は満面の笑みでこう返した。


「もういいんだ!」


彼氏はもういい。もういらない。そう返されたのだと思った友人は、それ以上彼氏に関する話をしなくなった。

彼女の失恋の傷は思った以上に深かったんだな。友人はそう感じた。


彼女は外出することが好きだった。学生時代の頃から、可愛らしい雑貨が窓際に並ぶ喫茶店や本屋には時間と財布の許す限り訪れた。かといって浪費家でもなかった。購入するものはいつだって実用性のある物を選んでいた。

いくら惚れたものであっても高価すぎるものには手を出さない。例えばテディベア等の人形がそうであった。

そのため、彼女は買い物の時間よりウィンドウショッピングの時間の方が多かったかもしれない。それは社会人となっても変わることがなかった。


彼女は外出することが好きだ。新社会人として、大人の女性としてスーツを着、化粧をして出勤するのはそれなりに好きだった。ただし、クタクタになって帰宅しすぐに眠ってしまう生活は好ましくなかった。


それでも彼女は外出することが好きだ。

休日も彼女は外出する。近場の喫茶店に行ったり、ショッピングモールに友人と出掛けたり、春の公園、夏の海、秋の野山、冬の協会に行ったりもした。それが彼女の楽しみであったから、休日であっても家にいることの方が少なかった。


彼女が家にいるときと言えば夜しかない。

料理もうまくできないので自炊などする気にはほとんどならない。彼女がキッチンに立つ時は飲み物を作る時ぐらいのものだった。外食やコンビニ等の弁当、惣菜で食事を終わらすことは日常だ。

だから、一人暮らしを始めたと言っていた家での暮らしだって風呂と睡眠ぐらいのものだった。


彼女は夜にしか家にいなかった。

それも、誰もが眠る時間にしかいなかった。当然、そんな時間にいたとしても眠るだけだ。

一人暮らしをしているはずの部屋は、いつだって誰もいないかのように静かだった。




その部屋は、いつだって人一人分の気配しか部屋の中にはなかった。

それが彼女の「一人暮らしをし始めた」部屋であった。




ある時彼女は友人に言った。


「最近、部屋の中が変な気がするの」


好きだった色の歯ブラシがなくなっちゃった。先週買ったふわふわタオル、どこかにやっちゃった。キッチンに置いておいたお菓子の箱、いつの間にか空っぽになってゴミ箱の中にあった。

何かおかしい。何か変。

一つ一つはどれも小さな事だった。だが、その小さな事の数が多過ぎた。

友人は大家か警察に相談した方がいいのではと言った。彼女は少し考えて


「うーん、そこまでじゃないかな」


現状をそのままにすることにした。

その後も彼女の一人暮らしをする家では、度々小さなものがなくなったという。どれも彼女が置いたものだ。


友人は何度も彼女に尋ねた。大丈夫か、と。

彼女はいつも笑顔で大丈夫と答えた。どこか幸せそうな笑顔だった。




しばらくして、彼女は突然引っ越すのだと友人に言った。

友人は思った。物が勝手になくなる部屋なんて不気味だよね。その部屋には結局一度も友人は招かれなかった。








彼女は言った。




「あーあ。うまくいくと思ったんだけどなぁ」

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